【11/14①巻・12/17②巻 フルカラー書籍発売】【タテスクコミカライズ】灰かぶらない姫はガラスの靴を叩き割る
西根羽南
第1話 コレットはガラスの靴を叩き割る
『女神にガラスの靴を賜ると真実の愛を手に入れて幸せになる』
国中の乙女の憧れである伝説のガラスの靴を握りしめたコレットは――勢いよく床に叩きつけた。
高い音と共に砕け散ったガラスが辺りに散らばり、キラキラと光を反射して夢のように輝く。
……これで証拠は隠滅した。
満足して笑みを浮かべるコレットは、すぐに自分の考えの甘さを痛感することになる。
使者が来た時点で逃げていれば。
いや、そもそもあの舞踏会に行かなければ――こんな面倒な事にはならなかったのに。
********
――これは、ピンチだ。
コレット・シャルダン伯爵令嬢は、目の前でうっとうしいほど光り輝くガラスの靴を見て、眉間に皺を寄せる。
王家の使者が来たというので異母姉のアナベルと共に玄関ホールに向かったところ、出迎えたのがこの靴だ。
正確に言えば使者の少年、その後ろに控える二人の騎士の合計三名。
そして使者が持つ黒いトレイの上、紫色の艶のある生地で作られた小さなクッションに恭しく鎮座するのが問題のガラスの靴の片方である。
「シャルダン伯爵令嬢。王子殿下の命により、確認をさせていただきます」
……やはり、そうきたか。
騎士の言葉に、コレットはおおよそを理解した。
つまり――全部ウザい女神のせいである。
数日前の舞踏会の際に、諸事情でコレットは靴を池に投げ入れた。
すると女神が現れてガラスの靴を押し付けられ「ラブラブときめき乙女ライフをプレゼント」とか言われたけれど、不要なので投げ捨てたら王子に直撃したのだ。
要約しても意味不明だが、実際には更におかしなやり取りを経てどうにか逃げ出してきたというのに。
この数日は何事も起こらなかったので、父宛ての書簡か何かだろうと油断していた。
名乗っていないので素性はバレないと思っていたが、まさか年頃の女性のいる邸をしらみつぶしに回るなど、誰が予想できただろう。
「王子殿下は、舞踏会で出会った美しく淑やかで品のある女性をお探しです。この靴はその女性のもの。確認のため、お二人にも履いていただきます」
騎士がそう言うと、使者はそっとガラスの靴を床に置く。
使者の少年は前髪が長くて顔が隠れているし、騎士の方は二人共無表情。
コレットとガラスの靴の関係に確信があって訪問しているのか、読み取るのが難しい。
あの靴を履いたことはないのでコレットのものとは言えないし、サイズだって合うとも限らないはず。
それに王子が探しているのは美しく淑やかで品のある女性であって、ガラスの靴をぶつけた女性ではない。
コレットは金の髪に灰色の瞳で容姿は悪くないけれど、磨き上げられた貴族の御令嬢を見慣れた王子からすれば、路傍の石と大差ないはず。
そもそも王子自体がとんでもない美貌だったので、彼が美しいというからには相当な美女ということになる。
これはきっと、コレットが去ってガラスの靴を持った状態でその女性と出会い、なんやかんやで靴を履かせ、片方の靴を脱がせて名前も知らずに別れたのだろう。
……正直さっぱり状況が理解できないが、そうとしか考えようがない。
あるいは、ガラスの靴を王子にぶつけた傷害事件の犯人を炙り出そうとしている可能性もある。
どちらにしても今ここで大切なのは、コレットは無関係だと証明すること。
そのためには絶対にガラスの靴を履いてはいけない。
促されるままにアナベルが足を入れるが、大きさが合わずに履くことはできなかった。
あれが目指すべき姿だ。
「では、そちらの御令嬢もお願いいたします」
騎士に促されて、コレットもガラスの靴に足を近付ける。
つま先を入れてみて、すぐにわかった。
これは、ぴったりサイズだ。
さすがは腐っても女神。
知りもしないであろうコレットの足のサイズまで、完璧だ。
だがこちらにも意地があるし事情がある。
このまま大人しく履いてやるわけにはいかない。
「ああ、ちょっと小さいみたいです」
足の指を懸命に広げてサイズが合わないとアピールすると、突然使者の少年がしゃがみ込んでコレットの足を掴み、ガラスの靴に押し込んだ。
誂えたかのようにぴったりと足が収まるのを見た使者が、にやりと口角を上げる。
「――やはり、君だ」
どこかで聞いたような美しい声音に驚いていると、使者の少年は自身の茶色の髪を掴んで引っ張る。
すると、ずるりと髪がずれたその下からは、艶やかな黒髪が現れた。
「……王子、殿下」
黒髪に紺色の瞳の人並外れたその美貌は、忘れたくても忘れられない。
コレットがガラスの靴をぶつけた相手――エリク・フォセット王子だ。
「俺が探していたのは、君だ」
何故カツラをかぶって使者のふりをしていたのかはわからないが、まずはこの危機を乗り越えなければならない。
「人違いです」
「いや、違わない。この靴が証拠だ」
……なるほど。
それならば、証拠がなくなればいい。
コレットはガラスの靴を素早く脱ぐと握りしめ――勢いよく床に叩きつけた。
高い音と共に砕け散ったガラスが辺りに散らばると、アナベルと騎士の口が動揺のままに開きっぱなしになっている。
「――あら、手が滑りました。すみません。がさつで品がないもので」
……これで証拠は隠滅した。
あの日の舞踏会での出来事も、なかったことにできるだろう。
コレットがにこりと微笑むと、使者だった王子……エリクは何故か笑みを返してきた。
「美しくて淑やかで品のある女性、というのは嘘だよ。ああ言えば君は自分ではないと安心するだろう? さすがに隠れられると面倒だったからね」
唖然とするコレットの前で、エリクは外したカツラを騎士に渡す。
「君を探していたんだよ。舞踏会の夜から、ずっと気になっていた」
「い、いやいや。靴を叩き割る女の何が気になるの? 変態なの? それとも報復?」
正直に言ってから王子に対する口のきき方ではなかったと気付き、慌てて口を押さえる。
「そのままの話し方でいいよ。……あの靴は女神から賜ったもの。普通の人間では傷一つつけられない。木っ端微塵に叩き割れたことこそが、女神の寵愛を受ける存在である証だ」
それを知っているということは、エリクはあの時の女神を見ているのか。
「あれ、本当に女神……なのよね?」
「我が国を守護する女神だよ。ああして人前に出ることは稀で、俺も初めて見たが。王族に伝わる書物に書いてある通りの姿だ」
「ああ、なるほど。女神に関わったから、私を探していたのね」
滅多に人前に出ない女神からガラスの靴を貰った人間。
信仰の度合いはともかく、無視することはできないのだろう。
「それなら、神殿にでも入ればいい?」
正直に言えば信仰心などろくにないが、家を出る口実には使える。
アナベルはコレットのことを可愛がり過ぎて縁談を断るという困った状態なので、少し距離を取った方がいいだろう。
それにもともと平民だったので、貴族よりは神殿の暮らしの方が馴染みそうだ。
だが、エリクは慌てた様子で首を振った。
「いや、それは困る。君には俺の妃になってもらうよ」
「何故⁉ ガラスの靴を叩き割る妃なんて、ありえないでしょう? 大体、女神の寵愛って……私、あれと喧嘩しているからね。仲が悪いからね⁉」
ガラスの靴の押し付け合いをしたので、寵愛というのは何だか違う気がする。
「それなら神殿に入るのもおかしいだろう」
「妃になるよりは、おかしくない!」
頑として譲らないコレットを見て、エリクはため息をつく。
美しい相貌から放たれる吐息は、ただの飛び道具だ。
背後のアナベルが感嘆の息を漏らしているし、コレットもちょっと格好良いと思ってしまったのは内緒である。
「何もおかしくないよ。あの夜、月の光を受けて女神と言い争う君に目を奪われた。そしてガツンと頭に衝撃が走ったんだ――君が運命の人なのだと!」
「――その衝撃、運命じゃなくて物理的衝撃だから。鈍器の衝突だから。ただの事故だから!」
少しでも格好良いと思ったコレットが馬鹿だった。
わけがわからない主張に一歩後退ると、エリクは懐からガラスの靴の片方を取り出す。
その靴も証拠隠滅してしまいたいが、さすがに王子の手から奪い取るわけにもいかないのが忌々しい。
だがガラスの靴の輝きを目にした途端、コレットの脳裏に光が走り……女神の笑い声が聞こえたような気がした。
一体何だったのかと思う間もなく、エリクはコレットの前にひざまずいてガラスの靴を差し出す。
「あれほどの衝撃を俺に与えた女性は初めてだ。――コレット・シャルダン。結婚してくれ」
その衝撃は物理的なもので、ただの攻撃だ。
……そう口にしようとして、コレットは固まる。
アナベルが目から花火でも上げそうな、歓喜の眼差しを向けているからではない。
ろくでもない理由で求婚されているのに、何故かエリクの笑みから目が離せないのだ。
確かに容姿は整っていたが、こんなに素敵だっただろうか。
口元が綻びそうになり、胸は早鐘を打って何だか息が苦しい。
『――見ていてください。アッと驚く祝福を与えますからね! ラブラブときめき乙女ライフをプレゼントしちゃいますから!』
舞踏会の夜に女神が言っていた言葉が、脳裏によみがえる。
これは――あの女神の仕業か。
アナベルの結婚のために邸を出た方がいいだろうとは思っていたし、この求婚を受ければその通りになる。
王子の妃ともなればシャルダン伯爵家にとっても栄誉であり、アナベルの縁談にもいい影響があるだろう。
だがコレットが望んでいるのは小動物にパンの欠片を与えるような地味な暮らしであって、間違っても王子の妃などではない。
ガラスの靴をぶつけられて喜び、叩き割る姿に歓喜するような王子の妃では、断じてない。
何が、ラブラブときめき乙女ライフだ。
こんなの全然楽しくない。
楽しくない……はずだ。
とにかく、いったん落ち着こう。
女神の魔法のせいでエリクが変態気味の求婚をし、コレットがときめいているのだとしたら、魔法が消えれば捨てられるのは確定。
一時のときめきに惑わされては、かえって家にも迷惑をかけてしまう。
わかっているのに、さっさと断りたいのに。
それでも心の奥で嬉しいと感じる自分がいて、どうにもならない。
頬を染めてふるふると震えるコレットを見るエリクの瞳は優しく、気を抜けば陥落してしまいそうだ。
「……あ、あの」
「うん?」
「――あの女神、今度会ったらパンの欠片を投げつけてやる……!」
コレットは渾身の力でエリクから目を逸らすと、胸を揺さぶるときめきに抗うべく唇を噛みしめる。
――ああ、やっぱり舞踏会になんて行かなければ良かった。
数日前に王宮で開催された舞踏会。
そこで出会ったウザい女神とまさかの王子暗殺未遂事件から、すべては始まったのだ。
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「灰かぶらない姫」タテスクコミカライズ!
更にタテヨミ→横読みに再編集して
美麗フルカラー書籍化しました!
11/14①巻発売! 12/17②巻発売も決定!
購入特典も可愛いので是非お手元に!
(特典は「西根羽南のページ」で紹介しています)
【11/14①巻・12/17②巻 フルカラー書籍発売】【タテスクコミカライズ】灰かぶらない姫はガラスの靴を叩き割る 西根羽南 @hanami_nishine
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