07-運命の日・地獄裁断裁縫日和




 コツコツと、硬質ゴムが床を叩く音。

うつらうつらとしていた星衛は、ふと目を覚まし、面を上げた。

皇都菊花刑務所の、面会室。

アクリル板で訪問者側と区切られた部屋で、パイプ椅子に腰かけたまま、相手を待っていたのである。

時間に厳しい相手なので、おそらくは刑務所の人間の歓待などを受け、時間がかかっていたのだろう。

そんな風に考えていると、ドアが開き、仕切られた向こう側に、懐かしい顔が現れた。


「……二階堂、龍門」

「星衛か。……およそ20年ぶりか」


 数秒。

懐かしむように目を合わせたのち、龍門は職員に注意点を聞かされたうえで、あちらもパイプ椅子に腰かける。

長髪を低い位置で纏めた髪型や表情からスマートな印象があるが、龍門は身長190cm以上の大男である。

大柄な彼が腰かけると、どうにもパイプ椅子が小さく心もとなく見える。

そんなパイプ椅子を壊さぬよう、大男が気を使ってそっと座る仕草は、どこか奇妙で場にそぐわないものに思えた。


「黒スーツ……まるで喪服だな」

「……あぁ、そうだな。実のところ、半ばそのつもりで着ている」

「……やはり、引きずり続けているのか。ヒカリさんの事は」


 二人の会話は、共通の知り合いの話題からだった。

この日二人に求められているのは、雑談したという結果のみ。

特段探るべき事情もなく、政治的あるいは刑事的な背景も持ち合わせていなかった。


「お前は、よく知っているだろうが。

 私は、世間で言われているような立派な勇者ではなかった。

 好きな女の理想と目的を叶えたいだけの、普通の男だったよ。

 そのためならば、魔王だって倒せた。

 ……だからヒカリが死んだ事は、今でも信じられない」


 星衛はかつての人魔大戦で、龍門とともに戦い多くの功績をあげた。

勇者パーティーと呼ばれる最前線の4人には劣るものの、実力とて英雄の名に恥じないレベル。

龍門と同い年だったこともあってか、当時は気が合いよく交流する仲でもあった。

だからこそ、龍門が彼の妻に、ヒカリにどれほど入れ込んでいたかはよく知っている。


「確かにまぁ、お前が勇者と呼ばれるたびに、どちらかと言えばヒカリさんのほうだろ、とからかったものだったな」

「あぁ。

 ヒカリこそが、私たちを纏め象徴となる、本物の……名の通りの、光だった」


 龍門が、どこか遠くを見つめる。

目の前ではないどこかを眺めるその仕草は、どこか堂に入っており……、身に沁みついた仕草であることを伺わせた。

星衛もまた、目を細める。

二階堂……当時は、八重樫ヒカリ。

聖女とも呼ばれる彼女こそが、人魔大戦における実質の人類のリーダーであり、精神的支柱でもあった。

そして彼女を守る人類最強の剣こそが、勇者、二階堂龍門。


「それでも、あの頃よりはマシになったはずだ。

 ヒカリを亡くした当時の私は……親として、最低だった。

 子供の事を、ヒカリのオマケとしか思えなかったし……。

 何もかも家政婦に丸投げして、まともにあの子たちを見てやる事はできなかった。

 私を変えてくれたのは……ユキオだった」

「赤井を倒した子。確か"赤"の」


 龍門が、目を瞬いた。

苦み走った顔で、歯を噛みしめる。


「……そうだ。

 機械的な、ヒカリが救った世界を維持する以外に何も思うことのなかった私を……変えてくれた。

 結局その変化は、むしろユキオを傷つけてしまったが……。

 それすらも乗り越え、あの子は、前に進み続ける事ができている。

 ……私のヒカリが、そうであったように」

「……そうか」


 龍門が息子を傷つけた、その行いは星衛にも想像がついた。

聖剣レプリカによる人類貢献度判別。

彼の愛する息子が"赤"だったとするならば、おそらくそれで間違いはあるまい。

そこに言いたい事は無数にあったが、星衛にとって、今日の会話の主眼はそれではない。

言葉を飲み込み、星衛はじっと龍門を見つめる。


「ヒマリもミドリも、私は愛しきれなかったし、愛されているというにはほど遠いだろう。

 私たちは、ユキオが、中心だ。

 全員、家族で一番強く繋がっている相手は、誰でもなくユキオだ。

 あの子には強い負担をかけてしまっているが……、いつか必ず私を超えてくれると、信じている」


 その目には後悔があり、懺悔があり、期待があり、そしてまた執着もあった。

星衛は、二階堂ユキオとの面識はない。

しかしある理由で人づてに話を聞く機会があり、人柄の表面ぐらいは理解している。

聞いた話をそのまま受け取るのであれば、なるほど、ユキオは恐らくヒカリと似た所があるのだろうと思えた。

人の中心になって、誰かの光になる素質。

それは星衛もまた、かつてのヒカリに感じていたのと同じものだ。

だからこそそれを見て龍門が立ち直ったのも……、そしてそれを自ら穢したが故に再び絶望したのも、想像はできた。


「子供に超えられた先達として言うと、それはきっと、思っていたより早いぞ」

「……子供?」

「義理だが、ね。書類や血縁は繋がっていないが……。

 私を父と、呼んでくれる娘が居る。

 組織とは関わらせていないがね」


 微笑んで見せる星衛に、龍門が眉をひそめた。

娘との思い出に、星衛は思索を移す。


「荒事をさせるつもりはなく、あくまで固有術式の制御目的だったが……。

 簡単に私を超えて行ったよ。

 そればかりは才能としか言いようがないが。

 ……見ないところで、気づけば成長し、親を超えてゆく。

 決断を覚え、自らの道を定めてゆくことができるようになるものなのだ」

「そう、か。

 ……政治、或いは刑事的な意図ではないと誓おう。

 その娘の事を、聞いてみても、いいか」


 星衛はゆっくりと、頷いた。

もとよりこの面会を星衛から求めた理由は、娘の事を話したかったからだ。

娘の判断によっては、彼女が龍門の庇護を受ける日が来るかもしれない。

それを見届けることは、星衛にはもう、叶わないが。


「20年前、大戦が終わって、私は暫く互助組織で地域を助け合う形で生きていた。

 私なりに、少しでも世界を良くしようとしていたんだ。

 そんなある日、固有の暴走で両親を失ってしまった娘を、保護することになった。

 およそ、一年ほどか。

 心の傷を癒し、ある程度固有の制御ができるようになった時、あの娘は……"赤"と認定された」


「私はあの娘を、娘として扱った。

 社会は変わっていき、貢献度による差別も始まった。

 どこからか、あの娘が"赤"であることが漏れていた。

 互助組織であった"自由の剣"の取引先もやんわりと減っていったし、あの娘は"赤"であるという理由で暴力を受けかけた事もある。

 私はあの娘を害そうとした輩を返り討ちにし……決意した。

 我々が勝ち取った人類の未来が、こんなものであるはずはない。

 変えなければならない、と」


「組織はすぐに肥大化を始めた。

 昔馴染みのあの赤井なども集まり……私の制御を超えるのは、すぐだった。

 情けない話、私は力だけで、組織の長にはあまり向いていなかったからな。

 そしてあの娘は……自衛程度に教えていたつもりなのに、その力でさえも、あっさりと私を超えた。

 組織の幹部たちはあの娘を巻き込もうとし、父の役に立ちたくはないかと、娘を勧誘し始めたのだ」


「赤井は……実のところ、娘を鍛えたのは大部分がアイツだったんだが……、放任主義で、自分で決めろなどと言いだしてな。

 私は、当然反対していた。

 私はあの娘が、あの娘のような子供たちが、得られるはずの本来の権利を得られるようにするのが望みだったのだから。

 そのためにテロリズムに傾倒するなど、認められなかった」


 そして、口には出さないが。

赤井は案外あの娘に入れ込んでおり、単独で組織に協力する方法を教え込んでいた。

星衛がした政府脅迫用の演説映像を編集して渡したり、娘が単独で政府を脅迫する際の助言などもしていたようだ。

その上で、これを全部無駄にしても全く問題ないから、自分の心に従え、といった教えを説いていた。

故にあの娘が、これからどのような道を進むかを、星衛は知らない。

既に、娘に干渉する手段を失った身であるが故に。


「……あの娘の名は、長谷部ナギ。

 龍門、もしかしたら君が、聞き覚えのある名前かもしれない」

「……なるほど、な」


 うめき声をあげ、龍門が頭を抱えた。

ナギは当初気づいていなかったようだが、組織だって勇者に反対する星衛は、二階堂ユキオの名が勇者の息子であることには気づいていた。

ユキオは勇者一家で最も名が知られていないが、調べようと思えば判明する程度の情報だ。

赤井あたりは真面目に話を聞いていないので微妙なところだが、他の幹部とて知ってはいただろう。


 つまるところ、星衛がしたかったのは、ある種の娘の恋人の親との、顔合わせともいえる。

本人らが正式に付き合い始めた訳でもなく、気が早すぎるというべきなのだろうが、他にタイミングがないためにこうなっていた。

無論、そうなるかは、ナギの選択にかかっている訳だが。


 溜息をつき、龍門が面を上げた。

疲労を隠せない顔で、訝し気に、星衛をにらみつける。


「……疑問に思っていたが。

 お前は、組織と心中するつもりだったのか?」


 星衛は、無言で微笑み返した。

幹部を東北の廃ホテルに集め秩序隊の攻撃を待ったことに、その意図があったことは確かだ。

本来、星衛はその際ミスを装い、幹部たちは全員秩序隊に捕縛させるよう操作するつもりでいた。

対峙した二階堂ヒマリが強すぎてそれができなかった事は誤算だったが、結果的に幹部は全員捕縛されるか死亡したので、結果オーライと言えるか。


 その時ふと、ゾクリと星衛の背筋に冷たい物が走った。

それは、ナギの固有が発動する、その前兆というべき雰囲気。


「ああ……あの娘は、平穏を選ばなかったというのか。

 私の、私たちの弔いのために旗を立てようとしているのか。

 ……いや、この感覚は、それとも」

「……どうした、星衛」

「勇者よ。

 ……初手で貴方が死んでしまうのは、誰の得にもならない。

 生き残る事だけを考え、初手を防ぐといい」

「待て、何を!」


 瞬間、勇者が顔色を変えた。

何事かと驚く施設の人間を無視して全力で跳躍、素手で天井を破壊し飛び出してゆく。

障害物のない空のほうが速度を出せる、という判断なのだろう。

それを見送りながら、警告灯の騒音を背景に、星衛は自嘲した。


 愚かな親だったのは、勇者だけではなかった。

娘に人としての道を示し、歩ませることができなかった。

危うい娘であることは、親である自分が良く分かっていただろうに。

親として共にいてやることよりも、理想と破滅のためにその人生の時間を費やしてしまった。

それならそれで、親として名乗りを上げる事なく、娘に多くの時間を費やせる、他の人間に託すことだってできただろうに。

それすらせずに娘にある種甘え続けてしまい、そのツケを、今、支払うときに来ていた。


 星衛は騒ぎの中、静かに椅子から降り、床に胡坐を組んだ。

両手を組み、静かに集中する。

それに気づいた職員たちが声をかけるよりも、早く。

――"それ"が来た。




*




 見慣れた、天井。

数回の瞬きでピントが合い、あぁ、と自室に居る事を自覚する。

肌に触れていた肉の感覚は、夢幻と消えていた。

ただただ、甘く穏やかな眠気が、頭蓋の底に横たわっていた。

吐き気を催す感覚に、そっと薄掛けの布団をどける。

見るまでもなく自覚していた、痛いほどの勃起が、服越しに分かる。


「……う……」


 欠伸のようなものなのか。

目尻からはじわりと涙が湧き……、暴力の衝動が沸き上がる。

拳を硬く握り、目の前のこの、隆起する自分自身を、殴りつけてやりたくて仕方がなかった。


「あ……あ……」


 声にならない、声が漏れた。

許されるなら大声を上げたいぐらいだけれど、家族がいる家でそんなこともできるはずがなく、ただただ、かすり切れそうなか細い鳴き声みたいなものが漏れるだけだ。

怒りと、憎悪と、そしてなぜか、どうしてか、悲しくて仕方がない。

それらすべての激情を、握った拳に込める。

ぼす、と軽く、ベッドに拳を突き立てた。


「……起き、よう」


 自分に命令して、ゆっくりとベッドから這い出る。

鏡が見えて、思わず一瞬、動きが止まる。

腫れぼったき泣いた後の目に、目の隈、唇はどこか青染みて血色が悪く、化け物のような顔だ。

歯を噛みしめ、暴力とも、涙とも、何者とも知れぬ衝動を、やり過ごす。

ようやく力が抜け、机の上に視線を。


「……寝坊、かぁ」


 朝、10時。

久しぶりにやってしまった。

今日は怪我以来増やしていた休養日なのでまだよいが、明日以降は通常のローテに戻す予定だ。

我ながら大丈夫なのか、と溜息をつきながら、軽く顔を整え家族に見られてもおかしくないようにしてから、部屋を出る。

洗面所と往復して身支度を整え、携帯端末を手に一階へと降りた。


「あ、ユキちゃんおはよー」

「ん、寝坊珍しいね」

「おはよう……ごめん、だらしなくて」


 ミドリの指摘に頭を下げつつ、台所へ。

冷蔵庫から朝食替わりのゼリー飲料を1個拝借、昼も近いしこれぐらいでいいかと思いながらリビングへ。

洗濯物干しから戻ってきたミーシャに頭を下げつつ、おや、と自分の携帯端末に視線を。

通知音がピコピコとなる画面には、ナギからのメッセージ通知が表示されている。

ダイニングチェアに腰かけ、メッセージアプリを開いた。


ナギ:今、どこ?

ユキオ:家だよ

ナギ:テレビ、つけて。逃げてね


「……は?」


 思わず疑問符を上げつつ、リモコンに手を。

テレビをつけると、ちょうどニュース番組をやっていた。


「緊急速報です。大量破壊術式の発動が検知されました。皇都菊花地区を中心に約20kmの範囲が対象となり……」

「は!?」

「え、ちょっと待って!?」


 叫ぶヒマリ姉とミドリの声。

数秒遅れでの、携帯端末の警報が続けて鳴り響く。

動揺に揺れる中深呼吸をし、僕もまた、情報収集に努める。


 ニュース曰く。

テロ組織"自由の剣"が各メディアに一斉に動画を送り付け、また複数の動画配信サービスにて動画を配信。

また、テレビ放送局を1チャンネル乗っ取り、その動画をループ再生している。

内容は、勇者の聖剣による貢献度調査を、重大な人権侵害として、即時永久停止するよう要求。

その上で回答がなく期日を超えたため、自由と平等のための武力行使を行うと宣言。

対象は、皇都東の菊花地区。


「ウチからだと、結構遠い……1時間ぐらいか? 避難民と逆走になることを考えると、もっとか。ヘリとか欲しいな」

「というか、星衛は私が倒したし、幹部級も全員捕縛か死亡で終わっているんだけど……。

 リストが完全じゃなかった? それか、模倣犯とか?」

「あ、現場のVTR……VTR? 生放送じゃなくて?」


 ミドリの疑問符の通り、次いで番組に表示されたのは、現地に居たリポーターによるVTRだった。

恐らく菊花地区の公園、すり鉢状になった広場の中心にはマイクと背広の男が立っており、観客と思わしき人々が座っている。

なんらかのイベント、講演だろうか?

準備中のようでざわついているその画面に、一人の少女が映りこんだ。


「……あ、れ?」

「これって……ナギ、ちゃん?」


 ゴシック服に紺色の髪を、うなじが見えるよう入れ込んだ髪型。

最近多いスカート姿ではなく、初対面の頃同様のショートパンツ姿。

間違いなく見知った、あのナギの姿だった。

何時もの姿と異なる点と言えば、晴れの日だというのに、ビニール傘を持ち歩いている事ぐらいか。


 すり鉢状になっている席側から、広場の中心に向かってくるナギ。

慌てスタッフが止めに入ろうとしたのに、マイペースに腕時計で時間を確認。

ばさ、と音を立て、いきなりビニール傘をさす。

何事かとスタッフが驚くのを尻目に、ナギは、そっと、手を喉元に乗せた。

中指をピンと張り、首に当てて。

スッ、と、引いた。


 ぽろ、と。

その場に居るナギ以外の全員の、首が落ちた。


「……え?」


 まるで、もぎ取られた人形の首みたいだった。

きちんとつながっておらず、ツンとつつくだけで落ちてしまう、肩の上に載っているだけの首が、落ちたみたいな。

遅れて、肉体がようやく事態に気づいたかのように血が噴き出す。

それは、無数の血の噴水だった。

講演を始めようとしていた背広の男、テレビ局のスタッフ、そしてそれを見ようとしていた観客。

幼い子供も年食った老人も、精悍な男も痩せぎすの女も、みな、みな、首から上をポトリと落とし、噴水のように血を噴射する器械となっていた。

首から下が猛烈に噴き上げる血を、地面に落ちた生首たちが、VTRのモザイク処理越しに、虚ろな目で見上げている。

鮮烈に赤い血が噴き出したのは、時間にして10秒もないだろう。

しかし映像を見る僕には、それが永遠に思えるほどの時間にさえ思えた。


 やがて血の噴水が止まり、遅れナギがビニール傘を傾け、そのまま捨て去った。

無数の血の噴水を終えた、そのあとには……あろうことか、虹が出ていた。

無数の首と首から下が倒れ伏す、地獄のような血濡れの地面の上。

ビニール傘を放り投げたゴシック姿の少女の元、血と脂を吸った虹が、キラキラと輝いている。

とても現実のものとは思えない、凄まじい光景だった。


 そしてナギは、血の海と化した地面をブーツの靴裏でピチャピチャと叩きながら、辺りを見回す。

そして、こちらに……カメラに向かってきた。


『……このカメラとマイクは、生きていそうだね。

 うん、ネットワークカメラか。とすれば、サーバ上に映像は記録中になるのかな。

 VTRとかで、放送されそうだ』


 その声色が、あまりにも聞き覚えがあることが、彼女がナギその人であることを違えさせない。

事実に眩暈を覚えつつ、震え、思わずうめき声が出そうになる。

嘘みたいに穏やかな声で、ナギの顔がアップになる。

初対面の頃の、少しゴシック風味の強い、明暗の大きな化粧。


『運命の人よ。

 ボクは……、勇者を討つよ。

 必ずね』


 ブラックアウト。

数秒後、ニュース画面に戻り、キャスターたちのコメントが再開し始めた。

けれど僕にはもう、それを聞く余裕は残っていなかった。


「なんだ、コレは……どういう事なんだ!?

 そうだ、父さん! 父さんから連絡は!」

「電話してるけど、電源が切れてる! ミドリ、父さんの予定、何だっけ!?」

「確か、星衛の面会……、携帯端末は預けているかも。待って、刑務所が菊花あたり!?

 今のアレの効果範囲は……推定10km!? うそでしょ、刑務所も範囲内かもしれない!?」


 ひゅ、と思わず息をのむ。

半径10kmと言えば、面積比で皇都の五分の一ぐらいだろうか。

しかも菊花地区は東北側、山や海が少なく、人口密集地と言える。

父さんも、もしかしたら。


「……いや、落ち着こう!

 父さんなら、死の気配を感じ取った瞬間、全力で退避しているはずだ。

 携帯端末はその時に回収できなかったんだろう。

 父さんならすぐにギルドに合流しているはずだ!

 電話は回線混雑があるから、多分緊急回線で……」


 言うが早いか、固定電話の横にある緊急回線端末が鳴り響く。

近くに居たヒマリ姉が、子機をひったくるように出た。


「もしもし! うん、家! 待って、スピーカーモードにする!」

『……よし、つながったか。とうさ……龍門だ。聞こえているか』

「うん! 3人とも居る! ミーシャも!」


 ヒマリ姉を中心に、ミドリと僕とで集まり、三人で端末の前へ。

何事かと顔をのぞかせていたミーシャも、近づいてくる。

視線を合わせ、頷いて見せる。


「テレビ見たよ、ざっくり事態は把握している!」

『そうか。改めて簡潔に行こう、時刻は10時ちょうど。

 菊花地区の飾森公園を中心に半径10kmほど、人間の首を切る術式が発動した。

 下手人は……映像から、長谷部ナギと、推測される』


 思わず、喉からうめき声が漏れた。

つばを飲み込み、必死で口を閉じる。


『……長谷部ナギは、"自由の剣"の首魁、星衛健一の義理の娘である可能性が高い。

 書類上の記録はなく、事実上の親子というものだな。

 彼女との対話はできておらず、衛星から彼女が西に向けて移動を始めている事が判明している。

 彼女の固有術式は、常時発動の結界型。

 おそらく効果は……結界内の人間の首を、強制的に切断するものだ』

「ナギが、星衛の……?」


 急に聞かされた人間関係に、思わず声が漏れた。

頭が上手く回らないが、まずは明確に拾える情報から拾う。

つまりは、今から彼女の射程距離に入る人間は、強制的に首を切断されることになる。

多分オンオフぐらいはできるだろうし、味方のマーキングぐらいはできる可能性があると考えても問題ないだろう。

そしてその能力は、先日の、彼女の罪の告白にも符合する。


『政庁は効果範囲外だったが、今避難中だ。

 おそらく彼女が本気を出して走り出せば、数分と待たず政庁の人間も……。

 政府が混乱している今、現場判断で避難の呼びかけと作戦を立てている所だ』

「とすると、私たちに……」

『ああ。ヒマリ、ミドリ、お前たちに出動要請がある』


 言葉を聞き取って、一拍。

咀嚼した内容に、目を見開く。


「待ってくれ、僕は!? ナギを、止め、止めなきゃ!?」

『……ない』


 思わず、息をのんだ。

姉妹から、気づかわし気な視線が、集まる。


『……ユキオ。位階について、位階が10違えばどの程度の力量差があるか、答えなさい』

「え? ……位階、正式名称は汎天津-薬師寺位階測定一般術式。

 その存在が持つ総エネルギー量を測定したもので、位階が10違えば、おおよそ2倍のエネルギーがあるとされる」

『そうだ。

 お前は、位階が約10も上の、赤井に勝利した。

 およそ2倍の性能差で勝利したということになる。

 いくつもお前が有利になる要素はあったが、それでも素晴らしい戦果だったと、言わざるを得ない程だ』


 相手に見えないだろうに、思わずうなずいて見せる。

僕は赤井にとって得意の1対多状況ではなく不得意な1対1状況だったし、一度は遊び半分にトドメを見逃された立場だ。

勝つには勝てたが、完全勝利というにはほど遠い事は自覚している。


『しかし。

 16倍上の……位階が40近く上の敵には、相手にもなるまい」

「……え?」

『長谷部ナギの推定位階は、およそ90。

 かつての四死天に匹敵し、皇都の結界をものともしないほどだ。

 今のお前では、極限まで相性が良く、奇跡が起きれば、ギリギリ戦いになるという程度。

 正直、ヒマリとミドリを連れていくかも迷ったぐらいだ』


 ナギの位階が、推定90?

あまりにも桁の外れた数字に、グラリと、視界が揺れる。


『……お前を連れていくことは、できない。

 避難なさい』

「あ、う……」


 膝の力が、抜ける。

両隣の姉妹が支えてくれるが、それでも、力が入らない。

ぺたりと、床に尻をついてしまった。


『さて、ヒマリ、ミドリ。お前たちには出動要請がある。

 いざとなれば、私が切り札を切ってでも、お前たちを必ず無事で返す。

 だから……すまない、来てほしい』

「……うん、分かった」

「私も了解。移動手段と目的地は?」

『装備を整えて、三木町の方のギルドへ。避難方向だから、比較的容易いだろう。

 ヘリを用意している』


 ナギが、大量殺人を起こしながら、父さんを殺そうとしていて。

星衛の娘で。

位階90で。

ヒマリ姉とミドリが出るのに、僕は待っている事しかできなくて。

弱いから、何もできない。

いや、そもそも僕は、その場に駆けつけて何をしようとしているんだ?

ナギを止めて、言葉で止まらなかったらどうすると言うんだ?


 グルグルと回る疑問に迷っていると、気づけば、父さんと姉妹とでの通話は終わっていた。

戦闘準備を終えた二人が、完全装備で並んでいる。

ミーシャが僕の隣で、じっと二人に向き合っていた。


「……じゃあ、行ってくる。ユキちゃんを、頼むよ」

「はい。必ずや」

「……兄さん、行ってきます。……父さんも言ってたけど、必ず、無事に帰ってくるから」

「……あ」


 二人が、僕に背を向けた。

思わず、手を伸ばす。

床に尻もちをついて、立ち上がる事すらままならない僕を置いて。

大切な二人が。

僕がなれない、本物の英雄が。

父さんに、勇者に、聖剣に、英雄であると保障された二人が、離れてゆく。

敵を。

邪悪を。

僕と同じように、聖剣に悪であると保障された。

……僕の運命の人を、殺すために。


 数えた訳じゃあないが、皇都の人口密集地で半径10kmの範囲の全員の首をはねたら、100万人近くが死んだ可能性がある。

当然ながら西に移動中ということは、避難が間に合わなかった人は追加で死ぬ可能性があるということだ。

流石に準備なしで10kmも先に攻撃して、移動を遅延させるのも難しい。

それに近場に居た冒険者も多くが犠牲になっていると思われ、遠距離攻撃の専門家を揃えるだけでも一苦労だ。

政庁の人間が一斉に避難中ということは、上で音頭を取る人間が居ないということでもある。

現場方のギルドや秩序隊の人間がどうにかしているのだろうが、反撃の準備が整うまで、被害は拡大し続けるだろう。

100万人を殺したナギが、罪を許されるどころか、生きて捕縛される可能性すら、ゼロに等しい。


「……ユキさん、残念ですが、避難しましょう。

 できることは、他に……」


 ナギの能力については、細かい所は分からない。

けれど、父さんが瞬殺していないということは、結界能力の都合上、近接戦闘での攻撃は絶望的ということだ。

遠距離攻撃はまだ試していないだろうが、対策ぐらいはある程度していると考えてよいだろう。

父さんが全力を出せばナギを倒せるだろうが、ナギの固有から相打ちの可能性が非常に高い。

歴史上の他の聖剣の勇者たちを見るに、父さんが死ねば、聖剣レプリカは力を失い貢献度判別ができなくなる。

つまり、ナギの……"自由の剣"の要求は、自動的に達成されることになる。


 それでも、最終的には集まった遠距離攻撃系の波状攻撃で倒す事は可能だ。

けれど冒険者の被害確認や集合が終わってからか、または政治家が混乱を脱して指示し、儀式系術式兵器を利用してのことになるだろう。

つまり勇者が、人類存続の礎が、長谷部ナギに無力であったことを示すことになる。

聖剣レプリカによる貢献度判別の結果を人々が信頼するのは、聖剣に対する信頼があるからだ。

聖剣に対する信頼が揺らげば、やはり、貢献度判別の支持に対しヒビを入れる事ができる。

聖剣への信頼を損なう事は、次代以降の勇者への信頼を損なう事にもつながり、絶対にやってはならない事だ。

ついでに、間違いなくこの家庭は、"ここ"は、余波を受けて崩壊することになるだろう。

即時排除が叶わねば、ナギの勝ちが確定していると言って過言ではない状況だった。


 僕は、弱い。

位階90というナギ相手に挑んだところで、足手まといになるだけだ。

行ったところで、説得できるとも思えないし、説得したところで死刑確定の彼女をどうすればいいというのだ?

説得できないとして、仮に力があったとして、僕はナギを討てるのだろうか?


 だが。

ここで一人逃げ出して、良いのか?


「……僕は……」


 尻もちをついたまま、掌を見つめる。

弱くて、邪悪な手。

どれだけ鍛錬を積んでも、ナギの足元にも及ばない、姉にも妹にも勝てない脆弱な手。

かつて穢され、性欲を憎んで然るべきだというのに、抗えない事がある穢れた手。

いずれ罪を犯す事を、最も信じる秩序に保証された、罪人の手。

この手で何かをすることに、意味があるというのか?


「いや」


 意味など、どうでもよかった。

良いのかどうか、許されるのかどうかなど、どうでもいい。

できるのかどうか、実現可能性はさておき、精神的にできない事柄など、思いついている時点であるはずがない。

精神的盲点で思いつかなかったとかではなく、思いついたうえで、できないなどと言うのであれば……それは、欺瞞だ。

それを僕は"できない"とは称さない。

それは"しない"と言うのだ。


「僕は……する」


 ゆっくりと、腰に力が入る。

片手を突き、足裏で床板を掴む。

二点指示で膝に力を入れて、体をゆっくりと持ち上げる。

残る足を差し込み床を掴み……立ち上がる。

小さく、意識して呼吸をする。


 リビングを、見渡した。

ダイニングテーブルの書斎側の席は、父さんの専用席だ。

いつもあそこで、時折家族を眺めながら、新聞を読んだり携帯端末を遣ったり、時にはパソコンを持ってきて仕事をしている。

滅多にないが、子供の頃の一時期は……僕を鍛錬に連れ出してくれる事もあった。

ソファは、姉妹と共にいる事が多い。

僕がソファに居ると、他の場所に腰かけていても、姉妹がソファにやってきて僕に構い始める。

なんなら僕がテーブル側に座っていても、呼びかけられたりするぐらいだ。

二人とも密着するようなハグが多くて……穢れた性欲を刺激されつつも、寂しさが紛れるようで嬉しかった。

ミーシャは、今ここで心配そうに僕を見つめている。

いつも家事をやってくれて、料理が得意で、台所と往復しながら、よく一番近いダイニングテーブルの席に腰かけて休憩している。

時には自前のおやつを食べていて、話しかけると、ちょっと天然の入った笑顔で、おやつを分けてくれるものだった。


 こんなにも暖かく、ここで寂しさを感じているような人間が居るとすれば、それはおかしいと断言できるほどの家で。

僕はたった一人、寂しいよと呻きながら過ごしていて。

それでも"ここ"を。

"ここ"を奪われる事だけは、耐えられない。


「僕の夢は……英雄に、なること」


 "ここ"に居ても、寂しくなくなること。

ナギに宣言した通り、それこそが僕の、夢。

だから"ここ"を奪われない事は、大前提であり。

そして……100万殺しのナギを、許す事は、絶対にできない。


「ナギを、止める……いや」


 止めるなどと、欺瞞に満ちた言葉を告げる必要はなかった。

仮に説得に応じて彼女が手を止めたとしても、彼女は死刑になることがほぼ間違いない。

ならば、僕が叫ぶべき言葉は……ただ一つだ。


「ナギを、殺す。……仮に、この手で殺す事に、なったとしても」


 運命の人。

もう一人の僕と言うべき相手を、この手で。


 ずん、と重い物が腹の奥に生まれる。

背を丸めれば腹から臓物が丸ごと零れそうな感覚で、だから反り上がりそうなほどに背を立たせる。

吸って吐く空気に質量があるかのように、呼吸が重い。

指先が震え、瞬きが増え、それでも、それでも。


「……ミーシャ、少しだけ、準備を手伝ってくれるかい?」

「……ユキさんが言うなら。まぁ、あまり無謀な事だと、メッ! しちゃいますよ?」

「大丈夫。勝算は、ある。汚れていい服装で……浴室に来てほしい」


 訝し気に頷きつつも、着替えのため部屋に戻るミーシャ。

僕は部屋に戻ると、さっそく服を脱ぐ。

ボタンを外してシャツを脱いで、ベルトを外してジーンズを下ろし、インナーシャツを抜いで、靴下も脱いで。

震える手で、金属製のファウルカップも、外す。

パンツ1枚になったまま、階段を降り、浴室へ。


 洗い場に立ったまま、手を差し出す。

青白い糸が、空中に現れた。

一次元の線と言うべきだったそれは縦横に次々と差し込まれてゆき、布と呼べる二次元の平面へと姿を変えてゆく。

ちょうどぐるりと一周した、立体的な筒ができたあたりで、ドアが開いた。


「ぁ……」


 地味な作業用のワンピースに着替えたミーシャが、小さく漏らした。

浴室で、入ってくる女性というシチュエーション。

フラッシュバック。

父さんも居らず、姉妹も居ない家で、一人浴室で体を洗う僕。

入ってくる川渡。

拒否する僕は、けれどある程度の位階を既に持っていた川渡には敵わず。

泣いている僕に、口付けが降ってきて。

腰を掴まれて。

川渡の口が開いて。


 瞬く。

上を向いて、深呼吸をし……、競り上がってきた吐き気を、やり過ごす。

股間が少し硬くなっている事に、更なる嫌悪と憎悪が湧いてくるが、暫く深呼吸を続けて、やり過ごした。

そんな僕に、首を傾げ、ミーシャ。


「随分とセクシー路線ですね?」

「……服が、ちょっと邪魔だったんだよ。……その、ありがと」


 呆れた風に言いつつも、僕はミーシャの天然な言葉に助けられていた。

頭を過っていた、今考えるべきではない過去を捨て去り、ミーシャを見つめる。

異性の半裸に羞恥を覚えているのか、珍しく顔を赤くしたミーシャに、罪悪感を覚えつつ次第を告げた。


「これからすることは……"観測者"が僕以外に居た方が、かなりリソースが節約できるはずだ。

 僕の切り札の応用利用なんだけど……、成功率は理論上では100%」

「実践ではどうでした?」

「原理上、試行ができないんだ。

 近い状況を再現した方法では成功率100%だったけど、本番と同じ方法は、一度しかできないはずだから」


 難しい顔をするミーシャに、微笑みながら、僕は作り上げた筒を自分の首に着けた。

筒を元に、器具が展開される。

青白い枠が前後に生まれ、後方には煌めく青白い光が溜まっていた。


「まず……必ず止めずに、結果が出るまで見守ると、約束してくれ。

 途中で止めるとむしろ危ないから」

「はい」

「……成功して終わると、僕は恐らくある程度汚れたうえで、意識を失う。

 ミーシャには意識を失った僕が倒れる所の保護と、汚れの清掃をお願いしたい。

 前回の近似した経験からすると、おそらく数分程度で意識は取り戻せると思う。

 けどあまり長く意識が戻らないようなら、刺激して起こしてくれ。

 ナギとの闘いに、間に合わないようでは困るからね」

「分かりました。

 ……中々、注文の多いユキさんですね。

 献身的に応えてくれるメイドに、ご褒美があっても良いのでは?」

「うん。本当に、感謝している。必ずお礼をするよ。」


 ミーシャは何をするとも言っていない、半裸の男性に浴室に呼ばれて、ここまで言う通りに指示を聞いてくれているのだ。

本気で感謝すべきだと思っているし、心の底からなんらかのお礼はしたい。

ミーシャの薄っすらだった頬の赤らみが、強くなっていく。

銀髪赤目のミーシャは肌の色素も薄く、赤面がとても分かりやすい。

だからか時折照れる姿はとても愛らしく、その姿にかつての僕は初恋をして……。

頭を振り、余計な情報を追い出す。

今は、集中しなければならない。


「では……始めるよ」


 目を、閉じる。

固有術式は、目覚めたときにその名前が理解できるものであって、誰かが名付けるものではない。

僕の"運命の糸"も、決して僕が名付けた訳ではなく、その目覚めとともにその名前を僕が理解できたということになる。

故に、ただの糸ではなく"運命の糸"という名であることには、明確に意味がある。

"運命の糸"の、隠された力は。

運命に、干渉する力である。


「運命、転変」


 ザザ、と。

閉じた視界が、それでもモノクロに切り替わるのを、直感する。


 ダン、と大きく重い物を打ち付けた音。

痛みと、喪失感。

同時に成功を確信しながら……僕は、意識を失った。




*




 大型商業ビルの屋上。

小春日和のその日、少し汗ばむぐらいの暖かな空気。

常ならば人込みでいっぱいだっただろう周囲に、しかし人気はない。

完全に避難が済んだその屋上に、とある10人が集まっていた。

10人の目前には、空中に浮いた2枚の水の鏡があり、直径2メートルほどのそれには拡大された映像が映りこんでいる。


「……現状、向こうが気づいている様子はありません。

 寄りのほうはその辺のガラスに張って隠ぺいしているとはいえ、"水繰り暗渠"の水鏡は見れば鏡と分かるものです。

 俯瞰の方も、なるべく遠く小さく作っていますが、その分脆い。

 上に適当に攻撃されれば余波で壊れかねない程度の強度です。

 片方向性なので向こうからこちらが見えるような事はありませんが……。

 気づかれて破壊されれば再生成が必要で、つまり途切れたり見失う可能性があります」


 淀水コトコは、告げながら2枚の水鏡に映りこんだ光景を見やる。

片方が俯瞰映像、もう片方が寄りの映像だ。

長谷部ナギ、今回の事件の首謀者は、12kmほど先の、公園の広場に居る。

先の惨劇を起こした公園からは既に移動しており、そこから西に向かって数kmほど先の、自然公園の広場に居た。

発見からここ10分程度は移動をしておらず、広場の中央でじっと立ち止まっている。


「助かる。……改めて、金級の君を呼び出して済まない。

 初撃で、東側に滞在していた遠隔探査系の固有持ちが殆ど亡くなったのが、痛かったな……」

「いえ、きちんと護衛も貰えているようなので。

 それに、流石にこれほどの事態です、できることがあればやらせてください」


 とは言え、とコトコはちらりと視線をやる。

コトコの護衛役として抜擢されたのは、忍者の福重だった。

常の相棒である城ケ峰ソウタが実力不足として連れてこられないのは分かるが、苦手な相手が護衛に付くことに、思う事がある。

先日、ユキオやソウタの事で文句を言ったばかりの相手であれば、尚更だ。

実力は申し分なく、忍者だけに移動速度も速いため、コトコを抱えて避難するのも容易いのだろうが。


「とは言え、映像まで入手できるのは大きい。

 ……もう一手、相手の情報を入手できたのだからな」


 と溜息をつく龍門。

その視線の先には、ナギの手元にある1本の刀があった。

"血吸い鎌切"。

先日ユキオが倒したという旧英雄の一人赤井の固有であり、彼が最後に自分の血を極限まで吸わせた刀。

――器物系の固有は、たまに持ち主が死んでも作成した器物が能力を維持できる場合がある。

例えば龍門の"勇者の聖剣"が維持できないパターンであり、"血吸い鎌切"が維持できるパターンだ。

そして"血吸い鎌切"をナギがどれほど扱えるかは分からないが、持ち主の血を最後に吸ったそれが、尋常のものとは思い難い。


「長谷部ナギが"血吸い鎌切"を入手したのは、おそらく斬首結界の発動後になるでしょうか」

「あぁ。よって"血吸い鎌切"により強化され位階90、ということはない。

 言わば素の力だけで位階90に相当していて、更に未知数な強化が含まれるということになる」


 コトコは、辺りを見回した。

10人の内約は、以下となる。

二階堂龍門、勇者。

二階堂ヒマリ、英雄級、位階77。二階堂ミドリ、英雄級、位階75。

福重国久、位階68。

護衛の近接系、位階65程度、2人。

後衛系、位階65程度、3人。

淀水コトコ、遠隔探査役、位階45。


「その……勝算はどのぐらい、あるのでしょうか?」


 コトコは、思わず不安が口に出てしまった。

仮に相手が近接系で、全員で囲んで棒で叩ける状況でも、龍門を除けば勝てるかどうか分からない状況。

その上で一方的な攻撃を可能とする即死の斬首結界を相手が張っている状況は、あまりにも勝ち目が薄すぎる。

同じく収拾されたのであろう残る5人も、同じように不安に思ってはいたのだろう、顔色は似たようなものだ。

龍門は目を閉じ、数瞬思案。

皆を見返り、告げる。


「ほぼ100%だ。テロの途中停止、長谷部ナギの殺害という1点においては、ほぼ間違いなく可能だ」


 思わず、コトコは息をのんだ。

途方もない……位階を測る事すら難しい威圧が、目の前の勇者から、ゆっくりと漏れ出していた。


「私の位階は、132だ。純粋な性能としては、むしろ現状、こちらが圧倒している」

「ひゃ……」


 勇者の位階が100を超えているということは、知っていた。

知っていたが、想像を数段超えていた。

眩暈を覚えるような数値に、思わずコトコの口から溜息が出る。


「なるほど……。彼女が聖剣の対象となり、位階132の全力を出せるということなんですね。

 であれば確かに、優位ではありますね」

「……いや、長谷部ナギは、未だ聖剣が本領を発揮する状態ではない。

 判定として"赤"のままで、"赤外"になっていないのだろう。

 そして私の位階は、いわば素の状態で132だ。

 聖剣が覚醒すれば、更に強くなるがな」

「アッ、ハイ……」


 コトコの位階は45、若手トップクラスの一人である。

が、どうも聖剣が力を発揮していない状態の龍門でさえ、位階132なのだという。

位階差は約90、2の9乗で性能差は500倍と言った所か。

当然聖剣が覚醒すれば、それ以上になるのだという。

思わず遠い目をしつつ、コトコは戦力比に関する思考を不安とともに放棄した。

流石に戦術でどうにかなる範囲を超えているし、制御や活用に関しても想像力の外側だ。


「初手は、狙撃から行く。

 一撃目はミドリ、追加で来てもらった君は、申し訳ないがあと詰めだ。

 位階差による出力差として飲んでくれ。

 効果をなさないようなら、死霊術師と魔物使いでの追撃となる。

 魔物使いの君は、確か、首のない生物も従えているのだな?」


 龍門の質問に、収集された魔物使いが頷く。


「は、はい。スライムを。現状感知される可能性を考え斬首結界内に入れずにいますが、その、この子は足が遅いので……」

「む、スライムか。流石に時間がかかるうえ、先に潜ませるとしても、結界に侵入感知機能がないと断ずるのは危険だな。

 ……比較的弱い魔物なら視線が合うだけで従わせる事ができると聞くが、君は可能か?」

「それは、可能ですけど……」

「淀水くん。水鏡は双方向性映像としてもう1枚以上出せるか?

 近くに動物園が2箇所あった筈だ。スライム展示があるか探して、遠隔支配、妨害役として出す形を考えている」

「は、はい。写真があれば近くの川やら展示のプールをもとに水鏡が作れるので、場所さえわかれば10分以内に行けます」

「よし、探してくれ。福重、情報収集による補助を。淀水くんは、作戦を聴き終えてからで構わない」


 頷き、福重がどこからかラップトップを取り出し調べ始めた。

コトコは視界の端でそれを追いつつ、龍門の言葉に集中する。


「さて、私だが能力の基本は近接戦闘に偏っている。

 しかし聖剣に力を籠め振るう事で、その軌跡に光を……まぁ要は、剣を振ってビームを出せる。

 とはいえ基本運用は有視界戦闘レベルで、今まで最大1km程度までの距離の相手にしか使ったことはない。

 おそらくフルパワーまで溜めれば、10kmは殺傷力を保持したまま届くだろうが……。

 それほど早い攻撃……ビームではないというのが1点。

 狙撃の訓練をしたことがない私が、10km先の人型に当てることができるか、というのが1点。

 一応他が失敗した場合、精度はともかく威力による影響を確認するため、縦の斬撃を放つことになる」


 最後の一言に、コトコは思わず眉を顰める。


「……その、横振りをしないのは、周囲の建物の被害を鑑みてですか?」

「いや、10km先まで届くような力で横切りをすると、おそらく避難地域外まで攻撃が届いてしまう。

 避難対象が半径20km程度だと、厳しいな」

「なる、ほど」


 スケールが違いすぎて、考えづらいな……。

コトコは思わず、頭を抱えた。


「無論、加えて儀式系の遠距離範囲攻撃も手としてはあるのだが……。

 アレは当然、すべて政府の管理下に置かれ、特に皇都の結界の中では許可がなければ発動すらできない。

 使い手の確保もそうだが、避難中の政治家たちが集まって議会で許可を出すまで……さて、どれぐらいかかるかは分からん。

 何時までかかるか分からん許可を待つ余裕は、我々には、ない」


 かつて四死天の"土と地震"が皇都に強襲した際は、単独で儀式級術式を発動し、首都直下型地震を3連発で行おうとしてきたと言う。

当時の結界では耐え切れず、妨害に失敗した1回は発動してしまい、多大な被害が出たのだとか。

それを教訓に作られたのが大規模術式を防止する皇都結界だが、今はそれが仇となっていた。


「全ての作戦が失敗に終わった場合……私が、切り札を切る。

 これの詳細を君たちに話すことは、残念ながらできない。

 ただ切り札を切れば、ほぼ確実に全員生きて帰ることができるだろう。

 可能な限り切りたくない切り札を、切らないために、戦ってもらう。

 それが君たちの役割と心得てほしい」

「……はい」


 その切り札とやらに興味は尽きないが、コトコは追及をせずに頷いた。

知るべきではない情報を知っても、危ない状況に置かれうるだけだ。

藪をつついて蛇を出すのは、コトコの趣味ではない。

コトコは、無神経に質問しそうなソウタが護衛から外されている事に心底安堵した。


 それから、準備が始まった。

動物園への水鏡設置は、福重の情報収集が手早かったため、5分程で終了。

魔物使いによる展示スライム支配はすぐに完了。

数が多かったのもあり、感知系を警戒し、スライム達の何割かは辺りにバラバラに進むように指示。

動物園のスタッフが死亡したため逃げ出したように、見せかける。

その上で、5体のスライムをナギの居る公園に潜ませ、妨害役として配置する。


 ミドリともう一人は愛用の武器に銃架と照準器を設置。

観測手と護衛の兼用で、ヒマリら護衛役がコトコと協力して距離や風を割り出す。

死霊術師は先んじて死霊との契約を終えており、いつでも顕現できる状態でナギの近辺に設置した。

前衛たちは、ナギの高速移動による斬首結界の高速移動を警戒し、避難時の役割分担を話し合った。


 やがて準備は完了し、作戦決行の時間が来る。


「ミドリ、初撃、装填準備完了」

「同じく、装填準備完了」

「……今のところ、向こうがこちらに気づいた様子は、ありません」


 ナギを観察しつつ、コトコが告げた。

頷き、龍門が告げる。


「……作戦、開始」

「了解。狙撃、開始します」


 一撃目は、ミドリの熱光線。

高熱の狙撃がナギの胸元に向けられるも、フワリと浮かぶような動作で回避。

遅れ二撃目は、収集された人員の鋼鉄の弾丸。

回避先に放たれた弾丸は、しかしまたもや浮かぶような独特の動作で回避される。


「……この動き、やっぱ矢避けの加護か?」


 コトコの独り言に、渋い顔をしつつ龍門が頷く。

矢避けの加護。

冒険者向けの防具やインナーに搭載できる強力な加護で、遠距離攻撃を自動回避可能という恐るべき性能を持つ。

ただし近接戦闘時、体が勝手に遠距離攻撃に対し防御ではなく回避を選択してしまうため、あまり近接戦闘向きではなく、使いどころの難しい加護だ。

視線を死霊術師と魔物使いへ。

頷き、二人が集中し始める。


 続く狙撃が自動回避されると同時、体勢の崩れたナギに、急激に現れた死霊が襲い掛かる。

半分実体のないそれは、半透明の青白い炎だった。

ナギを焼き尽くさんと迫るそれに、ナギは、冷静に手を胸に当てて見せた。

直後、白く輝く光。


「……クソ、祝福系術式か。練度は中々高いという程度だが……私の位階だと、位階差でほぼ通用しない。

 周囲に潜ませていた死霊も、同時にやられました」

「ああ、スライムちゃんがあっさりと潰された……。

 祝福術式、範囲も結構強いですね。余波だけで全滅です……」


 コトコは、幸先の悪い情報に眉をひそめた。

長谷部ナギの能力は、隙が無い。

固有術式は非常に強力で、範囲内に首のある生物が侵入する事すら難しいため、近接戦闘がほぼ発生しない。

遠距離狙撃に対応するため矢避けの加護を装備しており、そもそも近接戦闘が発生しないことでデメリットを踏み倒し。

固有術式の対象外である死霊は、祝福系一般術式の練度ですり潰している。

その祝福系一般術式も、スライムを殺せた事から分かるように、ある程度物理的な殺傷力を持つタイプを選択していた。


 恐らくマトモに戦う事が可能なのは、一部の首のない強力な魔物や、先日の"千草の剣士"のような植物を操る固有持ち。

首のない魔物でかつ強力なものはほぼすべてが人類に強烈に敵対的で、魔物使いによる使役も難しく、町の近場で遭遇するような事はない。

植物を操るような固有持ちも、10km以上の距離から戦えるものは、人類すべてを見渡しても片手の指で足りるだろう。

強いて言えば圧倒的な出力の広範囲殲滅型には弱いが、それはほぼ全人類共通だ。

その上、位階90というのは、かつての勇者パーティーを除けば人類最強格である。


「さて……次は、私が撃つ。光量に注意しろ」


 告げ、勇者が聖剣を大上段に構えた。

黒スーツが、薄っすら青みのある光に照らされる。

聖剣が、光そのものと見えるほどに、輝きを増した。

事前の注意通り、全員が目を瞑る。


「最大出力だ……行くぞ!」


 叫ぶとともに、勇者の聖剣が振るわれた。

刹那遅れ、切っ先が描いた軌道に、光の断層が生じる。

光が、全てを切り裂きながら走った。

凄まじい光量と、地面が破砕される轟音とが、続く。

無限に続くかと思われた光と音の連鎖は、数秒程で収まった。

恐る恐る、コトコが目を開けた。


「う、わ……」


 公園までの、約12km。

間の建物が、全て焼き切れていた。

地面には幅十メートル近い轍があり、それが視界の限界まで続いている。

慌て水鏡を見ると、ナギは涼しい顔で聖剣の光線の轍を眺めていた。


「……これ、自動回避、ですかね?」

「いや、外れたな。目算で10mぐらいか。恥ずかしい話だが、やはり専門の訓練なしで、この距離で当てるのは厳しいな。

 そしてあの感じだと、自動回避の対象になったことを、肌で理解していそうに見える。

 そもそも溜めがあるから、連発も難しい。

 結界の外からかなりの威力を叩きこんだが、やはり結界の形成に影響はないようだ」


 気落ちした様子で言ってから、龍門が福重に視線をやる。

いつの間にか携帯端末を耳にしていた福重だが、首を横に振りながら端末の通信を切った。


「連絡は尽きません。儀式術式の許可は、得られる目途がつかないかと」

「そうか。であれば……致し方なし、か」


 と、龍門が告げた直後。

水鏡越しの映像で、ナギが懐から、何かを取り出した。

へぇ、と口を動かし、画面に指で触れ始める。


「あれは……携帯端末? 誰かと連絡を取っているのか?」

「……流石に角度の関係で、端末の画面は見えませんね。

 肩から覗き込むような視点なら……いや厳しいな、それに水鏡での監視が確実にバレます」

「……少し様子を見るか? いや、周囲の状況を確認すべきか。我々へ増援が送られてくる可能性がある」


 頷き、一度コトコ以外の遠距離メンバーは近場の索敵に意識を。

近接系の護衛は、周囲からの襲撃を警戒し、ガードを厚くする。

映像内のナギは既に携帯端末を仕舞っており、空を見上げたままじっとしていた。

そのまま、数分ほど状況が動かずに、警戒と探知に時間が使われる。

暫くしてから、俯瞰と寄りの映像両方を確認していたコトコが、あっ、と声を漏らした。


「俯瞰の方……ん、あれ誰だ?

 誰か近づいている……拡大します!」


 俯瞰の水鏡が拡大、小さく映っていた影が、拡大される。

青白いハンドグライダーのようなものが、結界の範囲外から入り込んだ。

それはそのままかなりの速度で突き進み、新しいアングルの水鏡設置が間に合わないうちに、ナギの居る広場に辿り着いた。

青白いそれがほどけ、中に居た人物が、その姿を現す。

灰色の髪。

中肉でやや背は低く、ミリタリージャケットにジーンズという目新しくもない姿。

この場に居る過半の人間が見慣れた、少年。


「……ユキオ?」


 勇者の、動揺の入り混じった声が、静かに響いた。




*




 編み込んだハンドグライダーを解き、地面に降り立つ。

遠くから聖剣の光を見たときには驚いたが、どうにか間に合ったらしい。

思わず、溜息。

思っていたより寝坊助だった自分への呆れと、間に合った事への安堵とが入り混じる。


 少し、日差しが強かった。

近づく夏の予感を感じさせる、煌めく陽光が、じんわりと肌に汗を浮かばせる。

石造りの地面ながら、土と緑の匂いが主体で、ここが自然公園の広場なのだと実感させる。

そしてまた、どこか遠くから薄っすらと漂う血と脂の凄惨な匂いが、ここがある種の地獄なのだとも示していた。


 ナギは、僕をどこか眩しそうな目で見ていた。

今日のナギは、白いブラウスに黒のショートパンツ、帽子は被っておらず、何時もの入れ込んだ髪型をしている。

ギブソンタックと言うらしいが、なるほど、うなじを、そして首を露わにするその髪型は、斬首を待ち受けようとする姿にも見えた。


「来ちゃったんだね。何をしに、来たんだい?」

「君を、止めに」

「……嘘つき。……じゃあ逆に、君を誘おうか」


 僕は、静かに目を細める。

ナギは、半歩踏み出しそっと手を差し出した。

まるで、パートナーを舞踏会でダンスに誘おうとでもいう、所作。


「一緒に勇者を殺そうよ」

「なに、を?」


 予想だにしない言葉に固まる僕に、ナギは微笑んで見せた。

影の一切ない、美しい、満面の笑みだった。


「だって、ユキオ、キミは家族を殺したかったんだろう?」

「ボクは……殺したかった」

「お父さんとお母さんと助けられなかったパパを。私のために理想を捨ててくれなかったパパを。私を捨てて、理想の後処理に身を投げたパパを」

「踏み入らせてくれなかったおじさんを。殺しの技しか教えてくれなかったおじさんを。私に、死ぬ道を残したおじさんを」


 奇妙な圧力のある言葉だった。

言葉を発しているナギは、僕より少し背が低く、女性の平均身長より少し高いかもという程度。

声量も普通で、少しハスキーな声で色っぽいところがあると思うが、その程度の範疇だ。

けれどまるで、巨人に上から言い含められているかのようにすら感じる、腹の底に響く声だった。


「ユキオは、お父さんに殺されたでしょう? 言葉でだけ平等に見ている感を出して。放置されて、家政婦に……ひどい目に遭わされて。それでちゃんと見てあげよう、一緒に居てあげようじゃなくて、悪を見つけてやるとか頓珍漢な事言い出して……、運命を、人生を、壊されて殺された」

「お姉さんに殺されたでしょう? 栄誉を全部先取りされて。なのに辛そうな顔されて、本当に辛いのはユキオなのに、お姉さんを慰めつづけなければいけなかった。お姉さんを甘えさせ続けなければいけなかった。逆であって然るべきなのに、絞られ、消費され、殺された」

「妹さんに殺されたでしょう? 年下なのに天才で、まだ幼いという逃げ道さえ閉ざされて、全部、全部。本物の才能が、蟻を踏む象みたいにユキオを踏みつぶして。自分が猫だと思い込んだ虎が、主人を気づかずに踏みつぶして。グチャグチャになった死体に甘え続けて。殺され続けた」

「殺され続けたユキオが、殺し返そうとしても、大丈夫。誰が許さなくても、社会が許さなくても、運命が許さなくても、ボクが……許す」


 気づけばナギの目は、潤み始めていた。

ポツリポツリと、地面に涙が零れ落ちる。

僕はけれど、そんな彼女を慰めるでもなく、ただただ言葉に抉られた自分の傷を抑えるので、精いっぱいだった。


「……違う。そんなことは、ない。

 僕は家族が大好きで、憎んでなんて、いない」

「……嘘つき」


 ナギが、泣き笑いを作った。

グシャグシャの、崩れ落ちてしまいそうな笑みだった。


「ユキオは……ボクと、同じ人間なんだ。ボクは、キミは、知っている、知っているんだよ。

 それでも認められないのならば……こういう言い方は、どうかな?」


 ナギは、手に持った刀を掲げた。

一瞬蠢いたかと思うと、むくむくと刀の内側から、赤いものがあふれ始めた。

それは、人肉だった。

赤黒い肉が固まりとなり、間に走った血管が、ドクドクと脈打つ。

刀としての機能を邪魔するだけのそれは、しかしなぜか、見ていると違和感なくその刀に馴染み深く感じられてしまう。

違和感がないことが、違和感。


「まるで、臓物の剣……」

「"血吸い鎌切"の、今の姿だよ」


 僕は、声を失った。

頭の中が、グチャグチャにかき混ぜられたかのような感覚。

倒れそうになるのを、半歩下がり、回避する。


「ユキオは……おじさんを、赤井おじさんを、殺したよね」


 可能性として考えては、いた。

ナギが"自由の剣"の関係者だったということは、幹部である赤井と面識がある可能性は。

しかしそれが現実になると、改めて打ちのめされた心地だ。

深呼吸をし……粘つき血と脂の匂いの濃くなった空気を、それでも飲み込む。

頷く。

赤井は厳密には自殺したが、追い詰めたのが僕であることは、間違いない。


「パパを……星衛健一を捕まえたのは、パパの実質の自殺幇助をしたのは、ユキオ達だよね?」


 頷くしか、ない。


「だから今度はボクが、ユキオの家族を殺すから……手伝って」


 グチャグチャの顔で、ナギは、今一度僕に手を差し出した。

息をのみ、僕は震えた。


「ボクが愛している、憎んでいる、その人たちを、ユキオが殺したんだから。

 ユキオが愛している、憎んでいる、その人たちを……ボクが殺す。

 情けない話だけど、ボクには力が足りないから……手伝って」


 ちょうど、陽光の煌めきが、増した。

頭の中の冷静な部分が辺りの構造を割り出す。

太陽の角度が変わり、近くのガラス張りのビルから反射する陽光の量が変わっただけなのだと、理性が理解する。

けれど目の前で見る、陽光に照らされ輝くナギは……あまりにも美しく、理屈ではない、正しさや説得力に満ち果てた存在と化していた。


「正しいんだよ」

「ユキオは殺されて、殺されて、殺され続けたから、殺し返していいんだよ」

「ボクは家族を殺されたから、ボクが家族を殺し返す。キミは僕と一心同体なんだから、手伝っても、おかしくないんだよ」

「それを……絶対に正しいものが、保証している」

「聖剣が、保証している」

「キミのお父さんが縋った、人類の存続を担う聖剣が……キミが、人類の敵となるのが運命だと。

 キミのお父さんと敵対するのが運命なのだと、ここでお父さんを殺そうとすることこそが正しいんだと、保証しているんだよ」


 聖剣レプリカによる人類貢献度判定"赤"。

魔族の1歩手前。

人類の存続に仇成す事が、勇者に、聖剣に、保障された存在。


「ユキオは、不自然なぐらい……家族が嫌いとか、そういう言い方は、絶対にしていない」

「嫌がっていいんだ。怒っていいんだ。恨んでいいんだ。憎んでいいんだ」

「そんな風に思うことは……罪じゃあないんだよ」

「それを罪だと思わせるモノがあるなら」

「それが人だろうと社会だろうと運命だろうと、何だろうと。間違っている」

「だから、一緒に……殺そう」


 涙を流し、顔を崩しながら手を差し出すナギは、光に照らされていた。

輝く陽光が、辺りに反射しながらナギを照らす光景は、まるで舞台の上でスポットライトに当たっているかのよう。

言葉は流暢とは言えず、所々つっかえながら、それでも異様なほどの説得力があった。

理屈ではない。

込められた熱量が、僕の心を掴もうとしていた。


 ナギが、正しい。

僕は、そう確信した。


 僕は、自分の醜さを直視しないようにし続けていたのだ。

本当はきっと、家族に、愛情だけではなく憎しみも抱き続けてきたのだ。

自分を欺瞞に満たし誤魔化し続けていたから、実感は今でもないのだけれど。

それでも僕よりナギの言葉の方が正しいのだと、信じた。

ここでナギの手を取り共に歩むことが正しいのだと、心の底から確信した。


 それを、聖剣が保証していた。

人類を導く、絶対の正しさが、保証していた。

父さんが保証していた。

家族が保証していた。

僕の愛するものたちが、保証していた。


 それでも。

僕は。

きっと間違いだと知る、その道を選ぶ。


「……ごめんね」

「僕は、君の手を取ることは……できない」

「君が正しくて、僕が間違っているんだと、しても」

「どんなに寂しくても"ここ"を守るために……」


 目を閉じ、息を大きく吸う。

大きく吐き、目を、開く。

涙を流すナギを、見つめる。


「僕が……君を、殺すよ」


 僕は、掌を宙に差し出した。

青白く光る"運命の糸"が、出現する。

それは瞬く間に編み込まれてゆき、剣の形を作る。

いつも意図して、少し曖昧にしていたディテールを、詳細にして。


 全長、1メートル程度。

両刃の刀身は厚みがあり、常に薄っすらと濡れたような輝きに満ちている。

鍔は気持ち広く豪奢で独特の装飾が刻まれており、柄頭は大きく重く、重心を手前に持ってきている。

それは、誰もが見た事のある剣の形だった。

誰もが仰いだことのある、象徴だった。

誰もが自らの運命を委ね、判定された相手だった。


 勇者の聖剣。

それを模した形が、今僕の手の中にある。

まるで、勇者当人が使った時の輝きのように、青白く光るそれを。


 国内で聖剣レプリカと呼ばれているそれは、実のところオリジナルと全く同一のものだ。

父さんの"勇者の聖剣"は生成時のアレンジを許さず、数を作る事はできるが、全く同じ剣を量産することしかできない。

"勇者の聖剣"は勇者にしか扱えず、勇者当人が使うときのみ、薄っすらと青味が混じった白い輝きを見せるのだ。


 だからこれが本物の、聖剣のニセモノ。

正しさを詐称し、保証された正しさに歯向かうために作られた剣。

僕を含めた人類全てが信じる正しさから目を背け、"運命の糸"で編まれた。

僕の、僕だけの、たった一人のための聖剣。


 ああ、とナギは小さくつぶやいた。

糸聖剣を構える僕を見つめるその目から、改めて大粒の涙がこぼれる。

僕が踏み込むと同時、口を開いた。


「ユキオの、ばぁか」


 ナギが、そっと自らの首をなぞった。

す、と視界がずれた。

自分の首が落ちているのだと自覚しながら、僕は万力を込めて剣を振るう。

目を見開くナギを、そのまま袈裟に切り裂いた。

動揺しながらナギは、後方に跳躍して距離を取り、目を見開き僕を凝視する。


 ひょい、と僕は左手を動かし、糸を操作。

自らの首を、跳ねるように飛び上がらせ、首元に戻す。

そのまま糸を仮縫いして、元通りだ。


「ナギ。君の力は、ほぼあらゆる生物に対し特攻といって良い力を持つ。

 君自身の鍛えた力でほとんどの不死者を受け付けず、装備で射程外からの遠距離攻撃を無効化。

 故に君は、ほとんどの存在に対し、圧倒的優位に振舞えるわけだが……」


 思い出す。

自宅の浴室、自分の首に運命の糸で編んだギロチンを嵌め、自らの首を落とした事を。

首が落ちる瞬間に編み込んだ運命の糸で全ての血管や神経にバイパスを作り、首が落ちたまま生きて戦えるよう、自身を改造した事を。

本来ならば成功する可能性が那由他の先にしかなかったそれを、僕は成功させた。

"運命転変"。

失敗の運命を改変し、成功の運命に操作した、"運命の糸"を操る奥義によって。


「生きたまま、予め自分の首を落としてきた僕だけが、君に勝てる」



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