サービス終了寸前ゲームは世界を変える! ~導くのはキャラを演じる声優、良さを伝える配信者。そして、憑依した男?

C@CO

第1話 A面-1

 和樹は、気が付くと、洗面台の鏡に自分の姿を映していた。


 ただし、鏡に映っているその姿は本来の自分の姿とは全く似ても似つかないもの。


 ――確か、夜、家に帰るために車に乗っていて。

 ――交差点で赤から青信号に変わったから、走り始めたら。

 ――右から大きな衝撃を受けて。


 直前の記憶を思い起こしていくと、ある程度の状況は察することができた。


 ――信号無視の車に右から思い切りぶつけられたか。

 ――相手は手動運転だな。自動だったら絶対止まるし。

 ――今時、車を手動で運転するなんて、金持ちの道楽だよな。

 ――それで、あの衝撃なら、向こうのスピードは結構出ていたか。

 ――正面からではなく側面からぶつけられたら、ただじゃすまないだろうなあ。


 自分が迎えた結末の推測の結論は、


 ――良くて、病院の集中治療室、最悪、あの世行き、か。


「で、何の因果か、あんたに乗り移ってしまったわけか」


 和樹が呟いたその独り言は、鏡に映っている体の本当の持ち主に向けて。


 和樹は、その心の中にもう1つの存在があることを感じていた。それは傷だらけで弱弱しく、今にも崩れ壊れそう。


「ま、いいさ。あんたはしばらくそこでゆっくりしておけ。その間、俺がピンチヒッター役をやっておいてやるからさ」


 自分の言葉に、心の中のもう1つの存在が頷くのを、和樹は感じた。


 和樹は和樹で、その生来のお人好しさを発揮したのもある。だが、今の状況が自力でどうこうできるものではないことを察して、成り行きに任せることにした、というのもあった。その割合は半々。


「とりあえず、ピンチヒッターをするために、会社のこととか教えてくれないか。同僚の名前とか、仕事の中身とか」


 体にまとっている服がノーネクタイのスーツ姿だったから、和樹は体の持ち主がサラリーマンと予想をつけた。すると、心の中のもう1つの存在が何かを差し出してきたから、受け取る。


「おいおい、もう会社に出ないといけない時間じゃないか」


 それは和樹が求めていた知識だった。勤め先のこと、同僚のこと、仕事のこと、etc。


 で、洗面台に置いてあった腕輪型の通信端末で時間を確認すると、時計はタイトな時刻を示していた。


 慌てて、身支度を終わらせる。ネクタイが見当たらなかったから、新しいのを引っ張り出した。


 シェーバーなど使い慣れていない道具の使い方に戸惑い、慣れない初めての場所に迷いながら、家を飛び出た。


 そして、駅まで急ぎ、電車に飛び乗る。


 電車に乗ってしまえば、後は流れに任せるだけ。どこかでトラブルが起きなければ、ギリギリ身体の持ち主が勤める会社の始業時間に間に合うはずだった。


 電車の中、天井から30cmほどの空間に、男性アイドルグループのライブ公演の立体映像広告が出ていた。壁面には静止画や平面映像による広告もあるが、それらとは全く違う存在感に初めてみた時は「おっ!」「あ!」と誰もが驚きで目を見開く。でも、残念なことにもすぐに気がつく。向こう側が透けてしまうことに。ゆえに、2回目以降は他の広告と同じ扱いになってしまう。和樹も全く興味がないからスルーする。


 けれど、次の広告には目を止めた。


 ――お!


 映し出されたのは最近リリースされたばかりのゲームのキャラクター。深紅の瞳に真っ赤な燃えるような髪の女性キャラが、挑発的な表情をして、


「プレイしないとだめだぞ」


と書かれた吹き出しを出すと、ウインクをした。ゲーム「ココロスター」に登場する主要キャラの1人、ガーネット・ヴァレンティーナだ。


 ――ラッキー。目が合った。


 空間投影による立体映像だから、そのキャラクターを必ず正面から見られるとは限らない。続いた広告は、世界的な歌姫として和樹も名前を知っているキャスリン・リー・キャンベルのものだったが、彼女の姿を映した立体映像は彼から見ると明後日の方向を向いている。


 そのことよりも、


 ――お! あんたも「ココロスター」をプレイしているのか?

 ――推しキャラとかいるか?


 リリース直後から「ココロスター」に沼った和樹は自分の周囲に仲間がいなかったから、返ってきた反応に少しテンションが上がる。


 世界でも名が知られたゲームエンターテイメント企業が満を持して投入したタイトルにもかかわらず、「ココロスター」はあまり人気がない。グラフィックもストーリーも操作性も良い。一度プレイしてみれば必ずハマる面白さがある。だけど、キャラクターがメインのコンセプトが「今時ではない」「時代遅れ」とも評される。それと運営が良くない。リリース直後だから仕方がない所もあるが、トラブルが頻発していた。悪評はまだ未プレイのゲーマーを遠ざける。


 「もっと人気が出てほしい」「いつまでも愛されるタイトルになってほしい」 そう願っていた和樹にとって仲間を見つけられたことは嬉しかった。


 中からの返事は、ガーネット・ヴァレンティーナの反対側に現れていたもう1人の主要キャラ、アメジスト・ラヴィニア。


 ――残念。反対側だったな。


 これをきっかけに、和樹は、心の中のもう1つの存在と情報交換をすることにした。


 ――へー。名字も名前も一文字違いなんだな、名前。

 ――俺は荏田和樹。あんたは三田和希。

 ――同い年なのか。

 ――あんた、すごいよな。「ココロスター」を作ったところだろ。羨ましいよ。

 ――勤めているのは一流企業じゃないか。俺とはえらい違いだ。


 和樹の誉め言葉に、和希は照れた。和樹が勤めていたのは、東京は東京でも下町の小さな会社。対して、2人が今向かっているのは世界でも名が知られたゲームエンターテイメント企業「シンクスフィア」。「ココロスター」を開発して運営している会社だ。


 ――同じ営業だから、ま、何とかなるだろ。


 和希が配属されていたのは、ゲーム開発部門ではない。「ココロスター」に直接関われないことに残念さを感じはしたものの、和樹がこれまでしていた同じ営業職だったから、特段気負いはなかった。


 ――俺は高卒なんだが、大学出るのも大変なんだな。


 となったのは、和希が奨学金という名の多額の学生ローンを抱えている話が出て。


 ――あー、結構、似た境遇なんだな。


 しんみりしたのは、互いに両親がいないことを知って。和樹は高校の時に交通事故で。中の和希はもともと母子家庭だったのだが、大学生の時に母をガンで亡くした。


 そうこうしているうちに、会社に着いた。見上げてしまうほど巨大な本社ビルに和樹が呆気にとられたり、中で方向感覚を失って迷いそうになったりするシーンもあったが、何とか和希の知識をもとに、デスクにたどり着くことができた。


 で、和樹の顔が引きつった。和希が抱えていた仕事の量を知って。


 ――おいおい、これ、全部こなせるのかよ。

 ――できるんだったら、俺、マジ、お前のことを尊敬する。


 明らかに自分の手に負えない量に、和樹は中の和希に伺いを立てた。


 帰ってきた答えは「否定」。一緒に届けられた追加の知識を知って、


 ――最悪だな、このクソ上司。


 知識というより記憶だった。和希に苛烈なパワハラをしていた上司の。些細な失敗を居丈高に叱責する、自分の仕事も失敗も押し付ける、サービス残業を強制する、飲み会に無理に連れ出し、酒を無理やり飲ませる、etc。


 ――俺だったら、とっくに逃げ出しているわ。一流企業に勤めるのも大変だな。


 和樹は自分の職場のことを思い出した。小さい会社だったが、無理なことは社長であっても直接ダメ出しができる、風通しがいい明るい雰囲気だった。


 幸いにも、クソ上司は時季外れの異動になり、1週間前に新しい上司が来ていた。ただ、中の和希は新しい上司のことをまだ信用しきれていなかった。


 ――ま、やりようはあるだろ。俺に任せな。


 とは言っても、和樹ができることは、上司に今の状況を正直に告白して、助けを乞う、それだけ。


 そんなことをしていいのか、と中の和希が聞いてくるが、


 ――「部下の責任は上司の責任、上司の責任は会社の責任。社員を潰すのが会社の仕事じゃなくて、守るのが仕事」

 ――これ、俺の会社の社長が言っていた言葉なんだけどさ。

 ――言われたときはあんまピンとこなかったけど、お前のことを知ったらしっくりきたわ。

 ――もし、新しい上司も前と同じようなクソだったら、こんな会社にいる価値なんかねーよ。


 結果は上手くいった。上司の方から、状況に気づかなくて申し訳ないと頭を下げてきた。その上で、部署全体を把握して、問題が無いレベルにまで仕事の量を調整してくれた。もっとも、仕事が溜まりこんでいたこともあって、しばらくは、残業、サービスではない、が続くことになったが。


 ――このまま、一段落着いたら成仏するのかな。


 和樹は考えていたのだが、1か月経って溜まっていた仕事を片付け終えても、成仏できる気配がない。


 なぜ「成仏」と考えるのか。それは自分の名前でネット検索を行ったら、こんなニュース記事がヒットしたから。


『――の交差点で、自動走行中の無人送迎車に手動運転で信号を無視して進入した車が衝突する事故がありました。この事故で、無人送迎車に乗っていた東京都江東区の会社員荏田和樹(23)さんは、全身を強く打って、搬送先の病院で死亡が確認されました。手動運転をしていた港区の会社役員――。今後、警察は容疑を自動車運転殺人罪に切り替えるとしています』


 予想はしていたからショックはそれほどなかったが、それから数日、和樹はひたすら仕事に没頭することで、余計なことを考えないようにした。


 そうして、2か月が経って、和樹は中の和希に、


 ――そろそろ、少し出てこないか。


 と声をかけた。けれど、返ってきた返事は否定。


 交代しようと思えば、すぐに交代できる、そんな手ごたえはあった。だが、確かに、最初に会った時に比べれば、弱弱しさが回復したように見えたが、わずかでしかなかった。


 ――しゃーないか。


 2か月も共同生活を送れば、ぶつかることも出てくる。例えば、食べ物の好み。和樹は、ゴーヤのような苦みのあるものが好きだったが、


 ――このお子様舌め。


 和希の舌はその味を受け止めることができなかった。


 逆に、好みがあったのはアニメとゲーム。2人ともアニオタ、ゲームオタで、見事に好みがかぶった。そろって、「ココロスター」にハマっていたから、そうなる予感はあった。


 ――好きではないアニメを見せられたり、嫌いなゲームをさせられるほど嫌なことはないから、ラッキーだったぜ。


 とはいえ、ここでもぶつかることが。それはグッズ。和希は一期一会を主張して購入を求めた。反対に、外の和樹は、より保守的に、グッズ購入より学生ローンの繰り上げ返済を優先すべきだ、と主張した。結論は、グッズ購入枠を1シーズン毎に設定して、それ以上は購入しない、余裕分は繰り上げ返済に回す、ということになった。


 この延長戦に「嫁は二次元が至上」「嫁は三次元もOK」、そんな論争も発生したりした。中の和希は前者、後者は外の和樹になる。


 でも、このことがフラグになったのか、1年後、事件が起きた。






「ねえ、私と付き合わない?」


 シチュエーション的に、「買い物に付き合う」とかに誤解するのではなく、「恋愛として付き合う」としか解釈できない状況に、カズキは置かれていた。


 相手は松田伸子。会社の2年先輩。少し前から、モーションをかけられているかな、と勘づいてはいた。


 で、気づいた段階で2人は相談した。受け入れるか、受け入れないか。OKは中の和希、NOは外の和樹。


 ――おい! 「嫁は二次元が至上」って言っていたじゃないか!


 中からは、それはそれ、これはこれ、と返ってきた。それに、お互い様だ、とプラスアルファも。


 ――単純に、彼女が好みではないから。


 と和樹が返すと、どこが? と返ってくる。


 ――相性。どうも、彼女の性格が肌に合わない。


 よく分からない、とまた返ってくるが、そのあたりの肌感覚を説明するのが面倒で、スルーする。


 ――大体、付き合うにしてもどうするんだよ。

 ――デートの時だけ、お前が出てくるのか。

 ――それとも、いい機会だから、全面的に交代するか?


 この問いかけには、やっぱ無理、今回はパス、と返ってきた。


 なので、


「すみません。まだしばらくは、仕事だけに打ち込みたいです」


「やっぱりね。ま、そんな感じ、していたんだけど」


「……」


「どうしてか、って顔しているわね。直に告れば、少しはぐらつくかな、と思ったからよ。全然ぐらつかなかったけど。ちょっとでも確率があるなら、アタシはトライするタイプなの」


 そうですか、と半分呆れるのを表に出さないように和樹は努める。


「ま、告白に付き合ってくれたご褒美に、いいこと教えてあげる。三田君、あなた、今度、異動になるわよ、エンターテイメントコンテンツ部に。人事にいる同期が教えてくれたの。ココだけの話にしないとポシャルだろうから、誰にも話さないようにね」


 予想外のボールに、思わず感情を表に出してしまう。


「あら? そんなに嫌そうな顔をしなくてもいいじゃない。エンタメ部に異動を希望していたんじゃないの?」


「すみません。意外だったので。最近は、営業の仕事が面白くなってきたので、惜しいな、と思ったのと、エンタメ部に異動になるとゼロから仕事を覚えないといけない、というのが……」


 不思議そうな顔をする彼女に、素直に理由を話す。なお、「エンタメ部」はエンターテイメントコンテンツ部の略称。


「そんなものよ、サラリーマンというものは。本当に嫌なら転職ね。で、どう、前言翻すつもりはない? 私と結婚したら、プライベートを全部バックアップしてあげるわ」


 そんな和樹に先輩は納得がいった顔をしてから、蠱惑的な表情に変えてそう囁いてきた。和樹はすぐにその裏の意味を察する。


「専業主婦になって、プライベート、全部牛耳るっていうことですね」


 ――結婚、妊娠、出産、子育て。膨れ上がる家計の出費。

 ――その余波で、オタ活の縮小、最悪、禁止に繋がる、と。


 中で和希が強くNO! と叫んでいる。


「牛耳るなんて言葉が悪い」


「申し訳ありませんが、お断りします」


「残念。誰か、あたしを専業主婦にしてくれる子いないかなー」


 かわいこぶって上目遣いに覗き込んでくる先輩に、


 ――めんどくせー。


 とは思うが、


 「生贄を捧げておかない別の有望な男を紹介しないと、ここでの話を後で面白おかしく話してしまうよ」と先輩の目が告げているのを、和樹は見逃していなかった。


 さっきまでは強く叫んでいたのが一転、小さくなって、三次元の女はやっぱ怖い、狡賢い、などと中の和希が呟いているのにも、去っていく先輩の後姿を見ながら和樹は呆れてしまう。


 ――こんなの、マイルド中のマイルドだろ。


 少なくとも、彼女は「プライベートを全部バックアップする」と言った。料理、洗濯、掃除といった家事は全てやるということだ。


 ――寄生虫のように全く何もしないタイプの専業主婦よりははるかにまし。


 それが、和樹の考えだった。


 プラス、和希の同期入社の中で、エリート社員が集まる「戦略マネジメント部」にいる男を先輩に紹介することも決めた。先日、同期で集まった際に、


 ――「彼女が欲しい!」「結婚したい!」と言っていたしな。


 もちろん、この時、同期たちから「お前変わったな」と散々突っ込まれた。中で和希が「どうやって誤魔化そう」とおたおたしている一方で、和樹は何も言うことなく、ただ笑ってスルーした。






 年度が替わると、エンターテイメントコンテンツ部に異動になった。その中でも、ゲーム「ココロスター」の開発運営チームに配属。


 一員になれたことに、2人とも会社にいる間は素面を保ち、家に帰ってから盛大に祝った。


 最初の1年目に割り振られた仕事は、本当に雑用ばかり。


 文句ひとつ言わずに黙々とこなした。表には、嬉々とした感情は出さなかった。


 ――だって格好悪いだろ。

 ――推しゲームの製作チームに加わって、いつもニコニコしながら働くなんてさ。

 ――全力で尻尾振っているワンコじゃあるまいし。

 ――それにプログラミングとか直接役に立てるスキル持ってねえじゃん。

 ――だったら、出来ることはなんだってやらねえとな。


 そんな内心の和樹のことを、中の和希は笑っていた。


 とはいえ、心の底から2人が笑えたのは、配属されて直ぐの短い間だけ。


 「ココロスター」は3年前にリリースされて以来、アクション、リズム、パズルと派生タイトルが展開され、コミック、アニメとメディアミックスが展開される、コンテンツに成長していた。……表向きは。


 派生タイトルによって膨大化して複雑化した作業工程。毎日のように繰り返されるトラブル。定まらない方向性とコロコロ変わる指示。怒号だけは飛ばないがギスギスした雰囲気のオフィス。


 なにより、「ココロスター」を楽しんでいるユーザーファンたちが日々刻々と減っていく数字。


「サービス終了が近いかもな」


 カズキたちよりも先に配属されていた同期の言葉にはイラっと来た。軽くヘラヘラ言うものだから、思わず眉が吊り上がりそうになった。


 でも、冗談と聞き流せない空気が「ココロスター」のチームに漂い始めていた。


 だからこそ、カズキたちは割り振られた仕事に本気を出した。本当に些細な雑用であっても全力を出した。


 ――「ココロスター」を遊べない!


 と心の中では号泣しながら。


 次第に、割り振られる仕事が高度化していったから、昼休みに「ココロスター」のミニゲームをちょこっと遊ぶ余裕すらなくなっていった。もっとも、未公開資料とかを目にすることが出来て、ほくほく顔になることも多かったりする。


 2年目を迎えた。新しい仕事を割り振られて顔が引きつった。与えられた肩書きはライブイベント担当プロデューサー。ゲームのキャラクターを演じる声優たちが、年に数回、ゲーム内の楽曲をリアルのステージ上で歌って踊って、ゲームのユーザーファンたちと直接交流するイベントで、それを統括する役職。前任者が、一身上の都合で会社を辞めたがために、空いたポストだった。


 組織のポジションとしては、トップの総合プロデューサーの下にコンテンツ全体「ココロスター」を統括するプロデュースチームがあって、そこからの指令に基づいて、実際にライブを運営実施する外部のイベント会社などとの橋渡し役になる。橋渡し役と言えば、聞こえはいいが、実際は、上からの無茶ぶりと現場からの狂った要求をすり合わせる板挟みポジション中間管理職


 社内では全く偉くない。社員の部下は2人だけ。同じプロデューサーでも、ゲーム制作担当なら、多い時には2、300人を束ねることもある。


 で、顔が引きつった理由。1つ目、前任者が引継ぎなしで辞めてしまったこと。関わっている社員が少ないため、全体を把握していたのが、辞めた前任者だけだった。


 そして、次のライブは3か月後に控えている。「ココロスター」のリリース3周年を記念したものだ。観客予想数は2万人越えのビッグイベント。


 なお、前任者が手掛けた前回の2ndライブは、前任者が引っ掻き回した結果、大失敗。ライブに参加したゲームのユーザーファンたちから「黒歴史」認定を受けるほど、散々な酷評を受けた。アクティブユーザー数「ココロスター」を楽しんでいるユーザー(ファン)たちの激減という数字にも表れた。このことを知ったカズキ2人も、


「クズ! マヌケ! 死ね!」


などと家で前任者を言葉の限りを尽くして盛大に呪った。


 でも、これだけならまだまし。「よし! 次、やるぞ!」と腕まくりする。


 問題は、前任者の引っ掻き回した結果、ライブイベントに協力してもらう様々な会社との信頼関係をズタボロにしたこと。これが2つ目。


 もう、顔を引きつらせるしかなかった。


「荷が重すぎます。西野さんや北川さんではダメなんですか?」


「2人からはすでに断られてしまってね。まあ、少々の失敗なら目をつぶるから、頑張ってくれ」


「なら、東山さんや南田さんの力を借りてもいいですか?」


 和樹は、「ココロスター」以外も含む過去のライブイベントに関わった経験がある先輩の名前を上げるが、上司の返事はどれもノーだった。仕方なしに、会社にある資料を徹夜で読み込んで、関わった経験がある先輩たちに片っ端から話を聞いて、付けられた仲間部下と情報を交換して、とりあえず出来るだけの準備をした。


 その上で、ライブを仕切るイベント会社に、カズキは乗り込んだ。


「本当に申し訳ありません! 弊社の都合で御社に大変なご迷惑をおかけすることになりました」


 初手、謝罪。土下座する勢いで深く頭を下げた。


「……あんたも大変だな」


 あらかじめ事情を伝えていたイベント会社社長の中西から向けられる目には同情が多く含まれていた。


 ――貧乏くじをひかされたな。


 そんな心の声が聞こえてきそうなほどに。


「で、どうするんだ?」


「全てを御社にお任せします。ライブの成功が最優先です」


「……よし、分かった。かなり無茶を言うが、覚悟してんだろうな」


「覚悟はできています」


 カズキの言葉に中西は渋々といった様子を見せている。でも、和希の身体に入る前、東京下町で社屋を構える一癖も二癖もある中小企業の経営者たち相手に営業をしていた和樹には、中西の心の内を察することができた。「よっしゃ! フリーハンド、ゲット!」と喜んでいる内心を。


 同時に、本当に一緒に仕事が出来るのかどうか、と値踏みされていることも。


 中西が、かたわらに置いてあったモバイルディスプレイに、とあるメーカーのカタログを表示させて見せてきたのもその1つ。


「なあ、今度のライブにこいつを使いたいんだが、どうだ?」


「……これってドローンカメラですか?」


「そう! 最新のやつなんだよ。大丈夫! 万が一のためのセーフティは二重三重に用意する。お客さんの上に落ちるなんてことは起こさないようにする」


 和樹のこれまでの経験から、このタイプの人は話を切り出してきた時点で、もうすでに8割がた準備が整っていることが多かった。


 ――現物がこの会社のどこか片隅に置いてあって、請求書がもう用意されていたりして。


「スケジュール的に大丈夫なんですか? カメラワークを考え直さないといけないのでは?」


 察しているのは表に出さずに、話を合わせていく。


「大丈夫! それはもう準備してある! カメラ担当とも話は通している」


「金額は……」


「このくらいだ」


 示された数字は、会社から許されている予算からギリギリ足を出している。


 ――おそらく、こちらの予算枠すら見切られているんだろうな。


 そして、中西のようなタイプは即断即決する相手を好む。「会社に持ち帰って検討する」「上司と相談する」のカードを切るのも1つの手だ。


 ――けれど、そうすると、とくに今回はこれまでの経緯から、2割3割程度の対応しか、この人はこれから先しない。


 だから、切るカードはこれ。幸い、今回は上から「多少の失敗には目をつぶる」という言質は取っている。


「……分かりました。使いましょう」


 即決。渋々のポーズを見せながら。


「お! いいね、あんた。話が分かるね」


 初めて、中西の顔に心からの笑顔が浮かんだ。


「よし!大船に乗ったつもりで、任せな!」


 これでハードルの1つはクリア。


 でも、イベント会社からの帰り道、和樹は連れてきた仲間の1人から、聞かれた。


「いいんですか。あの社長にフリーハンドを与えてしまって」


 中西の能力の高さは高く評価されているが、同時に、先輩たちからは異口同音に、


「彼の暴走癖には注意しろ」


と忠告を受けていた。


「いいもなにも、最優先はライブの成功。そのためには、彼に任せるしかない。こっちが口出しをしても、現場を混乱させるだけだろ。俺たちは完全な素人なんだから」


「ですが……」


「なに、上は多少の失敗には目をつぶると言っている。それでも、何かあったら責任はとる。その覚悟はできている」


 というのは建前。まあ、会社人としての本音もいくらかは混じっている。


 でも、本当のカズキたちの本音は……。


 ――たかがゲームなんて言わせない!

 ――たかがライブイベントだなんて言わせない!

 ――「ココロスター」の魅力を見せつけてやる。

 ――「ココロスター」のキャラクターを演じる彼女たちの魅力を見せつけてやる。

 ――これでもファンの端くれ。

 ――俺たちのせいでライブが失敗となったら、ファン失格だ。

 ――何が何でも絶対に成功させる!



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