第45話
緒方家の館は浴室だけで三つある。
そのうちの一つ、二階にある浴室で一葉はシャワーを浴びようとしていた。
いや、浴びようと、苦戦していた。
「ど……どうやって使うのコレ……?」
一葉は自分よりはるかに上に位置するシャワーヘッドを見上げて途方に暮れる。見慣れないそれはいつも使う風呂にはない代物だった。普段は一階の檜風呂を使っているが、まだ来賓がいる中で風呂に入るために下に降りるのは憚られどうしたものかと悩んでいると、緒方家に来た初日に三上から二階にも風呂があると案内してもらったことを思い出した。
だが、肝心のその使い方が分からない。
「はぁ……三上さんにちゃんと聞いとけば良かった」
一階の和式風呂とは内装も構造もまるで違う。全面に白磁のタイルが貼られ、浴槽も同じく陶器で作られている。くるりとした猫の足のような金具で支えられていた。
「確か“シャワー”っていうのよね、コレ。上からお湯が降ってくるのかしら……?」
おろおろしながら襦袢姿であたりを見回す。濡らしたり汚したりしないよう、振袖は脱いで脱衣所に置いておいた。ふと、シャワーの下に銀色の取っ手が目に入った。試しにぐいっと取っ手を下げてみる。
「つめたッ!」
頭上から勢いよく水の雨が降ってきた。
「ちょ、ちょ、ちょ!!」
わたわたと手を動かして取っ手を上げて元の位置に戻す。
「あぁ〜…お着物脱いでおいて良かった……」
頭からびしょ濡れになり身体を震わせる。薄い襦袢が冷たい水を吸い込み肌に張り付く。
「うう~……さむいさむい……」
酔い覚ましに風呂に入ろうと思ったが、このままでは風邪をひいてしまう。
ひとまず濡れた身体をどうにかしようと襦袢の紐を外したその時、シャッと脱衣所と浴室を仕切っていた仕切りが開かれる。
「わああ!! は、は、入ってますー!!」
一葉はすぐさま両手で身体を隠くし大声で叫ぶ。
そこには目を丸くした保胤が立っていた。口元のマスクは外されて、燕尾服のジャケットを脱ぎ、ワイシャツ姿で首元のボタンが外されている。
「あ……保胤さん……あの、お風呂ごめんなさい……お先に……」
保胤も風呂に入るつもりだったのだろうと一葉は察した。というのも、一葉がこの部屋に来てから保胤が一階の風呂を使っているのを見たことがなかったからだ。きっといつも残り二つの風呂のどちらかを使っているのだろう。この風呂が保胤が常用している方だったのかもしれない。
「すぐ出ますから……ちょっと外で待っててもらえませんか」
一葉は身体を縮こませながら保胤にお願いした。
「あの……すぐ終わりますから出てってください……」
「保胤さん……?」
「おーい……」
保胤は何も答えてない。張りつめた沈黙が浴室を満たす。
「……くしゅん!」
膠着状態で襦袢を脱ぐことも濡れた身体を拭うことも出来ず、くしゃみと共にぶるりと身震いした。
「わぷっ!!」
突然お湯の雨が降る。先ほどの取っ手を保胤が上へと押し上げる。
「お湯は上です。レバーを下にすると水が出ます」
「あ……そうでしたか……ありがとうございます」
「……はあ」
お湯と共に、うんざりしたようなため息が頭上に降り注ぐ。
「本当、あなたって呑気な人ですね」
「う……すみません、洋式のお風呂なんて使ったことな」
「あまり僕を怒らせないで欲しいな」
「……え?」
顔を上げると、見たこともない保胤の顔がそこにあった。
(なんで……怒って……)
「そんな恰好を見せて出ていけだって? 僕との契約を破ろうとした後ろめたさを呑気なふりして誤魔化しているつもりですか?」
保胤は後ろ手で仕切りを閉める。乱暴なほど勢い良く閉めたせいでシャッ!!という鋭い音が浴槽に響いた。
「シャワーを浴びたってことはもう準備出来てるという意味だよね」
冷たい目で一葉を見下ろしながら、保胤は片手で自身のワイシャツのボタンを外していく。全て外し終わると肩からシャツを脱いで無造作に浴室の床へと捨てる。
「ま、待って……待ってください……! 私はただお風呂で酔いを醒まそうと思っただけです……!」
「ならもう醒めたでしょう」
「そ、そうだけど……でも」
保胤の威圧感と初めて見る彼の体躯に一葉はただただ圧倒された。男性にしては肌が白く、普段の柔和な態度から保胤にはどこか儚い印象を抱いていた。それが今はまるで別人に見える。
露わになった両腕は逞しい筋肉で覆われ、胸板はうっすらと隆起している。腹部は見事なほど六つに割れて腰から太ももの付け根に続く鼠径部にはくっきりと深い線が入っていた。鍛え上げられた鋼の肉体。そんな言葉がぴったりだった。
「あ……や、やだ……保胤さん……」
近づいてくる保胤の身体から逃げようと後ずさりしたがすぐにタイルの壁にぶつかる。その間もお湯が降り注ぎ、一葉と保胤を濡らしていく。
「ひっ!」
ぬっと伸びてきた保胤の手に一葉の両腕は簡単にとられた。そのまま上へと持ち上げられタイルに縫い留められる。
「前に触った時も思ったけど本当に細いな。片手で掴んでもまだ余る。食事ちゃんととってますか?」
一葉は必死でもがき腕を解放しようとするがビクともしない
「あーあ。びしょ濡れだ。一葉さんも脱ごうか。ああでも、着たままもするのも悪くないか」
あからさまな乱暴な言葉に一葉は顔を歪ませる。保胤は濡れて透けた襦袢をまじまじと見下ろし、自分の上唇をぺろりと舐めた。
「一葉さんはどっちがいい?」
「ひ……ッ!」
保胤は空いてる側の手で一葉の胸に触れる。最初はゆっくりとその形を確かめるように触れて、段々とその手付きに力を込めていく。
「い……や……やめて……ッ」
「どっちもすればいいか。なにせ今夜は僕らの初夜だ」
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