???・アヤセ
「ん・・・暗い」
大人数人が寝そべれるサイズのベッドで目を覚ましたアーシェラは、窓から光が射しこんでいない事に気付いた。いつの間にか夜になっている。
昨日から徹夜だったせいだろう。昼に寝てしまうと
(少し横になるだけのつもりだったのに)
来ていたままだった白と青の服、ブーツから順番に服をその場に脱ぎ捨てていく。そして、テーブルに置いてあった球体を手に取った。
全裸になったアーシェラは、半開きの目を擦りながら部屋を出た。身長は低めで華奢な体つきだが、胸はそれなりにある。アヤセよりは小さいが、貧乳という程小さくもない。
冬の夜の空気は肌に刺さるが、今日はあまり気にならなかった。
そのまま一階まで下りてロビーを通り、浴室まで歩いていく。全裸で。
アーシェラが部屋から出て浴室にたどり着くまでの間、人の気配はなかった。もう80年以上、この屋敷にはアーシェラ以外は住んでいない。たまに訪れるのは七賢者くらいだが、ほとんどの場合は「城」の研究室で用事が済むため、この屋敷に足を踏み入れた人間はここ半年以上居なかった。
一年に一度、監査のため元老院関係者と七賢者訪れるだけだ。監査という名目ではあるが、実際は反国家などの危険思想を探るための家探しである。
「―――」
浴槽。5、6人は同時に入れそうな空洞に手を差し込むと、アーシェラは水の魔法と炎を重ねてお湯を張りながら、
「・・・アヤセ」
と口の中でその名前を転がした。
現時点では、魔法に非常に興味があるだけの没落貴族の家出少女。世間知らずのおのぼりさんだが、頭の回転が速く真面目な性格の少女であるという印象だった。印象というだけであれば。
「本当にそれだけだとは思えない。彼女には何か隠し事がある」
アーシェラはそれを確信していた。
その思考の間にお湯が張り終わる。これ程まで高速でお湯を張れる魔法使いは世界中に5人と存在しないだろう。
ゆっくりと浴槽に身体を沈める。お湯の熱が強張った身体の筋肉を弛緩させ、足先から頭の先までの血流を穏やかに加速させた。眠気が消え、意識がはっきりとなる。
手入れの行き届いた水色の長髪が、表面張力で湯船に浮いていた。
「・・・」
怪しい点としてはいくつかある。
目を閉じて整理を始めた。
「これみよがしにボクの屋敷から見える位置で、城の開門を待っていた。この寒い時期に。しかも早朝から」
お金の節約のため、であれば理解できるがわざわざあの場所である必要はない。ただ、これは怪しさとしての点数は低い。
「魔法への興味が強くて、色々な知識を持っていそうなのに、魔法を一度も使ったことがない理由がわからない」
箱入り娘であり、魔法を使わないように禁止されていた。という想像もできたが、別に危険ではない魔法もたくさんある。知識を取得できるという環境に、魔法を使える有識者が居なかったとは考えにくい。これは怪しさとしての点数は中くらいだ。
「そして今日、新しい反応が一つ増えた・・・」
手に持った球体に小さな光が3つ、大きな光が1つ輝いている。1つ光が増えたという事が何を意味するのかというと。
「つまり、この街にまた1人『魔族』かそれに類する者が入り込んだ」
100年前、人間と対峙した存在。それが『魔族』だった。
この魔法道具と検知網を共同開発したヴェンツェ卿と朝に会話した際、あのタイミングで既に今朝入港した船に『魔族』の反応は無かった事を確認済みだった。ロックハート卿が七賢者に就任して以降、治安維持部隊の情報連携は素早い。
そして、アヤセが着ていたような珍しい服の、金髪碧眼の美少女が船に乗っていたという形跡はなかった。荷物に隠れての密入国にしては、彼女の姿は小奇麗すぎた。
それは、どこから入り込んだのかもわからない異分子が一人、アーシェラの前に姿を晒したという事。
――その理由と目的は不明。
魔族だからといって、必ずしも人間に悪意をもつものではない。100年という年月は戦争を忘れるには十分な年月だ。現にこの街には他に3名の魔族が住み着いている。
まだ特定はできておらず一部を推測する事しかできていないが、元老院も七賢者も要観察とだけ判断して特別な行動はとっていない。北の地から離れたこの街は魔族との交流がほとんど皆無であり、過去に大きな被害を被った事が無いためかもしれない。
それでも、アーシェラは100年を超える人生のなかで、これまでなかった程にアヤセ某の事が気にかかっていた。
「・・・アヤセ」
もう一度口の中で、自分を『アーシェラ』と呼んでくれた娘の名前を転がすと、閉じられたままの瞼の裏に、金髪碧眼の少女の顔が浮かんだ。
『アヤセ』という音が、どうにもしっくりこない。
15歳のとき両親が亡くなってから100年、今の身体が固定されてから99年の間、アーシェラは『ワイヤード』の領地名で呼ばれ続けていた。そして今日『アーシェラ』とファーストネームで呼ばれた事が、自分でも驚くほ嬉しく感じたのだ。
「キミは、いったい・・・何て名前なんだい?」
魔族である可能性がある以前に、彼女には怪しさが溢れている。それを七賢者として警戒する義務がアーシェラにはあった。だが、個人としてはその怪しさにさほど興味はなかった。
ただ、名前を呼びたい。お互いに呼び合いたい。ただそれだけの理由で、ヴェンツェ卿との会話を切り上げ急いで彼女の前に戻った。
しかし、そこで不用心な彼女に説教をしてしまった。彼女は気分を害してしまったようだった。
この100年間、アーシェラは人に名前を尋ねた事がなかった。人に興味はなく、興味があるのは魔法だけだった。
――そう思い込んでいた。
ファーストネームではなくファミリーネームを伝えてきたアヤセ。彼女は自分には興味が無いのかも知れない。
彼女が興味があったのは、アーシェラでは魔法なのだ。当然だろう。
『アーシェラ様』と呼ぶ声を思い出す。
「――様なんて、いらないのに。アヤセの・・・バカ」
やはり、しっくりこなかった。
目を開けて窓の外を見上げると、闇の中に大きな月が浮かんでいた。
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