お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~
みつまめ つぼみ
序章
第1話 偽りの聖女
私の毎朝の目覚めは、お父さんのモーニング・パンチで始まる。
「朝だぞシトラス!」
掛け声とともに殺気をまとって繰り出される拳を、私は間一髪で頭をずらしてかわす。
お父さんの拳はうなりを上げ、私が頭を置いていた枕をベッドごと撃ち抜いていた。
格闘家であるお父さんの全体重が乗った打ち下ろしの拳――まともに食らえば、子供の私では命がない。
固い木の板を敷き詰めたベッドには、見事な大穴が開いていた。
私は荒い息を整えながら、毎朝のようにお父さんに抗議の声を上げる。
「お父さん! その起こし方は止めてって言ったでしょう?! 毎日ベッドを修理するのも大変なんだからね!」
一歩間違わなくても家庭内暴力であり、見方によっては虐待と言っても過言ではない。
唯一、お父さんには私への愛情がたっぷり詰まっているのが違いだろうか。
『私なら必ずかわせる』という絶大な信頼が成せる
「はっはっは! 私も親父にこうして鍛えられたものだ! お前も日々、反応が良くなっているな!」
七歳の娘の顔面に本気の拳を突き入れる親がどこに居るというのか……あきれてため息を禁じ得ない。
「ため息などついてないで、飯を食うといい。今日からお前は街に行って、聖教会で洗礼の儀を受けるのだろう?」
この国では七歳になると、聖教会――聖神スフィリア様を崇める教会に行き、一週間の
私は昨日誕生日を迎え、めでたく七歳になった。なので洗礼を受ける義務があるのだ。
この小さな農村には洗礼を与えられる施設がないので、少し遠い宿場町まで出向かなければいけなかった。
宿場町までは、ここから三日程度かかる。当然、子供一人で行ける距離ではない。
村の小さな教会の司祭様が、他の子供たちと一緒に私を連れて行ってくれることになっていた。
私はもう一度大きなため息をつくと、壊れたベッドから起き上がって着替え始めた。
****
朝ご飯を済ませた私は、集合場所である村の教会の前に居た。
一緒に居る子供は三人。この数か月で七歳を迎えた子供たちだ。
この地域は冬の間、雪に閉ざされるので、春になるとまとめて子供たちが洗礼の儀に連れて行かれる。毎年の風物詩だ。
線が細く頼りない印象を受ける司祭様が、私たちに告げる。
「みなさん揃いましたね。それでは馬車に乗ってください」
馬車と言っても、農村によくある荷馬車だ。
申し訳程度の雨がっぱをそれぞれが持っているが、心細い事この上ない。
子供たちの見送りに、大人たちが十人弱来てくれた。
その中にはお母さんの姿もある。
「シトラス、短い間だけど身体には気を付けてね」
「うん! 行ってくるよお母さん!」
馬車が走り出し、見送る大人たちの姿がどんどん小さくなっていく。
私は心細い気持ちを押し殺し、お母さんに笑顔で手を振っていた。
これが、私が見た両親の最後の姿となった。
****
宿場町の聖教会で
突然、扉を乱暴に開け放った男性が大声で叫ぶ。
「ヅケーラの村が
扉を開け放った音にびっくりして振り返った私は、その言葉が一瞬理解できなかった。
ヅケーラの村、つまり私たちの生まれ故郷だ。
そこまではすぐに理解ができた。けど、『村民が全滅』という言葉は頭が理解を拒否していた。
戸惑う子供たちを手で制した街の司祭様が、知らせに来た男性と小声で話し始めた。
何を話しているのかは聞こえない――聞こえても、多分理解できなかっただろう。
司祭様がため息をついて振り返り、私たちに告げる。
「気の毒だが、君たちの帰る場所がなくなった。ご家族は全滅だ」
「そんな……あの強いお父様が、魔物程度にやられるなんて、嘘ですよね?」
私が必死に絞り出した声に、司祭様が憐みを込めた表情で応える。
「君はシトラス・ガストーニュだったね。ギーグ・ゲウス・ガストーニュ氏は最後まで、村を守ろうと奮戦したようだ。
だが今回は相手が悪すぎたのだ。既に
君たちの身柄は、我が聖教会が預かろう。
いつか大人になったら、村まで行って墓参りしてやるといい」
****
その夜、宿舎の中は子供たちのすすり泣く声で満たされていた。
こうした
今回、とうとう自分たちの村がその標的になったと言うだけの話だ。
いくら無敵のお父様だって、魔物の大群が相手じゃ勝ち目がない――それも、頭では理解できた。
どれほど強いと言っても、『人間の中では強い方』でしかないのだから。
私は泣く事もできず、眠る事もできなかった。
ため息をつくと、
暗い夜、月明かりだけが辺りを照らしていた。
その風景に先客が居るのを見つけ、その特徴的な人影に近づいて行く――司祭様だ。
「司祭様、こんな時間にどうしたの?」
司祭様が振り返り、私を優しい微笑みで見つめた。
「……シトラスか。いや、死んでいった者の冥福を月に祈っていたんだよ」
「司祭様、どうして
司祭様が私を少しの間見つめ、ゆっくりと語り出した。
「この世界は聖神様と魔神が争う世界だ。
人間を滅ぼそうとする魔神を聖神様が抑え込んでいる。
その抑え込む力が、年々弱くなっているようだ。
聖神様の封印が、効力を失いつつあるのかもしれない。
魔神の力が増すと、
村が滅んだのは……不運、としか言いようがないな」
私は司祭様の言葉を頭の中で噛み締めるようになぞった。
「つまり、お父さんとお母さんを殺したのは、その魔神っていう奴なの?」
「……そうとも言えるだろう。だが魔神はかつて、『
普通の子供たちが何かをできると思ってはいけないよ。
君たちはご家族の分まで、
私の脳裏に、宿舎のすすり泣く子供たちの顔がよぎっていた。
「……それは、とっても難しいことだと思う。
みんなはとっても傷付いてる。今日のことは、一生忘れられないんじゃないかな」
司祭様がため息をついてから私に応える。
「やはりそうか……だがそれでも、君たちは明日を明るく生きるように努めなければならない。
悲しみや怒りは、魔神の力を強くしてしまう。
――だというのに、この国は戦争を起こして領土を広げようと画策している。
そんなことをすれば、聖神様の封印が弱まる一方だと、なんども最高司祭様が忠告しているのだがね」
大人というのは、どうやら正しいことがわかっていても、それをその通りに行えない生き物らしい。
自分がしたいことや目指したい将来のため、正しくない道を選んでしまうのだと、お母さんが言っていた。
私はそんな大人にはなりたくなんてなかった。
うつむいて考えこんでいた私に、司祭様が優しい声をかけてくる。
「シトラス、君は悲しんでいる様子がないね。大丈夫なのかい?」
「……たぶん悲しいと思うんだけど、涙が出てこないんだよね。なんでだろう?」
言葉と共に司祭様の顔を見上げると、司祭様の方が泣きそうな顔で私を見つめていた。
「司祭様? どうして司祭様が泣きそうなの?」
「……いつか、君がきちんと悲しめる日が来るといいね。今は君も、無理をせずに心と身体を休めなさい――さぁ、こんな時間まで子供が起きているものじゃない。部屋へ戻りなさい」
眠れる気はしなかったけど、司祭様の言葉に逆らっちゃいけないとも教えられている。
仕方なく私は「はい」と返事をして、宿舎の部屋に戻っていった。
****
洗礼の日がやって来た。
子供たちに笑顔はなく、泣き腫らして目が赤い子が多い。
私は相変わらず泣く事もできず、祈りの日々を空虚に過ごしていた。
「――次、シトラス・ガストーニュ」
私の番になり、名が呼ばれた。
聖名は長いほど聖神様から強い加護を受けられるというけれど、前の二人は「ニト」とか「メル」とか二文字の名前だった。
平民なんて、みんなそんなものらしい。お父さんの「ゲウス」という三文字は珍しい方なんだとか。
私は祭壇の前で
祈ったところでお父さんとお母さんが帰ってくるわけじゃない。
聖名が与えられても、だから何かができる訳でもない。
私たちはこの後、聖教会の孤児院に入り、基礎教養を教わった後、この街で生きて行くことになるのだろう。
――ああせめて、こんな悲しい思いをする子供たちがこれ以上増えない力が与えられたら、私にも何かができるかもしれないのに!
シトラスが
祭壇が淡く輝き始め、その光が
その光に触れた鉢植えの白い蕾が、次々と花開いて行った。
驚愕する司祭は、その様子を呆然と見つめていた。
そして脳裏に
「……シトラス・ガストーニュ。君は今日から、シトラス・ファム・ミレウス・ガストーニュと名乗りなさい」
聖教会の従者たちが騒がしい。
意味がわからないけど、なんだか長い名前をもらったみたいだ。
私は目を開けて立ち上がり、司祭様に向かって尋ねる。
「司祭様、なんだか長い名前だったけど、どういう意味?
それにこの光はなに? 眩しいから、止めてもらってもいい?」
司祭様がごくりと固唾を飲み込んだ。
「シトラス、君の聖名はファム・ミレウス――
君にならば、魔神の力を封印しなおすことが出来るかもしれない」
私は意味がわからず、小首を傾げて司祭様を見つめていた。
****
処刑場には、観客として訪れた王都市民たちの怒声が
罪人の処刑は市民の
「
「殺せ! 殺せ!」
私はここ数日で聞き慣れたその言葉に、無表情で応えた。
両手両足は拘束され、兵士たちに力づくで断頭台の元へ連れて行かれ、処刑台に改めて仰向けに拘束される。
仰向けで首を落とすだなんて、慈悲の
首が落とされる瞬間がわかる方が怖いから、普通はうつぶせにするらしい――そのくらい、私でも知っていた。
私は他人事のように目に映る風景を眺めていく。
洗礼で聖女として認定されて十年。
頑張っては見たけれど、結局は
貴族の世界は怖い所だ。
信頼していた相手に簡単に裏切られ、こうして
ちらっと
彼らの視線は氷のように冷たく、私を
結局私は、彼らと心からの信頼関係など築けていなかった。彼らが見ていたのは、私の聖女という肩書だけだった。
あまりに
どれだけ「
今の私を救えたかもしれない信頼できた人たちも、もう命を落としてこの世に居ない。
あとは私が命を落とせば、この見せ物を企画した人間の思い通りに国が動くだろう。
魔神の封印が解けるまでもう少し――私の命が、その最後の鍵になるんじゃないかな。
もうこの国の人たちがどうなろうと、心が痛むこともない。
私は冷たい心で、自分の首に迫ってくる断頭台の刃をみつめていた。
そして私の意識は、そこで途切れた。
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