第21話

 教職員には専用のテントが用意されており、目当ての人物はすぐに見つかった。横山先生だけでなく、丸山先生もいたのは好都合である。横山先生だけだと説得の難易度があがる恐れがあったからだ。


「横山先生、丸山先生、少しよろしいですか?」


 小田先輩が声をかけるとグラウンドの競技を見ていた2人が反応を示す。


「ん?白軍の応援団長と副団長か。どうかしたのか?」


「実は、白軍の男子に怪我人が出まして……当日で申し訳ないのですが、騎馬戦の編成に変更を加えたのでその許可をいただきに来ました」


「なるほど、怪我人なら仕方がないか……変更後の一覧はあるのか?」


「はい、こちらです」


 そう言って軽く場所を移したのち、小田先輩は騎馬と編成を記した用紙を横山先生に渡す。ちなみにこの間、僕と団長は一言も発していない。僕の場合は応援団でもないし突っ込まれた際のフォローをするだけなのだが、団長の方はあえて口をつぐんでいる。


 というのも、先ほど「あんたは私が良いっていうまで話さないで」と小田先輩から釘を刺されているからだ。……それでいいのか、応援団長。この種目のリーダーなのに。そっと憐みの視線を団長に向けると、それはそれは清々しい笑顔で直立していた。忠犬かな?大型犬ってこんな感じなのかもしれない。


「……怪我人は1人なんだろ?多く見積もって2,3騎の変更で済むんじゃないか?事前に提出されたものに対してあまりに変更が多すぎる」


 至極当然の質問である。横山先生からすれば、事前情報との差異に疑問を抱かずにはいられないだろう。しかし、それは想定内だ。小田先輩は予め打ち合わせていた通りに、連続出場不可のルールやそれに伴う身長差などの安定性の増減について説明する。


「以上のことを加味すると、どうしても再調整する騎馬の数が増えてしまいました」


「……」


 横山先生はひとしきり説明を聞くと、黙り込んで紙を眺める。先ほどと比べて多少は薄れているようだが、それでも疑いの気持ちは消えていないようだ。もっと生徒を信用してもいいんですよ?


「……悪いがさすがに変更が多すぎる。これでは公平性に欠け、教師として許可できない。せめてこの半分程度に抑えろ。お前たちを疑うわけではないが、正直、私情を挟んでいるのではないかと思ってしまう」


 ちっ……さすがに手ごわい。疑念のまなざしを向けられて、小田先輩も表情がこわばっているのが分かる。しかも言っていることが正論だから、こちらとしても返す言葉がない。しかし不安な表情を察したのか、丸山先生が口を挟む。


「横山先生!私たちが生徒を信じなくてどうするんですか!」


 その言葉を皮切りに丸山先生と横山先生の間で小さな言い争いが始まる。小田先輩はオロオロしだし、さすがの忠犬先輩も表情に困惑が見える。……ここだな。


「すみません、丸山先生。横山先生のおっしゃる通りです」


 申し訳なさそうに、少しだけ声を震わせる。それでいて、体育祭の喧騒にかき消されないよう、最低限の音量をキープする。そしてその声は届いたようで、先生も応援団の2人も僕のことを驚いたように見つめる。一瞬の沈黙を割いたのは横山先生の声だった。


「……どういうことだ?応援団でもないようだが」


「2年の世良町といいます。僕も騎馬戦の再編成のお手伝いをしたのでここに。いえ、正確には……利用しました」


「何?」


『利用した』という部分をあえてゆっくりと告げて強調する。案の定、先生は食いついた。後は台本通りに演じるだけ。


「先生のおっしゃる通り、その騎馬戦の再編成には僕の私情が挟まれています。変更の数が必要以上に多いのは、僕が仕組んだことです」


「世良町、お前……なんでそんなことを」


 訊ねてきたのは丸山先生。その声色からは普段のような明るさを感じられず、怒っているように感じられた。それでいて、心配しているような不安になっているような感じもする。本当に見かけによらず優しい先生だ。……こんな先生を騙すのは気が引けるが、いまさらやめられない。


「……実は、僕、いじめにあってたんです。本当につい最近まで」


「!?」


 その場にいた全員が目を見開く。先ほどまでどこかの映画の刑事のようにしかめっ面だった横山先生ですら突然のことに驚いたようだ。このご時世、教師たるもの『いじめ』という言葉には敏感なようである。


「今でこそ、いじめは収まりましたがそれでもまだ怖くて……特にいじめの主犯格だった相手のことは目を見ることも躊躇してしまいます」


「な、なんで相談してくれなかったんだ!」


 丸山先生はそう言って問いただす。担任でもないのにそう言ってくれるのは本当にうれしいことだ。そして、この状況においても嬉しい言葉だ。


「もちろん、相談することも考えました。でも、暴力を振るわれたとか、ものを盗られたなどの分かりやすい証拠があるわけじゃなかったし、それ以上に相談した後『チクりやがった』とかエスカレートするのが怖かったんです」


「……」


 そう告げると、丸山先生も横山先生も悲しそうな悔しそうな表情を浮かべる。実際、いじめ問題において、教師が介入して解決できることはあまり多くない。教師の介入によってじめが過激化することは昔から珍しいことではないし、近年ではSNSやインターネットなど、そもそも目につきにくいところが温床になることもある。悪知恵の働く奴はあえて証拠が残らないようにすることだってざらだ。教師だからこそ、そのことを理解していたのだと思う。声が聞こえないどころか、声すら出せない生徒の存在を。


 ───そして、その理解によって生じる罪悪感を、僕は利用する。


「でも、いつまでもこのままじゃだめだと思う自分もいました。怖がっていてはいつまでも前に進めない。僕が僕自身を克服しない限り、この気持ちはずっと僕を蝕み続けるんだって」


 涙をため込んだような声音を意識する。震えて詰まるように言葉を紡ぐ。僕ならできる。人を欺くことに関しては人以上、演技力には自信がある。


 俯いていた顔をあげる。背筋を伸ばす。左手でこぶしを握り、右手を胸にあて、先ほどよりも微かに声を張り上げる。


「だから、騎馬戦で再編成の必要が出たと聞いた時、チャンスだと思いました。あいつのことは怖いけど、正面からぶつかれば……普段の僕なら絶対にしないようなことをして、もし僕が勝てたなら……それは弱い僕との決別につながるんじゃないかって」


 先生も先輩も黙って僕の言葉を聞いている。その沈黙をありがたく感じながら、僕は続ける。次は声を落とし、申し訳なさそうに、謝罪の意が伝わるように。……同情を誘うように。


「だから、騎馬戦の再編成に乗じて、あいつと僕の所属する騎馬を当てるように編成し直しました。でも、それだけだと入れ替えたことに先輩も先生も違和感を抱くと思ったので、本来入れ替える必要のない騎馬も数騎いじりました。変更の数が多いのは僕の独断です……本当にごめんなさい」


 再び頭を下げる。僕の視界にはグラウンドの砂しか映っていないのに、頭を、背を、いくつもの視線が貫いているのを感じた。


「……はぁ、分かった。受理しよう」


 その視線の一つが切られたかと思うと、頭を掻きながらため息交じりにそう言う横山先生。


「え?」


 そしてその期待通りの反応に、話しの流れとしてごく自然な態度で言葉を返す。まるで、怒られると思っていたのに、御目こぼしをされて脳の処理が遅れているように。


「ただし、世良町のカムフラージュ分の入れ替えは元に戻せ。そこまで仕上がったものを最終決定版として受け取ろう」


「……あ、ありがとうございます!」


 よし。


「何、生徒の成長の機会を応援してるだけだ。……負けるな」


「はいっ!」


 元気な返事を返し、一度用紙を受け取る。ひらひらと手を振りながら去っていく横山先生の後姿、拳を突き出して笑顔を見せる丸山先生の姿を見送った。


 ……計画通りだ。

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