第22話 大事な存在

「こちらに取り入ろうと必死な連中に挟まれて、殿下だって気苦労が絶えないんだよ。ただご本人が否定をされない時点で、ラリアを気に入っているんだろうとは思うけど」

 義父の言葉にギリッと奥歯を噛んだ。またもや手の届かない所に連れていこうとするなんて。怒りで脳内が沸騰しそうになるが、義父のお陰で冷静さを失わずに済んでいる。深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 

「しかし俺の許可がなければ不可能では? 彼女は魔術師団長の娘でもありますが、ホルスト家の一員です」

「そっちにも手紙を送ったとは言っていたけれど、その様子だと見ていないようだね? ラリアが怪我をしたから見舞いを優先したんだろう」

 わざわざ殿下自身が見舞いに来たことを思い出す。あれはご機嫌伺いだったのか? そんなもの逆効果だったが。

「やっぱり追い返してやればよかった……っ!」

「調査は終わったからこれは想像でしかないのだが、もしかしたらラリアが庇った子は元々自分が襲われる手筈だったのかもね。それを口実にラリアと殿下を引き合わせる予定だったと邪推してしまう」

「……確かに、そうですね」

「結果として、運悪くキメラに当たってしまって予想外だったろうけど、向こうにとってはジェフリー様の身内のような者をラリアが庇ったのはラッキーだったね。結果屋敷の中にまで入れたわけだし。その後にラリア本人に会う口実にもなる」

「…………っくそ!」

 

 無駄だと分かっていても力が入ってしまい、依然縛られたままの見えない縄が身体に食い込んだ。大切に大切に囲い込んでいる隙を狙われているなんて……。

 

 頭ではいつも警戒していたつもりが、想定外だったラリアの記憶が抜けてしまった問題と、それにもかかわらず受け入れて、あまつさえ好きだと言ってくれたことが嬉しくて、正直浮かれていた。なんせ長い間、片思いを拗らせていたのだ。同じように愛されようだなんて思ってはいない。俺がラリアに向ける愛が重すぎるのは自覚している。

 結婚してから数年間は距離を測りかねて、手を出せずにいたなんて誰も知らないだろう。いつかは、と思っていたが魔術師団に入ったばかりで張り切っているラリアに水を差して、結婚自体をマイナスに思われたくなかった。俺と結婚することの利点を並べ立てて口車に乗せた以上、ラリアの全てが欲しいという欲望を我慢するのは当然だと思っていた。無防備に隣で熟睡しているラリアを見つめながら、毎晩自分を慰めていればいい。

 それが漸くこの一年ほどで名実ともに夫婦になれたのだ。きっかけはラリアが「エリックとの子供を育てたい」と言ったからだが、そこからは箍が外れたように毎晩求めてしまったけれど、恥ずかしがることはあっても拒否されることはなく。戸惑いつつも受け入れてくれて幸せだった。それなのに。

 

「ラリア本人が行きたいといえば難易度が確実に下がる。『どうしても行きたいの、お願い!』と言われて揺れない自信はある?」

 脳内のラリアが可愛らしくおねだりをする。無表情を装っているものの、内心はデレデレになるに決まっているが。けれどそれが手元からいなくなることならば許可なんてするはずがない。父と夫の、それこそ愛の種類の違いだ。

 さすがに義父は、夫がそこまで執着をしているなんて知らないのだろう。目の前の婿こそが危険人物であると思われては、ラリアをこの実家に匿ってしまう恐れがある。さすがに彼と戦って無事ではいられない。

 

「それは、まぁ、そうかもしれませんね」

 だから俺はそう答えるにとどめた。ラリアとこれからもずっと一緒に生きていくためにも、彼女の実家とは良好な関係を築いていきたい。

 

「未婚の王子だからお供に既婚者を連れていくのは分からないことでもない。けれど元々婚約の話が出ていたという事実はホルスト家にもよくないのではないか、と忠告したんだけどね。婚約は実際していないし、エリックと結婚したのだからいいだろうと、あまり納得はしていないようだったな。それに君が留学先まで押しかけたことは不問にしたのに、と言われてしまえば声も上げにくい」

「あの時は考えや行動も若かったので。ですが何度だって同じことをしてしまうでしょう」

「はは、うん。だろうね……」

「ただ、今回はラリアの意志でもある、っていうんだ」


「はぁ!? そんなこと一言も聞いてません」

 ラリアが行きたがっている……? 突然子供が欲しいなんて言い出して浮かれていたが、もしかしてその時に何かあったのか?

「ラリアには夢があったらしいんだ。僕も初耳だったんだけど、現在のラリアにここ数年の記憶が抜けていてエリックも聞いたことがないとなると、知るのは難しいな」

「夢……といえば魔力を持つ子供に適した教育を与えてあげたい、と言っていたことはあります」

「なるほど。ササルタが魔力育成の最先端だからか。いやぁ、ラリアの愛だねぇ。小さい頃に苦労したエリックを間近で見ていたからだろう?」

  

「はぁ……」

 大きな溜息を落として、ソファーに背中を預けた。フッと身体が軽くなった気配がして、拘束が解かれたことを知る。ゆっくりと手を開閉していると、紅茶のいい香りがしてきた。団長自らカップに濃い飴色の液体を注いでいる。代わろうと慌てて手を伸ばすも、

「解けたばっかりではポットを落とすといけないからね。そのままでゆっくりと指を動かしていてごらん」

 と、制されてしまった。

「すみません」

「相変わらず表情が硬いよ。リラックスしてごらん」

「生まれつきです」

「いや、小さいときはほっぺも真ん丸で可愛かったよ? 泣き虫でよくラリアに宥められていたのにね」

 ソーサーを前に置かれ、立ち昇る湯気を眺めた。そうだ。小さな頃は俺のほうが我儘だった。それをしょうがないな、とラリアが笑って聞いてくれるのが堪らなく好きだった。

 

 渡航をして学びたいと思いながらも、どうして子供を欲しがったのだろう。今となっては確認のしようがないのが悔やまれる。一体ラリアの意図は何だったのか。まさか子供さえ産んでしまえば、俺から逃げられるとでも……?

 

「…………」

 

 紅茶を飲みながら、ロジャーは俯いて黙りこくってしまった義理の息子を見つめた。彼のラリアに対する重すぎる想いに勝てる男なんて、この世には存在しないだろう。仕方がないから一番近い場所を譲ってやったのだ。ロジャーにとって娘は唯一無二ではあるが、妻というとても大切な存在があればこそなので。

 正直娘が不憫な気がしなくもない。これまでありとあらゆる好意と恋のチャンスを、この男に悉く潰されてきたのだと推察できる。愛しい美人の妻との自慢の娘だ。モテないはずがないのに、ラリア本人は自分のことを魅力がないと思っている節がある。今回の件でエリック以外にも必要にされたと、その気になってしまったのかもしれない。

 

 前回の留学の時もそれはそれは大変だった。ラリアを追って自ら留学許可をもぎ取って追いかけた、そのスピードと熱意は純粋に尊敬に値するし、そんな彼の手の中にいれば娘は安全ではある。と、思うようにしている。

 

 ただエリックにも言ったように、幼いころから知っている彼もまた息子のように大事な存在であるから、そんな二人には心穏やかに仲良く暮らしていて欲しい。だから団長として海外への派遣を認めない理由を探してあげなくては……と考えていたら、ふいにエリックが顔を上げた。嫌な予感がする。

 

「出発の予定は伺っていますか?」

「三か月後の月初めの日と聞いているけど」

「分かりました。それならなんとかなるかもしれません。いや、なんとかします!」

 なんとかなる? 何が? それは聞いてもいいものか戸惑ってしまった。魔術師としてではなく、親の予感だ。まぁ、でも正直……

「……孫の顔を見たくはあるよ」

「はい! ご期待に添えるように頑張ります! ですので当分は大きな任務は俺だけでお願いします」

 

 キラキラとした表情で紅茶を飲み干すエリックを、なんともいえない表情でロジャーは見つめた。

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