第34話『アルスマグナ式大掃除』


 その日、目が覚めるとスマホの充電が切れていた。


 記憶の糸をたどり、ベッドで動画を見ながら寝落ちたことを思い出す。


 どおりでアラームが鳴らなかったわけだ……なんて寝起きの頭で考えつつ、テーブルに置かれた時計に視線を送る。


 ――8時11分。


 ……あ、終わった。


 星光せいこう学園の一限目は8時30分からだが、バス通学の俺はどうやったって遅刻確定だった。


 いまだ夏休み気分が抜けていない自分に嫌悪感を覚えながら、スマホを充電ケーブルに挿す。


『なんでバス乗ってないの?』


 それからスマホの電源を入れると、玲奈れいなからのメッセージを受信した。


『今起きた。一限目は行けそうにない』


『何してるの、もー』


 正直に伝えると、そんなメッセージが返ってきた。ため息をつく玲奈の姿が容易に想像できる。


『今から迎えに行くから、待ってて』


 続いて、そんなメッセージが来る。


 玲奈はもう教室に入っている時間帯だし、どうやって来るんだ?


 俺は首を傾げたあと、服を着替え始める。


 ……その時、部屋中央の空間が歪み、人がひとり通れるほどの『門』が出現した。


「ほら、迎えに来たよー……って、わああぁっ!?」


 次の瞬間、その門を通って玲奈が現れるも……着替え中の俺を見て顔を覆う。


「きゃーー!」


 俺は何となくそう叫んだあと、いそいそと着替えを済ませた。


 ◇


 それから身支度を整えた俺は、玲奈とともに『門』を通り抜ける。


 たどり着いたのは教室……ではなく、学園裏に広がる森だった。


「あれ、なんで森?」


「いきなり教室の中にわたしたちが現れたら、皆びっくりするでしょ」


 玲奈は当然のように言って、森の出口に向けて歩き出す。


 それについて行きながら、俺は大事なことを思い出した。


「……しまった。数学の課題、家の机に置きっぱなしだ」


「ええっ、今日が提出期限だよ? それに一限目だし」


「そうなんだよ……この課題が出せないと、放課後に追試を受ける羽目になる」


「あの先生、厳しいもんねぇ……使う?」


 同情するような視線を俺に向けたあと、玲奈は『門』のカードを差し出す。


「ありがとう。恩に着る」


 俺はそれを受け取ると、腕が通るサイズの門を生み出す。繋げる先は、当然俺の部屋だ。


 目視で机の上を確認すると、その門に手を突っ込み、一枚のプリントを引っ張り出す。


「よし、これで追試回避だ」


 安堵感と同時に、なんともいえない倦怠感が襲ってくる。


 これは魔力を大量消費した時にやってくる感覚で、それだけ『門』のカードの魔力消費が激しいことを意味している。


 小さな門を開いただけなのにな……玲奈や鬼ヶ瀬おにがせさん、どれだけ魔力多いんだよ。それか、俺がまだまだ少ないのかな。


「あら~。玲奈ちゃんに敷戸しきどくんじゃない~」


 そんなことを考えながら門を閉じた時、突然声をかけられた。


 見ると、森の出口に天ヶ瀬あまがせ姉妹が立っていた。


美乃里みのり先輩、明香里あかり先輩、おはようございます」


「ん、おはよ」


「おはよう~。こんな場所で会えるなんて思わなかったわ~」


 美乃里先輩は栗色の髪を揺らして玲奈に駆け寄り、思いっきり抱きしめた。


「ん~、朝から玲奈ちゃん成分を補充よ~」


「お姉ちゃん、遅刻するよ」


 幸せそうな顔で謎の言葉を口にする姉を尻目に、明香里先輩は校舎に向かって歩いていく。


「ええ~。少しくらい良いじゃない。ねぇ?」


「わ、わたしも遅刻は嫌なんですけど……」


 思いっきり頬ずりされながら、玲奈がなんともいえない顔をする。


 というか、いくら『門』のカードでショートカットしたとはいえ、そろそろ教室に入らないとまずい。


 まだまだ名残惜しそうな先輩を必死になだめて、俺たちは教室に向けて走ったのだった。


 ◇


 そして迎えた放課後。


 忘れそうになった課題を無事に提出したことで、俺は数学の追試を回避。これからは自由の時間だ。


「はぁぁ……」


 教室が活気づく中、瑞帆みずほだけが元気がなかった。まだ例の猫が見つかっていないのだろう。


 声をかけようか迷っていると、瑞帆は鞄を手にし、そそくさと教室から出ていった。


 まことも秋の大会に向けて部活が忙しくなってきたとかで、すでに教室にその姿はない。


 俺はしばし考えて、玲奈と部室に向かうことにした。



 ……やがて部室にたどり着くと同時に、奥から何かが崩れるような音がした。


 おそるおそる覗いてみると、そこでは湯平ゆのひら部長が無数の段ボール箱に埋もれていた。


「……部長、何してるんですか?」


「いやー、部室の掃除を兼ねて奥の棚を整理していたのだけど、全く進まなくてね。挙句の果てに段ボールは崩れてくるし……まいったよ」


 段ボールの海から脱出したあと、部長は頭をかく。全身埃まみれだった。


「俺たちで良ければ手伝いますけど」


「そうかい? それじゃ、部室の掃除をお願いできるかな」


 床に散らばった会報の束を拾い上げながら部長が言う。俺は頷いて、近くの掃除道具入れを開けた。


「……うわ」


 そこにあったのは、毛先がボロボロのほうきと、取っ手がひん曲がった鉄製のちりとりだった。


 かなりの年代物で、下手をすればゴミとして捨てられていてもおかしくない。


「この部室、かなり広いですけど……これで掃除するんですか?」


「そうだよ。可能なら掃除機くらいほしいのだけどね。パソコンが置かれるようになって、埃も溜まりやすくなったし」


 ガサゴソという物音とともに、部長の声が飛んでくる。


「あくまで研究会だから、予算がないんだ。学園長としては私物のロボット掃除機を置きたいらしいけど」


「あれ、便利そうだよね。勝手に掃除してくれるなんて、憧れちゃう」


 手にしたほうきを動かしながら、玲奈がそう口にする。


 その間にも、ほうきの毛がパラパラと抜けてゴミが増えていた。こりゃ駄目だ。


「玲奈、ストップ。これじゃ掃除にならないぞ」


「わ、ほんとだ……どうしよう」


 思わず声をかけると、玲奈もほうきの劣化に気づいたらしく、その手を止めた。


「この際だし、アルスマグナ式掃除機を試してみよう」


「アルスマグナ式?」


 続いて俺がそんな提案をすると、玲奈は首を傾げた。


「俺たちはマグナカードが使えるんだぞ。これを掃除に生かさない手はない」


「マグナカードで掃除……面白そうだけど、具体的にはどうするの?」


「まぁ見てなって。まずは埃を一箇所に集めて……」


 言いながら、俺は『風』のカードを発動。緩やかな風を起こし、床の埃を巻き上げていく。


 その風に混ぜるように、『雷』のカードで静電気を発生させる。これには空気中に散らばった埃をまとめる役目がある。


「わああ……すごい」


 その光景を見て、玲奈が感嘆の声を上げていた。


「ふっふっふ。これからがアルスマグナ式掃除機の本領発揮だぞ。奥様、しかとご覧ください」


 それに気を良くした俺は、さらに魔力を込める。


 細い竜巻を部屋の中央に発生させ、舞い上がった埃たちを一箇所に集めていく。


「……じ、じゅんくん、ちょっと風が強すぎない?」


「え?」


 言われて視線を送ると、玲奈が慌てて自身のスカートを押さえていた。


 それに続いて、壁に貼られていたポスターや机の上の小物が竜巻に巻き込まれていく。


「うわ、やべっ」


 とっさに竜巻を打ち消すも、もはや後の祭りだった。


 その床にはありとあらゆるものが散乱し、掃除を始める前より遥かに悲惨な状況になっている。


 ……いくら規模を小さくしたって、竜巻は竜巻だった。室内で発生させるものじゃなかった。


「アルスマグナ式掃除機は開発中止だね」


 俺と同じように室内を見渡しながら、玲奈が呆れ顔で言う。俺は平謝りするしかなかった。


 ◇


 すっかり荒れ果ててしまった部室を片付けるのに、それから数時間を要した。


 全てが終わった頃には、すっかり日が沈んでしまった。


「はぁぁ……疲れたな」


「うん……」


 最終便のバスになんとか乗り込み、俺と玲奈はほっと息をつく。


「これに懲りたら、マグナカードで掃除なんてしないこと」


「はい……」


 俺は素直に頭を垂れる。


 最初は玲奈も乗り気だったじゃないか……なんて、とても言える状況じゃなかった。


「次は桜木町ー。桜木町ー」


 しばらくバスに揺られていると、玲奈が下りるバス停が近づいてくる。


「それじゃ、また明日ね」


 バスが停車したのを確認して、玲奈は軽く手を振り、バスを降りていく。


 それを見送っていると、彼女はバスを降りてもなお、車内の俺に向かって手を振ってくれていた。


 俺も手を振替していると、そんな玲奈の背後に、一匹の猫がいることに気がついた。


 闇夜に輝く青と赤のオッドアイに、街の灯りに照らし出される星のような模様。


 ……あいつ、まさか。


「すみません! 降ります!」


 次の瞬間、俺は運転席に向かって叫んでいた。

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