暴力脱走 尚輝
古いマンションの四〇四号室。
ドアの前には、二人の男が立っている。宅配業者風の作業服を着て、帽子を目深に被っていた。うちひとりは、坂本尚輝であった。尚輝は、小さめの段ボール箱を手に持っている。床には、キャスターの付いた大型トランクが置かれていた。
尚輝はちらりと周りを見回すと、ブザーを押した。
「どちらさんですか?」
ドアの内側から、男の声が聞こえてきた。尚輝は笑顔を作り、口を開く。
「すみません、お届け物です。受け取りのサインと印鑑をお願いしたいんですよ」
「宅配便か。わかった。今行く」
面倒くさそうな男の声が聞こえた。ややあって、ドアが開く。
その瞬間、尚輝は持っていた段ボール箱を投げつける。同時に、右ストレートを顔面に叩き込む。男は、呆気なく倒れた。
「いやあ、尚輝さん凄いッスね。パンチの強さは、まだ現役レベルじゃないスか」
言いながら、部屋に入っていくのは
今は、ただのヤク中のチンピラである。とはいっても、そこらの男よりは格段に強い。その腕を見込んで、今回の助っ人として呼んだのだ。
そんな寺島は肩をいからせ、部屋にずかずか入って行く。尚輝は、彼の後に続いた。
「な、何だてめえら!」
吠えたのは、奥にいた佐藤だった。立ち上がり、寺島に殴りかかっていく。
しかし寺島は、大振りのパンチをいとも簡単にかわした。
次の瞬間、寺島の左ボディフックが腹にめり込む。佐藤は腹を押さえて崩れ落ちた。と同時に、尚輝が近づいていく。倒れた佐藤を縛り上げ、体を曲げて大型トランクに詰めた。
「さあ、とっとと引き上げようぜ」
作業を終えると、寺島に声をかける。部屋にいたもうひとりの男は、鼻血を出しながら呆然としていた。
その時だった。
「どうしたの」
声と同時に、トイレから出て来た者がいる。ハーフの少年だった。白い肌と金髪といい、人形のように整った顔立ちといい、明らかに場違いな雰囲気を醸し出している。
「お前……誰だよ……」
尚輝は、思わず呟いた。なぜ、こんな少年がここにいるのだろう。先ほどブン殴った二人と、まるで違うタイプだ。
「ルイス」
即答した。この少年、自分たちを恐れてはいないようだ。尚輝は困惑していたが、少年は尚輝たちの存在を気にも止めず、そのまま奥の部屋に歩いていこうとした。
その時、少年の歩き方がおかしいことに気づく。足元を見ると、足首に手錠が掛けられていた。これは、明らかに普通ではない状況だ。思わず、床にしゃがんで震えている男を睨む。
「お前ら、ここで何してたんだ?」
尚輝の怒気を含んだ問いに対し、男は震えながら口を開いた。
「そ、そいつは殺人鬼なんです。俺たちはそいつが逃げ出さないように見張ってたんです──」
「はあ? おい、デタラメ言うんじゃねえよ、この変態野郎が」
怒りに震える声が出ていた。寺島も、いかにも不快そうな表情で男を睨みつけ口を開いた。
「てめえ、あいつの手錠を外してやれ」
「え!? それはヤバいです──」
「うるせえ! さっさと外してやれ!」
今度は尚輝が怒鳴りつける。男は怯えた表情になり、慌てて少年の足首に掛けられていた手錠を外した。だが少年はきょとんとした顔で、じっと立ち尽くしている。
その様子を見て、尚輝はさらに不快になった。こいつらは、知能面で障がいのある少年をさらってきて、この部屋に監禁していたらしい。
この変態どもが──
「おい、さっさと逃げろ。もう、お前は自由だ」
気がつくと尚輝は、少年にそんな言葉をかけていた。すると、少年は首をかしげる。
「逃げていいの? どこに逃げるの?」
「ああ、逃げていい。ここから遠く離れろ。好きなところに行け」
「わかった逃げる」
少年は、そのまま歩いて行く。ドアを開けると、外に出て行ってしまった。尚輝や寺島には目もくれず、礼も言わずに──
そんな異様な少年の後ろ姿を、尚輝は無言で見ていた。だが突然、奇妙な違和感に襲われた。上手く説明できないが、何かがおかしい。もちろん、あの少年が殺人鬼などという与汰話を信じる気にはなれない。だが今の少年の様子から、普通でない何かを感じ取ったのも確かだ。今までは、佐藤をさらうという仕事に意識を集中させていた。そのため、違和感に全く気づいていなかったのだ。
だが、今ははっきりと感じる。得体の知れない違和感と不安が、体内でうごめいていた。もしかして、間違ったことをしてしまったのではないだろうか──
「どうしたんスか坂本さん? もう用は無いですよね? さっさと引き上げましょうよ」
寺島の声に、尚輝は我に返った。大型トランクを、そっと運びだす。佐藤の身柄を押さえた以上、ここに長居する理由は無いのだ。あとはさっさと立ち去り、鈴木良子に佐藤を引き渡すだけだ。二人は佐藤の入ったトランクと共に、その場を立ち去った。
この時の尚輝は、何も知らなかった。
恐ろしい殺人鬼を、野に放ってしまったこと。
とんでもない事件に巻き込まれてしまったこと。
自分のしでかしたことの重大さに全く気づかぬまま、尚輝は佐藤を連れ去って行った。
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