鳥籠の公爵夫人
蓮
前編
エルヴィーネ・イゾルデ・フォン・オルデンブルクは誰からも羨ましがられる人生を送っていると言えるだろう。
エルヴィーネの生家はガーメニー王国内でもかなり裕福なカレンベルク侯爵家。家族に恵まれ、何一つ不自由なく過ごしていた。
波打つようなブロンドの髪に、アズライトのような青い目。エルヴィーネは容姿にも恵まれている。
優秀な家庭教師のお陰で色々なことを学べ、淑女の鑑と言われたエルヴィーネ。
そんな彼女はガーメニー王国筆頭公爵家であるオルデンブルク家に嫁ぐことが決まった。
エルヴィーネの夫になる人物は非の打ち所がない。
オルデンブルク公爵家の家族とも良好な関係を築け、後継ぎとなる息子の他に男児を二人、計三人の子を生んだエルヴィーネ。今年八歳になる長男ゲーアハルトは少しだけ不器用ながらも領地経営などをしっかり学んでおり、将来は優秀な当主となるだろう。次男と三男も、幼いながら将来有望だと言われている。
しかしエルヴィーネは自分の人生に嫌気が差していた。
(贅沢なのは承知だけれど……こんなの
エルヴィーネはサンルームで紅茶を飲みながらため息をついた。
暖かな日差しとは裏腹に、エルヴィーネの心は沈んでいる。
確かにエルヴィーネは恵まれた立場にある。しかし、それはエルヴィーネが選んだことではなかった。
親が選んだドレスやアクセサリーを身に着け、親が選んだ家庭教師からマナーなどを学び、親や周囲が望むように振る舞い、親が選んだ男性と結婚する。そこにエルヴィーネの意思は入っていなかった。
(……貴族として生まれたからには、仕方がない部分はあるけれど)
エルヴィーネは再びため息をつく。
エルヴィーネの周囲には、自分の人生を決められた道を歩くだけだと嘆く者もいる。
しかし、彼女はそれすらも羨ましいと思っていた。
(決められた道と言うけれど、自分の足で歩けるだけまだ良いじゃない!
そう叫び出したかったが、エルヴィーネはグッと堪えた。
そして、誰もが見惚れるような美しく品のある笑みを浮かべるのであった。
誰もが羨む人生を送るエルヴィーネ。しかし、エルヴィーネ自身はその人生が酷くつまらなくて、まるで自分の人生ではないかのような悍ましさを感じていたのである。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
そんなある日、エルヴィーネはガーメニー王国の王都ネルビルの公園を散歩していた。
爽やかな風が青々とした木々を揺らしている。新緑の香りが公園全体を包み込み、その空気はとても清々しい。地面に咲く花々も色鮮やかで、公園に来る者達を楽しませている。
しかし、エルヴィーネのアズライトの目には覇気がない。アズライトの目に映る全てが色褪せて見えたし、吸い込む空気もどんよりしているように感じたのだ。
(このつまらない人生はいつ終わるのかしら……?)
エルヴィーネは憂いを帯びた表情だった。
その時、少し離れた場所でトラブルが起こる。
若い女性と、壮年の男性が揉めていた。女性はエルヴィーネよりも少し若いように見える。
若い女性はキャンバスを男性から死守しているように見える。
「やめてください!」
「は? 何でだよ? 俺は正しいことを言ったまでだ。女が画家を目指すなんておかしいに決まってる!」
「私の人生を見ず知らずの貴方に決められる筋合いはないです」
「女の癖に生意気だ!」
男はムッとし、キャンバスが乗せられたイーゼルを蹴り飛ばした。
イーゼルは倒れ、キャンバスは地面に落ちる。
男はそれで満足したのか、謝ることもせずその場を立ち去った。
女性は無言のまま倒れたイーゼルを立て直す。落ちたキャンバスを再びイーゼルに乗せ、絵を描き始めた。
「私は、絶対に負けない……! 画家になって見せる……!」
女性のジェードのような緑の目からは力強さを感じた。
エルヴィーネはその女性に目を奪われていた。
少し傷んでいる長い赤毛、真っ直ぐ力強いジェードのような緑の目。
そして何より女性が描く絵からは魂の叫びのようなものを感じた。
気付けばエルヴィーネはその女性に近付いていた。
当然、女性もエルヴィーネの存在に気が付く。
女性はエルヴィーネを見てギョッとしていた。
「あの……どうかしたのですか……? どうして泣いているのですか……?」
女性のジェードの目は、困惑したように見えた。
「え……?」
エルヴィーネはきょとんとアズライトの目を丸くする。その時、頬が濡れていることに気付いた。
アズライトの目からは、一筋の涙が零れ落ちていた。
「あ……
何かを言いたいのだが、上手く言葉に出来ないエルヴィーネ。こんなことは初めてだった。
その時、急に空模様が変わり、勢い良く雨が降り出した。
ガーメニー王国の天気は気まぐれで変わりやすい。先程まで晴れていたと思いきや、このように急に雨が降り出すことも多々ある。
「うわ! 早く片付けないと!」
女性は急いでイーゼルやキャンバスなど、絵画に必要な道具をしまう。
エルヴィーネは呆然と立ち尽くし、あっという間にドレスがびしょ濡れになってしまった。
「あの……大丈夫ですか? 素敵なドレスが濡れていますけど……。そのままだと風邪引きますし、私の家で雨宿りします?」
女性は立ち尽くすエルヴィーネを放っておけなかったようだ。
エルヴィーネはその言葉にただ頷くことしか出来なかった。
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