第7話 エルメーテ公爵家(2)

 私たちは応接室に通され、それぞれがソファに腰を下ろしてグレゴリオ最高司祭の話を聞いていた。

 全ての話を聞き終わったお父様が、深いため息をついた後に紅茶を一口飲んだ。


「なるほどな。宰相が好き勝手に振舞った結果、聖玉が砕けるのか。充分にあり得る未来だろう。

 それを防ぐのが、シトラスの目的という訳だな?」


 私は静かに頷いた。


「聖神様は『次はない』と私に言いました。

 これが最後の機会です。今度も失敗すれば、世界の滅びを止めることはできないでしょう。

 私に何ができるのかは、今もわかりません。

 ですが、できることはやっていきたいと思っています」


 お父様が私の目を見つめて尋ねてくる。


「まず確認をしておきたい――聖玉は十年後、突然砕けるのか?」


「いえ、一年後に隣国バイトルス王国との戦争が始まります。

 その時に聖玉に亀裂が入りました。

 五年後に今度はウェストニア王国との戦争が起こり、そこで亀裂が深くなります。

 十年後、トゥーラ王国との戦争が起こった時、聖玉が砕けました。

 ――ですがこれは、前回の人生で起こったこと。

 既に私は前回と違う人生を歩んでいます。それがどんな影響を及ぼすのか、私にはわかりません」


 前回は村が滅び、孤児となった私はエリゼオ公爵家に引き取られ、そこから宰相による傀儡かいらい人生が始まった。


 今回は村が生存し、エルメーテ公爵家に引き取られることが決まった。

 この時点で、宰相が好き勝手に私を動かす事が難しくなっているはずだ。


 お父様が顎に指を置き、深く考え込んでいた。


「……反戦派の私が聖女であるシトラスの身柄を確保した。

 現状で宮廷での発言力は、私の方に分があると言っても過言ではあるまい。

 少なくとも一年後にバイトルス王国と開戦する事にはならないはずだ。

 シトラスにはすまないと思うが、戦争を起こさせないため、聖女の発言力を私が勝手に使うことを許してもらえるか?」


 私は小首を傾げて尋ねる。


「それはどういう意味でしょうか?」


「たとえば私の方で、君が『戦争を起こすべきではないと告げた』と勝手に言うこともある、ということだ。

 その時は事後で口裏を合わせてもらう事になる。

 聖女の発言なら、あの陛下でも無碍むげにはできない。

 君の本意ではないこともあるかもしれないが、国や民を守る為、協力して欲しい」


 戦争を起こさない為なら、そのぐらいは問題がないように思える。

 私は静かに頷いた。


「構いません。他に何かありますか?」


「君は公爵家の養女となった。つまり公爵令嬢としての教育を受けてもらう事になる。

 ここまでの所作を見てきて、苦労をする事にはならないだろう。

 だが社交界には出る必要があると思う。

 君はそれに耐えられると思うかい?」


 私は暗い気分で首を横に振った。


「あんな世界には、慣れることが出来ないと思います。

 人の悪意が渦巻く世界なんて、できることなら近寄りたくはないです」


 お父様が小さくため息をついた。


「そうか、そうだな。ここまで見てきて、君は社交界には向いていないと判断する。

 だがそれでも、最低限の関わり合いは持っていかねばならない。

 君に関わる人間は私が厳選しよう。前回の人生ほど、悪意に飲まれるようなことにはならないはずだ。

 誰かに社交場に誘われても、必ず私の許可を得てから参加して欲しい。

 ――それと、社交場にはアンリを同伴させる。あいつが君を守ってくれるだろう」


「お兄様ですか?! あのアンリ公爵令息が社交場で私を?! 無理ですよ?!」


「無理な訳が無いさ。どうしたんだい?

 ――ああ、前回の人生で、アンリとうまくいかなかったのかい?」


 私はおずおずと頷いた。


「敵意や殺意を込めた眼差しで睨まれた覚えはあります。

 ですが冷血貴公子と呼ばれたお兄様が社交場で私を守るだなんて、とても考えられません」


「冷血貴公子? アンリがかい? ――ふむ、あの子はどうやら、誤解をされてしまいやすいのかな。

 今のまま成長すれば、それも仕方がないのかもしれん。

 だが共に生活していればシトラスにも、アンリのことが理解できるようになるはずだ。安心するといい」


「あはは……安心、ですか」


 前回の人生でアンリ公爵令息のことは『殺意を込めて睨んでくる年上の男性』という印象しかない。

 そんな人に社交場で常に付き従われる――社交場に行く気がなくなる話だ。

 だけど公爵令嬢が社交場に出ない訳にもいかないというのは、前回の人生でも思い知らされている。

 社交をおろそかにした結果が、貴族社会で孤立する結果に繋がったのだから。


 私はそれ以上なにも言えなくなり、乾いた笑いでその場をごまかしていた。





****


 結局、政界ではお父様ことエルメーテ公爵やグレゴリオ最高司祭、そして彼らの派閥の人間が矢面やおもてに立ってシュミット宰相派閥と戦ってくれることになった。

 私は社交界を利用して聖女派閥を作るのが本当は望ましいけれど、「無理はしなくていいよ」と言ってもらった。


「共有しておく話はこれぐらいでいいだろう。

 後のことは大人に任せてくれ。

 君には一人、専属侍女を付ける。何かあれば彼女に気兼ねなく言うと良い。

 今日のところは、この家に慣れるところから始めて欲しい」


 今は七歳の子供だけど、記憶だけなら十七歳だ。

 子供扱いされたのは不本意だけど、これ以上ここに居ても私に出来る事はないだろう。


「……わかりました。では後はお任せします」


 お父様が頷くと、一人の侍女を部屋の外から呼んだ。

 彼女はレイチェル・ワイズと名乗った。まだ若い、未婚の女性だ。

 優しい印象の笑顔で私に告げる。


「さぁシトラス様、お部屋へご案内いたします」


 私は彼女に案内されるまま、応接室を辞去していった。





 レイチェルに付き従いながら廊下を歩いていると、彼女が微笑んで私に告げる。


「今日から公爵家に引き取られたと伺いましたが、所作が平民のそれではありませんね。

 聖教会でも貴族の所作を教えているのでしょうか」


 公爵家のような貴族の屋敷の中に居ると、意識しなくても前回の人生で叩きこまれた振る舞いが出てしまう。

 それこそ文字通り、泣きながらエリゼオ公爵家の厳しい講師にしつけられた所作だ。

 体感時間でおよそ一か月前まで十年間、公爵令嬢をしていた記憶が私にはある。

 また農家の娘の振る舞いを思い出せと言われても、無理というものだった。


 レイチェルからすれば、聖女認定された農家の娘が突然そんな振る舞いをするのだから驚いて当然だろう。


「あはは……そんなものだと思って頂ければ結構ですわ。

 そんなことより、この家の使用人や従者たちはみんな表情が明るいですね。

 誰も彼も楽しそうに誇りを持って仕事をしているのがわかります」


 私が苦し紛れに話題を変えてみると、レイチェルは嬉しそうに微笑んだ。


「旦那様は貴族としては珍しい高潔なお人です。正しく働けば、それに見合った報酬も与えてくださります。

 逆に不正に対してはとても厳しい方なので、不埒ふらちやからはこの屋敷に長居できません。

 他人をおとしいれるような人間も、それとなく旦那様に報告が上がり、処罰が及びます」


 要するに働き甲斐がある職場ということらしかった。

 不正といじめが蔓延はびこっていたエリゼオ公爵家とは雲泥の差だ。

 あの家は空気がとても悪く、誰もが相手を蹴落とす隙を探しているような家だった。


 私は緊張感がほぐれたような気がして、小さく息をついた。


「公爵家と聞いて少し緊張していましたが、ここは過ごしやすい家のようですね。安心しました」


 ――そう、ここは新しい我が家。

 私は今日からこの家の一員となり、貴族社会で生きて行くことになるのだ。

 私が胸の前で小さくガッツポーズを取って意気込んでいると、レイチェルが微笑ましそうにこちらを見ていた。

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