第35話 2024年アニメ映画評34・「化け猫あんずちゃん」

 いましろだかし原作漫画の映画化。この作品は2006年から2007年まで、あの「コミックボンボン」で連載されていた作品で、続篇が講談社のwebサイトに掲載されている。「コミックボンボン」はマニアの間で有名な雑誌らしく、「コロコロコミック」への対抗馬として講談社が生み出したためか、子供向けとは思えない、少し変な作品が多い。「化け猫あんずちゃん」もその類で、「スピリッツ」や「アフタヌーン」に連載されていても何ら違和感がない。映画はかなり面白い作品で、中々に瑕疵があるが、それでも今年を代表する作品の一つだろう。8点。

 架空の自治体・池照町(映画の描写的に伊豆が舞台)に、齢37の化け猫・あんずちゃんが飼い主の和尚と暮らしている。和尚のもとに、借金で首が回らなくなった息子・哲也が自分の娘・かりんと共に帰って来る。哲也は父にかりんを預け、金の始末をつけるため東京へ戻る。残されたかりんは愛想よく振舞って祖父や池照町の妖怪と仲良くなるが、母の死がトラウマで実は裏表が激しい。本性を知るあんずちゃんは彼女とイマイチウマが合わないが、色々あって、死んだかりんの母に会うため二人で東京へ行く。首尾よく地獄で母・柚季と再会、かりんは母を此岸へ連れて行くが、柚季を取り返そうとする極卒達に追い回される。最終的に母は冥界へ戻るものの、一時とはいえ再会したことでかりんの心は晴れる。

 映像はロトスコープで作られ、動きが生っぽいめ、日本アニメには少ないヌラヌラした感じがある。CGアニメではモーションキャプチャーを使って動きの基礎を作り、シーンや作風に応じて表現をオーバーにしたり、控えめにしたりするのだが、本作でも場面によってはそういう処理がされている気がするし、そうでない気もする。また、昨今珍しい、美男美女とその他が描き分けられている作品で、主人公のかりんや母・柚季は一目で都会から来た美女と分かるように描かれ、その他は芋っぽかったり、醜男だったりしている。美女の比率も結構、リアルで、アニメなのに割と現実社会を投射している感じだ。最近のアニメはみんなヴィジュがいいものばかりで、学校一の美女とか言われても説得力がないのである。

 作品は大まかに二部構成で、前半は池照町にやってきたかりんとあんずちゃんの日常もので、後半が地獄巡りとなっている。物語の冒頭からかりんのトラウマは少しずつ挿し込まれているものの、前半部と後半部はかなり話のテンションが異なり、筋が断裂している印象。にも拘らず、話がまとまりを持っているように見えるのは、いくつかのモチーフが随所で反復されるからである。こうしたモチーフの効果によって雰囲気の違うストーリーを接合するのは、やや力業だが、同時に芸術的とも言える。ちょっと、黒沢清っぽい。頻出のモチーフは、逃げること、上下の逆転、呼水、落ちること辺り。話が分裂しているのは、作品の前半が単行本のストーリーを組み合わせたもので短編的なのに対し、後半が一連なりの長編となっているからである。要は「銀魂」みたいな、日常を舞台にしたコメディとたまにある長編、といった話の流れを90分アニメでやっているのだ。

 作品のテーマは死のトラウマを乗り越えることで、かりんは母を連れて戻れない世界のルールに悲嘆しつつも、逆立ちできるようになったと母成長を伝えることで親子の交流を再び味わう。このラストは、その儚さ、切なさのためにややメロドラマ的だが、利口に死を受け入れるのではなく、あがいて納得できなくてもどこかで手打ちにしなくてはならないと渋々承諾するのがリアルでいい。生死という抗えない秩序に対し、一瞬でも対抗し、希望をかなえたことで、一定モヤモヤが晴れたのだろう。他方、結局は乗り越えられない死という壁はあるとはいえ、地獄の実在によって死後も母が存在し続けていることが確証されており、それが救いになっているとも言える。

 ちなみに、猫は10歳すぎると化け猫になると言われるが、最近は10歳越えなどザラなので、飼い猫は殆ど化け猫なのかもしれない。そんなような話は「ぬーべー」にある。

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