第13話:影を背負うスター

6月のある午後、札幌ウォーリアーズのロッカールームには、湿った空気が漂っていた。梅雨の影響で外はどんよりとした曇り空。天気と同様に、チームの雰囲気もどこか重苦しかった。連敗が続き、若手中心のチームに漂う焦燥感がロッカールーム全体を覆っているようだった。


藤原恭介は、自分のバットを握りしめながら壁にもたれかかっていた。彼の目は虚空を見つめ、何かを考え込んでいるようだった。


   ◇


藤原が全国にその名を轟かせたのは、3年前の夏だった。地方大会の初戦から決勝まで、すべての試合でホームランを記録し、「甲子園の怪物」と称された彼は、その豪快なスイングで全国の注目を集めた。


地方の農業高校に通う藤原にとって、甲子園は憧れの舞台だった。彼の学校は田畑に囲まれた小さな町にあり、野球部員もわずか16人。練習環境は整っておらず、ボロボロのグラウンドと錆びたバッティングゲージが、彼の日常だった。


それでも藤原は、早朝から夜遅くまでバットを振り続けた。両親は共働きで家計は苦しく、グラブやスパイクを買うお金もままならなかったが、地元の支援を受けて何とか甲子園への切符を掴んだ。


「藤原、プロになって地元を盛り上げてくれよ!」

「お前がヒーローだ!」


地元の期待を背負いながら、彼は甲子園での活躍を経て、ドラフト2位で札幌ウォーリアーズに入団した。


   ◇


しかし、プロの壁は想像以上に厚かった。高校時代のように速球を豪快に捉えることはできず、変化球に泳がされ、速球に振り遅れる。キャンプやオープン戦では結果を残せず、藤原の名前はすぐに「期待の新人」から「消えかけた甲子園のスター」に変わっていった。


「藤原、お前のスイングは大振りすぎるんだ。もっとコンパクトに!」


コーチからの指摘は正論だったが、藤原の心には重くのしかかった。


(俺のスイングがダメだって? これで甲子園で結果を残してきたのに……。)


プロに適応するために何度もフォームを変えたが、スイングはどんどん不格好になり、持ち味の「豪快さ」を失っていた。


   ◇


藤原が黙々と練習を続けていたある日の夕方、グラウンドの片隅で自主練習をしていると、翔太が現れた。


「藤原さん、まだやってるんですか?」

「お前こそ、こんな時間まで残ってどうした?」


翔太は少し笑いながら答えた。

「いやぁ、一軍に残るのも楽じゃないっすよ。僕も焦りまくりで。」


その言葉に藤原は驚いた。翔太は普段、お調子者のような態度で、どこか浮ついているように見えた。しかし、その言葉からは自分と同じように不安を抱えていることが伝わってきた。


「翔太、お前、普段はあんなに調子良さそうなのに、案外考えてるんだな。」

「いやいや、僕だってヒヤヒヤですよ。でも、僕のやれることをやるしかないって思ってます。」


翔太はそう言うと、自分のバットを振りながら笑った。藤原はその言葉に妙に納得してしまった。翔太は確かに、表向きはビッグマウスで周囲を沸かせるが、その裏には地道な努力を続ける姿があった。


   ◇


翔太が二軍に落ちると聞かされたとき、藤原は少なからず衝撃を受けた。彼が去った後のロッカールームは妙に静かで、彼の持つ独特の雰囲気がいかにチームを支えていたかを感じさせた。


(翔太がいなくなると、なんだか寂しいな……。でも、あいつならきっと戻ってくるだろう。)


藤原はそう思いつつ、自分も変わらなければならないと感じていた。


   ◇


ある日の試合前、藤原はベンチで一人座っていた。周囲のざわめきが耳に入らず、自分の不調だけが頭を支配していた。


(俺、これ以上やれるのか? 甲子園のスターだったってだけで、ここまで来ちゃったんじゃないのか?)


そんな中、田中が声をかけた。

「おい、藤原。お前、何を考え込んでる?」


「いや……自分のスイングがわからなくなってきて。」


田中は腕を組みながら答えた。

「スイングなんて単純なもんだろ。お前が甲子園で打ってたとき、何を考えてた?」


「……とにかく、振り切ることだけです。」


「それでいいんだよ。プロだからって複雑に考える必要なんてない。お前がやれることをやれば、それで十分だ。」


その言葉に、藤原の心に少しだけ光が差し込んだようだった。


   ◇


数日後、藤原は久しぶりにスタメン起用された。相手チームは仙台ウィンドクラウンズ、リーグ上位の強豪だった。


試合中、藤原は守備で大きな打球をキャッチし、観客席から歓声を浴びた。打撃ではまだ結果を出せなかったものの、守備での貢献がチームメイトから称賛された。


試合後、ロッカールームで田中が笑いながら言った。

「お前、やっぱりスターの片鱗あるじゃねえか。」


藤原は少し照れたように笑ったが、その目には新たな決意が宿っていた。

(俺はまだやれる。ここで終わるわけにはいかない。)

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