第五章 -4- ノームの時計と竜の魔女

 イースはそう言って右手に値の張りそうな白い陶器のコーヒーカップを掲げる。


「ミーナさんからの許可も出ましたので、一緒に過去を覗きましょう。時間旅行も乙なものです」


口ひげを揺らしてイースは言って、私と柚さんは顔を見合わせる。


「過去って・・・時間を戻せるんかいな!」


柚が驚きそういうと、イースは首を横に振る。


「過去へは決して戻れません。未来を帰る術は現在にしか存在しませんので。ただ過去は知ることができます。大地は記憶を蓄えています。また大地の恵みに溶け込んで、私は大地を操ることができる。この素敵なグアテマラという、私の愛するコーヒーの香りが私たちを過去へといざないます。京都の街くらいなら私の力でも容易たやすくご覧に入れられましょう」


「だから、ミーナさんは店のワインセラーにこもったんだねー。素直じゃないから。琴音ちゃんも知りたい?」


コルが腰に手を当て私を覗き込む。しっかりと私は首を縦にふる。


「お願いします。興味本位きょうみほんいではなくて、私は知っておかなければいけません」


そう思います。とイースを見上げるとよろしい。と左の指先でコーヒーカップの縁をなぞる。

 すると立ち昇る香りがいっそう濃く感じられた。鼻孔の奥で香ばしい香りに幸福感を感じた時、一度視界は暗転した。


 何度か瞬きをすると、視界の中央がぼんやりと明かりを灯し、焦点が合っている。板間は縦に続き、横広の一枚板にカウンターチェアーが並んでいた。広い店内にふたつの四角いテーブルが置かれて、奥に黒いローブを着た魔女がいた。カウンター越しに向かい合うのは黒いベストを着た、シワひとつない白シャツの男性。髪の色で男性はイースだとわかる。


 そしてローブの魔女はミーナさんだと反射的にわかった。


 でも、知っているミーナさんとまとう空気が違う。見える横顔は冷たく、伏せられた瞳がカウンターに乗せられた指先を見ている。結ばれた口元に笑顔はない。


指先で置かれた薄い紙のメニューをなぞっている。冷たく張り詰めて、話しかけにくい雰囲気だった。


 それでも店内は暖かくオレンジ色の間接照明が店内を照らし、かがり火の中にいるみたいだった。脳裏にイースの声が響く。


「私がまだバーテンダーとして働いていたのは、十年前でしょうか。彼女は私のBARに突然訪れました。部屋の隅っこでこうやって、ひとりきりでした」


 私は町の記憶を見ている。ミーナさんが過ごした京都の記憶。


 思っていたよりもぜんぜん違う。


脳 裏に響く声に私は返す。互いに実態はない。幽霊のように透明で空気だけの存在だろう。バーテンダーの頃のイースはミーナさんの正面に立つ。


「ご注文はお決まりですか?魔女さまの。それにまだ成人していない魔女さまにお出しできるお酒はありませんが」


「別に関係ないでしょう?後、魔女さまなんて呼ばないで。私はミーナ・フォーゲルという名前があるから」


 ミーナさんはゆっくりと顎先をあげて、目を細める。他人とどう接していいかわからない、冷たい困惑の中にある言葉だ。


そうですか。とイースは返し、首をひねる。


「だからと言って私もバーテンダーの端くれ、出会いを記念してひとつカクテルをプレゼントしましょう」


「さっき、私に出すお酒はないと言ったでしょう?」


「いいえ。未成年の魔女にお出しするお酒はないと言っただけです。ミーナさまにはお出ししたいカクテルがあります。アルコールは入ってないのでご安心を」


 ミーナは驚き首をかしげていた。手際よくイースは銀色のシェイカーの中へ、オレンジ、パイナップル、そしてレモンジュースを注ぎ入れ両手で包んで混ぜる。カシャカシャという音が店内に響き、思わずミーナさんは見を乗り出した。


 やっぱり今よりとても若い。幼いと言えるほどに。私と同じか、それよりもずっと少女に見える。イースさんの作るカクテルが目の前に置かれて、ミーナさんは眺めるばかりで手をつけなかった。


「どうしたのですか?今が一番美味しいタイミングですよ?」


「ありがとう。ここは落ち着く。人や魔女の中にいなくてもいいから」


「ありがとうございます。しかしあなたは変わった魔女だ。精霊の眷属にお礼を言われるなんて」


イースの表情が緩んでいる。ミーナさんは初めて笑みをこぼした。


「人なんかと一緒だと疲れるから・・・」


変わった魔女さんですね。とイースが笑い、知っているとミーナが言った。


再び視界が暗転して、暗闇の中で声が響く。


「それから私のBARにミーナさんはたびたび訪れるようになり、たくさんお話をしました。面白いことにミーナさんは精霊である私以上に、人の世にうとく、人の営む普段の生活。学校に行って友達を作り、四条河原町に遊びにいく。そんなことすら知りませんでした。断片的な偏った知識は・・・面白かったですが。どこか不憫に思えていました」


偏った断片的な知識。きっと部屋に置かれた少女漫画だろうか。今のミーナさんからは想像もできない冷たさだった。


「ミーナさんはひとりだったんですね」


「そうですね。いつもひとりで訪れて、他のお客が来ると逃げるように店を出ました。開店直後からのわずかな時間で、ミーナさんにいろいろ教えましたよ。特に興味を持ってくれたのが料理とカクテルのお話でした。いろんな由来があることを知ると、硬く強張こわばった頬がほころぶものですから、私も興にのって話し続けたものです。その理由を知ったのはずっと後でしたが」


それは・・・?と口を開くとふたたび視界が開かれる。

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