第2話 第1章 灰色よりも暗い色

 世間は四月終わりから五月月初にかけての超大型連休、世に言うゴールデンウィークを控えていた。

 ただ世の一部のサラリーマン然り、高校生はじめとする学生達にはあまり関係なく、休日は休日!平日は平日!ときっちりしているのが何ともいけ好かない。

 よくテレビで流れている「有給使って今年は9連休にしちゃいました~」とか言ってる連中は、きっと世の中でいう成功者で、自由に有給休暇を取れる人間のセリフなんだろうな。きっとあのセリフで、将来は明るいという印象操作をしているに違いない。

 「僕も9連休したい、沢山休みたい……」

 いつもよりも重く感じるペダルを踏み込んで自転車を漕ぎ、今日も高校に向かう。

 先日の妃慈さんが巻き込まれた怪異の事件、あれから早くも二週間が経とうとしていた。

 一昨日は中学校の頃も、去年も同じ様に流れ作業で進む内科検診があった。そして今日は身体計測と体力テストがある。

 運動は苦手じゃ無いが、あまり好きじゃない。汗をかくのは何とも言えない不快感がある。それに運動後に汗を拭いたり、制汗剤などに気を遣うのも少し億劫なのだ。

 汗を拭かない、制汗剤もしないという選択肢は確かにある――なんなら毎回『やらない』という選択肢の誘惑に負けそうにもなる。ただ僕も思春期真っ盛りの男子高校生なわけで、身なりや、身なり以上に『異性の目』というのは気になる。

『鷺淵くん、汗くさーい』などと言われた暁には、それなりに傷つく。恐らくは数日は立ち直れないほどに。

 残りの高校生活、『鷺淵くんは臭い』なんてレッテルを貼られて過ごすのは有り得ない――よって汗をかいたら制汗剤などででケアするのはマストだし、極力体育の授業などでは――サッカーならキーパーのポジションに徹し、持久走は極論歩く、つまり汗をかかない様に努力するのである。

 学校に着く前に体力テストの項目それぞれに対策でも立てておこう。

 握力測定――長座体前屈ちょうざたいぜんくつ――50メートル走――立ち幅跳び――ソフトボール投げ、これらは短時間だし、そこまで汗もかかないだろう。

 問題は体力系の項目だ。反復横跳び、上体起こし、そしてシャトルラン。特にこのシャトルランは僕にとって三重苦だ。疲れる、汗かく、時間が長い。考え得る限りで最悪だ…………。

 などと、考えていると学校に到着してしまった。

 そこからは早かった。あれよあれよとジャージに着替え、校庭に集合。いくつかのグループに分かれて、項目別に測定を開始した。

 自分の番が終わると、他の連中が終わるまで待機。この時間が一番好きだ。そして幸いなことに、一番汗をかくシャトルランは体力テストの最後の項目だった。

 

「よしっ、80回だ、それで終わらせよう」

 スタートの合図前、横一列に並んだ男子生徒一同が各々ストレッチをする中、僕はストレッチなどせず直立のままボソッと呟いた。


 ピイィッ!

 ホイッスルの甲高い音と共に、全員が一斉に走り出す。電子音の音階が『ド』から順番に上がっていき、高音の『ド』に達するまでに20メートル先の白線についたら折り返す。次は音階が段々と下がるので、それに合わせて20メートル先にある元の位置まで戻る。これを繰り返し持久力が如何ほどあるかを測る項目だ。

 音階が上がる速度は段々と早くなるので、それに合わせてペース配分をしないといけないのが、この項目で好記録を出すコツであり、また僕にとっては億劫となる要素の1つだった。

 ギブアップする者、音階が『ド』に達するまでに白線に間に合わなかった者、少しずつ脱落者が出る中、僕はピッタリ80回で終了した。

 残りの時間は、体育館にお尻を着けて胡坐あぐらで座り、両膝に肘を立て両手で頬杖を付きながら、走る同級生の勇姿を何とも退屈そうな姿勢で眺めていた。


 結局、クラス内での最高記録は121回だったらしい。僕が終了してからおよそ十五分ほど生徒は走り続けていた。よくやりますね。


 「ハァ……疲れた、なんで毎年毎年こんなに体を動かさなきゃいけないんだ」

 持ってきていたタオルで首元の汗を拭いながら、ぶつくさ言わずにはいられなかった。

 案の定、三重苦にしまった僕は汗を拭いた後、制汗剤で自分の汗やその後の臭いをケアする羽目になった。

 入念なケアの最中、教室の反対側、未だに上半身裸の生徒が何やら熱を上げて話しているのが聞こえてきた。

 どうやらスマホでニュースを見て騒いでいるようだった。聞き耳を立てて聞くに、こういうことらしい。


 高校は僕の家の隣の市――『綾織あやおり市』にある。同級生の話題は、綾織市の隣――僕が住む『尾生丹おぶに市』での出来事だった。

 どうやら尾生丹市では最近、停電被害が頻発しているらしい。最初は駅から2キロほど離れた、大きな坂を上った住宅街で丸1日停電被害があったらしい。それだけであればニュースで少し騒がれて終わりだ。

 ただ、今回の停電騒ぎはその後も、1.5キロ離れた住宅街、駅の反対側にある工場地帯で、2日間で3件も立て続けに起こった事を報道していた。

 ここ数日で強風が吹いたり等はしていない。ニュースの解説では『春先なので鳥獣の類いが電線などにぶつかったためでは無いか』としているが、原因は依然として調査中らしい。

 そんな話を傍目に聞きながら着替え終わると、学校は通常の授業に戻った。僕は疲れたのもあったのか、午後の授業の記憶はほぼ無くなっており、代わりに顔の右側が赤くなり、袖の皺がうっすら刻まれていた。


 翌日、ゴールデンウィーク前日の金曜日。通常授業が終わり帰りのホームルーム中、担任の教師からは「ゴールデンウィークだからといってはしゃぎすぎない」という事、「月曜日と火曜日は普通に学校があるので忘れないように」と、注意喚起をしていた――最も大変の生徒達はどこへ遊びに行くかなど話しており、耳には届いて居なさそうだったが。

 

 放課後、僕はゴールデンウィーク中に読む本を2冊か3冊借りておこうと図書室に向かった。

 ウチの高校は畑の真ん中にあるとかでは無い――それなのに今日はいやにネズミを多く見掛ける。今日だけで3匹くらい見ている。

「繁殖期とか言うやつかな? 虫とかも冬が終わって増えてくるし、ネズミもそうなのか?」

 そんな事をブツブツ言いながら一階の渡り廊下から図書室のある校舎側へ渡り、窓から校庭を眺めながらダラダラと歩いていた。

「先々週はあの桜の木が事件の発端だったなぁ」

 先日の事件を懐かしみながら歩いていると、前方からくだんの事件の被害者の方が歩いてきた。

 

「おーい、妃慈さーん」

 そこまで大声ではないが、周りに他の生徒も居ないので十分に聞こえる必要最低限の声量で彼女を呼ぶ。

 

 「鷺淵くん、こんにちは」

 ニッコリと明るい笑顔で返してくれた。あの事件の最中は、死者も出ていたり、それが自分のせいでは無いかと気に病んでいたのもあり、こんな笑顔はあまり見た覚えが無かった。事件が解決してから、たまに校内で会うが、すっかり元気になってくれたようで良かったと思う。

「やあ、生徒会の仕事中?」

 こちらから近くまで寄って話し掛けると、妃慈さんも立ち止まり立ち話に付き合ってくれた。

「えぇ、昨日から急に忙しくなっちゃって……」

 生徒会の仕事の話をすると、眉がハの字になり、表情も少し暗くなったように見えた。忙しいのだろうか。

「生徒会、大変そうだね……ところで妃慈さん、その手に持っている物は、なに?」

 近寄って初めて気が付いたが、妃慈さんの手にはあまり高校生活や生徒会、ましてや女性の手には相応しくない物があった。

 それは――黒光りした害虫を粘着性シートで捕獲するためのホイホイのような――ただ、Gホイホイよりも二回り以上大きなホイホイだった。

「あ、これね……最近、ネズミが出るって相談が生徒会に多くて、部室棟とかに置こうって決まったの、今から置きに行くところなの……」

 説明する顔は、先ほどよりも陰鬱な表情となっていった。

「妃慈さん、もしかしてだけどネズミ嫌いなの?」

 

 顔を逸らされた。

 体を妃慈さんが顔を逸らした方向に伸ばして、顔を覗き込むように見てみる。ハッキリと顔が見えるわけではないが、その頬は少し赤らんでいた。

 片側しか見えないが広角は少し下がっている――恐らく「ヘの字」に曲がっているんだろう。

 なんか、段々と妃慈さんの事が分かってくるのは面白いな。

 

「妃慈さん、良かったらネズミ退治、手伝おうか?」

 言い当ててしまった気まずさもあり、作り笑いっぽくなってしまったが、できる限り善意が伝わるよう明るい声で声を掛けてみる。

 

 こちらを振り向く妃慈さんの顔は、みるみる内に元の明るい笑顔に戻った。

「鷺淵くん、良いんですか?」

 ゴールデンウィーク中に読む本は、買ったまま手を着けていない本もまだあるし、そちらを読むことにしよう。

 なにより、ここまで笑顔に戻った妃慈さんの期待は裏切れなかった。

「で、どこにこれを仕掛けるつもりだったの?」

 妃慈さんの手には2つしかホイホイが持たれていなかった。2箇所なら直ぐ終わるだろうし、ちょちょいと手伝ったら珈琲を飲みにでも誘おう。

「さっきも言ったように、部活棟ね」

「まずは……?」

「えぇ、まずは」

 まずは、ということはもっと仕掛ける場所があるって事なのかな。言ってから少し後悔しながら後を付いていくことにした。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「うぅ……勘弁してよぉ……・」

 生徒会活動。それは生徒自らが自分たち学校生活の充実・発展、改善や向上を自発的、自治的に行われる活動。

 つまり学校生活上で何か問題があった時は、その対処をしたりする。生徒会活動業務の1つで、私自身もそれ自体は別に嫌いじゃない。

 去年だって、体育祭や文化祭、各学年の遠足に修学旅行と、学校行事の企画運営だったり、各種委員会・部活動の皆さんとの運営など、色々と楽しいと私は感じる。

 ただ、今回の仕事はひと味違う。

 私にとって、高校生活始まって以来の大仕事且つ最大の難関かもしれない。

 今までこんなにも席を立つ腰を重く感じたことはない。一歩踏み出す足をこんなにも躊躇する日が来るとは思わなかった。

日申ひもすさーん、そろそろ行くよー」

「ひゃっ! あ、はいっ!」

 生徒会室で一人ボーッと考え事をしていたせいで、後ろから急に声を掛けられた時に変な声が出てしまった。

 しかし、気が乗らない……。生徒会ではなく業者を呼ぶのはどうかと提案したが、年度始まりからそんなに経費は割けないと却下されてしまい、副会長と会長が「生徒会でやりましょう」と提案した。教師陣もまさかOKを出すとは思わなかった。

 まさか、校内数カ所に現れた退治のための仕掛け設置に駆り出されるなんて……。

「今、行きますね……」

 できる限りの笑顔で返事した後、あれだけ重かった腰を上げ、まずは仕掛けを2つ持って生徒会室を出た。

 

「初めは部活棟かなぁ……」

 いつもより足取りも重く、私はひとまず部活棟へ向かうことにした。部活棟は2棟ある校舎とは別に、体育館横に建てられているので、外履きに履き替える必要があった。

 渡り廊下を通ってもう片方の棟1階に向かおうと生徒会室を出て歩き出すと、少し先に鷺淵くんが見えた。

「おーい、妃慈さーん」

 鷺淵くんが先に挨拶してくれたので、私も「こんにちは」と返す。

 先週の事件の時は本当に助けられた。この人がいなかったら、原因が分からないまま、怪異に苦しめられていたし、何よりもお母さんが死んでしまっていたかも知れない。

 鷺淵くんが私を気に掛けてくれたおかげで、解決したんだ……。

 だから、ちゃんとしなきゃ!


「やあ、生徒会の仕事中?」

「えぇ、昨日から急に忙しくなっちゃって……」

 厳密に言うと、忙しく感じているのは私だけ。何件かネズミの相談が来たときから、私の集中力はかなり欠けていた。だから昨日からの生徒会業務が思うように進まず、思考の大半をネズミ退治に持っていかれている。

 そのせいでボーッとする時間が増えて、自分のしなきゃいけないことにも手が付かない状態だった。


「大変そうだね……ところで妃慈さん、その手に持っている物は、なに?」

「あ、これね……最近、ネズミが出るって相談が生徒会に多くて、部室棟とかに置こうって決まったの、今から沖に行くところなの……」

 そう、私はこれから……ネズミが出たと相談されたところにわざわざ行かないといけない……恐い……。


「妃慈さん、もしかしてだけどネズミ嫌いなの?」

 え、考えてたことがバレた……もしかして、顔に出てたのかな?

 そう思った私は、咄嗟に顔を背けてしまった。バレたと思たら恥ずかしくなってしまったからだ。

 少しすると、今度は顔を背けたこと自体が恥ずかしくなった。なんだか顔も少し熱い。

 

「妃慈さん、良かったらネズミ退治、手伝おうか?」

 それは、思いも寄らない申し出だった。これは……お言葉に甘えても良いのだろうか。

 そのくらいネズミはちょっと、本当にダメなんです……。

 

「鷺淵くん、良いんですか……?」

 伺うように聞くと、鷺淵くんは首を縦に振り笑顔で肯定してくれた。とても気持ちが晴れやかになる。

 これで私も手伝えば半分の時間できっと終わるはずだし、終わったらお礼も兼ねて、私がいつも行く喫茶店に誘ってみようかな、あそこはケーキが美味しいから。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 僕と妃慈さんの作業が終わったのは夕方の16時過ぎだった。

 結局、校内に存在する全ての部室(26個)と各教室(3学年の8クラス分で24教室)、応接室や校長室、職員室などにも仕掛けを置く予定だったらしく校内の全部屋に行く羽目となった。

「鷺淵くん、ごめんね……2時間も付き合わせちゃって……」

 10部屋を過ぎた辺りで「え、もしかして全部の部屋?」と聞いたのが悪かった。妃慈さんに気を遣わせてしまった。

「鷺淵くん、もしかして予定とかあった……?」

「あ、いや、予定は無いんだけどね」

 どうしよう、どうにか場を和ませたいが……。

「鷺淵くん、もし予定が無いのであれば、手伝ってくれたお礼も兼ねて、珈琲でも飲みに行きませんか?」

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 おかしい。

 本当であれば僕からお誘いする予定だったのに。

 ネズミ対策の仕掛けを設置し終わった僕と妃慈さんは、駅前の珈琲が美味しいと評判の喫茶店に来ていた。

 妃慈さんの行きつけらしく、1年生の頃はテスト期間などは放課後から17時くらいまでは珈琲とクッキーでテスト勉強をさせて貰っていたらしい。

「鷺淵くんは、何を飲んでいるんでしたっけ?」

 向かいに座った妃慈さんは、注文したカフェオレを一口飲んでから尋ねてきた。

「僕のはアメリカーノって言って、エスプレッソにお湯を加えた飲み方だよ」

 なんでか知らないが、これが一番珈琲の酸味や苦みを味わっている感じがする飲み方だなと思うようになった。

 ミルクも砂糖も入れずに飲むのが、どこの喫茶店でも注文する『いつもの飲み方』になっていた。

 妃慈さんがご馳走すると向かった喫茶店で珈琲を飲みながら、合わせて注文していたケーキを待つ。

 妃慈さんはショートケーキを、僕はミルクレープを頼んでいた。

 「お待たせしました~」

 喫茶店の店員さんが持ってきてくれたケーキ、ミルクレープはクレープ生地がモチモチしていて、クレープ生地の間にあるクリームもなめらかで、過度に甘過ぎないので珈琲にも非常に合う一品だと思う。

 

「うまぁ……」

「ここのケーキ、美味しいですよね」

 意図せず漏れていた感想を妃慈さんに聞かれていたらしい、少し恥ずかしくなったが首を縦に振るだけのジェスチャーで返した。


「そういえば鷺淵くん、1つ聞いて良い?」

 真ん中辺りまで食べ進めたミルクレープ、口に運ぶ動作は止めないまま、んぁと声でもない声で返答した。

 「先週、鷺淵くんが手伝ってくれて解決した怪異の件なんだけど」

 珈琲の入ったカップをソーサーに置き、少しだけ真剣な表情でこちらに少し座り直して尋ねる。

「カラスの鳴き声が重なっていた時、鷺淵くんが巻き込まれた土砂崩れ、あれはどうやって避けたの?」

 あー、やっぱりその話か。放すと長くなると有耶無耶にしたし、カラスの件が解決した後も結局話さなかった。

 聞かれるとは思ってたけど、今のこの状況――上手く言い逃れ、有耶無耶に出来ない状況に持って行かれたんだな。

 現に妃慈さん、ちょっとニヤニヤしてるし……。

 

 ガシャンッ

 ファーッ

「うわぁーっ」


 なんだ。

 先ほどから店の外が騒がしい。

 何かが割れる音が聞こえるし、車のクラクションだろうか――1台だけでは無く、幾つかの異なるクラクションが聞こえる。

 事故か?

 喫茶店の窓から、角度を変えて覗こうとキョロキョロしている僕の様子を見て、外の騒音に妃慈さんも気付いたようだった。

「事故かな、外騒がしいけど」

「クラクションが鳴っているから、自動車事故とかかしら?」

 多分、僕がしていたんだと思う。

 一度席を離れると、すぐにこちらへ戻ってきた。

「少し外を見てくるので珈琲をそのまま置いておいてくれるようお店の人に伝えたから」

 

 僕と妃慈さんは喫茶店の外へ出て、騒音の元をキョロキョロと探す。

 喫茶店――駅前にも関わらず、昔からある店は何軒もシャッターを閉めたまま、空いているお店は喫茶店含めて数件しか無い。

 シャッターを閉めたお店が連なる通りには、3箇所の信号機を備えた交差点があり、その中の一番駅側にある信号機が真っ暗で、どの色も灯さず機能を失っていた。

 

「信号機が消えてるってことは、停電か?」

 僕は喫茶店の入り口前で、百メートルほど先にある信号機を遠目で眺めながら、なんとなく呟いた。

「停電では無いみたいよ、他のお店も、この喫茶店も電気は通ってるから……消えてるのはあの信号だけ見たい」

 辺りのお店――他の信号機、それらには通電している事を妃慈さんは教えてくれた。

 

 あの信号機だけが消えているとなると――故障? ――断線?

 兎に角消えた信号機のおかげで道行く車は混乱に陥り、車同士の衝突でガラスが割れたり、クラクションを鳴らし合っていた。僕らが聞いた騒音はこれだ。

「2台、その後ろもだから3台が事故ってるのか……電話掛けてるし、警察とかは呼んでるっぽいね」

 事故の惨状を見ながら、ブツブツ呟く――その時、目の端で何か黒い塊のような物が横切ったように見えた。

 反射的に何かが横切った方を向くと、そこは通りを挟んで喫茶店の斜向かいにある開店前の居酒屋だった。

 仕込み作業中なのか、誰も中には居ないのか、シャッターの下が少しだけ開いていた。

「ねえ、妃慈さん……あそこの居酒屋、シャッターの下に何か……」

 言いかけて、少しギョッとした。

 居酒屋のシャッターに向かって、30匹は下らない数の黒み掛かった灰色の塊がゾロゾロと動き、シャッターの下へ潜っていき消えた。

 

「……妃慈さん、喫茶店に戻ろう」

「⁇ ええ、戻りましょうか」

 妃慈さんが気付く前に喫茶店の中に戻り、残りの珈琲を頂くことにした。

 シャッターの下に消えていった、に気付く前に。

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