第7話 ジャージとシャワー
「たっはー! ベッドよ、ベッド! ちょっと硬いけど、でも今はそんなのどうでもいいわ! くつろぎの化身よー!」
「あはは。部屋に入って即ベッドにダイブ」
「づあぁぁぁ。身体の力が抜けていくぅぅぅ」
宿屋【ラ・ルル】での宿泊が決まり、割り当てられた部屋へと移動した僕とリリス。
木製の扉を開け、部屋に入るとリリスはそれまでの疲労もあってか吸い込まれるようにベッドにダイブを。僕は扉のすぐ横に
そして、ようやく落ち着ける場所に着いたからか、自然と身体から緊張が
僕はふぅ、と一息吐くと、この部屋を観察していく。とは言っても、あくまでの宿の部屋だ。これといった目を惹くような物は見られない。
備えられているのは簡素な作業机とイス。それとクローゼットにベッド。
部屋の大きさはおよそ畳5
一人で寝泊まりする場所、としては申し分ない広さだ。だが、やっぱり二人だと少々狭く感じる。
リリスは全く気にしていないようだけど、僕としては少し居心地が悪い。
そんな胸中は必死に誤魔化して、僕はコホン、と咳払いすると、ベッドでくつろぐリリスに問いかけた。
「それで、これからどうしよっか。リリス」
「んー。どうしましょうかねぇ」
リリスは仰向けのまま数秒思案して、
「とりあえず、少し休みたいわ」
「賛成。実は僕もけっこう足に限界がきてたんだよね」
シエルレントに着くまでに結構な距離を歩いたし、それ以前の疲労が足はおろか全身にまで来ていた。
ここまで休憩がほとんどなかったこともあって、足裏はじんじんと鈍い痛みが生じていた。
「よっと……ふあぁぁ。力が抜けていくぅぅ」
リリスの提案を
これはしばらく立てないと自分の疲労困憊具合に堪らず苦笑いをこぼして、僕はベッドの上で寝転がるリリスと会話を始めた。
「そういえば、受付けの奥さんがこの宿の隣に食堂があるって言ってたね」
「えぇ。近くにあるなら、そこで夕食にしましょうか。今日はもうこれ以上動きたくないわ」
「同感。僕ももうくたくただよ」
「あー。でもご飯の前に一度お風呂入りたいかも。汗で身体中ベタベタだし、それにまだ血の跡が残ってて生臭い匂いするし」
「服もボロボロだしね」
「本当よ。これ気に入ってたのに。早く買い直さないと」
「その恰好で外に出るのも目を惹いちゃいそうだもんね」
とそこまで話して僕は「あっ」と気が付く。
「そうだ。替えの服なら持ってるかも」
「?」
立ち上がって鞄の元に行き、中を開けると予想通りそれがあった。
「うん。やっぱりあった」
鞄の中に手を突っ込んで取り出したそれの正体は、学生にとってはお馴染みの服、ジャージだ。
手に取ってリリスの前でジャージを広げると、それを見たリリスはぱちぱちと目を
「なにそれ?」
「ジャージだよ。体育の授業の時に着替えるやつ」
「タイイク?」
「運動の授業ってこと」
聞き慣れない単語に首を傾げるリリスにざっくり説明して、僕はリリスにジャージを渡した。
「少し目立つかもしれないけど、ボロボロになっちゃった服で出歩くよりマシだと思う」
「これを私に着れと?」
「うん。あ、でも今日体育があったから僕が一回着ちゃったんだ。あまり汗は掻いてないからそんなに臭くないはずだけど。嫌だったらこの提案はなかったことにするよ」
「…………」
ぎしっ、とベッドを
「すんすん」
「く、臭い?」
「ううん。臭くないわ。それどころか甘い? 匂いがする」
「
「でもちょっと男の匂いも混じってるわね」
「やっぱり臭かった⁉」
リリスの一言で途端にあわあわとなる僕。急いでこの提案は白紙にしようとジャージを鞄の中に仕舞おうと瞬間だった。
リリスが僕からジャージをさっと掴み取って、ベッドに倒れていく。それから彼女は僕のジャージを顔に押し付けて、もう一度「すぅぅぅ」と匂いを嗅いだあと、視線だけを僕にくれて、
「嫌なんて一言も言ってないでしょ」
「――ぇ。……ということは」
「うん。これ、貸してもらうわね」
口許はジャージに隠れて見えない。でも、彼女の目元はどこか嬉しそうに見えて。
「……リリスがそれでいいなら、うん。好きなだけ着てていいよ」
「ふふ。それじゃあ、しばらく着させてもらうわね」
色んな感情が胸に押し寄せてきて、処理し切れずに茫然してしまう。
そんな僕とは裏腹に、リリスはふふ、と小さな微笑みをこぼすと。
「すぅぅぅ。――やっぱりいい。すごく、ゾクゾクしてくる」
吸血鬼が
***
「――ふぅ」
しばらくぶりに浴びた温水の疲労回復効果は絶大で、これまでの旅の疲れや災難によって精神に蓄積されたストレスやらが汗や血痕と共に洗い流されていく。
これで夕飯をたらふく食べてぐっすりと寝れば明日には完全回復しているだろう。
「さすがはシエルレント。知る人ぞ知る観光地なだけあるわ」
シエルレントは地中から湧き出る温水が有名な町だ。いわゆる温泉地帯と呼ばれ、それを利用した商業もいくつか存在する。
通常の宿では水汲みで身体を洗うのが精一杯の所を、シエルレントの宿ではこんな風に温水が実質使い放題なのだから、この町で生まれ育った住人がつくづく羨ましくて仕方がない。
ここに辿り着くまで紆余曲折あったが、そのお釣りがくるくらいにはこの町は楽しめそうだ。観光名所を
「センリもこの町、気に入るかしら」
ふと思うのは、偶然が重なって旅のパートナーとなった少年のことだった。
これからしばらく共に過ごす少年がこの町を自分と同じくらいに気に入ったのなら、数ヵ月はこの町に滞在するのはいいかもしれない。幸いお金もまだ余裕があるし、困ったらこの町にあるギルドでクエストを受けて
二人で飽きるまでこの町にいて、飽きたら次の町に行けばいい。
この旅に目的なんかない。強いて言えば、楽しむことが旅の目的だ。そして、それこそが旅の本懐なのだから。
「ふふ。これから色々と楽しくなりそうね」
一人旅ではなく誰かと旅をするのも悪くはないと、リリスは百年生きて初めてそんな感情を抱くのだった。
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