黒薔薇館の吸血姫

宵宮祀花

黒薔薇館の黒薔薇姫

「此処が……本当に告白代行業者なの……?」


 長い黒髪が微風に泳ぐのも構わず、少女は手元の地図と目の前の建物を見比べた。

 黒い鉄柵の門の向こうには石造りの噴水を中心に黒薔薇が咲き誇る英国風の庭園が広がり、足下から伸びる石畳はほんの一枚も欠けることなく、整然と敷き詰められている。庭園の先に聳える館は暗赤色の屋根と白い壁のコントラストが美しく、窓から漏れる橙の灯りは蝋燭のように静かに揺らめいていた。


「凄いなぁ……いかにも吸血鬼の館って感じ。でも、呼んでも声とか届かなさそう。どうすればいいんだろ?」


 緊張を誤魔化すように独り言を呟きながら辺りを見回して、門を支えている石柱にインターフォンがあることに気付いた少女は、恐る恐る音符マークのついたボタンを押した。

 ファンタジーな外観に反して此処は現代的なんだな、と取り留めなく思いながら。


『はい、どちらさま?』


 機械越しに聞こえてきた声は、思いの外幼かった。若いなどというものではない。高校生である少女よりもずっと下の、精々小学生くらいの女の子の声だった。


『きこえていますか?』

「あっ……あのっ……! わたし、東奥沙希あちおくさきといいます!」


 意外な声の幼さ驚いてしまったせいで無言呼び出しをしてしまったことに気付いた少女――沙希は、慌てて取り繕いながら名乗った。


「此方が告白代行をやってるって聞いて来たんですけど……」

『はい。間違いありません。どうぞ』


 カチリと硬質な音がして、それから門が自動的に奥へと開いていく。

 なにか悪いことをしているわけでもないのに、何となく辺りを見回してから中へと入り、石畳の道を進んだ。噴水の辺りに来たところで、背後で門の閉まる音がして、沙希は思わず振り返った。門は固く閉ざされており、その先に見える東京都内らしいビル群が、まるで画面越しの世界のように遠く感じる。

 更に黒薔薇の生垣を抜けて漸く扉の前まで来ると、まるで全て見ていたかのようなタイミングで両開きの扉の片側が開いた。


「ようこそ、お客様」

「お、お邪魔してます……」


 沙希を出迎えたのは、二十代前半くらいに見える長身の黒髪美女だった。

 右目を長い前髪で隠しており、色白の肌に紫色のルージュを乗せた独特のメイクが目を引く。服装はクラシカルメイドと聞いてイメージする格好そのもので、後頭部で長い髪をお団子にしている。


「ベラドンナ様がお待ちです。此方へ」

「は、はい」


 突然異世界に召喚された人間ってこんな気持ちなのだろうかと思いつつ、メイドのあとに続いて玄関を抜け、豪奢な廊下を進む。やがて一つの部屋の前で足を止めるとメイドは二回扉をノックした。


「どうぞ」

「失礼致します」


 メイドが扉を開け、しかし中に入ることなく扉を支えてじっとしているので様子を窺っていると、再び「どうぞ」と声がした。


「あ、ご、ごめんなさい……お邪魔します」


 これまで生きて来て誰かに扉を開けてもらうなんて経験は、タクシーの自動ドアと両手いっぱいの大荷物を届けに生徒会室を訪ねたときくらいだったため、沙希は人が開けているのに自分が先に入るという発想になれなかったのだ。

 室内に入ると、まず正面に重厚な木製のローテーブルとソファがあり、ソファには六歳か七歳くらいの幼女が座って此方を向いていた。

 幼女は黒のゴシックワンピースとハーフボンネットを身に纏っており、黒のレース手袋と艶のあるエナメルシューズも含め、身につけているもの全てに黒薔薇の装飾が施されている。長い黒髪はこの場の誰よりも美しく、玉の肌にはシミも傷痕も黒子の一つも見当たらない。

 長い睫毛に覆われた大きな瞳は深い緋色をしており、幼女らしからぬ妖しい魅力を湛えている。


「あの……あなたが……?」

「ええ。まずはお掛けになって」


 見目に反した丁寧な口調で促され、沙希はそろりとソファに腰掛けた。やわらかなクッションが緊張で強ばった体を包み込み、優しく沈む。沙希が座るのとほぼ同時に案内をしてくれた人とは別のメイドが、沙希の前に温かい紅茶と、陶器の皿に載った数枚のクッキーを置いた。


「改めて、ようこそお客様。当館は告白代行業東京支社。わたくしは東京支社長の、ベラドンナと申しますわ。其方はメイドのロベリアとアザレアよ」


 紹介を受けて、沙希を案内したメイドともう一人、金髪に青い目の西洋人形じみたメイドがそれぞれ頭を下げた。どちらも美術品のように美しく、沙希はこの場に己が存在していること自体が申し訳ない気持ちになってきた。


「初めまして……」


 沙希が恐縮しながら頭を下げると、ベラドンナはふわりと微笑んだ。


「そう固くならないで。早速ですけれど、なにをどなたにお伝えしたいのかしら?」

「ええと……」


 言葉を探しながら、沙希は無意識に紅茶へ手を伸ばした。一口喉を潤すと、紅茶のふくよかな香りと程よい温もりが胸に広がり、ほうっと息が漏れる。


「中学校のとき、私を虐めてた子たちに……いまはしあわせだって言いたいんです」

「……詳しくお話頂けて?」

「はい……あまり楽しい話じゃないですし、愚痴みたいになると思うんですけど」


 ティーカップを両手で包みながら、沙希はぽつぽつと語る。

 中学生時代、沙希を複数人で虐めていた人がいた。阪上礼央奈とその友人たちだ。彼女たちは礼央奈が密かに想いを寄せている男子生徒に色目を使ったと言いがかりをつけ、囲んで罵声を浴びせたり鞄にゴミを詰めたり水着を便器に捨てたりといった、ひどい虐めを繰り返した。

 沙希は礼央奈の片想い相手と同じ委員会で、それゆえ話す機会が多かっただけで、特に恋愛感情は抱いていなかったのだが。最悪なことに礼央奈が告白したとき、彼は「委員会に気になってる子がいるから」と断ったのだ。それが沙希ではなく一つ上の女の先輩だったとわかってからも、彼女たちは己の過ちを認めるどころか自分に恥をかかせたと余計ヒートアップして、最終的に担任の説得を受けて沙希が保健室登校をするハメになったのだった。

 紆余曲折あって彼女たちは地元の進学校に通うこととなり、沙希は東京の普通校に進学した。その甲斐あっていまは友人も出来、授業も部活も楽しく取り組めている。

 しかし、時折過去の記憶がフラッシュバックして、友人だと思っていても実は陰で自分を嗤っているのではと疑ってしまう。それが苦しくて、此処を訊ねたという。


「……なるほど。それは確かに、当館うち向きの内容ね」


 沙希の告白を黙って聞いていたベラドンナが、ゆるりと頷く。

 告白代行業には、様々な業態がある。甘酸っぱい想いを伝えたいという人のための場所もあれば、憎い相手に不幸になれと伝えるようなところもある。

 ベラドンナの場合は、苦痛の清算に向いている。過去の例としては、ネグレクトを行ってきた親から逃げようとしている女性の、両親に宛てた「貴方たちは家族なんかじゃない」という告白。モラハラな配偶者に言いたいことがあるが、いざ対面すると長年の恐怖から喉が詰まってなにも言えないので、代わりに「二度と私たちの人生に関わらないで」と伝えてほしいといったもの。

 誰もが心に傷を抱えていて、傷が深いゆえに長く身動きが取れずにいた人ばかりであった。その第一歩としてベラドンナの元を訪ね、そして旅立っていった。

 今回は少々趣が異なるが、全身のための禊であれば問題なく代行出来る。


「それでは、最終確認をするわ。あなたは、中学時代に自分を虐めた子たちにいまはしあわせだと伝えたい。対価として、ティーカップ一杯分の血液とその当時の記憶に纏わる痛みを支払う。間違いないかしら?」

「はい。間違いありません」


 沙希の迷いない返答に、ベラドンナは満足げに微笑むと、空のティーカップを手に取った。


「手を翳してくださる?」

「はい。えっと……こうですか?」


 差し出された幼い右手に沙希が自身の右手を重ねる形で差し出すと、ベラドンナは答えの代わりに一つ頷き、重ねた手の下にカップを添えた。


「あなたの痛みと命の泉、頂くわ」


 重ねた二人の手がカップの上から引き抜かれたかと思えば、いつの間にかカップの中に真っ赤な血液が注がれていた。カップに八分目。ちょっとした献血の量だ。


「え……!? いつの間に……」


 血を分けると聞いたときから、物語で見る吸血鬼のように噛みつかれるか、或いは献血のように注射器を使ってパックに詰めるものと思っていた沙希は、痛みもなにもなく一瞬で血を抜かれたことに目を瞠った。

 手のひらを見ても、特に傷痕らしきものはない。ファンタジーな館では献血方法もファンタジーなのかと沙希が感心していると、


「畜生のように人の喉元に齧り付くなんて、野蛮な輩のすることだわ」

「そうなんですね……」


 ベラドンナは血の注がれたカップを傾けながら、妖艶に微笑いかけた。まるで色の濃い紅茶を嗜んでいるようで、目の前で血を飲まれていると頭ではわかっていても、充満する紅茶の香りのせいでただのティータイムにしか思えない。


「どうぞ、クッキーも召し上がって。献血のおまけみたいなものなのだから」

「は、はい。じゃあ、遠慮なく……頂きます」


 サクサクとした食感とベリージャムの甘さが心地良く、紅茶にも良く合っている。これまで体験したことのない優雅なティータイムのお陰で、沙希は館を訪ねたときに抱いていた緊張がいつしかほどけていることに気付いた。



「今日は本当にありがとうございました」


 ティータイムを終え、沙希は玄関先でメイドとベラドンナに見送られていた。


「それじゃあ、私はこれで……」

「ええ、ご機嫌よう」


 丁寧にお辞儀をするメイドと、にこやかに手を振るベラドンナを背に門へ向かう。間もなくといったところで門が内側に開き、外に出ると背後で閉まる音がした。


「何だか、凄くスッキリしてる」


 まだ告白の結果を聞いていないにも拘らず、胸にずっと渦巻いていた重苦しい傷が癒えているのを感じ、沙希は足取り軽くビル街へと消えていった。


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