在来種純粋日本人に生まれてよかった V.1.2

@MasatoHiraguri

第1話 壮大な実験 ?

   私が「在来種純粋日本人」と連呼しているのは、人に呼びかけているわけではなく、自分自身の自覚のためです。

  私くらいのジジイになると、いつ死ぬかわからないので、生きている間に「自分の行き先」を明確にしておく必要がある。しかも、単に「あの世」ではなく自分自身が本当に行くべき所をハッキリと認識しておけば必ずそこへ行ける、と私は信じているのです。


  「池田大作」なんていう偶像(崇拝)や「壺」なんていう(昨日今日できた怪しげな)宗教など信じませんが、昔から「信ずる者は救われる」と言います。

  極めて限定的ですが、寡聞にして私がこれまで接してきた古今東西の賢人・偉人の言葉や著作、そして、大学日本拳法という、本気で・現実にブン殴り合うという武道を通じ、汗水流して身体で考える習慣によって歩んできたこれまでの人生経験は、私にとって紛う方なき;

真意(真実の意義)

深意(深い意味・深いわけ)

神意(神の意志。神慮)

神威(神の威光)」広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店

といえるのです。


  釈迦もキリストもない。私自身の見聞と経験がそのまま私自身の自覚であり、信仰なのです。これくらい安上がり(お布施も献金も要らない)で、たとえ間違っていても「仕方ないや」と諦めることのできる、あっさりして・後腐れのない・後悔のない宗教はないでしょう。

  自分の日記に書き綴っているだけでは、自覚にならない。

 「オレは、魂の位相を変えることで再び在来種純粋日本人(縄文人)として生まれ変わるぞ」という、来し方・行く末をしっかり自分自身で強く認識するために、こうして本(ブログ)で公言しているわけです。 

   まあ、私の本など、ほとんど読者は数人レベルですが、それでもいいのです。

  要は、自分独りで考えているだけでなく、広く世間に公言している・神に見られているという「強い自覚」こそが、私の魂にドライブをかけ(駆動して)正しいあの世へ送り込んでくれる、と信じている。

  その意味で私の信心とは「私自身の身体を張った実験」或いは「冒険」ともいえるのです。



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