第20話 幕間 白藤の伝説・2
琴が嫁いでちょうど一年が経った春のある日、ひとりの若者が片腕を失い杖をつきながらようやく帰ってきた。その若者の話では織田信長軍の猛攻は苛烈を極め、一揆に参加した男女を残らず見つけ出し極刑に処したり、奴隷として尾張や美濃に送ったという。
「太郎兵衛さまは? 太郎兵衛さまはどうしたんですか?」
「太郎兵衛は、斬り殺された」
お琴は若者の言葉が信じられず、髪を振り乱して叫んだ。
――嘘だ、そんな筈はない。必ず帰ってくると約束した、だから帰ってくる!
お琴は半狂乱になりながらもそれから毎日、村はずれの藤の下で太郎兵衛の帰りを待った。雨の日も風の日も、雪が降っても。最初は同情していた義両親と村人達も、やがてお琴の異常さを薄気味悪く思うようになった。
大事な男手を喪ったのは、お琴だけではない。そんな思いが膨らみ、田畑の仕事も幼い義弟達の世話も放り出して毎日、朝から晩まで藤の下で太郎兵衛の帰りを待つお琴を、敬遠するようになった。太郎兵衛の両親は、息子の死を聞かされて十日の間は、お琴の奇行を大目に見ていた。だがその度が過ぎる態度に、ひと月後にはお琴を親元に帰すべく話し合いの場を設けた。
お琴の父は
「一度そっちの人間になったからには、そっちで最後まで面倒を見るのが筋だろうが!」
と言い張る。
太郎兵衛の父は、
「あんな気が触れてしまったおなごなど、うちの嫁にはいらん! さっさと迎えに来い!」
と怒鳴り返し、埒があかない。
跡取りである太郎兵衛が死んだ今、お琴は次男の嫁として、そのまま婚家に残ることも考えられた。しかし次男はまだ十歳と子供である上に、お琴は精神の均衡を崩してしまった。
互いに家の恥と声高に叫び、どちらもお琴の面倒を見ようとしない。結局、寺が手を差し伸べたお陰でお琴の命は辛うじて繋がっていた。だが心身共に衰弱した彼女は、藤の花房が垂れ下がる頃には瀕死の状態になっていた。
「庄屋さんとこの嫁さんは、身体の具合が悪いのかい?」
さすがに村の女たちや年寄りが同情し始めてきたが、お琴の身体は衰弱し、水を飲むのがやっとという状態にまでなってしまった。
「お願いがあるんですが、聞いてくれませんか和尚さん……」
荒い息を吐きながら、お琴は消え入りそうな声で末期が近いことを悟った住職に遺言を託した。
「わたしの亡骸は、藤の下に埋めて欲しいんです。いつまでも、太郎兵衛さまの帰りを待てるように……」
そう言い残した二日後、お琴はこの世を去った。
和尚や小僧たちは遺言通りお琴の亡骸を、藤の根元に埋めた。婚家も実家も葬儀には参列したが、最後までその雰囲気は最悪だったという。それからである。季節を問わず、藤の花房が垂れ下がるようになったのは。しかも亡骸が埋められる前は薄紫色の花房だったのに、まるでお琴の涙で色を洗い流されたかのように白藤へと変わってしまった。
以後、五百年以上が経過しているがその白藤は今も季節を問わず咲き続け、帰らぬ夫を待っている。人々はいつしかこの白藤を『人待ち白藤』と呼ぶようになり、お琴の霊が成仏できるよう何度も供養をしたが、白藤のままであった。やがてそれは伝説として、現在まで語り継がれている。一人の少女の情念がこもった白藤――これが哀しくも
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