第27話 青嵐国

 時は流れ、季節は十月。秋真っ盛りだ。


 俺の起こした加工工場事業は大成功をおさめ、農家の収益も上がっている。


 収穫期直前に手を打ったのが効いていた。


 おかげで収穫物の加工品が大量に町に出回り、従来より安く質が良い商品が商店に並んでいた。


 俺の元に買い付けに来る商人たちには、通常の相場価格で売りつけている。


 フロリアンには卸価格で売っているので、価格競争であいつに勝てる商人は居ない。


 あいつは町の小売り店舗を増やしていき、順調に売り上げを伸ばしているらしい。


 船便でも日持ちがする加工食品や日用品を売るようになり、細々とだが黒字を底上げする売り上げを得ていた。


 市場で余った加工品は他の商人が買い付け、他の町に売りに行く。


 ……順調だなぁ、俺の事業。


 こんな簡単でいいんだろうか。



 あの夜会の後、宝石の交易路も開拓した。


 この町の宝石商があまり扱っていないらしい種類の宝石を、産地で買い付けて直接持ち込む。


 領地の私兵を使うので、傭兵を使うよりは安心だ。


 宝石みたいな高級品は、よっぽど信頼のおける傭兵じゃなけりゃ、護衛させるつもりが盗賊に化ける、なんて珍しくない話だしな。


 持ち込んだ宝石は新たに船便を立てて、今はセイラン国に向かっている最中だろう。


 最初に送り出した船便は、もうそろそろセイラン国に着く頃だ。


 あの船にはアヤメに受けが良かった大陸の調味料や嗜好品、香辛料などを積ませている。


 せっかく≪保管≫を使える人材を連れていくのだから、往路で無駄に遊ばせる手はない。


 当然、こちらからも食品をセイラン国に持ち込み、向こうでの取引材料にしてもらう。


 この交易の結果がわかるのは三か月後、どれだけの特産品を船に積んでくるかだ。



 俺は執務室で事業報告書を読みながら、その三か月後を楽しみにしていた。





****


 青嵐国に、一隻のガレオン船が到着した。


 青嵐皇、海音かいね剣部つるぎべ青嵐せいらん御座ござで、臣下から報告を受けていた。


綾女あやめからの書状だと?!』


 臣下は胡坐あぐらをかき、両拳を床につけ顔を伏せて応える。


『はっ、大陸から使者が、書状をたずさえてまいりました」


 臣下が差し出した手紙を、傍仕えが受け取り、御簾みすの向こうに居る青嵐皇に手渡した。


 青嵐皇が慎重に封蝋を確認する――間違いなく、綾女あやめの封蝋だ。


 丁寧に便箋を開け、中の手紙を広げる。


 手紙にはただ一行、『わらわは夫を見つけたゆえ、青嵐国はお任せした』とだけ記されていた。


 ――夫だと?! あの子はまだ十歳だぞ?!


 混乱する青嵐皇に、新たに二つの書状が渡される。


『フランチェスカからの書状と、ひい様の滞在先当主からの書状でございます』


 フランチェスカの書状には、大陸での経緯が事細かに書かれていた。


 そして『ひい様の書状は、決して本気になさいませんように』と最後に記されていた。


 滞在先の当主――どうやら大陸に渡った直後のトラブルから、面倒を見てくれた男らしい。


 一騎当千の武人、そう呼んで差し支えのない男だろう。


 フランチェスカは大袈裟に物事を伝える女性ではない。それでもこれほどの武勇を記すとなれば、青嵐国でも並ぶ物が居るか疑わしかった。


 その上、今は大陸の領主として生活しているという。


 その日暮らしの傭兵生活、そんな男が国王の信頼を勝ち取り、領主に成り上がる――よほどの才覚の持ち主と見て良いだろう。


 綾女あやめの帰りを今か今かと待ち侘びていた青嵐皇は、娘の性格を読んだ。


 ――綾女あやめの奴、本気でその男に嫁ぐ気か?!


 彼女は言い出したら止まらない。


 希代きだいの巫女として、強大な力を持って生まれた子だ。


 その強固な自己が、彼女のわがままに表れている。


 ――どうやって連れ戻したものか。


 頭痛を覚えて頭を押さえている青嵐皇に、御簾みすの向こうから臣下が告げる。


『陛下、使者が他にもいくつか伝えたいとのよし

 聞き取りを行った結果を申し上げてもよろしいでしょうか』


『……構わぬ。もうせ』


 使者が伝えたこと、それは青嵐皇にとって意外な事ばかりだった。


 綾女あやめの着物を作るため、着物職人を大陸に連れていきたいという要望。


 着物のための生地を定期便で取り寄せたいという要望。


 すみや筆、草履ぞうりなどの、綾女あやめの身の回りの品を揃えたいという要望。


 その全てが、彼女がまだ大陸に滞在する気だと伝えていた。


 また、ここまで手配する機転にも、青嵐皇は驚いていた。


 特に職人を呼び寄せたいなど、青嵐国が始まって以来の出来事だろう。


『……そこまで要望していて、朝貢ちょうこうも無しか』


『いえ、こちらに朝貢ちょうこうの一部をお持ちしました」


 漆塗りの三方さんぽうに乗せられた調味料や香辛料、新鮮な果物類が青嵐皇の前に運ばれた。


『……馬鹿な。調味料や香辛料はまだしも、新鮮な果物だと?! どうやって運んできた!』


『大陸の巫術ふじゅつのような力を使って運んできたと申しております。

 お気に召されたら、代わりに山葵わさびを持ち帰りたいとのよし。いかがなさいますか』


『――山葵わさびだと?! あれを三か月かけて、船便で運ぶと申すのか?!』


『恐れながら申し上げます。

 そのように新鮮な果物を運べたのであれば、山葵わさびもまた可能かと』


 青嵐皇は困惑しながら告げる。


『……まさか、これらすべてを綾女あやめが欲したというのか』


『いえ、全て滞在先の当主である、ヴァルターなる者の指示だと聞き及んでおります』


 ――ヴァルター。綾女あやめが嫁ぐ夫として決めた男。


 そこに才覚の匂いを確かに感じた青嵐皇が、臣下に告げる。


『そのヴァルターなる者を、そちはどう見るか』


『凄腕の商人あきんどかと。この青嵐国に、確実に利益を与える男でしょう』


 白い砂糖、珍しい風味の香辛料、そして瑞々しく甘い香りが漂う、見たこともない果実。どれも青嵐国では貴重品となる。


 特に砂糖は原料の栽培地の選定が難しく、青嵐国では大規模栽培ができていなかった。


 これだけでも、こちらから交易を申し出たいくらいだ。


 ――そんな男が、一騎当千の武人だというのか?!


 ヴァルターの人物像が、全く見えてこない。


 疲れた青嵐皇が、残る最後の書状を手にした――ヴァルターからの手紙だ。


 その書状を傍仕えに渡し、青嵐皇が告げる。


『読み上げよ』


 読み上げられた内容も、驚くべき内容だった。


 綾女あやめの身分を保証し、彼女を保護するために形だけの婚約を結びたいという要望。


 彼女が青嵐国に帰国する時、婚約を白紙撤回するという。


 最後に、『必ず綾女あやめを帰国させることを約束する』という文言。


 文面から、誠実さが溢れてくるような内容だった。


 ――だが、我ら皇家おうけの婚約を、いささか軽く扱い過ぎだな。


 皇家おうけにとっての婚約は、破棄されてはならないもの。


 婚姻こんいんを前提として結び、余程のことがなければ履行されなければならない契約だ。


 それをこのように軽々けいけいに結ばれては、たまったものではない。


 だが綾女あやめはヴァルターに本気で嫁ぐ気でいる。


 そして大陸で綾女あやめを守るために必要だという理屈も理解していた。


 青嵐国は、大陸では無名の国家。


 外洋に出る船を持たない青嵐国は、大陸からやって来てくれる船に貿易を依存していた。


 ここまでの貴重品を運び込んでくれる商人との縁を、容易たやすく切れるものでもない。


 悩み抜いた末、青嵐皇は臣下に告げる。


『使者の望みに応じてやれ』


 着物職人を始め、彼女の身の回りの品の手配を指示した。


 また、船には載せられるだけの山葵わさびを乗せるようにも指示を出した。


 使者が持ち込んだ貴重な品々を、山葵わさびで買えるなら安いものだ。


 青嵐皇が傍仕えに告げる。


も大陸に向かう。いつ頃なら可能か述べよ』


『恐れながら、現在の政治情勢で御身おんみがご不在となるのは、少々具合が悪いかと』


 青嵐国は小国の集まり、各地の豪族の王を束ねているのが青嵐皇だ。


『……仕方あるまい。だが早急に手はずを整えよ。

 綾女あやめを説得し、青嵐国に連れ帰らねばならん!』


 傍仕えが平伏し、意向を承った。


 青嵐皇は娘に思いを馳せながら、大陸の珍味を手に取り、味わっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る