第25話
カンッカンッと少し甲高い音が響く。体育祭の喧騒は遠のき、掃除が行き届いていないのか少し埃っぽさを感じられる階段をゆっくりと昇っていく。ようやくたどり着いたドアのノブに手を伸ばすとひんやりとした金属の感触。それをくるりと回せば少し重たさを伴いながらギイッと扉が開き、明るい光が差し込んできた。眩しさに思わず目を細める。
「……」
それなりに音がしたというのに彼女はこちらを振り向くことはない。まるで、見るまでもなく来た人物が誰か分かりきっているかのように。手すりに腕を、その腕に顔を乗せ、どこか黄昏るような哀愁漂う雰囲気で景色を眺めていた。
「屋上は普段、鍵がかかってたと思うんだが」
僕はそう言いながら彼女の方へと歩み寄る。すると彼女は僕に背を向けたままポケットから取り出したキラリと光る物体を見せつけてきた。ホルダー部分に指を通し、くるくると回している。
「ちょっと拝借したのさ。これだけ盛り上がってると、職員室の警備も疎かになってるみたいだ」
「そんなことあるか?」
「なんだい?私が何か汚い手を使ったとでも?騎馬戦の君みたいに?」
チャリン、と回していたカギを掌で受け止め、そのまま横にやってきた僕の方に頬杖をつきつつ顔を向けてきた。その表情は揶揄いたいという思いで満ち溢れている。
僕は彼女の手が置かれている手すりに背中を預けるようにして応えた。
「似たようなこと、棒引きの後も言ってたよな。どこまで知ってるんだ」
「それは秘密だよ。でも、そうだね……私は君の使った手段を責める気はないよ」
「……」
それはもうあらかた全部知ってるという意味では?僕のそんなツッコミを顔だけで悟ったのか彼女はクスッと含み笑いを見せる。その後、僕から視線を外して、眼下に広がるグラウンドを眺めながら言った。
「チェスにおいて、互いの戦力を評価する指標として駒に点数を与えるというものがあるんだ。ポーンなら1点、クイーンなら9点という風にね」
「いきなりなんだ」
「まあまあ、聞いてよ。この考え方は大事なんだ。極端な話、こちらがポーンを4つも5つも失おうとも相手のクイーンをとれたなら、それは総合的に見て英断なんだよ。こちらの戦力低下に対して、相手の戦力低下の方が大きいからね」
彼女は手すりから体を起こし僕の方に体を向ける。そしてそのまま、僕の胸元にとんっと指を当てて言った。
「ポーン1つで相手のクイーンを相打ちに持ち込んだ君はもっと誇りに思っていいってことさ。そこに至るまでの盤外戦術も含めてね。非常に面白いものを見させてもらったよ。少なくとも私は満足さ」
「……左様で」
「うむうむ。大儀であった」
首を小さく傾げながらにこっと笑う彼女。どうやら相当お気に召したらしい。それならまあ、やった甲斐はあったのかもしれないな。
「……というか、お前に汚い手とか言われる筋合いはないんだが。棒引きのお前も大概だっただろ」
「やだなぁ、世良町君。こーんな美少女が一生懸命棒を引いていたのを汚い手段だなんて」
「その割にはニッコニコだっただろお前。何が起きたか分かってない奴らの表情を見て愉悦って顔してたの見てたからな」
「君、私のこと見すぎでしょ。私のこと好きなの?」
「自惚れるなよ子娘が」
「その偶に出る強いツッコミ何?」
彼女は小さく笑って再び手すりに体重を預けながらグラウンドを見下ろした。
「……うん。本当に、面白い体育祭だったよ」
僕も彼女に倣ってグラウンドを見下ろす。グラウンドでは結果発表が行われ、点数が表示されると同時にわあっと白軍が大きく沸いた。
「ありゃ、負けちゃったか。残念」
「そんなこと、微塵も思ってないだろ」
「失礼だな君は」
実際のところ、彼女がこういうイベントにどれだけのめりこむタイプなのかは分からない。全く興味がないのならそもそも参加すらしていないだろうし、借り物競争や棒引きでのあの行動もなかっただろう。だがそれが、やる気があったということとイコールではないわけで。
「おっ」
「?」
グラウンドを眺めていた彼女が小さく声をあげる。何か見つけたのか僕が問う前に、彼女はグラウンドの一画を指さした。
その方向に目を向ければ、小田先輩が応援団長さんに……ではなく、応援団長さんの方から小田先輩の方に頭を下げて片手をビシッと差し出している姿が見えた。僕が思い描いていた光景とはある意味で逆の状況に思わず声をあげる。
「え、そっち?」
隣にいる彼女はそんな僕の反応を見逃さない。
「……ははぁ。なるほど。君の手段はともかく動機が分からなかったんだけど、あの女子生徒が関連してるのか。大方、体育祭で勝てたら告白するって話だったのかな?で、お優しい君はそれを応援するべくちょっと頑張ったと。ところが実際は、あの女子が愛を告げるよりもお相手の方が早かった。両想いか。甘いねぇ。青春だ」
……こいつ、一瞬でそこまで読めるのかよ。
僕が若干恐怖を感じそうになるも、眼下で互いに抱き合う2人の先輩の姿がその気持ちを拭い去る。良かった。小田先輩、涙を流しながら嬉しそうに笑ってる。
「公開告白、失敗しなかったな」
僕はいつだが彼女が言っていた『公開告白して失敗するところを見てみたい』という発言を思い出し、揶揄うように彼女に言う。
「ふふ、そうだね。それも見てみたかったけど……これはこれでアリかな。まあ、眺めるだけで十分だけどね。こういうのは明らかな観客ポジションで楽しむのが吉さ」
「……まあ、確かに。あの空気はちょっとな」
周囲の生徒が駆け寄ったり、拍手やお祝いの言葉をかけたり。凄い盛り上がりを見せてはいるが、あの場にいると疲れの方が先に来てしまいそうだ。
だから僕はこんな離れた場所だけど軽く拍手だけを送ることにした。あの2人の心優しい先輩のこれからに、祝福がありますように。
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