第28話 武市瑞山の登場
江戸の空はどこまでも澄み渡っていたが、その澄んだ空気の下で暗闇の中から新たな影が忍び寄っていた。新徴組の隊士たちが反乱勢力の拠点を探し続ける中、街の裏通りで異様な気配を感じ取った高橋泥舟は、その先を見つめる目を鋭くした。
「誰か、来る」高橋が低く言うと、森田が直感的に周囲を警戒する。
その瞬間、静かな夜の中に足音が響き、見覚えのある男が現れた。背の高い、穏やかな顔立ちの武士。その名は、武市瑞山(たけち ずいざん)。
「武市瑞山か…」高橋はつぶやく。江戸の裏社会でもその名は知られており、ただの武士ではない。その政治的な手腕や陰謀を巡らせる才能で名を馳せていた男だった。だが、その素性に関しては謎が多く、幕府からも一目置かれている存在だ。
「高橋泥舟、久しぶりだな」武市は柔らかな笑みを浮かべ、冷ややかな目で高橋を見つめた。目の前の男の姿勢、言葉の選び方、その全てが計算されているように感じられる。
高橋は警戒を解かず、冷静に答える。「武市瑞山。お前、こんな場所で何をしている?」
武市はゆっくりと歩を進め、間合いを詰めながら答える。「答えは簡単だ。私は、今の江戸の混乱を利用しようとしている。お前たち新徴組には、その役目を果たさせているが、物事はもっと大きな力で動いている」
その言葉に、隊士たちは一瞬で警戒態勢を強める。森田は視線を武市に向けながら言った。「混乱を利用? それはどういう意味だ?」
武市は少し微笑むと、さらに言葉を続けた。「今の江戸の状態、つまり反乱勢力が活発になっているのは偶然ではない。幕府の内部でも、江戸の支配をめぐる権力闘争が起きている。私はその力関係の中で動いている立場だ」
「それがどう関係してくる?」高橋が冷たく言い放つ。
「お前たち新徴組が治安を守ろうとする一方で、私はその『守るべき』治安の中に潜む不安定な要素を取り込んでいく」武市は短く息を吐いて続けた。「実は、私の背後にも強力な手が伸びている。もしお前たちが協力してくれるなら、江戸を変革する力を手に入れることができるだろう」
その言葉に、隊士たちは動揺を隠せなかった。しかし、高橋は冷静さを崩さず、武市の目をじっと見つめた。
「変革? お前が言う変革とは、一体何だ?」高橋が問い返す。
「簡単だ」武市の笑顔が消えることなく続いた。「今の江戸の支配構造、幕府の腐敗を正すためには、時には秩序を壊さなければならない。そして、そのためには、君たち新徴組の力が必要だ」
その瞬間、高橋の心の中に何かが引っかかった。武市瑞山の言葉には、確かに一理ある部分がある。幕府の腐敗、江戸の治安を守るという名目で続く支配と抑圧の構造、そして新徴組としての役目。その中で新たな秩序を求める声も無視できない。しかし、この男が言うような「変革」が本当に江戸を良い方向に導くのか、それは疑問だった。
「お前が言っていることは、ただの理屈だ」高橋が言い放つ。「治安を守るために、何が正義か、何が必要か、それを自分たちで見極めなければならない。お前の言う変革が本当に江戸を救うのか、誰にも分からない」
武市は高橋を見つめながら、少しだけ眉を上げた。「だろうな。だからこそ、君たちがその目を開かなければならない」
その場の空気が一変する。隊士たちが引き締まった空気を感じ取り、周囲に気を配る。武市瑞山が提案する「変革」の先に何があるのか、まだ見えない。その不透明さが、逆に隊士たちの胸に重くのしかかる。
「お前の話を聞く気はない」高橋は再び冷たく言った。「だが、江戸を守るためにお前がどんな動きをしているのか、見過ごすわけにはいかない。お前が目論んでいることが、この街のためになるとは限らない」
武市は少し首をかしげ、微笑みながら言った。「いいだろう。君がどれだけその『正義』にこだわろうと、運命は待ってはくれない。時が来れば、君もその目で見ることになる」
そして、武市瑞山はゆっくりとその場を離れ、江戸の闇の中に消えていった。高橋はその背中を見つめながら、深く考え込んでいた。
高橋泥舟は、武市瑞山が去った後しばらくの間、静かに街の明かりを見つめていた。江戸の街は、相変わらずその外面的な静けさを保ちながら、裏では常に何かが動き続けている。
「彼の言う通り、江戸の改革は避けられないのかもしれない」高橋はつぶやき、周囲の隊士たちに振り返った。「だが、その方法が何であれ、俺たちの役目は江戸を守ることだ。信じられるものに従い、動くべきだ」
森田が静かに言った。「信じられるもの…。その言葉が、今の江戸にはとても重く感じられますね」
「だな」高橋が低く頷いた。「だが、江戸が生き残るためには、時に正しい選択をすることが求められる。その選択を誤らないようにしよう」
その夜、江戸の街はまた新たな暗闇に包まれ、次なる戦いの予兆が感じられた。武市瑞山が示唆したような大きな変革の波が、江戸に迫っている。その渦中で、誰が真の「守護者」になるのか、それは誰にも分からなかった。
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