ああ……婚約破棄なんて計画するんじゃなかった

「シンシア・バートン。今日この場を借りてお前に告げる。お前との婚約は破棄だ。もちろん異論は認めない。お前はそれほどの重罪を犯したのだから」


 シンシア・バートンこと私は、勢いよく人差し指を突きつけてきた伯爵子息のアール・ホリックを見つめ返した。


 私は周囲の人間から見えないように嘆息する。


 現在の時刻は夜。


 ここはホリック家内の大広間であり、大勢の貴族たちを招いての晩餐会の最中だった。


 そして私とアールの2人は大広間の中央にいる。


 アールに大広間の中央まで来るように言われたからだ。


 だが、まさか公衆の面前で婚約を破棄されるとは思わなかった。


「ちなみに私と婚約破棄をする、その重罪とやらを教えていただきませんか? まさか、私の家柄との差が嫌になったとかいう理由ではありませんよね? ここにお集りのお歴々の中には知らない方も多いと思いますが、私との婚約を望んだのはアールさまのほうですよ」


 私の家は爵位の1番低い男爵家だ。


 一方でアールの家柄は貴族階級では上から3番目の伯爵家。


 傍から見たら釣り合う家柄同士ではない。


 それでも私とアールが婚約に至ったのは、アールが病的までに求婚を申し出てきたからだ。


 私に直接ではなく、バートン男爵家の当主――つまり、私の父上にだ。


 そのことを1週間前に唐突に父上から告げられた私は、嬉しさではなくダークブラウンの髪が風もないのに揺れ動くほどの怒りが湧いた。


 あのときのことは今でも思い出せる。


 私は父上に猛抗議した。


「お父さま、私はアールさまと婚約など致しません。第一、よく考えてください。私はアールさまとほとんど接点はありません。それこそ王立学院内の武術大会で剣術の手合わせをしたぐらいです。それなのに、いきなり私と婚約したいなどというのはおかしすぎます」


「ならん。これは当主である私が決めたことだ。それにこんな良い縁談などない。お前は可愛らしい妹のソフィアと違い、日頃から武術の鍛錬にうつつを抜かす淑女とは思えない野蛮な娘に育った。ならば普通の貴族との縁談など到底考えられない。学院を卒業するまでは面倒を見るが、そのあとは知り合いの豪商に嫁がせる」


 私が呆然とする中、父上はまくし立てるように言った。


「ちょうど私の知り合いの豪商に嫁を探している男がいる。年齢は40を超えて離婚歴はあるが、お前のような野蛮でがさつな娘でも後妻として引き取ってくれると言ってくれた。どうする? 同じ17歳のアールさまの伯爵家に嫁ぐか、40を超えた私よりも年上の男の元に嫁ぐか。どちらがいいかお前が決めろ」


 そのとき、私の心は急激に冷めていった。


「わかりました。たった今決めました。


 などと1週間前の記憶を思い出していると、数メートル前から「おい!」という怒声が聞こえた。


「お前、何をぼうっとしている! 俺の話をちゃんと聞いていたのか!」


「……すみません、どこまで話されたのですか?」


 私が落ち着き払った声で訊きなおすと、アールは無視されていたことに腹立ったのか顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。


「だからお前との婚約破棄に至った理由だ! お前は伯爵子息の俺と婚約関係にありながら、別の男と浮気をしていた! これは死に値する重罪だ!」


「どういうことですか?」


「どうもこうもない。それをこの俺に教えてくれた女性がいたんだ」


 アールがそう言うと、私たちの元に1人の女性が歩み寄ってきた。


 私は特に表情も変えず、大広間の中央に近づいて来る女性を見つめた。


 ソフィア・バートン。


 紛れもない私よりも1つ下の実妹である。


 アールはおもむろにソフィアの肩を抱いた。


「この彼女の名前はソフィア・バートン。俺に実の姉の不貞を教えてくれた勇気ある女性だ」


「まったく、お姉さまには見損ないました。まさか婚約中に他の男と不貞を働くなんて」


 そう言ったソフィアは悲しそうな顔で首を左右に振る。


 うなじの辺りまでしか髪を伸ばしていない私と違い、貴族令嬢の見本のようなソフィアの髪は背中まで伸ばされて綺麗にすいてある。


「私が別の男と不貞を働いた……その確固たる証拠はあるのですか?」


 私がたずねると、アールは「もちろんだ」と叫ぶように答えた。


「おい、ここへ証人を連れて来い!」


 アールが出入り口の扉に向かって叫ぶと、衛士の1人が大広間の中央に誰かを連れてきた。


 どこからどう見ても平民の中年男だった。


 あまり稼ぎがないのだろう。


 ボロボロな衣服を着ていて、とても清潔な感じには見えない。


「おい、お前はこの女が俺とは違う男と密会しているところを見たんだろう?」


 はい、と中年男は答えた。


「間違いありやせん。あっしはこの目でそこの令嬢の方が、王都の通りの裏で男と口づけしているところを確かに見やした。4日前のことですかね。男のほうはフードを被っていたので顔は見ていやせんが、身長や体格からここにおられる伯爵の子息さまとは別人だったのはわかります」


 うん、とアールは満足気にうなずいた。


「それで、そのあとお前はどうした?」


「へい、あっしは大通りで似顔絵描きをしている者です。それで、その令嬢の方の似顔絵を描き、色んな人間に聞き込みをした結果、男爵家のシンシア・バートン嬢だと判明しました」


「ほう、それで?」


「もちろん、すぐにバートン男爵家へと向かいました。最初は門番たちに邪険にされましたが、すぐにそこへソフィア嬢が現われて話を聞いてくれたのです」


「間違いないな、ソフィア」


 アールが中年男からソフィアへと視線を移す。


 ソフィアは「すべて合っています」と胸を張って言った。


「ここにお集りの皆さま方、確かにお聞きになられたでしょう。ここにいるシンシア・バートンは、私が求婚して婚約したにもかかわらず、別の男と街中で不貞を働いた。こんな許しがたいことはない。もはやシンシア・バートンは貴族令嬢の風上に置けぬ罪人になったことは明白」


 ですから、とアールは恍惚な表情で言葉を続けた。


「俺はシンシア・バートンと婚約を破棄するに至ったのです。そして俺は平民の言葉を聞き入れ、実の姉の不貞を俺に報告するという行動をしてくれたソフィア・バートンの勇気ある行動に感銘を受け、俺はソフィア・バートンとあらためて婚約することをここに宣言します」


 大広間内のざわつきが一気に増した。


 それはそうだろう。


 私とアールとの婚約記念パーティーに呼ばれたのに、宴もたけなわな頃になって私との婚約を破棄する発表に続き、いきなり現れた私の妹との婚約を発表するなど異例だ。


 事実、他の貴族たちは何が起こっているかわからず困惑している。


 しかし、この場で困惑していない人間が3人だけいる。


 その内の2人は薄笑いを浮かべているアールとソフィアだ。


 理由はわかっている。


 これがアールとソフィアが仕組んだことということが。


 なぜならアールが真に結婚したかったのは私ではなく、私の妹であるソフィアのほうだったからだろう。


 しかし、この国の貴族社会には病気や罪人になったなどよほどの理由がない限り、上の兄妹より下の兄妹が先に結婚してはいけないという兄妹不敬罪という特殊な罪が存在する。


 これを破れば当人たちには重い処罰が科せられることになる。


 今回のケースに当てはめるなら、私が誰かと結婚ないしは婚約しないとアールとソフィアは結婚できないということになるのだ。


 だから2人はこんなまどろっこしい計画を立てたのだろう。


 自分で言うのもあれだが、私は同年代の貴族令嬢たちよりも体格がよい。


 ドレスがパンパンになるほどの筋肉の持ち主ではないが、幼少の頃から淑女の礼儀作法よりも貴族の子息たちが最低限身につける武術のほうに関心があった。


 そのため、私はバートン家の護衛騎士たちに剣術や体術を習い、日頃からその武術を朝と夕方に欠かさず稽古していた。


 それは王立学院でも変わらず、私は授業の合間に暇を見つけては学舎の人気のないところで武術の鍛錬を密かに行っていた。


 やがてその成果を周囲に知らしめることが起こった。


 王立学院内で定期的に開かれる、木剣を使った武術大会である。


 これまで武術大会は男性のみが参加するものだったが、昨今、この国では男女平等の兆しが広まっている。


 そんな世論の風潮も相まって、武術大会に女性も参加できるようにしようという意見も出ていた。


 だが、その程度では男女混合の武術大会など開かれない。


 しかし、今年になってから王立学院の武術大会に女性の参加が認められた。


 その男女混合の武術大会を開く後押しをしたのは、とある変わり者の公爵家の人間の口添えがあったからだ。


 それに応じて開催された男女混合の武術大会だったが、そもそも日頃からお茶会をして愚痴をこぼすことを生きがいとしている貴族の令嬢たちがそんな野蛮なことに参加するはずがない。


 だが、私は満を持してその武術大会に参加した。


 理由はある人と約束したからだ。


 その武術大会で私が優勝した暁には……。


「おい、シンシア・バートン!」


 私はハッとする。


 顔を上げると、私の視界に顔を真っ赤にして両頬を膨らませていたアールの姿が飛び込んできた。


「お前、またしても俺の話を聞いていなかったな! 一体、どれだけ俺を馬鹿にすれば気が済むんだ! 僕は由緒正しき、文武両道に長けたホリック伯爵家の長男なんだぞ!」


 アールは特に「文武両道」という言葉を強調して怒鳴った。


「アールさま、まだ2週間前の武術大会のことを気にしておられるのですか?」


 私の言葉にアールの表情が一変した。


 今にも飛び掛かってきそうなほどの怒りの表情を浮かべたのだ。


 今から2週間前、私は王立学院内で開かれた武術大会で優勝した。


 準決勝で当たったアールに圧倒的な力を見せつけてである。


 もしかしたらアールが妹のソフィアとの婚約に至ったのは、妹への愛以上に私への憎しみがあったからではないだろうか。


 文武両道に長けたホリック伯爵家の長男が、男爵家の女に公衆の面前で武術の試合で敗北した。


 ブライドが人一倍高いと噂されていたアールにしてみれば、それこそ自殺したいほど悔しかったに違いない。


 ただ病的なほどプライドの高かったアールは、そこで今回の計画を思いついたのだろう。


 私に婚約の最中に不貞を働いたという罪を着せるため、私と婚約している最中に平民を使って不貞の証拠として証人を用意する。

 

 同時にソフィアとも口裏を合わせて私を罠にはめる準備もする。


 ソフィアにしてみれば、これは渡りに船だったはずだ。


 私は貴族社会の中では変わり者の令嬢で通っている。

 

 日頃から貴族令嬢たちのお茶会や夕食会には一切参加せず、武術の稽古に明け暮れていた。


 周囲から密かに病気などと言われていることは自分自身も知っている。


 けれど、これは病気というよりも性格なのだから仕方ない。


 それにこんな変わり者は周囲を探せば1人や2人は必ずいる。


 それでもソフィアはそんな変わり者の私に苛立っていたはずだ。


 なぜなら、こんな変わり者の武術馬鹿の私は結婚できないと散々陰口を叩かれていたからだ。


 そしてこの国の貴族社会では、上の兄妹が結婚しない限り下の兄妹は結婚できない。


 もしも上の兄妹が婚約している最中でもない限り、下の兄妹が誰かと婚約してしまったら当人たちには重罰が処される。


 ソフィアにしてみれば、姉の私が誰かと結婚しない限りは自分は結婚できない。


 しかし、いつからかは知らないが、ソフィアはアールと恋仲になっていた。


 さて、ここでアールとソフィアの立場になって考えてみるとする。


 自分たちの恋仲を成就させるためにどんな考えに至るか。


 非常に簡単なことだ。


 ①アールは私ではなく父上に話を持って行って私と偽りの婚約を果たす。


 ②私と強引な婚約をしている最中に、平民を使って私の不貞の話を作り上げる。


 ③貴族たちの集まる晩餐会を開き、公衆の面前で私の不貞を明らかにする。


 ④自分たちの行いが正しいことを周囲に知らしめて私との婚約を破棄する。


 ⑤その婚約破棄に至った過程で私が罪人であることも強調し、どさくさに紛れて以前から恋仲だったソフィアとの婚約を宣言する。


 ⑥この国の貴族社会には病気やなどよほどの理由がない限り、上の兄妹より下の兄妹が先に結婚してはいけないという法律が存在するので、アールとソフィアが婚約しても問題はなし。


 という一連の流れを私が思い浮かべたときだ。


「罪人の女のくせに何を生意気な口を……あの武術大会のときは俺の体調はいつもより悪かったんだ。頭痛や吐き気もあったし、手足の震えもあった。それでも準決勝まで勝ち進み、決勝戦で体調の悪さが最悪になった。そのせいでお前に負けたんだ。そうでなければ俺が女に負けるはずがない」


 全身をわなわなと震わせているアール。


 その横で「してやったり」という顔をしているソフィア。


 一方の私は平然さを崩さない。


 この2人は何も気づいていないのだろうか。


 普通に考えて公衆の面前で婚約破棄をされたら、された側の女性は驚くか悲しむかどちらかの言動を取るだろう。


 だが、今の私の態度にはさざ波程度の動揺もない。


 それをこの2人はまるいぶかしんでいない。


 考えが圧倒的に足りないのだ。


 私ことシンシア・バートンが公衆の面前で婚約破棄され、謂れのない罪を主張され、元婚約者を妹のソフィアに奪われた立場にあるのに、


 そしてすべてが明らかになったとき、自分たちが口にしたことが呪い返しのように自分たちに跳ね返ってくることなども想像していない。


「哀れね」


 と、私がぼそりとつぶやいた直後である。


 大広間の出入り口の扉が勢いよく開き、大勢の兵士を引き連れて1人の男性が現れた。


「全員その場から動くな!」


 凛然とした声を放った男性は、年頃の娘なら1発で恋の矢でハートを撃ち抜かれるほどの超絶なイケメンだった。


 180センチを超える長身。


 金糸と見間違うほどの流麗な金髪。


 端正な顔立ち。


 日頃から鍛えていない細身の体型。


「あ、あなたは……」


 アールとソフィアはその男性を見て驚きの声を上げた。


 そのイケメンの名前はアストラル・ヘルシング。


 この国の王族とも懇意なヘルシング公爵家のご子息だ。


 そしてヘルシング公爵家は、法律を取り仕切ることも王家に任されている。


 そんなアストラルは全員を見回すと、その場に立ち尽くしているアールとソフィアを睨みつけた。


「ホリック家伯爵家の長男、アール・ホリック。バートン男爵家の次女、ソフィア・バートン。両名を兄妹不敬罪により逮捕する。そしてその2人に協力した者も幇助犯ほうじょはんとして逮捕する」


 アストラルがそう言うと、兵士たちはあらかじめ打ち合わせしていたような迅速な動きでアールとソフィア、そして平民の中年男を逮捕した。


 素早く3人の背後に回り、両手を後ろ手にしてロープで拘束したのである。


「一体、これはどういうことですか! なぜ、ここにヘルシング公爵家の長男であるあなたがいるのです!」とアール。


「ちょっと何なのよ! 何でわたしが逮捕されるわけ? こんなこと聞いてないわよ」とソフィア。


「待ってくだせえ、俺は本当にこの目で見たんです! 嘘じゃありません!」


 わめきまくる3人に対して、アストラルは淡々と罪状を述べた。


「たった今、申し上げた通りだ。アール・ホリックとソフィア・バートンは貴族なので兄妹不敬罪が適用される。そしてそこの平民の男には幇助罪が適用される。言い逃れはやめろ」


 そんな馬鹿な、と異議を申し立てたのはアールだ。


「もっとよく調べてくれ。俺とソフィアが兄妹不敬罪に該当するはずがない。なぜなら、そこにいるシンシアこそ俺との婚約中に不貞を働いた犯罪者だからだ。兄妹不敬罪において病気や罪人になったなどよほどの理由がない限り、上の兄妹より下の兄妹が先に結婚してはいけないとある。だとしたら俺が宣言したシンシアとの婚約破棄は有効だったはず。重罪人となったシンシアが結婚できない立場になった以上、俺とソフィアが婚約しても何ら問題はない」


「そ、そうですよ。アールさまの言う通りです。お姉さまが犯罪者な以上、私とアールさまは兄妹不敬罪になるはずがありません」


 確かに、とアストラルは神妙にうなずいた。


「ここいるシンシア・バートンが本当に犯罪者ならば、だ」


 アストラルは兵士の1人にあごをしゃくって見せた。


 誰かをここに連れて来い、という合図なのだろう。


 兵士の1人は黙ってアストラルの暗黙の命令に従った。


 急いで誰かをこの場に連れて来る。


 連れて来られたのは、年端もいかない平民の少女だった。


 10歳ぐらいだろうか。


 貴族の集まりの場に連れて来られたせいか、誰の目にも明らかなほど挙動不審になっている。


「アストラル、この子は?」


 私が落ち着いた声で訊くと、アストラルも冷静な態度で「この子は君の無実を証言してくれる子だ」と答えた。


 続いてアストラルは芝居がかった態度で貴族たちを見回す。


「そこにいる平民の男は、王都の大通りの裏で婚約中でありながらシンシア嬢が身元不明な男と不貞を働いていたと証言した。しかし、それは真っ赤な嘘だ。それはこの子が証言してくれる」


 アストラルはオドオドしていた少女に優しくたずねた。


「すまない。もう一度、ここにいる全員にわかるように説明してくれないか?」


「は、はい……わかりました」


 少女は自分の名前をアーニャと名乗ると、ゆっくりと話し始めた。


 アーニャが口にしたことは、大通りの裏で似顔絵描きの男に金を渡しているアールの姿だったという。


「ば、馬鹿な! 知らない! そんなことはデタラメだ!」


 アールは空気が震えるほど怒声を上げたが、アーニャはアストラルが後ろ盾になっていることを理解しているのだろう。


 アールのことなど無視して貴族たちに詳細を語った。


 フード付きだったが平民の男に金を渡していたのは、間違いなくこの場にいるアール・ホリック本人で間違いないと。


 その直後、アーニャは泣き出してしまった。


 アストラルにお願いされたから話しただけで、そうでなかったらこの場に来て証言などしなかったと。


 理由はこの場にいる貴族なら一瞬で理解できた。


 何の後ろ盾もなく平民の、しかも年端もいかない少女の証言など伯爵家のアールが知ったら簡単に握り潰すことができる。


 それこそアーニャの命ごと簡単に。


 アーニャの泣き声だけが響く大広間の中、血の気が完全に引いて青ざめた表情をしている人間が3人いた。


 アール、ソフィア、似顔絵描きの中年男の3人である。


 なぜ血の気が引いているのか私は手に取るようにわかった。


 アールとソフィアは自分たちの婚約を成立させるため、私との偽りの婚約をしたばかりか、それを平民の男を使って不貞の罪を着せようとした。


 その悪事をバラされてしまったので青ざめているのだ。


 この罪は非常に重い。


 懲役数十年、下手をすれば処刑もあり得る。


 やがてアストラルはアーニャの肩に優しく手を置いた。


「怖かっただろう。もう大丈夫だ。よく勇気を振り絞って証言してくれた」


 その言葉にアーニャの泣き声はピタリと止んだ。


 直後、アストラルは兵士たちに語気を強めて命じた。


「そこの3人を連れて行け!」


 兵士たちは「自分たちは無実だ!」とわめいている3人を大広間の外へと連れて行く。


 私はその様子を無表情で眺めていた。


 かわいそうなどとは思わない。


 この結果はあの3人の自業自得なのだから。


 そう、これは私との婚約を破棄したいために起こした彼らの罪。


 このとき、私は遠ざかる3人を見つめながら苦笑した。


「最初から何もしなければよかったのに」


 数時間後――。


 王都の郊外にあるアストラルの屋敷にシンシア・バートンこと私はいた。


 いや、もっと厳密に言うならばアストラルの寝室にである。


 そんな私はアストラルと裸でベッドに寝ていた。


 事が終わって一息ついているところだった。


「あの3人の取り調べはどうするの?」


 私が隣に寝ているアストラルにたずねると、アストラルはフッと苦笑する。


「訊かなくてもわかるだろう? 取り調べなどない。もちろん裁判もない。ヘルシング家の力を使ってすぐに実刑へと持ち込む」


「そう、それはよかった」


 私が寝ころびながら伸びをしたときだ。


「そうだ、思い出した。シンシア、あのときお前はうっかり僕たちとの関係をバラすようなことを言っただろう」


 私は頭上に疑問符を浮かべた。


 え? 私ってそんなうかつな発言をした?


「思い出せ。アーニャを連れて来て証言させようとしたときだ」


 私は「あっ」と頓狂とんきょうな声を発した。


 思い出した。


 あのとき私は公衆の面前で言ってしまったのだ。



 ――、この子は?



 アストラルは大きなため息を吐いた。


「ようやく思い出したか。どうして爵位が1番低い男爵家の令嬢が、爵位が1番上の公爵家の長男である僕に対して親し気に呼び捨てをする。そんなことは普通ではあり得ないことだろうが。


「ついうっかりしてたわ。誰かに気づかれていないわよね?」


「あんな騒ぎがあったときだ。誰も君が僕を呼び捨てにしたことなど覚えてはいないさ」


 それに、とアストラルは子供のような笑みを浮かべた。


「すでに証拠は隠滅してある」


 その言葉と子供のような笑みで思い出した。


「そう言えば、あのアーニャって平民の少女はどこから連れて来たの……っていうか、口封じに殺しちゃった?」


「おいおい、物騒なことを言うな。あの子は殺してなんてないよ。だって、あの子は平民は平民でもこの敷地内の離れの屋敷に住んでいるメイド見習いの1人だ。確か元は辺境の由緒正しい家柄だったが、没落してこの王都へと流れて来たらしい。教養も礼儀作法もあったし、何より没落したあともこの王都へ来るまで強かに生きられたその度胸がいい。あの〝自分は右も左もわからず証人としてここへ連れて来られただけなんです〟という演技はよかっただろ?」


 私はホッとした。


 いくら私たちの将来のためとはいえ、あんな年端もいかない少女の命を犠牲にすることは良心が痛む。


「隠滅した証拠――まあ、証人と言い換えたほうが正しいな。あの似顔絵描きの男が書いた、君の顔が描かれた似顔絵を見た人間たちは全員王都から追い出した。おっと、言っておくが誰一人として殺してないぞ。それなりの金を渡してこの王都から出て行ってもらったのさ」


 私は嘆息した。


「だから外で逢うのは危ないと言ったじゃない。もともとあなたが学院の中だけの逢瀬じゃ満足できないって言ったからこうなったのよ」


 私はふくれっ面でアストラルの胸をつまんだ。


「痛てててて……それは謝るよ。まさか、大通りの裏で重ねた君との逢瀬をよりにもよって似顔絵描きに見られていたとは思わなかったんだ」


 それは私も同意見だった。


 ふと私は数時間前のことを思い出す。


 ホリック家の大広間に現れた、似顔絵描きを自称した中年男。


 あの場にいた事情を知らない貴族たちは、アールが用意した都合のよい偽の証人と思い込んだことだろう。


 だが、事実はまったく違う。


 


 あの似顔絵描きの中年男はアールが用意した都合のよい証人などではなく、本当に私とアストラルの逢瀬を大通りの裏で目撃していた男だったのである。


 そう、今回の婚約破棄に至った一件はアールがソフィアと婚約したいがために起こしたことではない。


 実は周囲からは結婚などできないと陰口を叩かれていた変わり者の男爵令嬢のシンシア・バートンこと私と、私と同じく周囲から変わり者の公爵子息と言われていたアストラル・ヘルシングが婚約するために起こしたことだった。


 私は普通の貴族令嬢が嗜む趣味や習い事などには興味がなく、騎士に憧れていた子爵家や男爵家の子息が好む武術に興味があった。


 その武術の鍛錬は実家だけでは飽き足らず、授業の合間に学院の裏庭の片隅などで行っていたほどだ。


 いつからだっただろう。


 私は学院で武術の鍛錬をしているときに視線を感じた。


 最初は物好きな生徒が話の種に覗き見していると思っていた私は、その視線に気づかないフリをして武術の鍛錬を続けていた。


 しかし、さすがに毎日毎日視線を感じると薄気味悪くなってくる。


 そこで私は視線の主を特定すると、正体はあっさりと判明した。


 アストラル・ヘルシング。


 現在、私の隣にいるヘルシング公爵家の子息だった。


 覗き見していた事情をたずねると、アストラルは恍惚な表情で答えた。


 アストラルはお茶会などを開く蝶よ花よと育てられた普通の貴族令嬢よりも、私のように男勝りで武芸に秀でた強い女性が大好きな一風変わった性癖を持つ男性だったのだ。


 そしてアストラルいわく、私は顔つきも含めて理想の女性像の権化だったらしく、覗きがバレた直後から一方的に求婚してきた。


 とはいえ、さすがに公爵家の子息と男爵家の令嬢では格式が違いすぎる。


 私はそれを理由に最初こそ丁重に断ったが、アストラルは諦めるどころかあの手この手を使って外堀を埋めるべく行動を起こした。


 王立学院内の男女混合の武術大会もその行動の1つである。


 アストラルは強引に大会委員会に〝男女混合〟の文字を付け加えると、以前から女という理由だけで武術大会に参加できなかった私に是非とも参加してくれと言ってきた。


 そして私はその武術大会でアールを負かして優勝した。


 ちなみに準決勝で対戦したアールは対決した感触から絶好調だった。


 それはさておき。


 私はここまで自分のために動いてくれるアストラルに心を動かされ、ついにはこうしてアストラルと男女の仲になった。


 ただし、学院の武術大会で優勝しただけでは〝公爵家の子息と男爵家の令嬢との結婚〟は難しい。


 そのためアストラルは、武術大会以外にもシンシア・バートンが世間からアストラル・ヘルシングの婚約者として相応しいと言われるための策略を色々と練ってくれていた。


 もちろん、私もそんなアストラルの策略のために動こうと決心していた。


 その矢先に数時間前の一件が起きたのである。


 つまり、アールとソフィアよりも私とアストラルのほうが何倍も婚約破棄するために動いていた。


 正直なところ、アールとソフィアは余計なことをしてくれたとしか言いようがない。


 あのまま余計な策略など企てずにいたら、そもそもアールが私に偽りの婚約など申し出て来なかったら、ほどしばらくして私はアストラルと婚約していただろう。


 そうなればアールは堂々とソフィアと婚約できたのだ。


 私が先にアストラルと婚約してしまえば、妹のソフィアがアールと婚約しても兄妹不敬罪などに当たらないのだから。


 だから私は数時間前の大広間で思ったのだ。


 自業自得だ、と。


 などと思っていると、アストラルの細い腕が私の身体に触れてきた。


「愛しているよ、シンシア。君のような女性は二度と現れないだろう。君こそ僕が持つ理想の女性そのものだ。君以外の誰を犠牲にしても絶対に手に入れたいし手放したくない」


 私はクスリと笑った。


「私もよ、アストラル。はあったけど、私はあなた以外の誰を犠牲にしても私たちとの婚約を認めてくれるような活躍や実績を積み重ねる」


「ああ、そのときが来ることを楽しみにしているよ」


 そして私たちは再び肉体を重ねて愛を確かめあった。


 このときには私の頭の中に、アールやソフィアたちの存在は綺麗さっぱり消えていたことは言うまでもない。



〈Fin〉

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