第18話 いつだって、ここから
ライブは無事に開演し、サークル所属バンドのステージが順番に繰り広げられる。軽音サークルは大学の中でも一位二位を争う大規模サークルだ。バンドも多数在籍しているが、そのすべてが定期ライブに参加するわけではない。
特に、この初夏のライブは、入学したばかりの一年生バンドの顔見せも兼ねているため、出演枠にあぶれそうな上級生バンドは、勉強や就活の忙しさを理由に辞退する者も少なくない。
そんな中で、涼夏たちのバンド『ギターレス・ガールズ(仮)』は、ちょうど真ん中ごろのイベント枠で時間を押さえられていた。
こういう、いくつものバンドが参加する形式のライブでは、頭からお尻まですべてを見届ける観客は稀だ。大抵はお目当てのバンドが居て、その前後だけ顔を出すことの方が多い。一日の中で何度も客が入れ替わり、代謝する中で、中盤に差し込まれるイベントステージは、お客を繋ぎ止めるための接着剤の役割も果たすわけである。
もっとも、そんなことを知るのは涼夏くらいのものだ。彼女が何も言わなければ、他のメンバーは、ただ一心に目の前のステージへの期待と不安を募らせていく。
「それにしても……急遽決めたとはいえ、バンド名適当すぎません? 『(仮)』って」
「仕方ねーだろ、考えてる時間無かったんだから。良いんだよ、そういうのはメジャーに乗り込むときにちゃんと決まってれば」
「そっか……これ、メジャーの第一歩なんだ」
涼夏の何の気なしの言葉に、蓮美は一層顔を青ざめさせた。お腹の調子が悪いのか、先ほどからしきりに咳をしながら、みぞおちの下あたりをさすっている。
心配した千春が胃腸薬を手渡すと、彼女はペットボトルの水で飲み下す。気持ち的に多少楽になったのか、そわそわ感が少しだけ落ち着いたように見える。
一方、緋音もまた舞台袖の隅の方で膝を抱えて小さくなっているが、メンバー全員がいっそのこと彼女を放っておくことにした。今ここで下手に声をかけたら、また心配性で堂々巡りになってしまいそうで、まずはここまで足を運んだ勇気を大事にしてあげたかった。
「ギタレスさんお願いしまーす」
スタッフの学生が声をかける。涼夏が「おう」と短い返事をして、ハンドサインで「行くぞ」と示す。
「円陣とかしときます?」
緊張を解くつもりで笑いかける千春を、涼夏は鼻で笑い飛ばした。
「んな辛気くせーことするかよ」
「でも団結感出ません?」
「そう言うのは、ステージ上で最初の一音を響かせた時に勝手に決まる」
振り返って笑う彼女の表情に、普段は見られない高揚感を、他のメンバーは感じていた。
ああ、ほんとにこの人、音楽に対しては素直で、ひたすらに大好きなんだな。
無茶な勢いで引っ張る彼女だが、その点だけは手放しで信用できるのだと誰もが思う。ひとつの心強さだ。涼夏と共にステージに立てば、何かが起こりそうだという――
スポットライトが落ちた真っ暗なステージの上で、それぞれが持ち場について楽器の準備を始める。中でも蓮美のサクソフォンは、薄暗い中であってもかすかな光を金色のボディで反射して、異質な存在感を放っていた。
「緋音、マイクに何か喋れ」
「……え?」
緋音の戸惑いの一声と共に、キンとけたたましいハウリング音が会場に響いた。観客も含めて、みんなが一斉に顔をしかめたのを見て、涼夏が愉しそうに笑う。
「ボーカルの音量、最大にして貰ってたんだわ。今のでいい感じに合わせてくれんだろ」
「び…………びっくりしました」
文字通り心臓と目玉が飛び出る勢いの緋音だったが、驚きでドキドキした分、緊張のドキドキがどこかへ吹き飛んでしまったようだ。ホッと一息を吐くころには、いつもの頼りない姿のままの彼女で、マイクの前で祈りを捧げるよう手を合わせていた。
「くだらねぇMCは無しだ。いきなり入れるぞ」
涼夏の言葉に千春が頷き、両手のスティックを振り上げる。見計らったかのようにスポットライトが燦々と降り注ぎ、視界が覆われるほどの光で目の前が見えなくなる。
この瞬間が涼夏は何よりも好きだった。自分と楽器と、音楽しかないような世界。メンバーとのコミュニケーションも耳に届く音だけ。表情も感情も、全て音に乗せる。だから素直になれる。
(帰って来た……この場所に)
後は、この高揚を弦に乗せるだけだ。
――演奏が終わって、控室で妙にまったりした雰囲気の四人の姿があった。まったりというよりは、放心に近いのかもしれない。遠巻きに、後半の部のバンドたちの軽快な音楽が響いている。
「覚悟はしてたが、まあ微妙だったな」
どストレートな涼夏の言葉に、他三人はギクリと肩を揺らして背を丸める。結論から言えば、彼女たちのファーストライブは、可もなく不可もなくな、何とも言えない結果で幕を閉じた。
ミスらしいミスと言えば、蓮美と緋音が何度か音を外したり、歌詞を間違えたりしたことくらい。しかし、全体の完成度として見れば、何とも締まりのない形だ。
個別で見れば良いところはあった。
まずは言わずもがな、涼夏のベースと蓮美のサックスだ。もとから一握りの実力を持つふたりの演奏は、それぞれに対して目を見張る観客がいた。
しかし、どうにも親和性が無い。強く当たるタイプの涼夏に蓮美が乗っかるような形で、演奏の座りが実に悪かった。涼夏からすれば、このふたりの音楽の到達点は、あのトイレでの合奏だ。ベストな音を知っているからこそ、現状は物足りなさの方が勝ってしまっている。
そんな噛み合わないふたりを、ドラムでどうにかまとめていた千春。正確でミスのない演奏で、急造バンドの矢来骨を見事に支えていた。
しかし、それだけだ。爽やかイケメン風の彼女の外見を除いて、涼夏と蓮美を凌ぐ〝ドラムとしての華〟はない。
そして緋音は、なにより危惧されていた声量。これは、マイクの音量をハウリングギリギリに調整してもらうことで、かろうじてカバーされていた。だが、それだけだ。パンチのある演奏の中で〝声〟を響かせるのには、まだまだほど遠い。
しかし、涼夏が顔採用を決めた持ち前の美貌で、バンドの中心――ボーカルの席に立っているだけで存在感がある。その点で差し引いてプラマイゼロ。
総じて、可もなく不可もなく。無言の放心は、やり切ったとか燃え尽きたとかではなく、口を開けばマイナスな言葉が零れそうなのを押さえるためだった。
「……練習しましょう。私、悔しいです」
口にしたのは、蓮美だった。
「納得いかない演奏でステージに立つなんて初めてのことで……それが何より不安だったんですけど、予想通りだった。涼夏さんが言ってた、バンドはステージ上で完成するっていうのも、よく分からないままだし……」
珍しく前向きな意見を提案する彼女に、涼夏は感心するように頷き返す。
「サックスのアレンジ、少し変えても良いですか? ボーカルも入って、曲のイメージが変わったというか……もっとこうしたらいいかもってのが思いついたので」
「確かに、緋音さんの声質を活かすなら、もっと別のアプローチがあると思う。テンポを変えるのも良いと思うんだけど」
「わ……わたしはもっと歌練習します……ごめんなさい」
三者三様の反省の言葉に、涼夏は一度だけ、ステージ前に見せたような愉しそうな笑みをこぼす。
「そーだな。こっからだ。いつだって……こっからだ」
自ら口にした通り微妙ではあった。しかし、彼女だけは彼女なりの手ごたえを感じていたことは、いい感じに立ち直ろうとしている三人に対して無粋に感じたので胸にしまっておくことにした。
涼夏なりのこのバンドの姿が、少しだけ見えた心地だった。
――少女は、スマホの画面で動画サイトの音の悪いライブ映像を見ていた。
先日アップロードされた、ある大学の軽音部の定期ライブの映像。そこでゲストとして登壇したバンドの演奏にシークバーを合わせている。
おそらくは結成したばかりであろう、ろくに練習を積んでいないバラバラのステージだ。健気ながらもどこか滑稽な姿に、小さく笑みがこぼれる。
「向日葵さん、何見てんすか?」
額から滝のように零れる汗を拭いながら問いかける別の少女に、彼女は吸い込まれるように深く大きな瞳を向ける。
「アタシが大嫌いな奴の演奏」
首をかしげる相手をよそに、彼女は動画を停止して、画面を指で拡大する。そこには、昔よりもいっそう明るくなった髪色の涼夏の姿が大きく映し出された。
「一年もくすぶってたと思ったら、何、遊びみたいなバンドやってんの」
吐き捨てるように呟いて、傍らに置かれていたギターを手に取る。度重なる練習のせいか、ネックを掴んだ指先は、真っ赤に熱を帯びていた。
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