海月な彼女と浮遊感に埋もれる僕

岩井喬

第1話【第一章】

【第一章】


 バイトの途中、薄暗い廊下でのこと。

 僕は長めのソファに腰かけ、ぼんやり『彼ら』の様子を見ていた。

 僕の性格と『彼ら』の生き方には、どこか共通項があるような気がする。物心ついた頃から、実はずっとそう思っていた。


 家を飛び出して世間の荒波の中を浮遊。

 頼れる者も、頼ってくれる者もいない。

 ただ苦しくない程度に生を全うしようとしている。


 一つ大きな違いがあるとすれば、『彼ら』は不老不死とも言える身体構造を持っている、ということだ。流石に僕も、そんなところまで憧れはしないけれど。


 床と天井から淡い照明でライトアップされた水槽。高さ三メートルはあるだろうか。

 その中でふわり、ふわりと漂う『彼ら』の生体は、見ていてまったく飽きがこない。というか、僕が勝手に感情移入しているだけかもしれない。


 この水槽の外にはどんな世界が広がっているのか、とか。そんなことを考えていたとしたら、なかなか気の毒な展開だ。『彼ら』はこの水槽の中でしか生きられない。


「ああ」


 僕は覇気どころか生気すら感じさせない、乾いた声を上げた。

 考えてみれば、『彼ら』の知能指数を知らないな。馬鹿にするつもりはないけれど、人間よりはだいぶ低いはず。それに、水槽の外に出されたら、半日と生きてはいられまい。


「……」


 無言で膝に肘を載せ、両の掌を下顎に当てて、ぼんやり言葉を繋ぐ。

 ――生きてるっていうのは、本当にままならないものだよな。


 そんな僕の心境を知ってか知らずか(いや、間違いなく知らないだろう)、ある人物の声が聞こえてきた。


「蒼樹せんぱ~い、蒼樹凪人せんぱ~い、いませんかぁ~?」

「先輩、聞こえたらその場で挙手してください」

「あ、そうやって聞き回ればいいんだね! 流石は谷木くん、人心掌握術に長けてるんだねぇ~!」

「だろ? 絵梨ちゃんもそう思うだろ?」


 当然だが、この場所――水族館というのは、遠くを見通すには極めて不向きな施設だ。

 僕が立ち上がって挙手したところで、あの二人、バイトの後輩たちが僕の居場所を特定できるはずがない。

 と、思っていたのだけれど。


「あーーーーっ! 凪人先輩、こんなところにいたんですね! 警備員のお仕事サボってなにやってるんですか?」

「……あれ? 絵梨さん、どうして僕の居場所を?」

「さっき大川隊長が見つけたんです! 監視カメラの映像で!」

「あーーー」


 そうか。閉館時間を過ぎてからも、防犯用の監視カメラをそのまま起動させておけば、誰がどこにいるのか丸わかりというわけだ。たとえそれが犯罪者であれ、警備員であれ。

 きっと今日まで僕のサボりを容認してくれていたのは、大川嶺子隊長の御心の広さ故に、ということなのだろう。

 

「ちょっと、凪人先輩! せっかく後輩が探しに来てあげたんですから、少しは嬉しそうにしたらどうですかぁ?」

「うん……」


 やれやれとかぶりを振る女性。彼女は花宮絵梨といって、僕が絶賛留年中の大学の後輩にあたる。短い茶色のポニーテールに、ぐるぐると自在に動き回る大きな瞳がチャームポイント。……なんだそうだ。自己申告だけれど。


「おーーーい、絵梨ちゃ――って、凪人先輩! なんでこんなところに突っ立ってるんすか? 今日も観察を?」

「そういうことになる、のかな」

「まったくもう……。凪人先輩は何考えてんだか、時々分からなくなるんすよ! ちっとはこう、分かりやすい顔とかできないんすか?」

 

 こっちのやたらチャラい(けど根は真面目な)男子学生は、谷木耕助。警備員の帽子から派手な金髪が覗いていて、常に口元が笑みの形を描くように歪んでいる。

 花宮と同い年で、背丈もそう変わらない。男性としては小柄だ。それでいて『悪戯っ子らしく』振る舞うことが彼のポリシーであるらしい。随分懐かれたものである。


「ねえねえ絵梨ちゃん、俺と付き合ってよ~。毎食奢るから!」

「え~、あたしは耕助くんのことそんなに好きじゃないよぉ? だったら凪人先輩の方がマシだよぉ~。ね? 凪人先輩!」


 考えてみれば随分と失礼な物言いだが、無視。そんなこと、僕自身に分かるわけがなかろうに。

 二人の痴話喧嘩を聞き流すとして、僕は再び『彼ら』、すなわちベニクラゲの観察を再開することにした。


         ※


 日本の関東地方の僻地に位置する、県民のためのレジャー施設(僕たちにとっては職場)。

 それがこの『池ヶ崎水族館』。

 そして僕たちがここで警備員のバイトをしている理由としては、単純に自分たちの通っている大学キャンパスから非常に近いからだ。


 特筆すべきアトラクションや、特徴的な生物の育成を行っているわけではない。どこにでもある、ごくごく一般的な水族館。どうしてそんなものがここにあるのか。

 噂だが、昔の理学部の学部長だった教授の趣味で建設されたから、らしい。


 コンセプトは、若年層にウケるということ。そうすれば理学部生物科の研究員の増員にも繋がる。もっとも、その教授は既に他界しており、あとは地域の補助金を頂戴しながら運営するだけの箱物になってしまったのだが。


「谷木くん、花宮さん、海底生物のエリアの巡回は終わった?」

「はーい! 皆元気そうですし、特に異常ありません! あたし偉い!」

「バーカ、良い子ぶってる場合じゃないでしょ、絵梨ちゃん! 俺が担当した魚類エリアも異常ありませんぜ」


 僕は大きく頷いて、胸元の無線機を取り出した。警備員室で待機中の安全確認顧問・大川嶺子さんに報告を入れるためだ。


 僕が無線機に向かい、口を開きかけたその時。


「先輩、ちゃんと浅瀬の生物エリアは見回ったんすか?」

「え?」


 やれやれとかぶりを振る谷木。隣でこくこくと首を上下させる花宮。


「こんなこったろうと思いましたよ、凪人先輩! いっつもこのへんで足止めちゃいますよねえ……」

「あ、そうそう! 特にこのベニクラゲのコーナーで、ですよね! 何か見えてるんですか?」

「何か、って?」


 僕が尋ね返すと、花宮はぽっと頬を染めて両手を頬に当てた。

 

「ほ、ほら、このクラゲは昔の恋人さんに似てるとか、生き別れの弟にそっくりだとか!」


 すると花宮の頭部にハリセンが振り下ろされた。谷木の仕業だ。


「いったぁい!」

「可愛い子ぶるんじゃねえの! そんな野暮なこと、凪人先輩に訊くな! 先輩の心の傷を抉るような真似しちゃ駄目!」

「う~、耕助くんの意地悪! 名前が耕助、っていうんだから、あなたは海じゃなくて山の担当でしょう?」

「俺の爺ちゃんと同じことを言うな! また引っ叩くぞ!」


 僕の視界の隅で、涙目になった花宮が、パワハラだ何だと騒いでいた。

 しかし、僕の思考の延長線上で交わることはなかった。


 改めて考えていたのだ。『彼ら』――ベニクラゲと、僕、蒼樹凪人には、何らかの共通部分があって、共に何らかの運命というか宿命というか……そんなものに遭遇するのではないかと。


 僕が(傍から見れば)ぼーっとしていると、無線機の受信ランプが点滅した。

 大川嶺子さんからだろう。


「はい、こちら蒼樹」

《あ、凪人くん? 二人は見つかった?》

「ええ。合流しました」

《よかった~、行方不明になったらどうしようかと思ったわよ!》


 まあ、仲間外れになっていたのは僕の方だけどな。


《残りは無脊椎動物エリアだけだから、三人で合流して警備員室に戻って頂戴。大丈夫ね?》

「はい。すぐ戻ります」


 ふむ。大川隊長にも後輩の二人にも、随分と懐かれたものである。

 とはいうものの。


「……」

「どうしたんですかぁ、先輩?」

「やめときなよ、絵梨ちゃん。先輩は海月と会話ができるんだ」

「うっそぉ!?」


 谷木の露骨な嫌味口調と、あまりにも大袈裟に頬に手を当てる絵梨。

 少し前まで、つまり花宮がこのバイトを始める前までということだが、あの頃は谷木も素直だったんだけどなあ。

 

 まあ、僕は人間同士の付き合いが得意ではないから、構いやしないのだけれど。


「ほら、行きますよ先輩! あんまり先輩に付き合ってるわけにもいかないっすからね。それに、凪人先輩と一緒に警備員室に戻った時って、毎回隊長に怒られてばっかりっすから。自覚してます?」

「ん……ごめん」


 水槽を見ながら答える僕の前で、谷木は肩を竦めてみせた。

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