第7話
「……すごく獰猛な王様がいて、その王様が、蛇にだまされて毒を飲まされるの」
「そこに……たしか夕ご飯の材料を探しに天使が通りかかるんだけど……」
ロジェが再び爆笑して、茶化すように言う。
「天使がメシをつくるのかよ!」
プラダは怒ったような困ったような顔になる。
「もう……。ロジェはいちいち……」
プラダがロジェを無視することに決めて、ローランにだけ向けて言った。
「それで天使はね、苦しんでいる王様を助けるの。助けられた王様は、天使の家で、天使とその家族たちと一緒に暮らすようになるんだけど……」
「そのあと天使は、その領地の王に見そめられて、お城に連れていかれてしまって……」
古い記憶を頼りに、とりとめもなく語るプラダの話を、ローランは真剣な眼差しで聞き、一方、ロジェは、いかにも退屈そうに、あくびをしながら、あまり聞いていないようだった。
「そうしたらねこの王様がね、連れていかれた天使を助けるために、城に乗りこんでいくのよ」
「領地の王? ねこの王様?」
きちんと聞いていなかったせいで、ロジェは話が混線してしまい、話についていけなくなってまた、茶々を入れる。プラダはそれを、今度は完全に無視して話し続けた。
「ねこの王様はとにかく強くて、城の兵士は誰もかなわないの。そしてすぐに天使を救い出すのよ。それからは天使とねこの王様は、ずっと一緒に暮らしたんだって」
「なんかつまんない話だな」
ロジェが辟易という様子を身振りで表現しながら言う。プラダもロジェのこの指摘に関しては同じ意見のようで、ロジェに同意した。
「たしかにね……古いおとぎ話だし」
ローランは目線を下に落として、口のあたりに手をあて、考え深げな様子でじっと話に聞き入っていた。ローランに向かって言う。
「でもね……天使を助けに行く城っていうのが、なんと……ブレスト城なの」
「ブレスト城?」
ローランが勢いよく顔を上げて聞き返す。ロジェも昨日の今日で、ブレスト城という名前に反応して顔を上げる。プラダはローランの様子を窺い、嬉しそうな顔をした。
「そう、なんかつながるでしょ?」
ローランは頷きながら、布に書かれた言葉を思い出していた。
わたしが
囚われし場所に
たどりつくことは
斑の王の
助けなしには
不可能でしょう
ローランは考え込むように再び視線を落とした。
「他の事はいかにもおとぎ話って感じで、曖昧なんだけど、ブレスト城ってところだけ、妙にはっきりしていると思わない?」
「もしも……天使が捕らえられていた場所が、あの城の塔の上だったとしたら……」
考え込んだ様子のまま、ローランは呟くように言った。それを聞いたプラダが、嬉しそうに身を乗り出す。
「そうなのよ! 塔の上の天使を助けることができたんだから、ねこの王様の助けを借りれば、塔の上までいけるかもしれないわ」
「可能性はある…」
ローランが一定の同意を示すと、プラダの笑顔がさらに嬉しそうなものになる。
「それと天使の家には、天使だけじゃなく、ねこの王様も眠っているって言われていて……」
「その遺跡にいけば……」
「おまえら、頭大丈夫か?」
二人の会話を、ついていけないと言うように聞いていたロジェは、怪しそうな表情で言った。
「天使とか、ネコとか王さまとか。たんなるおとぎ話だろ?」
そしてバカにしたように
「まさか本気で信じてるんじゃ……」
しかしプラダもローランも、それを無視する。ローランがプラダに尋ねる。
「プラダ! 天使の家にはどうやって行けばいい?」
「場所自体はすぐにわかると思う。町の人なら誰でも知ってるから」
プラダはそう言って悪戯っぽく微笑んだ。
「でもバーネットまでは、汽車で半日。すぐには無理よ。感謝祭あけの休みに三人でいきましょう」
予想した通りの展開だった。バーネットは言ってみればプラダの生まれ故郷、簡単に訪れることができないほど遠いわけではないが、かといって気軽にいつでも行けるという距離ではない。当然これを機に、プラダがピクニックがてら、自分も行こうと考えるのは当然のことだった。ローランは思わず短いため息をついた。布に書かれたメッセージの中で、プラダに読んで聞かせなかった部分が頭をよぎる。
ただし
大きな危険を伴います
それゆえ
命を賭する
覚悟なきときは……
ロジェが話の成り行きを理解できずに、さらに怪訝そうな顔をする。
「おまえら、なんの話をしてるんだよ」
ローランは少し間をおいて、少しこわばった表情で、さきほどのプラダの提案に一応の賛同の意を表す。
「そう…だな……。それもいいかもしれない……」
ロジェももうどうでもいいという様子で、適当に答える。
「まあいいや……どうせ暇だしな」
「ロジェはいつも暇なくせに」
プラダの言葉にむっとして、ロジェが悪態をつく。
「大きなお世話だよ、デブ! ブス!」
「おまえだって、じゅうぶん暇じゃねえか。ローランにくっついてばっかいるくせによ!」
ローランはやれやれと言うようにロジェを見て、再び考え込むような表情になった。プラダはロジェに言い返しながらも、そのローランのその様子を、ちらりと横目で確認することを忘れなかった。ローランは、いつもなら気づきそうなプラダの視線に、今日は気づくことがなかった。
診療所という簡素な看板が掲げられた家は、ローランの父フレディが突然聖都ナントに旅立つまでは、村の医療の中心だった。しかしフレディがいなくなり、そこはもう診療所として機能していない。村人は何かあればもう一つの診療所、高齢によって半分隠居生活を送っている老先生のとこに行くしかなかった。
ローランは自分の部屋の書き物机の前に佇んで、物思いに耽っていた。金属の歯車の装飾が何箇所にも施された掛け時計は午後7時を指している。ローランは、心ここに在らずという様子で、机の脇の棚に三つ並んだ、小ぶりな箱の一つを手に取って、机の上に置いた。
フレディがナントの行かなければならなくなったとローランに告げたのは、本当に突然だった。確かにそれまでの一週間ほどは、元気がないように感じられ、ときおり思い詰めた表情を浮かべていたようにも思われた。しかしそれも後から考えたら、そうも思えるという程度で、それ以上のものではなかった。
ローランの父はこのチャペックに越してきてから、家を空けたのは二度だけ、どちらも少し離れた村に往診に行かねばならないというのが、その理由だった。それ以外は村の人々の健康を支えるという責任感から、半日村を離れることさえなかったくらいだった。それが今回は、老先生に頭を下げ村のことを託し、いつ帰るともしれない旅に出てしまったのだ。ローランはその事実からも、父の身に、あるいは父を取り巻く世界に、何か尋常ならざることが起こっていることを感じていた。
しかし同時に、父を信じてもいた。何があったとしても、村人を捨てて帰ってこないなどということはあり得なかった。ローランは、父のことを考えると、心配と信頼の間をいつも心が揺れ動いた。これまで村の医師として、村の人々の健康を支えるためだけに生きてきた父に、そんな平凡な村の医師に、どんな尋常ならざることがおこるというのか。
ローランは箱を開いて綺麗に畳まれた手紙を取り出した。手紙の下には、手紙と共に父から送られてきたアームバンドが敷かれている。藍色に染められた幅の広い革の帯の中央に、六角形にカットされた、目を引くような大きさの美しい石がとりつけられていた。その六角形の石は数え切れないほどの複雑かつ細かいファセットで表面が構成されており、そのせいか覗き込むと、その深く澄んだ群青色の闇に飲み込まれてしまうような錯覚を覚える。そしてその闇の中には、金色の微小の粒子が散りばめられていて、その石の中に宇宙が広がっているようなそんな神秘性を感じさせた。そしてその両脇には、数字の四に似た、おそらく木星の惑星記号を表すであろう金属の装飾が施されていた。
ローランは箱の中の石にしばらく見入ったあと、畳まれた手紙を開いた。もう何度も読んで、内容は覚えてしまっていた。しかし、父のフレディが家を出てからの、唯一の便りであるこの手紙を、何かあると手に取るのがなかば習慣化していたのだった。
ローランへ
私とカートのいない生活にもう慣れただろうか。
迷惑をかけてすまない。為さねばならないことを為し終えたら、できるだけはやく、村へ、いや何よりもおまえのもとに戻ろうと思う。
それまでの間も、いつもどおり為すべきことを為し、日々を暮らしていってくれたらと思う。中傷にには耳をかさぬこと。偽りを決して口にしないこと。真実をいつも率直に語ること。見せびらかさないこと。他者を気づかい、そして自己を気づかうこと。いつも自分への振り返りを忘れず暮していくこと。
それと母さんの形見を同封する。お前に何かあった時には、この石が必ずや力を貸してくれるだろう。しかしできるかぎり耐えて待つのだ。耐えて待つことこそ勇気。くれぐれも早まることのないように。しかしどうしても、やり遂げねばならない時が来たならば、唯々自身を信じて…
なによりも息子を愛する父より
ローランは手紙を読み終えると、ブレスト城で見つけた布に書かれた文字を思い出していた。命を賭ける覚悟がなければ忘れてほしい。血を思わせる真っ赤な文字は、ローランにそう訴えていた。命を賭ける覚悟……。ローランは心の中で呟いて、目の前の壁に貼られたポスターをやや上目づかいに見つめた。。
ジャック・スタンパー。ローランが幼い頃から大好きなロックスターだった。左斜めやや下方からのアングルで捉えられた、肩より上のジャックの姿が大きなサイズのポスターに収まっている。リーゼントの髪を綺麗にまとめ、黒い革製のライダーズジャケットを着たジャックは、ポスターの中で面白いものを見つけたときのような独特の笑みを浮かべている。左目の下には海王星の惑星記号に似た形のタトゥーがあり、耳のピアスからは細い鎖が伸びていて、その先には複数の小さな歯車がさがっている。あのとき見たのとまったく同じ姿だった。
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