第53話:
「なかなか素敵でしょ? 私が昔勤めていた銀座の店とまではいかないけれど」
玲子に連れられた喫茶店は、茶館というよりは社交場のようだった。
二階建ての広い店内は美しく高級そうな家具や調度品で囲まれている。高い天井にはシャンデリアが煌めいていた。
一葉たちが座っているテーブル席以外にもソファ席やバーカウンターも見えた。玲子の話によれば、ビリヤードや読書部屋なども併設されているという。一葉はきょろきょろと店内を見渡しながらきっと夜の時間になれば客層も随分変わるのだろうと思った。
「最近の喫茶店は随分大衆寄りになったわ」
一葉の心の中を読むかのようなタイミングで、玲子がため息をつく。
「今じゃ有閑マダム達の喋り場だもの。本来なら喫茶店っていうのは完全会員制で、政財界や文芸界の先生方しか入れなかったのよ」
玲子は元々舞台女優だった。それだけでは食べて行けず事務所の斡旋で喫茶店の女給の仕事をしていた。上流階級の男たちの接待をし、慶一郎と出会ったのもその店だった。
「そうなのですね……」
「そうよ? このお店だって私の顔がきいているから入れるようなものなんだから」
「ソウナノデスネ……」
一葉は固い表情で注文したミルクティーを飲む。こんな時でも紅茶は美味しいのが救いだ。
「ねえ、ところで保胤さんとの初夜はどうだったの?」
「……!! ゲホッゲホッグホッ!」
「いやだ、汚い子ねぇ」
わざとらしくのけぞりながら、玲子は汚いものをみるような目を一葉に向ける。
「お、お養母様……!な、何を……突然仰るんです……」
「別に女同士なのだからカマトトぶらなくてもいいじゃないの。あと、外ではその“お養母様”ってやめて? 老け込んだ気分になるからすっごく嫌なの」
玲子は現在32歳。慶一郎とは13歳離れた歳の差婚だった。
「御呼び名については承知しました……で、ですが、その、なんというかこんな日の明るい内にするようなお話では……」
「あら? 一葉ちゃん、一応これも任務報告ですよ? ねぇねぇ! 保胤さんってどんな方なの?」
玲子は前のめりになって一葉に尋ねる。
「どんな方と言われましても……」
うーんと考えながら保胤のことを思い浮かべる。
「……変人?」
「あ、やっぱり夜の方もアブノーマルなの?」
「そそそそそういう意味ではなく、いやちょっとそうなのかもしれませんが、そういう意味ではなくて、えーとえーとえーと」
うんうんと頭を悩ませながら一葉は玲子に説明する。
「なんというか……その……得体のしれない方です。雲みたいに掴めない方、と言いましょうか……」
「ふぅん。まあ、確かにあの怪しい見た目だものね。だけど、結婚式で改めてお近くでお話して思ったけど結構いい男じゃない?」
玲子はうきうきと心が弾むような明るい声色で尋ねる。
「日本人離れした長身だし出立ちもいい。目鼻立ちもハッキリしてる。あの黒い覆面も最初は気味悪いと思ったけどよくよく見ればなんだかミステリアスな雰囲気がして色気があるじゃない!」
「はあ」
「ねえ、あなた彼の素顔は見たんでしょ? どんなお顔だったの!?」
それは――と言葉として出る前に、一葉は口をつぐんだ。
「……お顔を見られるのがあまりお好きではないようで、見ていません」
「あらぁ、そうなの? 妻だっていうのに?」
「保胤さんの身の回りのお世話をなさっていた三上さんも長らく見てないと仰っていたぐらいなので、誰にもお見せにならないのかもしれないです」
自分の知らないところで顔について話題に出されるのはいい気分がしないだろう。下手に話して彼の顔の傷のことを玲子に詮索されるのも避けたかった。
「妻のあなたにもまだ見せてないんだ。じゃあ、私にもまだチャンスはあるかもしれないのね」
「え?」
「なんでもなぁい」
ワザとらしく甘えたような声を出し、玲子も自分が注文した珈琲を飲む。
玲子は白磁のカップに口をつけたまま目だけ動かし、ちらりと一葉の顔を見た。
「素顔を見てない上にそのうぶな反応じゃ、まだ彼に抱かれてないみたいね」
玲子はどこか勝ち誇ったような態度だった。優雅な手付きで上機嫌に珈琲を飲み進める。
一葉は顔を赤らめながらも何も反応せず、自分もミルクティーを飲んだ。
「ま、惚れられていたとしてもその髪型じゃ冷めるわよね。抱く気も起きなくて当然か」
「髪……ですか?」
玲子はカップをソーサ―に置いた。腕を組み、小さな顎をくいと動かす。
「その髪、保胤さんから何か言われた?」
「何か……と言いますと……?」
「もう、本当に鈍い子ねぇ。どうして髪を切ったの? とか、聞かれなかったの?」
「……い、いえ。特には」
「ふぅん」
「あ……でも! 婚礼前に切ってしまったことを保胤さんにお詫びいたしました。角隠しの時に髪が短くてご迷惑をお掛けしてしまいましたので」
「ああ、あれね。でも随分可愛らしくしていただいていたじゃない?」
「は、はい! 保胤さんがお知り合いの呉服店の若女将に頼んで地毛を生かすようにしてくださいまして」
「いやだ……あなた、保胤さんにそんな手間かけさせたの? 信じられない」
「あ……すみません……」
「保胤さんって慈悲深い方なのねぇ……婚礼前に花嫁が髪を切るなんて結婚を拒否しているっていう意味なのに」
玲子の言葉に一葉は一瞬息が止まる。
「え……?」
鼓動が早くなり手先が冷たくなっていく。
玲子は今、なんと言った?
「髪が短い女性が……保胤さんのお好みだからではないのですか……?」
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