第19話

 いくつかの競技を終えて、目玉競技の一つである騎馬戦が近づいていた。リレーや〇〇競走といった種類は同じ方向に向かって速さを競うのに対し、この手の競技は真正面から対戦相手とぶつかるという大きな違いがある。特に、相手の表情の変化や気迫がモロに伝わるという点はこの手の種目ならではで、その緊張感は本当に闘いと言って差し支えないものだ。そして、男のサガというものか、大抵の男子は闘いが好きなのである。そのため、自軍、敵軍のどちらもやる気マシマシ、殺意マシマシで老舗ラーメン店もびっくりなマシマシ具合である。ちなみに言うまでもなく自分はこの例に当てはまらない。痛いのは嫌だというのは至極真っ当な生物の本能なのである。故に───


「降伏したいんだが」


「ダメに決まってるだろ」


 ボソッと呟いたのにも関わらず、すぐ横にいる國代が応える。その顔には苦笑を浮かべていた。


 ところで、騎馬戦のような団体競技は本番を迎えるまでに何度かリハーサルを行なっている。その時に予め自分達の対戦相手もわかっていたはずなのだが……


「まあ、多少気持ちが分からなくもないけどな……いきなりすぎだろ」


 國代が若干ため息交じりで言う。僕たちは既に入場を済ませ、あとはアナウンスに従って競技に挑むだけの状況だ。今この会話ができているのはちょっと待ち時間ができているからである。なぜか?それは今、國代が言ったように少々「いきなり」の事態があったためだ。そしてその想定外の事象のせいで紅白両軍、困惑が隠しきれていない。敵である紅軍に比べれば事前説明があった分、僕たち白軍の方がその混乱がマシかもしれないが。


 さて。ではどうしてこんな状況になっているのか。それを説明するためにはちょっと時間をさかのぼる必要がある。具体的には、僕と早見先輩が今日初めて話していたときくらい。そして、白軍副団長である小田先輩に会う前の話だ。







「騎馬戦で勝つにはどうするか、ですか」


「そうなんだよ」


 『少し頭を働かせてくれないか』という言葉の意味を早水先輩から詳しく聞く。求められた頭脳労働とは、騎馬戦に勝つための戦略を考えてほしい、ということだった。確かに、僕と先輩の所属する白軍は本番前の練習でも勝った記憶がない。大敗、というわけでもないが僅差で負けているというわけでもなかった筈だ。特に何もしなければ本番も同じように負けるというのはその通りである。


「でも、なんで男子団体競技の話を女子である先輩が?そもそも相談相手が僕というのも疑問ですし」


「実は私も相談された口でね。もともとは白軍の団長と副団長の2人が気にかけてたんだよ」


 ああ、応援団が始まりか。それならまあ納得がいく。特に3年生で、ああやってリーダー的ポジションに立つ人なら勝ちたいと思うか。まさに「一生懸命な生徒」に該当する人たちである。


「私としては男子がダメなら女子で頑張れって言ったんだけど、それで折れるわけもなくてね。しかし、私自身特に案が浮かぶ訳でもなく……そこで私の友人で男の君に話を持ってきたんだよ」


 ああ、そう言えば早水先輩、男友達少ないみたいなこと言ってたわ。……え、僕友達認定されてたの?この有名人に?校内アイドルでイケメンが女子制服着て歩いてるような人に?その事実に背筋を冷たい汗が伝う。


「どうかしたのかい?顔色が悪い気がするけど」


「……先輩。死ぬのって痛いんでしょうか」


「本当にどうした!?」


 だって……だって……刺されてもおかしくないって。夜道気をつけるだけじゃ足りないってこれ。


 感じた恐怖を紛らわすようにひとまず口を開いた。


「しかし、いきなり何か策はないかと言われてもですね、そんなすぐには……」


「一応、事前練習での戦績とか、騎馬の構成員のデータもあるよ。預かってる」


 用意周到だなぁ。ひとまず数枚の紙からなるその資料を受けとる。こうして声をかけてきたのだから何も考えずに無理です、と追い返すのも忍びない。最低限考えてみよう、と思ったその時だった。一際大きなアナウンスが耳に入る。


『ああ!接触事故だ!走者2名が転倒!大丈夫かー?』


 慌てて顔を上げるとトラック内で地面に横たわる影が2つ。その姿を見て早水先輩は声を発した。


「……風紀委員の後輩だ。行ってくる」


 そう言うが早いが、早水先輩は現場にまで駆け寄っていった。


 遠目から見ると転倒したところには教職員が2人ほど、ほかにも救護班や心配して駆け寄ってきた生徒が数名集まっている。応急処置のため、怪我をしたと思われる生徒が肩を借りながら2年待機場所の横に併設された救護テントまで運び込まれた。その様子を確認し、僕も救護テントに近づく。


 救護テントをチラリと覗くと、簡易ベンチに腰掛けた少年は話しかけてくる養護教諭や生徒に明るく笑顔で対応しているのが見えた。早水先輩が話しかける様子もあるので、あの明るい毛色をした男子生徒が接触事故にあった人物で間違いないのだろう。白衣を着た養護教諭が足などを念入りに診察しているようで、しばらくしてその養護教諭が口を開く。


「捻挫でしょうね……氷持ってくるわ。松風君、残念だけど後の競技は観戦よ」


「そ、そんな!俺、騎馬戦の騎手なんですよ!?」


「尚更ダメね。万が一、騎馬が崩れでもしてみなさい。全治1週間が1ヶ月に伸びるわよ」


 それを聞いて項垂れる松風という生徒。まあ、こうしていろんな人が心配して声をかけてくるし、風紀委員とのことなので、行事に積極的なのは容易に想像できる。しかも、接触によって出場が危ぶまれるレベルの怪我を負ったのはこの生徒のみと見える。気の毒なことだ。


「大丈夫かー!松風!俺がエールを送ってやる!おおおお!」


 白軍応援団長さんが叫びながら、松風の前で三三七拍子をやろうとしだすのを横の女子生徒が止める。確か白の副団長さんだ。以前、体育館の説明の時に2人で話していたのを見た記憶がある。


「アンタは他にも競技とか生徒の鼓舞とか忙しいでしょう。ここは私に任せて先に戻ってて」


「しかし……」


「どうせ何もできないでしょ。それに、ここにずっと留まってたら松風君も気を遣うのよ。分かんない?」


「……分かった。心配するな。俺が何とかして見せる!うおおおお」


 そう言って猛スピードでテントから飛び出し、僕の横を駆け抜けていく白軍団長。遅れてやってくる風に一瞬よろめきそうになったのは錯覚ではない気がした。……悪い人ではないが関わりたくないタイプである。


「相変わらず元気が良いね。見習いたいよ」


「いつもこのくらい聞き分けがいいと助かるんだけどね……」


 ふふっと笑う早水先輩に対して、やや疲れて呆れた口調で応える副団長。一瞬口元が緩んだが、すぐにその表情は険しさを孕んだ。それを見かねてか、松風が再び口を開く。


「……すみません。俺の不注意で」


「なってしまったものはしょうがないさ。大事じゃなくて良かったよ。これからのことはこれから考えればいいさ。そうだろ?覗き魔君?」


 松風を励ましていたかと思えば、グルリと首が回りこちらを向く早水先輩。いきなりの呼びかけに思わずびくりと反応する。もう隠れてもいられなくなった(そもそも隠れられてなかったのか)僕は頭を掻きながらテントの中へ歩みを進めた。


「急に振り替えらないでくださいよ。SAN値チェック入るところでした」


「……?」


「あ、すんません。なんでもないです」


 せっかくのボケたのに相手にネタが通じないというのは非常に悲しい。そしてそれ以上に恥ずかしい。おのれ、許さんぞニャルラトホテプ……僕の心にダメージ1d10……脳内で振ったら10出たわ、畜生。


「……由香里。誰この人?」


「例の友人だよ。絶賛騎馬戦について相談中だ」


「ふーん……」


 副団長から物珍しげに送られる視線を受けて、ひとまず自己紹介をする。


「2年の世良町です」


「3年の小田よ。よろしく、世良町君」


 応援団としてその姿を何度か見たことがあるが、さっぱりした人という印象を受ける。


「悪いわね、いきなり迷惑かけて。……正直、由香里に男友達がいるなんて予想外だった。強がって嘘ついたと思ったのよ」


「え!?信じてなかったのか!麻友!」


「ああ、確かに半端な嘘ついてすぐボロ出そうな感じしますよね早水先輩」


「お、分かるー?あんた見る目あるじゃん」


 そんな会話をしている横で、『すぐボロがでる……』と落ち込んでいる早水先輩の姿。この人本当面白いな。……副団長、フルネーム小田麻友っていうのか。


「それはさておき、難しいでしょ。いいわよ、無理しなくて。騎馬戦の状況はただでさえ芳しくないのに勝率の高い松風は欠場。正直、なんも浮かばないわ」


「それなんですけど一つ、策が浮かびました。騎馬戦」


「えっ」


 僕の発言に対し、鳩が豆鉄砲喰らったような表情を見せる小田副団長。


「あまり誉められた方法ではないかもしれませんが……」


「え、ルール違反とかはよしてよ」


「その点は多分大丈夫です。ただ、正々堂々、高校生の青春溢れる運動会って感じではないので、そういうのがお好みなら期待には応えられませんが」


 そう、思いついた作戦は何というか気持ちのいいものではない。ルール上は問題ないけど、「ええ……」と言われそうな気はしないでもない作戦だ。もし、かっこよく少年マンガのような展開をお望みなら残念ながら却下だろう。……残念というほどのものでもないが。早水先輩もひとまず立ち直ったようで、考える仕草を見せる小田副団長を見つめている。


「ひとまず聴かせて。判断はそれからでも遅くないでしょ?」


「……分かりました」


 小田副団長の2つの瞳が、まっすぐに僕を見据えていた。

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