第18話 いかずち、迸れば
鎌鼬――新潟県や長野県、秋田県に多く伝承が残る日本古来の妖怪の一種。高知県では似た現象を引き起こす存在を野鎌と呼ぶ。
道を歩いていると突然旋風が起こり、気づくと痛みも出血もなく足などを切られる現象が、大昔には多発していたという。
それは行き場を失った怨霊の仕業だとも、発生した真空で皮膚が切れたとも、三人の神が結託して行う悪戯ともされた。
それらはほとんどが生き血を啜り、驚きという妖気を吸うことで生きながらえてきた鎌鼬の仕業である。
時代が流れ人と妖が共生を進めるにあたりそのような辻斬りめいた真似は鳴りをひそめ、今では鎌鼬の多くはその戦闘能力の高さを生かし退魔師になったり、地元の術師と共に業務提携を結ぶ契約式神として振る舞ったり、あるいは身軽な体を駆使してラインマンやビルの窓の清掃員、鳶職などの高所作業員などの仕事を得ている。
とはいえ、当然全ての鎌鼬がそうというわけではない。
戸籍もなく、親も兄弟も、寄るべもない野生上がり・路上暮らしの鎌鼬は、前時代的な方法で生きながらえ、あるいはその規模をより悪意に満ちたものとして、呪術師として生きている。
呪術師クーも、その筆頭であった。
路上で暮らしている彼女を強姦しようと襲いかかってきた酔漢を返り討ちにした際、力の加減を誤って殺害してしまったことが
重傷を負ったもう一人は自らの非などないもののように警察に供述。その日からクーは呪術師として生きる羽目になってしまった。
真之と出会う前に四等級術師を二名、そしてさらに一般妖を一名殺害。真之一派として行動するようになって、三等級術師をさらに二名殺害している。
もはや後戻りなどできない。最初の一人ならばあるいは、情状酌量の余地があったかもしれないが、その後の殺人は極めて確信的で悪意に満ちており、そして本人に反省など一切なく、更生の余地もない。無論、刑事責任能力の有無を問われれば心神喪失状態でもなければ、弁識能力を欠いていたわけでもない。無罪判決を勝ち取ることは不可能である。
人間の司法に照らし合わせても死刑は確実。退魔規定法においては言うに及ばず、即刻死刑である。
後戻りができないのであれば、あとは地獄の果てまで突き進むのみ――。
真空波が一閃、二閃、サバイバルナイフから発生する。
光希はそれを見切って回避。電流を視神経に流し、動体視力を底上げして攻撃の予備動作を見切って、当たりをつけて回避した。
刃がガレージのシャッターを断ち割り、積んである一斗缶を切り裂く。
左の髭削ぎを振るった。雷が迸り、呪術師に飛来。彼女は素早く真空波で雷の伝導を叩き切って、二つに割って後方に逸らした。雷撃が窓ガラスを粉砕し、高熱で融解させる。
すかさずクーはナイフを振るった。真空の刃が幾重にも連続して打ち出され、次々光希に殺到。
柱を遮蔽にしつつ光希は梁へ駆け上がり、不安定な足場の中彼女に肉薄。そうして肉弾戦闘の間合いに引き込むと、左の髭削ぎを振り下ろした。
クーはナイフの峰でそれを受け止め、円運動で払い除けようとする。光希はあえてその勢いに乗って腕を回して大回りに円運動の外側から腕を振るって彼女の首に刃を走らせようとした。
左のナイフが髭削ぎを弾き、光希は雷を纏った右手の手刀で腕を封じようと素早く貫手を放つ。
相手は後ろに下がりつつ、小さな手首のスナップで極小サイズの真空波を生んだ。威力はお粗末だが、光希の虚をつくには充分な威力があった。
「ちっ」
光希は妖気電磁波の防壁で真空波を防ぐ。正確には、逸らす。この術は妖力の消費が激しいので、あまり使えないのが難点だ。
妖力特性を磁力のようにして捉え、磁石の同極を当てるようにして相手の術を逸らす
敵は舌打ちしつつ、左のナイフを投げ飛ばした。
「!」
光希はそれを、躱す。
今の光希の妖気電磁防壁が防げるのは、あくまで妖力を纏ったものだ。飛んできたナイフには、意図的に妖力をカットされていた。
動きが制限される――クーがそれを見逃すはずもなかった。
即座に踏み込み、足を振るう。左足の蹴りが、光希の脇腹を打った。防壁で勢いを減殺してもなお重みがある一撃。妖力による強化を最小限にとどめ、フィジカルの威力でゴリ押ししている。
(こいつ、俺のバリアを見切ってやがる!)
ならば妖力を食うこのバリアを張り続けるのは愚策か。光希は防壁をオフにし、振るわれた足を掴んで腰を落とし、回転。
思い切り一回転し、投げ飛ばす。
クーは悲鳴も上げずに梁から投げ飛ばされ、地上のパレットが山積みにされている上に転がった。木製パレットが粉々に砕け、砂埃が舞う。
光希は帯電しつつ下に飛び降りた。
「お前、名前は」
「自分から名乗れば?」
「……尾張光希。三等級だ」
「クー。呪術師等級は二だったかな」
――格上。光希は歯噛みする。だが、格上に勝てる退魔師は存在するのだ。勝つこと自体は、決して不可能ではない。
光希は脇腹を――左浮遊肋を押さえた。……いわゆる、あばらが一本逝った状態だ。呼吸をするだけで激痛が走る。間違っても笑いながら「あばらが二、三本逝ったな」なんて言える状態じゃない。
動くだけでも無理がある。優れた術師なら妖力治癒で治せるのだろうが、光希にそんな技量はない。幸い、肺に刺さったわけではないようだ――素人診断で、そう判断する。
「お前らの目的はなんだよ。魅雲村で呪術師が呪術攻撃なんて、自殺行為もいいとこだぜ」
「野良妖怪の楽園を作る。それだけさ。そのために邪魔になるものを壊しにきたのさ」
「夏祭りの魍魎も、お前らがやったのか?」
「ああ。いいパフォーマンスだったろ? 死者が一人も出なかったのはクソだったけどね」
――典型的な弱者だと、光希は思った。
追い詰められ、虐げられ、逃げた先でもその魂を折られ世界と人妖に絶望した野良妖怪の成れの果て。
多くの呪術師が、このような経歴を持つ。中にはどうしようもない快楽殺人犯もいるが、退魔局が血の涙を飲んで手を下す呪術師の多くが、この社会の歪みが生んだ犠牲者なのだ。
「やめてくれねえか。できれば殺しなんてしたくねえ」
「お前はな。だがそれは私の心情ではないだろう? 尾張といえば名門中の名門。なんでも持ってるおぼっちゃまに、私らの苦しみはわからないだろうさ!」
ぶわり、と妖気が膨れ上がった。
激しい圧力に、ガレージの窓という窓が砕けちり、屋根の塗炭が数枚吹き飛ぶ。光希は目も開けていられない圧力に飲まれかけたが意識を強く保ち、構えた。
「今更、退けねえんだよ!」
暴風が吹き荒れた。
光希は壁に叩きつけられ、喀血。皮膚が切り裂かれ、戦衣を赤く染める。
妖力の発露に術式が乗った――強烈な殺意の具現。説得で止まるような段階ではない。まして、尾張家というブランドを持つ自分では火に油を注ぐようなものだ。
クーはそばにあった一斗缶を投げつけてきた。タプ、という音がかすかに聞こえ、光希は慌てて飛び退く。
すかさず火術符が投げつけられた。一斗缶に接触した途端中身のオイルに引火。爆発的な火炎が広がり、壁の一部を焼き払う。
光希は雷撃球を二つ形成。低速誘導機雷と化したそれを放出し、プレッシャーをかける作戦に出る。
「手数の多い害獣め」
クーは口汚く罵り、雷撃符を投擲。機雷の一つをそれで相殺し、残る一つを妖力を込めたナイフを投擲し、時間差で発動した真空波で内側から破裂させる。
相手は空手。呪具の類はない――最も、バリアを透過できたナイフなので初めから呪具などではなかっただろうが。
それでも油断できる相手ではない。
光希は低姿勢で駆け出し、クーに肉薄。
彼女は右腕を薙ぎ払った。風の壁が生じ、光希の貫手が阻まれる。指が暴風に巻き込まれて皮膚が裂け、血が吹き出す。なんて濃密な暴風か。
その風を突き破って、クーの爪が光希の左肩を切り裂いた。
彼女の手がイタチのそれになっており、鋭い爪が生えている。部分的な変化。――何枚も、相手の方が上手だ。
ボタボタと垂れ落ちる血を見て、光希はなぜか冷静になっていくのを感じる。
死ぬわけにはいかない。だが、焦るのは愚策。
ヒトの身での限界。ここは人里でもなければ人間の里でもない。十分ボルテージは上がった。
変化――光希は、三十キロクラスのハクビシンの姿に戻り、落下してきた髭削ぎを口で咥えた。
「ミィィ――ミ゛ャアアアアアアアアアウ!!」
濁声で吠え、光希は血染めの金色の毛皮を纏う。ばちばちと帯電し、二本の尾が蛇のようにうねる。
それを見たクーも、ヒトの変化を解いて本来の――四〇キロクラスのイタチの姿になった。
両者大型犬なみの巨体である。それが、明確な殺意を持って睨み合うのだ。野生動物であっても恐ろしい光景だが、彼らはそれよりもはるかに力を持った妖怪である。傍目に見れば腰を抜かして失禁してもおかしくない殺意と妖気がぶつかり合っていた。
直後、雷撃と真空波が衝突。凄まじいインパクトが巻き起こり、ガレージがビリビリ震える。
クーが光希に飛びかかり、爪を振るった。光希は毛針硬化の術で毛皮を硬化させて爪を受け止め、相手の喉元に食らいつく。当然、クーも毛針硬化を使っていた。
牙がガヂ、と毛皮を何十本か噛み砕くが、そこで止まる。しかし光希は密着状態で、自らの感電も考慮した上で通電した。
パァンと落雷音が響き渡り、両者が両サイドの壁際まで吹っ飛ばされ、叩きつけられる。
「自爆とは……いかれてやがる……」
クーが苦々しげに呻いた。その喉元と腹部からは出血。傷は、浅くない。
光希は血だるまになって、「俺だって男だぜ。弟妹がいる兄貴分なんだよ」と言い放ち、臨戦態勢を持続する。
駆け出したクーは真空波を練り固めたボールを尻尾の先に形成した。それを、ビーム状にして撃ち出す。
光希は地上から柱、梁へ駆け上がって回避。真空波ビームが壁を、柱を、梁をズタズタに切り裂いて粉砕。屋根の一部が崩落し、整備用クレーンが落下する。
急降下、光希はクーのビームの間合いの内側に入り込み右前脚を振るった。
彼女はすかさず左前脚で払い除け、右前脚に真空波を纏わせて、光希の左脇腹を切り裂いた。
深い――まずい。
光希は、敗北が濃厚なのを悟った。だが、諦めない。芸術家に、妥協は許されない。
「ヴゥォオオオオオオッ!!」
野太い雄叫びをあげ、光希は大技を放った。
かねてより行なっていた帯電――蓄電を解放する、大放電である。
落雷にも匹敵する一億ボルトもの凄まじい電圧量のそれが、爆ぜた。
文字通り、ガレージが爆散した。外に積んであった廃車がポップコーンのように爆ぜ、吹っ飛ぶ。村中に、雷鳴が轟いた。
「はぁっ、……はぁ……」
「口惜しい――、だけど、姐さんが、稲尾椿姫を殺して、くれる……兄貴が、やりおおせる――、貴様らのような、温室育ちは、みな……死ね。死んでしまえ……ちく、しょう」
ボロボロのクーは最期まで恨み言を吐き続け、そしてとうとう息を引き取った。
彼女の下半身は、大放電をモロに食らって炭化していた。助かる道理などない。
しかし光希も、すでに半死半生の有様である。さっきから耳鳴りが止まず、頭痛がし、体が
視界が、暗く染まっていく。
ああ、やばい――死ぬ。
理屈ではなく直感で、そう悟った。
薄暗くなっていく視界の向こうに燈真が慌てて駆け寄ってくる姿が見えた気もしたが、それが現実なのか幻なのかさえ、光希にはもうわからなかった。
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