第3話 いきなり異世界は酷いと思います ③
異世界に来て、五日経ちました。
肩の傷のかさぶたも剥がれ落ち、痛みも完全になくなった次第。
結局、私が人間になれることが男性にバレることもなく、どうにか誤魔化せています。
というのも、人間に変わるのは毎度日没であることが判明したからです。そして、兎に戻るのは日の出の仕組み。
いやあ。一度寝て起きるのが仕組みでなくて、幸いでした。
そんなこんなで、夕方前に出勤し、朝方帰宅する男性にはただのペットとして扱われております。
五日も経て理解したのは、なぜか兎の姿だと排泄の必要がないということ。そもそも毛に覆われて分かりませんでしたが、肛門らしきものがないみたいなんですよね~。
あと、兎の姿でも人語を話せました。男性の前では、鳴き声一つ出してませんがね。
人間の姿では、
お互い多少慣れてきたのもあって、男性とはそれなりにペットと飼い主のいい関係を築けているかと。
ときどき、腰や肩や脚のマッサージをしてあげてます。兎の姿だと、十三キロもあったので、上に乗っかるのは控えてますけどね。
そんなに重いとは知らず、最初膝の上に乗って申し訳ない限りです。
男性は基本的に優しいですし、飼い主としては申し分ありません。
不満があるとすれば、喫煙することと、足が臭いことくらい。帰宅した際の男性の足が臭すぎて、猛ダッシュで逃げたくらいです。いや、マジで凄まじい臭さでした。
タバコに至っては、紙タバコから電子タバコに切り替えてくれています。結局臭いことに変わりませんが、紙より電子の方がまだ我慢できますので。
そんなこんなで、もういっそこのまま一生ペット暮らしでいいやと、能天気に構えていたわけですが。
そんなわけ、行くわけありませんでした。そうは問屋が卸さないってやつですね。
こちらの世界でも、当然非番の日が存在するわけで。
ペット生活五日目の夜。いつものように男性の上着を着てリビングで寝ていて目を覚ますと、男性がパソコンを眺めながら電子タバコを吸っていました。
夜は明けておらず、むくりと上半身を起こした私は、人間の姿のまま。
男性は取り乱すでもなく、狼狽えもせず、いつもの調子で私と目を合わせます。
「お、おう……」
こっちは狼狽えて、変な声が漏れてしまいました。
「戸惑いや驚きのおーっていいてえのはこっちだ」
「……ご尤もで」
冷静に突っ込まれ、納得する自分。
混乱の最中といえど、先延ばしにできない確認事項はあるわけでして。言葉が通じると発覚したこともあり、意を決して私はおずおずと話しかけました。
「あの」
「何?」
「いつからお気づきで?」
「二日前。骨折してた副店長と産休入ってた店長がようやく仕事復帰してくれて、休みになったの忘れててさ。家戻ってきたら、人間姿のお前寝てて。ビビったっつうの。不法侵入者かよ、めんどくせえ警察呼ばなきゃいけねえじゃんとも思ったし。ただ、兎姿のお前が人間になった姿だなんて思うわけねえから、兎姿のお前がどこにも見当たらなくてクソ心配したし、マジで焦った」
電子タバコを吸い終えながら、盛大に溜息を吐き出されます。
「希少種だし誘拐されたのかもとも思ってさ。そういや、イセミから見守り用に押しつけられたペットカメラ設置してたなってこと、思い出して。急いで録画確認してみたら、いきなり人間の姿になって、しばらくしたら兎の姿に戻ってるし。俺働き過ぎて疲れてんのかなって、自分のこと疑ったわ」
ですよね。ある意味、ホラー現象ですし。
「それでも、再生で何回確認してもお前が人間になったり、兎になったりすることに変わりねぇし。夜の高速走らせて、現状整理するしかなかった」
「それは、すいませんでした、いろんな意味で」
今更ながら、罪悪感が大波のように押し寄せてきます。
「で、どっちが本来の姿なわけ?」
責められているような呆れられているような視線と共に、当然の質問を投げつけられました。
「分かりません。この世界にきたら、兎の姿になって、森の中で襲われて、あなたの知り合いに保護されて、あなたにお世話になることになって、日没に人間の姿、日の出に兎っぽい姿になることを知ったので。どっちが本来の姿と呼べるのか、そもそも自分がどんな種族なのかすら、把握できてません」
「は?」
馬鹿正直に答えれば、男性は驚いています。
「いや、そもそも最初から普通の兎にしちゃ賢すぎたし、いつまで経っても排泄しねえし、希少種なのは嫌でも分かってたけど」
自分に言い聞かせるように呟きながら、男性はまた電子タバコを吸い始めました。
「お前、この世界じゃない世界からやってきたの? 本当に?」
「はい。信じられないかもしれませんが」
それからしばらくどちらも話さない時間が続きます。
「お前、運良かったな。イセミとか俺みたいなのはともかくとして、欲深い連中に最初に出会ってたら、どっかに売り飛ばされてたぞ、きっと」
「へ?」
教えられた情報に困惑します。
「お前みたいな希少種、いわゆる普通の動物よりも賢かったり、人語を話したり、なんらかの条件を満たすと違う姿に変化する動物は、この世界にいないわけじゃないんだよ、実際」
「なるほど」
「んで、そうした希少種は、幸運を招くとされていて。金持ちとかコレクターの間で高値で取引されてる。誘拐とかざらにあるらしいし」
「え……」
「んでもってだ。他の世界からこっちに来たって奴らもさ、同様に幸運を引き寄せるとされていて。異世界人愛好家の大富豪や収集家もいるわけで、人権まるっと無視の扱いをされた事例が数多くある」
「ぅわお」
濁されても、いろんなことを想像できてしまいました。
「そういう連中からすれば」
私なんてまさに鴨葱。
「お前なんて特にモテモテだろうな」
いらねぇ。そんなモテ期本当にいらんっ!
この世界において、自分のような存在が危ういことを知り、衝撃が大きいです。
「取りあえず、さ。俺に話せる範囲でいいから、これまでの事情聴かせてよ」
促され、ぽつぽつと男性に説明しました。
突然異世界にいて、不安でたまらなかったこと。
夜明けから日没までは兎っぽい姿、日の入りから日の出までは人間の姿になること。
兎っぽい姿でも人語を話せること。
こちらの世界の言語は一応話せるし、読めること。
理路整然とはいきませんが、なんとかかんとか一通り説明し終えます。
「そりゃまあ、右も左も分からない異世界に突然いてそうなったら、不安で仕方ないよな」
「とはいえ、中身三十五の女がペットの振りしてやり過ごそうとして、さーせん。いや、誠に申し訳ないと思っています」
「いやまあ、別にそれはいいんだけど。俺だって反対の立場ならそうせざるを得ないだろうし」
嘘かもしれないけど、男性はやはりなんだかんだ優しいなと思います。
だからこそ、男性が切り出しにくいであろうことを自分から切り出すことにしました。
「あの、今後のことなんですけど。これ以上ご迷惑をおかけし、お世話になるのは申し訳ないのですが。できれば、住む場所と人間の姿で働ける仕事探すのにご助力いただけないでしょうか? それで、まとまったお金溜まるまで、居候させてもらえないかと。もしくは、その、すぐに出て行けという場合も、必ずお返ししますので、お金貸してもらえたら幸いです」
「あの、さ」
「はい」
男性は顔に右手を当て、大袈裟なほど嘆息を吐き出します。
「そりゃ、最初いきなりイセミの奴がお前連れてきて、あんな態度だったから、お前が余計に不安がってそんな提案したのは分かる。それでも、さ。俺はお前を飼うこと引き受けたんだよ。それに俺的には、お前とこれまで上手くやっていけてたと思ってるんだけど。だからなんだ。お前がよっぽど俺といるの嫌じゃなきゃ、俺はこれからもお前の面倒見る気でいる。実際、次の休み、役所に希少種の登録しに行こうと思ってたし」
男性からの言葉に耳を疑います。
予想外の展開に、目を瞬かせるばかりです。
「役所に希少種の登録するっていうのは、つまりだ。言い方はあれだけど、所有者は誰なのかはっきりさせようってやつ。今の時代所有者がきちんと決まってれば、犯罪に巻き込まれるリスクはぐんと減るから」
そこまで考えてくれていたんだなと、ビックリするばかりです。
放心状態の私を直視せず、男性は頭を掻きながら続けました。
「ともかくだ。俺は今すぐ出て行けって放り出すような無責任なことはしないから。分かった?」
「は、い。ありがとう、ございます」
思いもよらぬ好待遇への困惑と嬉しさもあってか、声が震えます。
「そういう、敬語的な他人行儀も別にいいよ。なんとなくだけど、元いた世界じゃ、同い年か、一歳くらいしか年違わないんだろうし」
「私は、なんとなく、年下だろうなとは思ってた」
「ふうん」
そうこうしていたら夜が明けたらしく、兎姿に戻りました。
もらった上着からいつも通り抜け出します。
「そういえば、お名前は?」
「そういや、まだ自己紹介すらしてないんだったな」
お互い結構肝心なことを省いて話し合ってましたね。
「俺はオキト。そっちは?」
「えっと」
前世の名前は、思い入れがあるどころか、大嫌いで。
「名前、つけてほしい、です。こっちの世界で、まずはペットとしてきちんと生きていきたいし」
「……一応、考えてはいたんだけど」
「何々?」
「……シロハ。で、どうだ?」
少し照れくさそうな横顔を見ながら、個人的にもシロハという響きは悪くないなと思いました。
「気に入りました」
率直に返事をすれば、安堵と嬉しさを帯びた表情が返ってきます。
ふと、そういえばと気になっていたことを確認することに。
「あの、恋人とか、今います?」
「いねえよ」
「その、恋人作るのに、私邪魔じゃない?」
「別に。いいよ、そこら辺は気にしないで。いろいろあって、彼女とか作る気失せてるし。それにまあ、そういう相手ができたら、そのとき話し合えばいいだろ」
そういう事なかれ主義は同類だなと、しみじみ。
「改めて、よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
低い位置で差し出された右手に、自身の右前脚を乗せる形で握手的なやり取りをかわします。
それから、いつものようにオキトさんは家事をこなしつつ、私に食事を提供してくれました。
「他にも話し合うことや決めなきゃいけないことは山ほどあるけど。とりあえず、今までハードスケジュールだった分、寝だめさせてくれ。パソコンとかテレビとか、勝手に見てていいから」
「はい」
結局、オキトさんは時折トイレに起きては、翌日の朝までぐっすり眠り続けたのでした。
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