心と身体

 「うぅ・・・」


 本当にアーシェラはユーリを性的に見ているのか。午前中いっぱい考えてみたが、ユーリには答えが出なかった。


 ユーリ自身が女性の身体になってから性的欲求を感じていないという事も理由の一つだろう。女性の性欲というものが、現在のユーリにはよくわからない。

 身体的接触について思い返してみても、フランのボディタッチには照れ以外の感情は無かったし、スライムが身体を這ったときは生理的な嫌悪感を感じたくらいだ。

 この身体になってからも、女性の身体に触れるのはドキドキする部分はある。だが、それが性的な欲求とは違う感じがした。男の時は身体が反応していたため分かりやすかったが、今の身体で変化はなかった。


 そういえば男性と触れる事は経験していない。


 (もしかして、男の身体に興奮したりするのかな・・・)


 酒場で働いているため、男性と会話することも多い。だが今のところ、特に男性に惹かれるような感覚を感じたことはない。

 どちらかというと、女性の方を見てしまっている傾向はあるとは思う。

 それがお手本にしようとしているのか、性愛を感じているのかは分からなかったが。


 「恋愛――か」


 そういえば、男だった時でもそういう経験は少なかった。

 学生の時は勉強、就職してからは仕事一辺倒だったからだ。

 ゲームやアニメ、映画で恋愛を眺める事はあったが、自身が経験した事はなかった。


 ――好みのタイプってあったっけ。


 恋愛対象について考えようとした瞬間、アーシェラの顔が浮かんだ。


 「――!?」


 いや、この世界ではアイドルや芸能人のような存在はなく、アニメやゲームのようなコンテンツも無い。そのためどうしても実際に接した事のある人物の顔が浮かんでしまうったのだろう。そもそもアーシェラとも会ってから二週間程度で、お互い身体は女性である。そのような対象としてみるのは失礼ではないだろうかとも思う。

 そうだ、失礼だ。


 「だ、ダメだ。一旦忘れよう・・・」


 恋愛経験のないユーリの頭では、早急に答えを出す事は難しいだろう。それに、まずは友人関係を築いてもっと親しくなる事が先の筈。


 「うん、勉強をしなきゃだし――」


 考えがまとまらないときは、作業に集中する事が一番いい。そう考え、ユーリは午後の時間を魔法の自習に費やす事にした。体育館ではなく、屋外の開けたスペースに数名の女子生徒と教員が一人立っている。少し小さめのグラウンドといったところだ。


 修練の浅い生徒達は基本的に男女別で振り分けられる。男というのは、女に恰好悪い姿を見せまいと余計なプレッシャーを感じてしまい、魔法に集中できなくなる事があるらしい。本能的なものというより、文化的な問題のようだが。

 ユーリ自身も過去に似たような経験があったと思う。そういう意味だと、女性となった今では「戦闘能力が低い」という事実がそれ程プレッシャーにはなっていないと感じる。魔法を行使することによる性差が無いという事実も大きいかも知れない。


 「ん――」


 意識を集中。

 指先に二本の水の刃を作り、回転させる。刃を長く伸ばす事も試したが、思ったよりも魔力の消費が激しくなるため止めた。代わりに、短い刃を複数作ったり、動かす事を試している。刺突剣による斬撃の弱さをカバーできるし、護身用と考えれば素手でも扱いやすそうだ。


 「もっと刃を短くして増やせば、ノコギリみたいに使えるかな?」


 今のところ水圧がそれ程強くないため、金属どころか木材にも有効ではなさそうだが、紙程度であれば余裕で斬る事ができる。もちろん手で裂く方が簡単だが。

 先日のスライムであれば、柔らかそうなのでなんとか斬れるだろうか。


 「あ、あの薄い板を使ってもいいですか?」

 「はい。いいですよ」


 教員に薄い木の板を借りて固定し、刃の潰された刺突剣をノコギリに見立ててギコギコと動かす。あまり切れ味は良くないが、何とか切断することができた。

 そんな事を考えていると、


 「ユーリちゃん。それ、お料理にも使えそうだね」


 とフラン。

 身体強化の魔法を鍛えるため身体を動かし続けていた筈だが、一旦休憩なのか汗を大き目のタオルで拭いていた。

 身体を覆う程の大きなタオルだった。


 「確かにそういう練習方法もアリかも。学校が終わってから夜には少し魔力は回復してるし、夜は眠れば全快するから効率的かも?」


 この世界では魔力と体力が全く関連していないようで、魔力の残量を自覚できない反面、完全にゼロになるまで利用しても体力的な問題は無い。


 「そうだね。女将さんにちょっとお願いしてみようかな――ってフラン!?」


 振り向いた瞬間、フランの豊満な上半身が目に入り絶句してしまう。汗で体操服が透けており、下着が薄っすらと見えていた。思わず目を逸らす。


 「?・・・うわあ、びしょびしょだね。全然気づかなかったよ。みんな女の子でよかった・・・」


 実際のところユーリは女の子ではない。フランを騙しているようで申し訳なく感じる。


 「でも、ごめんね。ユーリちゃんが恥ずかしいんだよね」

 「あ・・・うん。でもフランが謝る事じゃないよ。こっちこそ、ごめんね変な声だしちゃって」

 「うん、ありがとう。身体が冷えちゃうし、着替えてくるね」


 謝るべきなのは自分の方だ。

 女の子同士で声をあげるのも失礼だし、男として女の子の無防備な姿を見てしまうのも失礼だと思った。

 一体自分はどっちなのだろう。


 「・・・・・・」


 更衣室のある方へ歩いていくフランを見送りながら、ユーリは複雑な感情を抱いていた。アーシェラはユーリが男性であっても特に気にする事は無いと言っていた。しかし、世の中の他の女性はどうだろうか。

 『渡り鳥』での感じから、フランは男性が苦手なようにも感じる。そんな彼女の側に、友人として納まっている事は正しいのか。

 このまま、女性の身体で生活する事は許されるのだろうか。


 女性の身体になる前であれば、これもラッキーだと思っていたかも知れない。だが、実際に女性の身体になったせいか、ユーリにはそうは感じれなかった。

 アーシェラの話しぶりから、すぐに男性に戻るような手段は無いのだろうと思う。それを見つけることは、一生を掛けてもできないかも知れない。


 (・・・女の子として、生きていくしかないのかな)


 この世界に来て二週間。今の生活に慣れてきて、色々なことに気が回る様になってきた。正直、あまり考えないようにしていたところもあったのだろう。

 だが、気付いてしまった以上はそうも言っていられない。


 「前は、どんな風に考えて生きてたっけ・・・」


 自分が男性である。という事を深く意識して生活する事はあっただろうか。

 二次性徴の時期、声変わりの時期にはそれなりに戸惑った記憶がある。その後はそれが当たり前という感覚でしかなかった。


 恋愛対象についてはどうだ。何故女性が対象だと思うようになったのか。女性の裸にドキドキしたからか。しかしそれは銭湯などで男の身体は見慣れていたからではないか。先に「自分が男だから」という前提が無かったか。


 「――――」


 もしそうであれば、身体が男性だったから、ということであれば、今は男性に興奮してしまうのではないだろうか――。


 思い返せば、思考が身体に引っ張られているだけで、自分では考えていない。それが当たり前だと思い込んでいただけだった。だが、それに違和感を感じなければ、それは自然な事だとも言える。


 今の自分は大人の女性に近い。

 二次性徴の時期を飛ばし、同性と異性の違いを肌で感じる事もできず、ただ急に身体が女性となってしまった。心と身体のズレを感じ、急に不安になる。


 集中が途切れ、刺突剣の片面に生じさせていた水の刃が全て霧散する。


 「すぐに答えが出るようなものじゃない・・・。アーシェラ様やフラン、街の人たちと接していって、少しずつ擦り合わせていくしかないと思う。でも――。ああっ!ダメだ、ダメだ――」


 まだ頭の中はモヤモヤしており、魔法を行使できる気がしない。こういう時は、純粋に身体を動かすのが一番だ。これは、綾瀬悠里の人生経験で身に着けている真理の一つだった。


 「――っぱ筋肉しかない」


 筋肉。


 「ダイエットには基礎代謝!」


 ユーリはこの二週間で明らかに太っていた。

 女将の作る料理が美味しすぎるため、食べ過ぎてしまうからだ。フランも沢山食べる事には肯定的で、沢山食べる事を勧めてくるというのも理由の一つ。


 身体を動かし、筋肉をつけて代謝を良くする。筋肉が付けば身体強化に比例して腕力などをカバーできる。二の腕や腹回り、脚が綺麗になれば、可愛い服も似合うようになる。全てが好循環だ。


 「うん、セーラー服が切れなくなるのも困る!――よし!」


 理想の身体をイメージ。剣を振り始めた。

 

 「セーラー服のッ、替えはッ、無いッ。折角のッ、セーラー服ッ、なんだからッ、可愛く着こなしたいッ!それに!スタイルがッ、良く成ればッ、可愛い服だってッ、似合うようになる筈!」

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