27.再びの同居一日目

 美味しいケーキを食べた後、天音に荷物を運んでもらって、雅親のマンションに恋がやってきた。今のところ最低限の荷物だけ持ってきているが、そのうち荷物も増えていくだろう。

 恋の部屋について雅親と天音と充希で話し合った。


「ずっと暮らすなら、俺の部屋を仮に使わせるのはなんか違うだろう」

「みっくん、考えてくれたんですね」

「考えたっていうか、家族同士で挨拶までしてるんだから、まだ反対するとかできないよ」


 拗ねたような口調ではあるが、充希は雅親と恋の関係を認めたようだった。それだけ雅親が恋に対して誠意をもって対応すると決めたからかもしれない。

 天音が雅親に言う。


「両親の部屋が空いてるわよね。使ってもらったらどうかしら?」

「それはいいかもしれませんね」


 そのことを恋に話すと恐縮している。


「ご両親の部屋とか、いいんですか?」

「あ、逆島恋サン、敬語になった!」

「そこですか!? ……これまで失礼だったと気付いたので、敬語にしてみました。充希くんと天音さんは雅親さんの家族だし……」


 自分は敬語も使えなくて恥ずかしかったと反省している恋に、充希が困ったように頭を掻いている。


「それなら、俺も敬語にしないといけないじゃないですか」

「みっくん、偉いですね」

「雅親に褒められると、子どもになった気がするからやめて」


 あしらわれてしまって多少寂しい雅親だったが、恋も充希も気持ちを切り替えられたなら嬉しい。変わろうと思っている充希も恋も、雅親にとってはとても大事な存在だった。


「両親の部屋は、遺品を片付けてから誰も使えていないんです。使う必要がなかったというのもありますし、両親のことを思い出すとつらいというのもありました」

「そんな大事な部屋を僕が使っていいんですか?」

「私たちは誰も使えないから、逆島さんに使ってほしいんです。逆島さんが使ってくれたら、弟も使えるようになると思います」

「逆島恋サン以外には、使えないと思います」


 雅親の言葉に天音と充希が言葉を添えてくれて、恋は納得したようだった。


「それなら、ありがたく使わせてもらいます」

「残ってる家具は自由に使ってください」

「分かりました」


 荷物をある程度運んでくれた後で、天音が充希を送って帰る。

 二人きりになったマンションで、恋が雅親のそばで突っ立っているのに雅親は気付いた。


「どうしたんですか?」

「だ、抱き締めてもいい?」

「ちょっと待ってください」


 抱き締められるとなると心の準備がいる。

 ハグを嫌がるつもりはなかったけれど、充希が小さいころに抱っこしてほしがって抱っこして以来、そういうことはなかった気がする。恋に抱き締められたときも、胸を押して拒んでしまった。

 拒まれた記憶があるから、恋は雅親に申し入れて抱き締めようとしているのだろう。


「ちなみに、どちら側からとかありますか?」

「バックハグは嫌?」

「心の準備ができないので、正面からでお願いします」

「正面からなら抱き締めていい?」

「どうぞ」


 緩く両腕を広げて待っていると、恋が長い腕を伸ばして雅親を抱き締める。恋の方が体格がよくて筋肉もあるので柔らかく包み込まれるようになってしまう。筋肉は力を抜いていれば柔らかいのだというのがよく伝わってくる。

 恋の体温が伝わってきても、肩口に埋めた恋の顔から息が漏れてきても、雅親は嫌だとは思わなかった。

 そっと恋の後頭部に手を差し入れて髪を撫でると、さらさらですべすべでとても手触りがいい。


「綺麗な髪ですね。この長さでこれだけ綺麗なのは珍しい気がします。特別なシャンプーとか使ってるんですか?」

「美容室で勧められたシャンプーとコンディショナー使ってるけど、そのせいかな?」

「いい匂いがします。そのシャンプーとコンディショナーも持ってきた方がいいんじゃないですか?」

「この部屋のために買うよ」


 自分のマンションに置いてあるものを持ってくるのではなく、このマンションの部屋のために買うという恋に雅親は抱き締められたまま目を閉じた。

 しばらく雅親を抱き締めていたが、恋は名残惜しそうに離れていった。


「夕食には遅い時間になってしまいましたね。何か少しだけでもお腹に入れておきますか?」

「雅親さん、作り方を教えてください」

「はい、何の?」

「素麺とか、ある?」


 素麺の作り方を教えてほしいと言われて、雅親は鍋に水をたっぷり入れてコンロにかけて、素麺を取り出す。お湯が沸いたところで素麺の束の帯を外す。


「素麺は沸いたお湯に入れて一分半から二分程度茹でます」

「水の量の目安と、一人前の量は?」

「一人前が大体二束、百グラムですね。それに対して、水一リットルくらいです」

「今入れたのは何束?」

「夜に軽く食べるだけのつもりだったので、私とあなたの分で三束入れました」


 茹で方を教えて、水の量も教えて、茹で上がった素麺を雅親はざるに上げる。


「茹で上がったらざるに上げて、冷水でしめます」

「お豆のパスタと同じだ」

「そうですね。冷水でしめるところは同じですね」


 流水で洗うと、氷の入った器に素麺を入れて、つゆを用意する。


「つゆは瓶に書いてある分量で水で割ってください。このつゆだと、つゆ一対水四ですね」


 水でつゆを割ってついでに梅干しをトッピングして素麺を作ると、雅親は食卓に運んで行った。

 もう秋になっているが、素麺は一年中美味しいし、これからの季節はにゅう麺にしても美味しいだろう。その話をすれば恋が聞いてくる。


「にゅう麺って素麺とどう違うの?」

「にゅう麺はお出汁に入れた温かい素麺です」

「雅親さんはにゅう麺も作れる?」

「作れますよ。今度作りましょうね」


 にゅう麺だけでなく、雅親は恋に食べさせたいものがたくさんあった。

 二週間の同居生活では恋に食べさせられなかったものがたくさんある。


「揚げ茄子のみぞれ煮も作りましょう。茄子のはさみ揚げも」

「それは美味しそう。僕、茄子好きだな」

「そうだろうと思いました」

「え!? 知ってたの?」


 同居して一日目に麻婆豆腐と麻婆茄子が一緒になったものを作ったら恋はとても喜んでいた。あのときに麻婆豆腐よりも麻婆茄子を取る割合が多かったことに雅親は気付いていた。

 少し観察すれば恋は食の好みも分かるくらい素直なのだ。


「僕が好きなものだから作ってくれるっていうのが嬉しい」


 恋が笑うと、雅親も薄っすらと笑顔になる。


「作り方も教えます」

「揚げ物は上級じゃない? 僕にできるかな?」

「一緒に作ればできますよ」


 これから恋は仕事が忙しくなってくるだろう。

 そうなれば雅親が料理を作ることが多くなるかもしれない。それでも、雅親は恋に料理を教えることを諦めていなかった。


「衣食住を自分で整えるということは、自己管理に繋がります。自分のことを面倒が見られるということは、自分のことを大切にしているということに繋がります。私は、馨さんに自分のことを大切にして生きてほしいので、私が教えられることは何でも教えます」


 雅親と恋の関係がずっと続くかどうかはよく分からない。

 男女で結婚という形を取っても別れるものはどれだけでもいるし、同性で結婚という形が取れなくても別れないものはどれだけでもいる。

 養子縁組をしても、パートナー制度を利用しても、公正証書を作成しても、恋と雅親は別れるときには別れるのだ。

 そうならないためには、お互いの努力が必要になってくる。

 気持ちを保つことも大事だし、お互いに思いやることも大事だ。家事の分担ももちろんしなければいけないし、生活する上ではお互いに我慢しなければいけない部分も出てくるだろう。


 例え明日別れるとしても、そのことを後悔したくない。

 恋と出会ったことは雅親を確かに変えたし、恋のことも変えた。

 いい方向に変わっていけたと二人とも思っている。

 それならば、この関係が続くように努力していって、関係が壊れたとしても後悔するようなことはしたくない。


「雅親さん、僕に何でも教えて。できるだけ覚えるようにするから」

「分かりました。でも、仕事もありますから無理はしないでくださいね」


 舞台の仕事が復帰から初めての仕事になったが、恋は舞台で大成功したのでまた様々な仕事のオファーが来るだろう。

 恋のためにも、雅親はいい関係でありたかった。

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