第14話:旦那様とお出掛け
小鳥のさえずりと部屋に降り注ぐ太陽の眩しさに一葉は呻き声を上げた。
(あぁ……日当たりの良い部屋って慣れないわ……)
朝日にやられた目をシパシパと瞬きして、のそりとベッドから上半身を起こす。喜多治家の窓のない物置小屋に慣れた身体には爽やかな朝の風景はやや毒だ。ましてや昨夜のショックをまだ引きずっている。光を浴びて宙を舞う埃のように塵となって消えてしまいたい。止めどなく沸き起こる現実逃避から目を覚ませと自分を鼓舞するように一葉は両手でぺちぺちと頬を叩いた。
「三上さん、おはようございます!」
「一葉様、おはようございます」
一葉は一階に下りて台所に立つ三上に元気よく挨拶をした。つい10分前まで寝不足で土のようなくすんだ顔もハツラツとした笑顔に変わっていた。諜報員たるもの、顔色ぐらいいくらでも変えられるのだ。
手を洗い、喜多治家から持ってきた白いエプロンを身に着ける。朝食の準備を始めている三上の手伝いをしようと、彼女の横に立って仕事を探した。
「昨夜はお眠りになられましたか?」
茄子を切りながら三上は一葉に尋ねた。
「はい。おかげさまで」
当たり前のように嘘をついた。本当はほとんど眠れなかった。ようやく眠りについたと思ったら鳥のさえずりが聞こえて来たぐらいだ。
「私、お米洗いますね!」
話題を変えようと一葉はテキパキと働き始めた。
「ありがとうございます。本当に一葉様はよくお働きになりますねぇ……ご実家でもお料理をなさっていたのですか?」
「はい。子どものころ、お米を研ぐのは私の役目でした」
今度は本当だ。母と父と暮らしていた時の話だが。子どもの頃、食事の支度をする母の傍にいて手伝いをするのが好きだった。
(そうよ……この任務が終わったらまた三人で暮らせるようになるんじゃない……そのためだったら何だって耐えられるわ……)
冷たい水で米を丁寧に研いでいく内に頭が冴えていった。昨夜の保胤とのことを頭から消去するかのように一心不乱に手を動かす。
「そうだ! 今日は旦那様が一葉様の必要なものを買いに行こうとおっしゃっていましたよ!」
「ぅえっ!?」
思いがけない三上の言葉に一葉は思わず変な声を出した。
「あの、でも、すでにお部屋に十分必要なものは揃えていただいておりますよ……?」
とんでもない!と三上は首を振った。
「鏡台や箪笥は好みがあるだろうからと、まだご用意していないんです。旦那様は一葉様がいらっしゃってから一緒に買いに行くおつもりだったんです。今日はそのためにお休みをとられたそうですよ」
ニコニコと笑顔を教えてくれる三上に、さようでございますかぁ……と一葉は間抜けな声で返事をした。
再び米に目線を落とす。米を研ぐ水の冷たさが時差になって伝わってきた。手がかじかむ。身体が強張る。
一緒に出掛けるの……? マジで……?
昨日の今日あんなことあった相手と?
「おはようございます」
「保胤様、おはようございます」
朝食の準備を始めてから一時間ほど経った頃、保胤が食堂へと入ってきた。席に座ると一葉が炊き立ての白米と味噌汁の乗せたお盆を持って近づいた。
「……お、おはようございます」
「おはようございます、一葉さん」
保胤はまるで何もなかったかのように目だけニコリと微笑む。
(朝からマスクつけるんだ……)
昨日と同じように保胤は顔にいつもの黒いマスクをつけていた。
「今朝は茄子と揚げですか。いいですね、僕の大好物です」
保胤の前に茶碗と味噌汁の椀を置くと、一葉はそそくさとその傍から離れた。
「おや? 一葉さんの分は?」
一葉を呼び止める。
「あ……ええと、私は後でいただきます」
「あら? どうかなさったんですか?」
三上が心配そうに台所から出てきた。
「も、もしかしたら風邪をひいたのかもしれません……私のことは気にせずどうぞ召し上がってください」
昨日の夜、俯いて味噌汁をすする保胤の姿を見て一緒に食べていいものか悩んだのもあるが、食欲があまりなかった。
「あの、ほんと、私のことはどうかお気になさらずに! 少し部屋で休んできますね!」
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