第18話 毒に染まる
「凛雲様、こちらに生存者がいます!」 李禹の鋭い声が緊張感を孕みながら響いた。凛音と洛白が声の方向へ急ぎ足で向かう。
そこには、一人の年老いた男性が倒れ込んでいた。服は泥と煤で汚れ、骨ばった手がわずかに動き、息も絶え絶えの声で何かを呟いている。
村の内部はかなり酷い惨状だった。焼け焦げた家屋、散乱する家畜の死骸、風に乗って漂う腐臭。生活の痕跡は無残に破壊され、黒く焦げた木々が荒廃の象徴としてそびえている。遠くからは、カラスの鳴き声が不気味に響いていた。
「大丈夫ですか?何があったのですか?」凛音が膝をつき、老人の顔を覗き込む。
洛白が老人の脈を取りながら短く呟いた。
「生きていますが、かなり衰弱しています。」
老人は薄く開いた瞼の奥から、掠れた声で断片的な言葉を発した。
「十年前も……同じことが……」
しかし、それ以上話すことなく、老人は再び気を失った。
凛音は手早く荷物から水袋を取り出し、老人の口元へ運んだ。
洛白が立ち上がり、周囲に目を配りながら低い声で言った。
「空気に毒素が混じっている可能性があります。深呼吸は避け、手短に済ませるべきだと思います。 」
凛音はその言葉に反応し、足元に目を向けた。地面の一部が妙に盛り上がっていることに気付き、しゃがみ込んで灰と土を払いのける。
「これは……」
そこには、絡み合うような線がうねり、輪のように描かれている。不規則に突き出た鋭い棘のような形が、どこか危険な印象を与えていた。
中心付近には、崩れかけた花弁のような形――いや、単なる土の形跡かもしれないが――かすかにその輪郭を浮かび上がらせていた。
洛白がその図案を一瞥し、わずかに眉をひそめた。
「これは……意図的に隠されたもののようですね。」
「一体、何のために……?」
凛音の問いかけに誰も答えることはできなかった。不安を煽る沈黙の中、彼女はふと遠くの空を見上げた。
洛白はやはり毒素の影響を気にしているようだった。彼は凛音の側に近寄り、低く問いかけた。
「肩の傷はどうですか?毒が回っている可能性もあります。これ以上の無理は控えたほうがいいかもしれません。」
凛音は短く息を整え、力強く答えた。 「まだ動けるわ。大丈夫。」
彼女の言葉に洛白は少し目を伏せ、短く頷いた。その目には微かな懸念が浮かんでいたが、彼女の意志を尊重してそれ以上は言わなかった。
洛白が水井に近づき、足を止めた。彼は荷物から小さな器具を取り出し、慎重に井戸水をすくい取る。
「この水……色も匂いも異常です。毒が混ざっている可能性が高い。」
彼は器具越しに水を観察しながら低く呟いた。
凛音は周囲に目を向けた。燃え残った木材には液体が撒かれたような痕跡があり、その痕跡が刺すような不安をかき立てた。
「これほど計画的な破壊……一体誰が……?」
その時、李禹が剣の柄を握りながら低く言った。 「誰かが近づいています。」
瞬間、黒装束の刺客たちが周囲の木陰から姿を現した。短剣と毒矢を手にし、明確な殺意が三人を取り囲む。
「伏せて!」李禹が鋭く叫び、剣を抜き刺客に立ち向かった。その刃が鋭く交わり、火花を散らす。
しかし、刺客の数は多く、一人が凛音に向かって刃を振り下ろす。肩の痛みが一瞬彼女の動きを遅らせる――その時、洛白が間に割って入った。
彼は懐から数本の銀針を取り出し、素早く刺客の腕を狙って放った。その瞬間、刺客は動きを鈍らせ、隙が生まれた。
「ここは戦う場所ではありません。」洛白の毅然とした声が響く。「撤退を優先してください。」
彼は懐から煙筒を取り出し、地面に叩きつけた。白い煙が瞬く間に広がり、刺客たちの視界を覆う。その隙を突き、三人は村の外へと向かった。
ようやく村を離れ、一行は荒れ果てた道の脇で息を整えた。
凛音は肩を軽く押さえながら座り込んだ。洛白が膝をつき、手際よく包帯を巻き直していく。
「動かないでください。傷が開く恐れがあります。」
穏やかな声で注意を促す洛白に、凛音は短く頷いた。
「あなた、本当にただの医者なの?」
凛音の問いかけに、洛白の手が一瞬止まる。しかしすぐに手を動かしながら、柔らかな微笑を浮かべて答えた。
「患者を助けるのが医者の仕事です。それ以上でも、それ以下でもありません。」
その答えに納得はできなかったが、凛音はそれ以上問い詰めることはしなかった。
焚火の炎が小さく揺れ、辺りに暖かい光を投げかけている。
向こう側に座る李禹が、一言も発せず二人のやり取りを見つめていた。
この男……何かを隠しているな。だが、凛雲様を守ろうという意志だけは本物だ。
その目には警戒と探るような色が浮かんでいる。
「刺客たちはただの匪賊ではない。」李禹が低い声で言った。「彼らの動きは明らかに訓練されたものです。それに、あの毒と村で見つけた異様な痕跡……普通の襲撃ではない。」
「目的はおそらく、私たちが真相に近づくのを阻止することだろう。」 洛白は少し考え込む様子で、短く答えた。その声には微かな苛立ちが混じって、仮面の下で鋭い眼差しを輝かせていた。
凛音はその言葉を胸に刻むように静かに息を吐き、遠くの闇を見つめる。
この先に何が潜むのか、何が待つのかは、誰にも分からない。
深夜、冷たい風が荒廃した村を吹き抜け、月光が薄雲の間から漏れ出ていた。
丘の上、焼け焦げた廃墟を遠く見下ろす青年。
その静かな姿には、ただの旅人ではない威厳が漂っている。
「殿下。」
「報告を。」
「村の生存者は数名確認しましたが、井戸を中心とした毒素の影響で重篤な状態です。加えて、村全体の破壊痕跡から計画的な手口が見受けられます。刺客の行動も、これと密接に関連していると考えています。」
蓮は視線を廃墟に向けたまま、眉を僅かに寄せ、微かに憂いを帯びていた。
「毒と刺客――両者を繋ぐ者が背後にいる。偶然ではない。」
「殿下、凛雲様の体力では、次の襲撃に耐えられない可能性があります。ご判断を仰ぎます。」
「彼女の意志を止めることはできない。だが……危険が迫れば、私が守る。」
蓮は再び村を見やりながら低く命じる。
「生存者を保護し、安全な場所へ移せ。毒の影響を除去できる手立ても尽くせ。彼らを見捨てることは許されない。」
「御意。」
風が強まり、焼け跡の残骸が微かに軋む音を立てる。
「この闇の奥に潜む者を見つけ出し、必ず終わらせる。」
翌朝。
冷たい空気が漂う中、三人は準備を整え、森の中を進んでいた。小道の先は薄暗く、周囲の木々がその視界をさらに遮っている。
洛白がふと足を止め、周囲の植物を指差して静かに言った。
「この葉、色が異常に変わっています。毒素の濃度がさらに高まっていますね。」
彼は荷物から香囊を取り出し、凛音と李禹に手渡した。
「これは艾草と他の薬草を混ぜたものです。毒素のある空気から身を守るために、帯に付けてください。」
さらに、小さな瓶を取り出しながら続ける。
「この雄黄を油に溶かしたものを鼻に軽く塗ってください。匂いは強いですが、毒気を避けるには効果的です。」
凛音は香囊を帯に付けながら、小道の奥をじっと見つめた。
その先は木々に覆われ、深い闇が口を開けて待ち構えているかのようだった。
「この道の先が、境界村に通じているのかしら……」 洛白はしばらく黙り込んだ後、低い声で答えた。 「通じていたとして、その先で何が待っているかは分かりません。」
「なら、確かめるしかないわね。」
「……無事でいてくれ」 その言葉は小さく、寒風に流され、誰の耳にも届かなかった。
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