第12話 エルメーテ公爵家(7)

 昼食が終わると、お父様はお父さんと一緒に警備体制の見直しをすると言って席を立った。

 グレゴリオ最高司祭も「この後に予定ありますので」と言って公爵家を後にした。

 お母さんも仕事に戻り、私はヴェネリオ子爵と二人で食後の紅茶を楽しんでいた。


「どうですかシトラス様。エルメーテ公爵家には慣れることができそうですか?」


「そうですわね……エリゼオ公爵家とは比べ物にならないくらい居心地が良いのは確かです。

 ですが聖神様の封印をどうやって守り切ったら良いのか、それは今も見えてきません。

 私はこれから、どうしたら良いのでしょうか」


 ヴェネリオ子爵は紅茶を一口飲んだ。


「焦ることはないでしょう。

 最悪のケースでも十年の猶予があります。

 この国を良い方向に導きつつ、シトラス様はご自分の人生を歩まれるよう努力すればよろしいのでは?

 前回の人生で、叶えられなかった夢などはありませんか?」


 私は紅茶の水面を見つめながら考える。


 村が滅んだあと、気が付いたらエリゼオ公爵家に引き取られ、そこからは聖女とは名ばかりの存在としてぞんざいに扱われ続けた十年だった。

 自分の人生を考える余裕すら与えられず、最後は冤罪えんざいで処刑されて幕を閉じた人生だ。


「……わかりません。

 でも一つだけ望みがあるとするならば、私は聖女になんて選ばれたくはなかった。

 あの農村で、お父さんやお母さんと一緒に静かに慎ましく人生を送って居たかった。

 そうしていつか誰かと婚姻をして、家庭を築いて子供たちの笑顔に囲まれる――そんな人生を送りたかったのかもしれません」


 ヴェネリオ子爵が眉をひそめ、私を思いやるような眼差しを送ってきた。


「それが叶うならば、最も幸福だったでしょう。

 ですがこの国、この世界を救うためには、シトラス様のお力が必要です。

 どうか多くの民の幸福な家庭を守る為、お力をお貸しください」


 ――民の幸福な家庭、か。

 私が今、思い描いたように、愛する人と子供たちに囲まれる家庭が無数に存在している。

 そんな人たちの幸福を守るため、私は私に出来る事をするべきなのだろう。

 その上で、私が自分の人生を歩めたなら……最高に幸福だと言えるのかもしれない。


 私は小さく息をついた。


 器用に生きられない私が欲張って多くを求めれば、必ず失敗する。

 まずは聖神様にお願いされたように、魔神の復活を阻止することを心がけよう。

 そのためにダヴィデ殿下やアンリ兄様と婚姻することになろうと、それはもうしょうがないのかもしれない。

 自分の人生なんてこの際、二の次なのだ。


 私が物思いにふけっていると、ヴェネリオ子爵が申し訳なさそうに告げてくる。


「私にもっと力があれば、あなたにそのような悲しい表情を浮かべさせることもなかったのですが……口惜しいです。

 ですが私の力が及ぶ限り、私はあなたにご助力いたします。

 どのような些細ささいな願いでも構いません。なんでもご相談ください」


 私は顔を上げて微笑んだ。


「ありがとうござますヴェネリオ子爵。

 あなたには前の人生でも、同じような言葉をかけてもらいました。

 あの時は私こそ、あなたを守り切れずに申し訳ありません」


 ヴェネリオ子爵は私が十歳になる前に、バイトルス王国との戦役に赴いて戦死していた。

 今思えばあれも、宰相がわざと死地に追いやったのではないかと思えた。

 そうして反宰相の派閥を前線に送り込み、数を削っていったのだ。


「私がそのようなことを? ……そうですか、やはり私では力不足なのですね。

 せめて今回の人生にこそ、あなたに幸多からんことを祈ります」





****


 ヴェネリオ子爵を見送った後、私は部屋に戻って一人の時間を過ごしていた。

 一人とはいっても、傍に侍女たちやレイチェルは控えている。


 ぼーっとしていると、扉がノックされた。

 目を向けると、そこには意外な人物が立っていた。


「また少し時間をもらっても構わないか?」


「お兄様……ええ、構いません。どうぞ」


 私がソファにかけ直すと、アンリ兄様はその正面に腰を下ろした。

 侍女たちが給仕するのを待ってから、私は話を切り出す。


「それで、今度はどのようなご用事なのですか?」


 アンリ兄様は言いにくそうに応える。


「その……午前中は、ほとんど話をできなかっただろう?

 私は口下手なのでな、何を話していいのか、わからないんだ。

 父上に相談したところ、『馬に乗せてみればいいんじゃないか』と助言を頂いた」


「……えっと、つまり?」


「だからその……私と馬に乗って、公爵邸の敷地を走ってみないか?

 ――もちろん、嫌なら嫌と言ってくれ。断ってくれても、全然構わないぞ」


 十歳の男の子が、必死に言葉を紡いでいた。

 表情からは読み取れないけれど、言葉の端々はしばしにいっぱいいっぱいなのが伝わってきた。

 彼なりに、私と親密になろうと努力しているのだろう。


 私は微笑んで頷いた。


「ええ、お兄様のポニーに乗せて頂きます。

 でも公爵家の敷地は広いのではなくて?」


「ああ、広いぞ? 楽しみにしていてくれ」


 アンリ兄様が立ち上がったので、私も立ち上がってその背中を追った。





 アンリ兄様のポニーが用意され、兄様がそれにまたがった。


「さぁ、手を出して」


 馬上から差し出された手を掴み、引っ張り上げてもらう。

 アンリ兄様の前に座りこみ、馬のたてがみをしっかりとつかんだ。


 周囲には公爵家の騎士が六人、馬上で待機している。


「ではいくぞ!」


 走り始めた兄様のポニーを先頭に、騎士たちが公爵邸の外に飛び出していった。



 ポニーは平原を走り抜け、森の中を駆け抜けて行く。

 小川を渡り、丘を駆け上っていくと、高台の上に出ていた。


 そこでアンリ兄様がポニーを止めて告げる。


「この辺りで一番眺めが良い場所だ。

 あちらを見ろ――あれが王都だ」


 指で差された方角を見ると、遠くに王都の城壁がうっすら見えた。

 エルメーテ公爵領は王都の南に隣接する広い領地だ。

 公爵邸も、その中でかなり広い面積を取っているようだった。

 少なくともここまで駆けてきた平原や森や丘は、全て公爵邸の敷地ということだ。


「本当に広い敷地ですわね。

 お兄様がいつか、この家を受け継ぐのですね」


「そうなるように努力している。

 だがまだ幼い弟たちも、父上に似て優秀な人材に育つだろう。

 そうなったら私以外が公爵家を受け継いでも、私に異存はない」


 私は振り返ってアンリ兄様の顔を見た。


「公爵家に執着がおありでないのですか?」


「領民が幸福であるなら、私が領主である必要はないだろう。

 私は父上ほど器用には生きられない。

 この性格では、我が家に仕える者たちにも気苦労をかける。

 ならば私は家を出て、一人で気ままに愛する女性と添い遂げる人生を送りたいと思っている」


 意外な一面だった。

 私が知るアンリ公爵令息は、国家のため公爵家のため、にして働くような人間だった。

 だけどアンリ公爵令息に弟が居たという話を、私は聞いたことが無かった。


「弟が居るのですか?」


「ああ、二人いる。コルラウトとエルベルトだ。

 だが母に似て少し病弱でな。そこが気がかりではある」


 そういえば、今日は公爵夫人とも会っていない事に気が付いた。


「お母様も病弱なのですか?」


「ああ、だから社交界にもあまり顔を出せていない。

 若い頃はマシだったらしいが、子供を産んでからは体調が悪い日が多いな。

 普段は部屋にこもりきりだ」


「……私がお母様にお会いすることはできないのでしょうか。

 もしかしたら私の持つ聖神様の加護で、お母様の体調を改善させることができるかもしれません」


 アンリ兄様は私の目を見つめ、深く考え込んでいるようだった。

 やがてその整った唇が開かれる。


「頼んでも、構わないだろうか」


 私はにこりと微笑んで頷いた。


「喜んで! お母様にも、新しい娘としてご挨拶しなければいけませんし!」


 アンリ兄様の目が、まぶしいものを見るかのように細められていた。

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