第10話 惹かれ合うクラダリングの邂逅─③

 公園のベンチにひっそりと座る、鈴村和之がいた。ちょうど日陰になるように腰を下ろしていて、太陽を拒絶しているかのように見えた。

「隣、いいですか?」

 返事よりも先に、ハルカは隣に座った。

「お店にもご迷惑をおかけしてしまいました。……俺の家、そこそこ裕福な家なんです。会社経営をしていて、今は父が継いでいます。代々そういう家系です。子供は俺だけなんです」

 状況は読めた。親のために子の人生があるわけではない。けれど、そういう家庭もあるのも事実。親としては、どうしても孫がほしいところだろう。

「親も子も、お互いに選べたらいいのになあ。……最初、伊藤葵と付き合いました。でも会社や家族のことを考えると、別れるしかなかったんです。次に出会った女性と付き合い、その女性が葵からもらった指輪を売りました。三人目である今の彼女は親が選んだ人。俺が本気で愛した人は、葵だけ」

「楽になれる言葉ではないと思いますが、一つ。なぜ子供が生まれてくるんだと思います?」

「なにそれ。コウノトリがどうのとか言います?」

「違います。親の都合です」

「ぷっ……ふふ、ははっ……確かに」

 鈴村は笑うとえくぼができる。初めて知った。

「子供を作って幸せになりたいだとか、家族はたくさんいた方がいいとか。どんな理由があるにせよ、しょせん親の都合でしかない」

「そうだ。その通りだ」

「考え方を変えなければならないのは、鈴村さんではないと思います。好きになる人は親の思い通りなんて無理ですし。勝手な考えですけど、会社も親の都合でしかないですし。そこは鈴村さんが悩むところではないと」

「俺が悩まなければならないのは、男性しか好きになれないってところか」

「……それは、なんとも言えないです。恋愛経験ないと言ったら、伊藤さんにすんごい顔をされました」

「それは一般的に、あなたが良い男だからだよ。選り取り見取りでしょう」

「いや、全然」

 良い男とは、一般的にどんな男を差すのだろう。見た目、頭の良さ、運動神経、それともお金のある都合の良い男か。

「俺、今の彼女に別れを告げます。そのあと、葵とやり直したい。親には誤魔化して生きてきたけど、全部話します。葵は俺を受け入れてくれるか判らないけど」

「うまくいくといいですね」

「いろいろ迷惑をかけてごめんなさい」

「指輪を必死に探した鈴村さんと、何としても買い戻そうとした伊藤さん。似た者同士かと思います」


 店に戻ると、伊藤はもういなかった。フィンリーは紅茶を淹れていて、戸棚から箱を取り出している。

「お疲れ様でした。クッキーはいかがですか?」

「フィンリーさん」

「甘いものはお好きですか」

「ごめんなさい」

 身体をくの字に曲げて、謝罪した。

「アルバイトの行う範囲を越えてしまいました」

「自覚はあるようですね。追いかけてもあなたの給料は上がりませんし、下がりはしません。ただ、救われた人もいるでしょう。鈴村様からご連絡を頂きました。『優しいアルバイトさんをお借りしました。どうか叱らないで下さい』と。ソファーへどうぞ。お茶を持っていきます」

 フィンリーの淹れた紅茶は格段に美味しい。プロがいる店で飲むよりも美味しいと感じる。

 それを彼に話したら、

「私の淹れた紅茶を美味しいと感じて下さるのは、あなたは稀有な方です。軽蔑せずにただ純粋に喜んで下さることは、恐ろしくも感じます」

 軽蔑と口にする言葉の意味は、いくら考えても答えを出せなかった。つついてはいけないような気がして、心に潜む臆病者のハルカが悲鳴を上げている。

「そういえば、あの指輪はとても珍しい形をしてましたね」

「クラダリングといいます」

「クラダリング? ちゃんと正式な名前があるんですか?」

「ハートは『愛情』、それを支えるように持つ手は『友情』、ハートの上にある王冠は『忠誠』を表しています。アイルランドの伝統工芸品です」

 フィンリーは一度退出し、今度はリングケースを持って戻ってきた。

「売り物の品ですが、どうぞ空けてみて下さい」

 同じクラダリングだ。ただ鈴村たちが持っていたものとデザインが違う。

「あっちは石が埋め込まれていましたよね? こっちが全部金色だ」

「14金のクラダリングです。伊藤様がお持ちのクラダリングには赤いグラスが入っていました。クラダリングにもいろいろなデザインのものがあります。この指輪の面白いところは、」

 フィンリーはクラダリングを手に取る。左手でハルカの右手を取った。

「指輪のはめ方によって、意味が変わるのです。たとえば、」

 右手の薬指に指輪がはめられていく。指輪ではなく、背中がむず痒くて口の中が渇いていく。

「反対にはめると、恋人募集。ハートの先を内側に向けると、恋人がいます」

 フィンリーははめ直すと、首を傾けて微笑んだ。心臓が限界を訴えている。

「よ、世の中の人が恋愛に没頭するの、判る気がしました……」

「恋愛だけが世の中の在り方ではありませんし、遅い早いで人生を決めつけられるものではありません」

 伊藤との会話を言っているのだろう。ほんの少し思春期から抜け出せないでいる微妙な年齢には、ささる言葉だ。彼の言葉はすんなりと心に落ち着く。

「恋愛って何なんでしょうね。身勝手な『好き』を相手に押しつけて、相手からも同じ想いを返してほしいだなんて。相手の領域を蝕んで、ときには苦しめてしまう。子供にしても死にゆく生き物を作るなんて、自分勝手でおこがましい」

「そうですね。私もあなたの想いと似た感情を覚えています。ですが、身を投げ打ってでも愛しいと想える人に出会えたなら、限界まで狂って心を侵害するかと存じます」

「それが愛ですか?」

「ええ、きっと。恋人であれ友人であれ家族であれ。そう願います」

 フィンリーは、狂おしいと想えるような人に出会えているのだろうか。願ったのは、過去にもそういう相手はいません、と聞こえた。同時に、出会わなくていいと言っているようにも思えた。

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