第13話 双陣乱舞

 燈真たちは菘と竜胆を柊に預け、境内裏手にある不入の森に来ていた。


「神社に魍魎が発生することなんてあるのか?」


 そう聞いた燈真に、万里恵が悔い気味に「ない。絶対ありえない。特に常闇之神社や燦仏天仏閣に魍魎発生は異常事態」と断言した。

 彼女は幕末生まれの妖怪で、寛政四年生まれの二九四歳である。その彼女がありえないと断言したということは、少なくとも三百年は無かったことなのだ。

 それが、突然起きた。


「明らかに人為的だぜ。誰か、なんか誘引しやがったな。罰当たりだぜ」


 光希が吐き捨てると、椿姫が「気を引き締めて。結構濃い瘴気が漂ってる」と注意を促した。

 燈真たちは示し合わせたわけでもなく、今なお穢される神域に畏敬の念を感じ、一礼してから踏み入れた。神主から許可をもらっているとはいえ、やはりこういう場所には独特な妖気が漂っている。


 視界に、微かに黒い霧のようなものが舞っていた。

 濃い瘴気が可視化され、漂っているのである。退魔師は妖力を纏うことで瘴気に対するフィルターのような効果を得るが、常人が踏み込めばたちまちに気分を悪くし、倒れるだろう。妖怪でも、子供なら最悪健康に害が出てもおかしくない。大人でも長時間フィルターを纏わねば倒れる。

 そういう意味では、妖力を纏うという技能を持つだけでも退魔師は特別と言えた。


 燈真は妖力フィルター越しに香る、生ぬるく、そしてべっとりと仄かに甘ったるいにおいが鼻につき、気持ち悪い。気を散らされるわけではない。集中すれば無視できるが、においの方に意識を向けると飲まれそうになる。まだ術の精度が甘いのだ。

 森を奥まで進む。陣形は、一列縦隊。先頭は椿姫、二番手は右の警戒をする光希、三番手は左の警戒をする燈真、後ろの警戒という難しく重要なポジションは万里恵。


「止まれ、なんか動いたぞ」


 光希が言った。


「燈真、結界!」


 指示が、椿姫の鋭い声が飛ぶ。燈真は札で着替えていた戦衣いくさごろも――和装の袖口から結界符を取り出し、妖力を込めて足元に叩きつけた。直後、青白い防壁が展開される。

 そこに火球が直撃した。ズゥン、と重い音が響き、札の隅が炭化する。結界に亀裂が入った。


「散開! さっき言ったペアで合流、行動! 生存優先!」


 椿姫の指示に従い、燈真たちは散った。その一秒後に火球が再び直撃し、結界を破壊する。

 現れたのはヘビクイワシのような頭部に人の女体、翼と腕が一体化したような翼腕を持つ鳥脚関節の魍魎。全長は、二・二メートルほどか。

 図鑑で見た。二等級、禍羽カバネだ。

 事前に聞いた発生魍魎たち――ここにいる中で最低等級である。燈真と光希の相手は自然とあいつに絞られた。

 木々を隠れ蓑に燈真は接近。カバネは燈真に狙いを定め、成形した火球を打ち込む。ズドン、ドン、と着弾のたびに炎が爆発し、腐葉土が一瞬で炭になった。舞い上がる土が雨のように降り注ぎ、上から降りかかってくる。


 鳥は往々にして視力に優れる。そしてヘビクイワシは蹴りで蛇を仕留めて捕食する生物だ。恐らく、近距離戦も得意だろう。

 妖術火力は光希、肉弾火力は燈真が勝る。この組み合わせなら、遠近両用で立ち回れるが――。

 と、遠方から電撃が飛来。三条の金色の電撃が間をおかず、カバネに命中した。腕の羽毛が弾け飛び、側頭部が抉れ、右大腿部が焦げる。

 即座に治癒が始まる中、燈真は意を決して肉薄。地面を蹴り付けて加速し、踏み込むと同時に右拳を振りかぶり、振るった。

 ガラ空きのうっすらと腹筋が浮かぶ腹部に、右のストレートパンチが食い込む。

 金剛の術に妖力を纏わせた打撃。角度タイミングも悪くない、最高の一撃である。

 ドズンッと大気が震え、足元の腐葉土が舞い上げられる衝撃が走る。


 しかし、さすがは二等級というべきが平然と耐えてみせた。燈真の会心の一撃も、このレベルの敵にとってはジャブ感覚の通常攻撃の一つに過ぎない。

 素早く足が振り上げられ、燈真はダッキングして蹴りを回避した。後ろに回り込んで右腕を振るい、背後から脇腹に二発打撃を加える。

 カバネは振り返りつつ右足で後ろ回し蹴り。すぐに右腕を跳ね上げてブロックするが、ぎちっと骨が軋む嫌な感触が返ってきた。


「ッ――、!」


 燈真は無理な抵抗はやめ、体を宙に預け勢いを殺す。

 後ろに飛びつつ転がって勢いを殺して着地。入れ替わるように光希の電撃が襲いかかった。

 三条の雷撃がアーチを描いて飛翔し、カバネの頭上から攻め入る。

 カバネは羽でそれをガードし、羽毛を散らしつつ耐え凌いだ。が、光希はすかさず直射雷撃を腹部に叩き込む。

 ガラ空きの腹部に電撃が食い込み、カバネは喀血。


「行け燈真! 二度打ちしろ!」

「わかった!」


 燈真は腕の痛みを噛み殺しつつ、加速。一歩二歩、三歩目で信じがたい跳躍めいた肉薄を見せ、加速と体重移動を乗せた騎馬槍が如き右拳を振り抜く。

 狙いは肉が剥がれ、防御力が働いていない傷痕。


「〈晨星しんせい〉ッ!」


 稲尾流格闘術、〈晨星しんせい〉。体幹の捻りと体重移動から繰り出す、右の正拳突き。

 その渾身の打撃がカバネの腹部をぶち抜き、肉を波打たせた。周囲の皮膚がひび割れ、血が吹き出してカバネが今一度明確な悲鳴をあげてたたらを踏む。

 まだ終わっていないことは、再生成された火球を見れば明らかだった。


 燈真は後ろに下がって火球の一発を回避し、二発目は光希の電撃で迎撃してもらう。

 舞い上がる粉塵の中、燈真は式符を一枚抜いて妖力を込める。


 燈真は粉塵に突っ込んでそれをかき分けるようにして進むと、傷の再生をさせているカバネに凍結符を投げつけた。

 凍結符は次の瞬間過冷却状態の妖力となって噴霧され、地面と木の一部、カバネの右足と右脇腹、右翼腕の一部を巻き込んで凍結させる。

 すぐに妖力を右拳に込めて、二度目の〈晨星しんせい〉を叩き込んだ。

 氷ごと、凍結した血肉が砕け散る。肉体の奥までは凍っておらず、表皮などが軽く剥がれた程度だが十分なダメージになった。カバネは「ピィイイッ」と悲鳴をあげ、跪く。


「光希、畳み掛けるぞ!」

「ああ!」


 そこへ本来の三十キロほどのハクビシンの姿に戻り、発電効率を上げた光希が現れた。ストロー状の筒型構造になっている毛が雷獣に特徴である。彼らは体内の発電臓器――電腑でんふから発生される電気を血管に似た電気管を通して毛から放出し、発電するのだ。

 彼ら雷獣は、妖力自体が帯電するという特異な体質を持つ。肉体が電気を扱う上で適した形に形態変化したのであった。

 ばちばちと電撃球が背中と二本の尾の間で形成され、光希はバスケットボール大のそれを放った。

 超高温なのか、凍結していた腐葉土と木の氷が溶け、電撃球が接近した腐葉土は焼け落ちる。

 カバネはどうすることもできず、それに直撃した。

 激しい雷鳴音が轟き、凄まじい熱波が吹き抜ける。

 一種のアーク放電が起きていたのかもしれない――燈真はそう思った。


 カバネの全身が焼け爛れ、しかし次の瞬間、それが一瞬で快癒する。


「なんだ今の!?」

「わかんねえ! くそ、実質二連戦かよ!」


 光希は怒号を上げ、雷を生成し始めた。


×


 その現象は椿姫のところでも起きていた。

 万里恵が術式〈豪風旋嵐ごうふうせんらん〉で切り刻んだ一等級魍魎・痩忌鬼ソウキキが突如傷を瞬時に全快させ、立ち上がったのだ。

 尋常ならざる事態に椿姫は目を瞠る。


「万里恵、早めに片付けて燈真達のところに行くわよ」

「わかってる」


 万里恵は黒い布で口元を覆っているため、声がくぐもっていたがよく聞こえた。彼女は椿姫を産湯に入れたほどの妖怪であり、その声は両親に次いで聞き慣れている。その声を、聞き漏らすわけがない。

 低姿勢で突っ込んできた痩身痩躯の、醜悪な顔をした鬼――それが、ソウキキの全容である。

 上背は三メートルほど、痩せすぎなくらいに痩せ、妖力弾を放ってくる。接近しつつ両手を振って妖力弾を放ち、椿姫はそれを紫紺の狐火を纏わせた太刀で弾き、すれ違う瞬間に右脇腹を切り裂く。腸を始めいくばくかの臓器を巻き込んだ手応え。ソウキキは短く悲鳴をあげ、にわかに動きが鈍った。


 瞬間快癒は持続ではなく、まさにその一瞬だけ。そして、二度目はないと見ていいか。

 万里恵が木を蹴って三角跳びの要領で跳躍。上から奇襲を仕掛け、脇差を振りかぶり独楽のように回転。ソウキキの左半身を、上から下まで一瞬で切り刻む。

 着地と同時にソウキキが跪き、椿姫はその首を側面から切り落とした。

 そして首の断面の奥、胸の辺りに鈍く赤紫に輝く瘴気瘤を認め、そこに剣の切先を突き立てた。


「妖気に還りなさい」


 妖力を太刀先から噴射し、瘴気瘤を粉砕する。

 ソウキキの肉体がブワッと粒子になり、赤い妖気は途中で青く輝き方を変え、あたりへ散って消えていった。

 椿姫は血振りを済ませ、万里恵とアイコンタクトすると、燈真達のいる方へ駆け出した。


×


 鋭い蹴りが、燈真の腹を打った。


「がはっ」


 大木に叩きつけられ、背骨が軋む。喘ぎながら空気を吸い込み、追撃の火球をかろうじて躱すと、燈真は拳に妖力を纏わせた。金剛の術の「息継ぎ」を行い、火球を避けつつ光希が隙を作るのを待つ。護符の数珠守りを左手にしているが、このおかげか思ったよりダメージはなかった。

 カバネが翼腕を振るって、髭削ぎという呪具を咥えた光希を追い払おうとしているのが見えた。

 大昔の髭剃り――七寸ほどの刃渡りの、両刃で切先が平らなナイフである髭削ぎは、光希の妖力を効率的に伝達し、刃を高電磁状態に変えるものだった。

 髭削ぎが翼腕の守りを潜り抜け、カバネの胸に食い込む。高電磁状態の刃が血を一瞬で蒸発させて赤い霧を吹き出させた。


 燈真がそこで入れ替わりで入り、光希が休む時間を稼ぐ。さっきからこの繰り返しだった。

 左右のワンツーコンボからハイキック。翼腕で防がれた足が、その鳥脚に掴まれて振り回される。

 燈真は視界が上下左右に振り回される中で式符を一枚抜いた。雷撃符だ。それに妖力を流し振るうと、カバネの顔面に電撃が命中した。

 甲高い悲鳴が上がり、燈真が手放される。

 頭から落ちそうになるのを体を丸めて防ぎ、転がって着地。


 燈真も光希も、そしてカバネも満身創痍だ。

 

「燈真、次の一撃で決めるぞ。俺の妖力もそろそろ尽きる」

「こっちもだ。渾身の〈晨星しんせい〉を決めたらガス欠だ。――行くぞ!」


 光希が六条の雷撃を形成し、それを撃った。追いかけるように燈真が突っ込む。

 次々命中した雷撃でカバネは行動不能、特に膝を襲った一撃は致命打となり、奴はその場にへたり込んだ。


 燈真は腰を落として精神集中、渾身の――、


「〈晨星しんせい〉ッ!」


 正拳突きが、カバネの顔面を穿った。

 圧縮された妖力がカバネの頭部を粉砕せしめ、そのままの勢いで胸を破壊。内包していた瘴気瘤が砕け、祓葬を促した。

 赤い妖気が青く変色し、漂って消えていく。黒い霧が晴れ、燈真はようやく終わったとその場にへたり込んだ。


 やってきた椿姫たちが、「あんたたちで斃したの?」と聞いてきた時には、燈真は起きているのがやっとというくらいに消耗しているのだった。


×


 鬼塚真之は興奮していた。

 忌物で強化し、一度限り死を上書きする治癒力を与えた格上の魍魎を二人がかりとはいえ斃した、あの少年に。

 人間ではあり得ない素の膂力に妖力を上乗せした打撃力。そのパワーは、充分一等級魍魎にも通用する威力を秘めていた。特筆すべきはあのタフネスだ。護符の効果もあるようだが、通算四回もの直撃を喰らっておきながら気を失うこともない。

 やはりあいつは、同族だ。

 あいつの心臓を欲する理由が、ようやくわかった。


 あとはを聞くだけだ。手早く済ませよう。

 真之は燈真たちが去った後の森に、五等級未満の浄式神を放った。蜘蛛の外見の、大きさはタランチュラほどのものだ。そいつが、飛散した稲尾椿姫の血を回収するのだった。

 予定では稲尾竜胆を出血させるつもりだった。女より男の方が、血としては「濃い」らしいから。

 だが無理なら女でもいいと言われていた。殺すな、とも言われていたが……それさえなければ手早くあの稲尾の女児を解体していたところだった。 


 真之は木を登ってきた蜘蛛を回収し、その場から去るのだった。

 さあ、これから楽しくなる。

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