第4話

 仮面舞踏会当日。


「…来ちゃった…」


 気合の入ったミケにより、美しく仕立てあげられたアンネリリー。豊満な胸を強調するように大きく開けた胸元に、身体の線がはっきり分かるようなタイトなドレスで会場入りした。


 一旦は覚悟を決めたものの、会場に入った所で瞬時に覚悟が後悔に変わった。


(こ、これは…)


 仮面舞踏会というのだから、全員が仮面を被っているのは承知しているが、纏ってくる空気が異様なのだ。なめかしい空気で、とても舞踏会とは思えない。


(今すぐに帰りたい…)


 ミケには悪いが、このままこの空気を吸うのは耐えられない。誰かに声をかけられる前に会場を出ようと、慌てて踵を返した。


「おっと」


 背後に人がいた事に気付かず、思いっきりぶつかってしまった。


「すみません。人がいたとは気付かなくて」

「大丈夫だ。君は…ああ、ここでは詮索してはいけない決まりだったね」


 物腰の柔らかい口調に、アンネリリーを軽々と支えられる逞しい腕。こんな所に来る男はろくな者じゃないと分かっていながらも、ドキッとしてしまった。


(この人は…)


 夜空のような漆黒の髪に、輝く星のような琥珀色の瞳に目を奪われてしまう。


「大丈夫か?」

「え、あ、すみません」


 心配しながら顔を覗かせてきた男を見て、慌てて取り繕ったが自分で分かるほど顔が熱い。


 だが次に出た言葉に、篭っていた熱が一気に引いた。


「具合が悪いのなら奥の部屋へ行くか?」

「!?」


 肩を抱かれ奥の部屋に連れ込まれそうになり、力一杯に男を突き飛ばした。


 危うく気を許す所だった…ここは、場。

 いくら優しく接していても、考えている事は盛りのついた猿と一緒。見え見えの行動ならまだしも、優しい素振りを見せて食いにくるのはタチが悪すぎる。


 呆けている男に、軽蔑するように冷ややかな視線を向けた。


「残念でしたわね。私は心に決めた方としか寝ないの」


 そんな者いないが、この際口からいくらでもでまかせを言ってやる。


「いくら優しくて逞しくて包容力があっても、私の心は動かされませんわよ!!」


 ビシッと指を指しながら言い切ってやった。


 今の私、ちょっと悪女ぽい?と優越感に浸っていると「あはははは!!」と笑い声が聞こえた。


「褒められながら拒否されれたのは初めてだな」

「なッ!?褒めたつもりはありません!!」

「そうか。すまんすまん」


 笑いを堪えながら大きな手で頭を撫でられ、羞恥心で燃え尽きそう。


「言葉が足りなかったな。すまない。俺はここに客として来た訳じゃない。客に手など出せん。だから安心してくれ」

「……え?」


 客じゃなきゃ何なんだ?余計にこの男の正体が分からなくなった。


「ここでの詮索はタブーだろ?」


 口元に手を当て悪戯に笑う男を見て、諦めるように溜息を吐いた。


「そうね。残念だけど…」

「それはこっちの台詞だ。こんな場所でなかったら、ゆっくり話でもしたかったな」


 冗談なのか本気なのか分からないが優しく微笑む男に、アンネリリーもこのまま別れるのは少し寂しく思えた。


「─で?どうする?休むなら部屋まで案内するが?」

「いいえ、帰るわ。ここの空気は私には合わないもの」


「そうか」と残念そうにしながらも、外まで付き添ってくれた。


「次は違う場所で会いたいものだな」

「そうね。でも、お互いに顔が分からないんじゃ意味が無いじゃない」

「それもそうだな」


 クスクスとお互いに笑い合った。


「じゃぁ、ありがとう。名も知らないお節介焼きさん?」


 そう言って、会場を後にしようとした。


 その時─


「俺は見つけるよ。顔が分からなくても、君を見つける」


 その言葉に振り返ると、夜風に髪を靡かせながら真剣な瞳でアンネリリーを見つめる男がいた。


 胸が締め付けられる様な感覚。鼓動も速い…足を踏ん張っていなければ、縋り付いてしまいそうになる。


「…………」


 困ったように黙って微笑み返すのが精一杯だった。


 後ろ髪が引かれるとはこう言う事か…と思いつつ、振り返らずに足早に馬車へ急いだ。


 馬車に乗り込むと力なく座り「はぁぁぁ~…」と深い息を吐きながら天を仰いだ。


 きっと次なんて来ない。万が一にも、私の正体が分かったとしたら尚のこと。


(これで良かった)


 私には厄介な婚約者がいる。他の男を気にした所で、傷付くのは私だ…


 深入りする前で良かったと思う事にしよう。そう考えた時、ガタンと馬車に乗り込んできた者がいた。


「……な、なななな!?」

「やあ、私の可愛い婚約者さん」


 怖いほどの笑みを向けるダリウスだった。

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