異変のはじまり

『お部屋の施錠をお忘れなきように――』

 そう言われた後、僕らは講堂に集められた。説明会のあったあのウォーミーな木材調の講堂だ。

 しかしいくら視覚的にウォーミーでも時刻が時刻。皆寒そうにショールやらコートやらを羽織っていた。

 そんな中、阿部さんだけがきっちりと他所行きの服装を決めていた。昨日とは違ってパンツルックで、椅子の肘置きから引き出したミニテーブルにあの大きなタブレット風スマホを置いている。


「おや、不動君。寝間着もそれなんだ。似合うじゃないか」


 そう茨さんに声をかけられても僕は顔を上げられなかった。

 ベージュの、シルクの上等な寝間着。ここのアメニティで、私物じゃないから褒められても喜べない。辛うじてコンシーラーでヒゲだけ隠したけれど、ほぼすっぴんだ。

 顔を伏せたままそちらを向く。彼女の太腿の上にあのメタリックの、刃のようなスマホが見えた。


「化粧のことなら私は気にしないが。私もすっぴんだ」


「僕が気にするんですよ」


 やむなく顔を上げると、茨さんは別段驚きもせずに言う。


「若いからか、すっぴんでも殆ど違いはない。私が保証しよう」


 ――それって化粧が下手ってことじゃないか?

 僕は、肩にかけて持ち出してポーチからファンデーションを取り出そうとして、やめる。

 代わりに脇のポケットからスマホを出すが、圏外。

 まだWiFiの電波もない。

 それに気づいた瞬間窒息しそうになるのを堪えた。


「ところで、これって何の騒ぎです?」


「わからない。でも尋常ではないね。私と秦さんはもう一時間ほどここで待機している」と茨さん。秦さんも「まったくだ。眠くて敵わん」と同意した。

 彼女らも、呼び出されるだけ呼び出されて理由は知らされていないらしい。


「変ですね。用があるなら内線でいいのに……」


「内線は不通だ。スマホはもとより圏外で、外線含め、電話全部が使えないらしい。研究所のネットワークが全部ダウンしたそうなんだ。固定電話の回線もIPだからね……」


 ああ、それに気づいたのは僕と江口先輩が最初だろう。22:30過ぎ――スマホの時計で22:32のことだった。僕らはそのせいで残念な結果に終わり、時間も時間なのでそれで解散したのだ。

 それにしても、電話が全て使えないのでは急病人がでたらどうするのだろう。


「全部? 電話はともかくとして、衛星リンクが多重化されてるのに、そんなことあり得るんですか」


「天候のせいかな。外は災害級の雪だ。警察も呼べないし、呼んでもすぐには……」


 確かに衛星通信は荒天に弱いし、そればかりはいくら多重化しても意味が――いや、それよりも。


「警察? 警察って言いました?」


 茨さんは肩を竦めて「どうもそんな予感がしてね」とだけ言った。

 僕はまたスマホを確認する。何度見ても電波はない。


「……大丈夫かい? 不動君。落ち着きがないようだが」


「いえ、ネットが繋がらなくて――僕なんかはこれに依存してるじゃないですか。生活全部。あれからもう四時間ですよ。ずっと自分がないみたいで」


 そこへ真鍋さんと、志木君、光堂さんと鰐淵さんのテキサス凸凹コンビが入室した。厳しい顔つきと歩調から、四人とも単に寝不足なのではない、只ならぬ様子が伺える。


「ご静粛に願います。どうか皆様、落ち着いてお聞きください。これから申し上げることをお聞きになっても、どうかお席を立たぬよう。そのままでお願いします」


 真鍋さんがそう言って一同をいさめる。


「――当研究所の奥村が、負傷した模様です」


 所長が――負傷⁉


「重傷のようで、予断が許されぬ状況です。詳細については目下確認中であり」


 どういうことなんだ! と堂山が、講堂中に響き渡るような声を張り上げ、「『ようで』とか『確認中』とか曖昧でわからんぞ! ちゃんと説明しろ!」。


「順にご説明いたします――」


 真鍋さんの説明によれば、発端は日付が変わる前の22:30頃の例のネットワーク障害だ。

 この障害復旧に当たっていた研究員のうち、志木君が所長室(所長の私室でもある)へ行き、室内で所長が負傷しているのを発見した。

 ところが――。


「――現場は施錠されており、立ち入ることができず我々にも状況がわからないのです。奥村は出血が酷く、呼びかけにも応じず、ネット障害で助けを呼ぶこともままならず……」


「施錠だ? ならどうやってその学生は中を確認したんだ?」


 堂山が、青い画面バッキバキスマホをかざして志木君を指すと、彼は「ぼ、僕は、外から――」と言い淀んだ。

 真鍋さんが説明を続ける。


「所長室に入るにはまず前室を通る必要があります。その前室ドアが施錠されていたため、志木は入室を断念し、屋外に回って所長室の窓から確認したのみです。そのときに撮影していたこの映像だけが頼りです」


 言われるまま、志木君は二つ折りのゲーミングスマホを取り出す。

 大きなレンズが目立つ、やや大ぶりながらオールレンジな機種だ。ただいくら大ぶりとは言え、さすがに全員に見せるのには小さい。

 老眼鏡を手に、「見えねえな。回してくれよ」と迫る秦さんを、周囲が不快感をあらわらに「それはちょっと――」となだめた。多分彼と先輩には他人のスマホに触ることに忌避感がないのだろう。


「――志木さん、パソコンから出せますか?」


 志木君はラップトップを開いて、全員のほうへ向けた。

 真鍋さんが「流血があります。苦手な方はご注意を」と促すと阿部さんが必死に下を向き、江口先輩が大きなゲーミングスマホを目隠しにした。

 映像は、屋外の様子から始まった。

 大粒の雪が、照明の中で間断なく吹き荒んでいた。風の音も物凄い。

 程なく、壁面に並ぶスリット状の採光窓らしきものが映った。磨りガラスで中は見えないが、そのかなり上のほうが別の小窓になっている。

 どちらも幅が狭い。十五センチかそこらだろう。とても人が通れる小窓ではなさそうだ。

 志木君はどうにか上部の小窓に手を掛け、押すと――室内に向かって倒れるように開いた。

 天井近くまであるスリット窓の更に上部であるから、志木君は必死に手をかけ体を固定するのに必死な様子だ。それが呼吸やカメラのブレで伝わってくる。

 どうにかスマホのレンズ部のみを屋内へ差し込むと、カメラは屋内を捉える。

 手前には書類の積み重なる机、その間のラップトップ。

 そして二間続きになった奥の部屋、所長室のドアがあるほうの部屋に――。

 俯せに倒れている白衣の人物の姿がある。

 映像でいうと左寄り――ドアから遠いほうの壁のあたりに、だ。

 彼は頭を、映像上の左の方へ向けて倒れている。足は右側、扉のほう。ただし部屋の間にある半端な仕切り壁が邪魔で、上半身までは確認できないため、正確に頭が見えているわけではない。見えるのは血で真っ赤になった背中から下の部分だった。酷い出血だ。彼は自らの血だまりの中に倒れ、そこから川のようになった血が、対角側にあたる手前の右隅まで部屋を横断している。

 TIFAがいた奥のドックはカーテンが開けられ、空になっているのが判った。

 僅かな時間その様子が記録された直後、映像は志木君の『うわあっ』という甲高い悲鳴とともに落下し、雪に埋まって途切れた。

 映像は、そこで終わりのようだった。


「酷い出血だ――」


 全員が騒然となる。

 その中、一人だけ異様な眼光をモニターへ向けていた人が――毒島さんだ。彼女は僕の視線にも気づかず、弾かれたように下を向いてワインレッドの派手なスマホをいじりだした。

 ともかく一刻を争う。ここに座って話をしている場合じゃないのではないか?


「誰にやられたんだ?」


 そう秦さんが口にすると、全員が彼を向いた。

 その問いはあまりに当然のように出され、しかし異質に響き、場をどんよりとざわつかせた。

 誤って怪我をしても、血の海になることは考え難い。だがここがどこかと考えると――。

 堂山が慌てたようにこれを否定する。


「馬鹿な。事故に決まってるだろうが。全知全能のAIのお膝元だぞ。出入りも完全に見張られてスマホまで監視されてて、刃傷沙汰なんか起こる余地はねえだろうが」


「そうだ」「そうよ」と同調する声が飛び交う。

 そうなのだ。

 ここは、何であれ事件が起こるような場所ではないはずなのだ。

 事情を知る人々にとって、ここは今地球上で屈指の安全地帯だと言えると思う。事件、それも血の流れるような事件とは全く無縁であるはずだ。

 茨さんが挙手し、「まずは状況を確認しましょう」と提案した。

 彼女が撮影までの経緯を尋ねると、真鍋さんが説明する。

 ネットが落ちて、志木君は奥村所長の部屋を訪れ、外に回って異状に気づいた――この部分について。


「ネット障害の復旧に当たっていた志木と光堂が、奥村に助言を求めて所長室へ向かいました。それが午前一時頃です。応答がなく、前室の施錠を不審に思った志木らが三十分ほど奥村を探しました。それでも見つからないため、志木が宿直の内田に報せてから外の窓に回り、この映像を」


 光堂さんは「たしかに前室のドアは鍵がかかっていた」と頷く。彼も傍らに、志木君と同じモデルのスマホを置いている。ただし色は志木君のメタリックと異なり、つや消しの黒だ。

 内田という名は初耳だ。宿直の警備員か何かだろう。

 前室は、僕らがTIFAに面会するまで所長を待ったあの細長い部屋だ。千束さんにAIと関数について講義をした場所でもある。そこのロックは電子式ロックだったはずだが、所長はサムターンを回して施錠していた。

 その奥、所長室につながる唯一のドアは――スマートロックで施錠されていた。

 僕が確認すると研究員らは皆頷く。


「そう。前室の、廊下側だけ古い鍵のままでね。でも所長室のロックは、他と同じスマートロック。それがね……」


 鰐淵さんが説明する間、真鍋さんは胸元を押さえて何度も息を呑み込んでいた。


「はい。所長室はスマートロックなのです。唯一の鍵は、奥村の持つスマートフォンのみです。そして今の映像をズームで見ると、奥村の向こうに凶器と、スマートフォンのようなものが」


〝凶器〟という表現には僕を含め、皆がドキリとしたように思う。

 志木君が動画をズームすると、僅かにスマホのジャケットとナイフらしき直線的な陰影が見える――質感や色からも、それぞれシリコンと金属らしさが見て取れた。


「唯一の鍵が室内に。つまり現在、イン・ロックの可能性が……」


 そこまで説明し、「いえ、まだわかりません」と真鍋さんは少し額の汗を拭う。室内は寒いくらいなのに、相当弱っているようだ。

 所長室のスマートロックが施錠されていればイン・ロックとなるだろう。

 しかしこれまでの説明で解っているのは、前室を挟んだ奥の所長室で所長が負傷しており、前室のドアがロックされていることだけ。その奥にある二枚目のドアのことはまだ何も明らかでない。


「一応聞くが、その、前室のドアってのは合鍵とかはないのか?」


 堂山の問いに、真鍋さんは呼吸が乱れ、かなり答え難そうだった。

 代わって志木君が答える。


「ナイそうです。あったら僕だってあんな、雪の中外になんか出ませんよ」


 一呼吸置いて、茨さんが静かに問う。


「わかりました。お尋ねしますが、映像では奥のカーテンが開いていました。〝彼女〟は今どちらに? 無事ですか?」


「わかり兼ねます。実は……所在がわからないのです。ドックにはその、誰も……」


 何だって――? と千束さんも、さすがに動揺の色が見えた。

 所長が倒れ、同室にいたTIFAが消えた。


「それってもしかしてあの子が、しょ――」


 所長さんを、の「しょ」まで言った千束さんを、茨さんと真鍋さんが同時に「まだわかりません」と制止する。千束さんは彼のストレート・ロングのスマホを片手に降参のポーズをした。

 こうしてみると、この緊急事態でも全員ちゃんとスマホを持っている。彼らにとってもスマホは分身だからだろうか。

「何の話だ」と凄む堂山。

 TIFAのことを、アンバサダーの大半はまだ知らないだろう。

 今ここでTIFAのことを話す気にはなれないのか、茨さんは無視する。

 まるで今〝彼女〟のことを話題にしたら、漠然とした不安が現実になってしまう――それを危惧するように。


「さぞご心配でしょう。ありがとうございました。次に――」


 そこで秦さんが割り込んだ。


「待て。さっきは事故だと言われたが、あの様子なら所長さんが自分でうっかりってことはなかろう。やはり誰かにやられた可能性が――」


「わかりません。部屋は施錠されているのです」と、今度は真鍋さんが秦さんの言葉を遮る。

 喩え可能性であっても、そのことは考えたくないとでも言いたげな間だった。

 秦さんの考えも解るが――現場は施錠されている。

 廊下側の前室ドアが施錠されていて、中には入れない。合鍵なりがあるのではという指摘も尤もだが、ないから志木君は雪の中を外から回り込むことになったわけだ。

 しかしそれでも、この世に合鍵がひとつも存在しないとは言えないように思う。事前に誰かが複製を作っておいたとすれば、或いは……。

 短い沈黙があった。

 ――それは誰もが思ったことだろう。だからこそ、口にできない。緊急事態に部外者のはずの僕らが集められたことが、何より雄弁に語っている。

 現状では、真鍋さんが答えたように『』というのが唯一確実なことと見るべきだ。


「一旦続けてよろしいですね? 次に志木さん。奥村所長に助言を求めたのは、このネット障害は所長ならばどうにかできる状況と考えてよいでしょうか」


 彼が所長を探しに行ったのは、そもそも障害対応中に『助言を求めて』のことだったはず。

 志木君が躊躇ためらいつつも、少年のような声で応じた。


「……ハイ、イエ、どうでしょう。最初は僕も単純な障害だと思いました。地下のルーターとハブを一通り調べて、たりな対策を一通り試した限りじゃ全然ダメで、調べたら設定はおろかファームまで全部ぐちゃぐちゃに……」


 ファームというのは機器に内蔵されたプログラムのことで、機器の基本的な機能のために必要なものだ。それが壊されることは機器が破壊されるのを意味し、しかもこの破壊には打撃などといった物理的な手段にはよらないかも知れない。

 機器の管理機能の脆弱性などを利用し、ネットワーク越しに破壊された可能性がある。


「内部のネットは大きく分けて三つ、研究用、業務用、来客用です。正確に言うとこの他、ドアなどのセキュリティ機材が専用線がありますが、これは僕らの管轄外で……」


 真鍋さんが「手短に」と釘を刺したので、志木君は咳払いをした。


「マァ、以上の三つです。これらはどれも最終的な出口では衛星リンクで外に繋がっていますが、その全てが同じように破壊されていました。どうやったらここまで壊れるのか――物理アクセス可能な人間がひとつひとつ破壊するなら別ですが、普通ではとても考えられません。イエ、それはともかく――」


 複数あるネットワークとその根幹が手の施しようがないほど壊れていた。

 仮に、誰かがネットワーク経由で複数のネットワークを攻撃する場合、当然ながら全てを破壊するのには順番が問題になる。攻撃者がAというネットにいて、Bというネットを攻撃するなら、先にAを壊してしまってはBを破壊できなくなる。不可能ではないとしても、僕ら訪問者にはとても無理だろう。


「僕が所長を頼ったのは、TFAにアクセスできなくなったからです。肝心の〝API〟が応答しなくて……」


 志木君ら研究員は午前一時までの間に破壊された機材を入れ替え、一時的にネット構造をかなり短絡させ、研究用ネットのTFAにまで最低限の通信が可能な状態にした。ところが、TFAへのアクセスのssh(暗号化されたコンソール)の認証が通らず、外部から呼び出し可能なAPIも全て不通。

 The Final Answerのシステム構成については質疑応答のときにも少し考えた。

 このような大規模システムは、役割ごとに複数のサーバーの協調動作で実現されることが殆ど。このとき各サーバーの外からその機能を(ネットワークを経由して)呼び出すための窓口が〝API〟だった。

 APIは関数と同じく概念的なものだが、TIFAと同じくインターフェイスのひとつには数えられる。

 The Final Answerについて思い出すと――僕らは以前公開Webサーバーに作られたチャットを通して、コアであるTFAにアクセスした。しかしアクセス方法はこの他に、TIFAや、所長のラップトップなど複数あったことは明らか。このような場合、TFAのコアシステムは専用のサーバーを介して提供され、Webサーバーは仲介するだけのものになる。

 機能的には、これらはAPIを用いて相互接続されているはずだ。

 喩えて言えば、銀行システムには窓口サーバーや勘定サーバー、出金サーバーがおり、窓口係が出金係にお願いしたり、勘定係に照会を依頼するがAPIということになるだろう。

「APIって……どういう機能のAPIです? まさか全部?」と僕が訊ねると、志木君は「ハイ。そのまさかです」と答えた。


「つまり、TFAの全機能にアクセスできなくなったワケです。その時点で仕事にならなくなった。慌ててsshでログインを試みたのですが、これもログインできず……」


 APIが通らなくなって、更に管理用のsshでもログインできないとは……。

 サーバーにはAPIとは別に、管理のため裏口がある。sshというこの裏口を通るにはパスワードなどによる認証――つまり『自分は確かにこのサーバーの管理者ですよ』という証明が必要だ。

 しかしこれもログインできなかったらしい。


「ログインできないとは、鍵やパスワードが通らないと? なら、少なくともTFAのサーバーは生きている、と」


 茨さんの問いに、志木君が答える。


「エエ。サーバーは無事のようです。限定的ですが、ネットの疎通も確保しました。でも、まだアクセスはできない」


 つまり簡単に言えば、志木君らはネットを一部復旧させ、TFAの窓口をノックできる状態までにはした。

 しかしTFAはノックに応じず、話まではできない状態なのだそうだ。

 待ってくださいよ、と僕は喘ぐ。

 ネットが壊滅なのは理解した。ならばAPIもsshも、ネット経由のものはおそらく全滅しているのだろう。

 だがまだ、物理的なアクセス手段が残されているのではないか?


「TFAのスーパーコンピュータは地下のラボにあるんですよね? 直接行って端末コンソールに接続できないんですか?」


「ハイ。できますよ。地下のラボには、TFAに直付けの端末があります」


 電話に出ないから家まで起こしに行け、という状態だ。


「しかしそのためには、所長だけが持つ管理者rootパスワードが必要なんですよ。だから、所長に頼もうとしたんです。所長が直付けのコンソールに入って僕らのsshのログインだけ復帰してくれれば、と思ったんですが……」


 TFAのsshログインを復帰させるのには、所長だけが持つ管理者パスワードで物理の管理用端末にログインしなければならない。

 そのために所長を呼びに行ったわけだ。

 志木君らが所長を『』とは、つまり『TFAがネット経由では応答しないから地下まで行って復旧させてくれ』と頼みにいったことになるわけか。


「午前一時近かったけれど、普段はそれくらいでも仕事をしている人だから、部屋まで行ったんです。そしたら前室に鍵がかかってて、変だなと。呼びかけに答えないし、探したけれど、トイレにもシャワールームにもいないし、カフェテラスにもいなくて……」


 志木君らの見立てではネットはズタズタで、冗長系含めて全滅。完全復旧どころか衛星リンクを戻して助けを呼べるまで、一体どれだけかかるかわからないという。

 茨さんが「それでは、奥村所長がいなくてはTFAを使うことはできない……」と呟く。


「ハイ。ネットはともかく、TFAは所長を救出できなきゃ厳しいです。スーパーコンピュータはラボよりも下。APIも応答しない、sshも入れない、管理端末のパスワードがわからないではタダの箱ですよ」


 文字通り、参ったという顔で志木君は答える。

 もし所長が死ぬようなことになるならば、TFA自体へのアクセスが失われる。

 つまりそれは……。


「もしかして、それが狙いで奥村所長を――?」


 不動様、と真鍋さんが僕の発言を遮った。見れば、蝋のように蒼白になった顔を懸命に横に振っている。〝その可能性だけは言ってほしくない〟――そういう顔だ。

 待てよ、と大声を上げたのは堂山だ。


「TFAがどうこう言ってる場合か? それより先に助けを呼べよ!」


「ですから、コレって所長が倒れているのに気づく前のコトでですね……」


「だからよ! その、TFAのサーバーだかスーパーコンピューターだかに繋いだを、衛星のアンテナまで引っ張っていけばいいんじゃないかよ!」


 光堂さんが丸い顔に皺を作って、「ううん」と呻き志木君を見た。


「そうしたいのは山々だけれど……ねえ?」


「ハイ。地下までなら、距離も近いし予備の機材で何とかなったんですが、衛星アンテナの基地となるとそんなワケにいかないですよ。やったことないし……。僕らもネットワークの専門家じゃないし、お手上げです」


「じゃあ何か? 散々御託を並べて、助けを呼ぶ方法はないってことか⁉」


 無言の肯定。

 堂山は信じられないといった、大袈裟な顔で全員を見回した。

 困るのは僕だって同じだ。一刻も早く電波を掴みたい。

 しかし見たところ、この中で一番ネットワークを熟知しているのは、志木君だ。その彼がお手上げだというなら、サーバーとサーバーを繋ぐようにはいかないのだろう。


「しかし困ったことになったね。ネットが壊滅では電話も使えない。仮に電話できたとしても、すぐに助けが来るわけじゃない。特にこの天候じゃ――」


 茨さんの分析を聞き終えないうちに、阿部さんが怯えきった声を上げた。


「ほ、本当に助けを呼ぶ方法はないんですか⁉ ひ、ひとつもないんですか⁉」


 どうやら、僕らの置かれたこの状況が、少しのをもって染み渡ったようだ。

 真鍋さんと志木さんが肩を落として答える。


「ございません。残念ですが。助けを呼びに行くことも、この天候では――」


「所長室のある管理棟まで回り込むのにも大変でしたよ。建物から離れたトコじゃ、もう一メートルくらい積もってそうでした」


 状況は絶望的――しかしここで、堂山が「いいから現場へ案内しろ」と立ち上がった。

 堂山は筋肉がある。力もありそうだけれど、行ってどうにかなるのだろうか。


「俺が行ってドアを破ってやる。話なんかその後でいいだろ!」


 そのときだった。

 突然、講堂の入り口についていたランプが真っ赤に点滅し、回転を始める。

 同時に、大音量のブザーが鳴り響き――。


「な、なんだ――?」


```

〝侵害警告。侵害警告をお知らせします。ノードC1に未承認デバイスを検知。係員は大至急確認してください〟

```


 警告の音声が頭上から降り注ぐ。天井に埋め込まれたスピーカーからだろう。

 ほぼ全員が狼狽える。阿部さんはパニックになって飛び上がり、壁際へ貼りついた。


「皆様! ご静粛に! どうかお席を立たずそのままで願います!」


「『未承認デバイス』ってどういう意味だ!」


「堂山様も、どうかお座りください!」


 ただでさえ大変な事件が起きていて更にこの警報。真鍋さんは頭を抱え、大きな溜息をつく。彼女の手に余るなら、僕らも微力ながら手伝わないと。


「み、皆さん、どうか落ち着いて」


 研究員三人、更に茨さんと秦さんも、手を振って人々を抑える。が――僕の制止を振り切って江口先輩が、おろおろとしながら講堂の出口へ向かう。

「先輩!」とその姿を追うと、既に堂山と阿部さんまでもが講堂から逃げ出そうと入り口に向かっていた。

 しかし真鍋さんがそこへ立ちはだかる。


「皆様、どうか落ち着いてください。これは警報の誤作動です。各ドアロック内蔵のリモートスキャンシステムが、IDが未登録や読み取れないスマートフォンなどの機器を検出するとこうなります」


 ネットワークが完全にダウンしていても警報は生きているのか。考えてみれば当たり前のことかも知れない。客室のロックだってちゃんと動いていたのだし。

 しかしこれが誤作動だとどうしてわかるのだろう? そう思ったとき、入り口が開いて若い警備員が飛び込んできた。


「す、すいません、真鍋さん、これ、この警報、どうしたら止まるんですか――」


「内田君! 私物のスマホは置いてきなさいと言ったでしょ!」


 真鍋さんに指摘されて、内田と呼ばれた警備員は慌ててポケットからスマホを出し、「わああっ」と放り投げる。

 それは僕の足元にまで滑ってきて――止まる。白地に大きく女児向けのキャラクターがプリントされたファンシーな端末で、背面に〝Uchida〟とデコレーションがあった。

 なるほど……、規則を破って登録されていないスマホを持ち込むとこうなるのか。

 ブザーと警告は続いてる。


「もう! トラブルを増やさないで! すぐにスマホを施設外に出して、手順に従って警報を止めてきなさい!」


 僕はスマホを拾い上げ、内田さんに「大事なものでしょう」と手渡す。彼はやや涙ぐんで頷く。

 怒鳴られて内田さんは去った。

 警報は鳴り止まない。


「ご自慢のジオフェンスの中でこんなことが起こるなんてな」


 そう、僕達はジオフェンスの中にいるのだ。鳴り止まない警報を耳に、僕は今更ながらに痛感していた。

 今だけは堂山のそんな軽口にも首肯せざるを得ない。

 真鍋さんは申し訳なさそうにアンバサダーらに向き直る。


「大変失礼いたしました。彼は弊社ファシリティ部門のスタッフで、本日の警備を担当しております内田でした。今月配属されたばかりの新人のため頼りがいはありませんが、力はあると思います。いかがでしょうか、堂山様……内田をお貸しいたします。力を合わせて、奥村の救出にご助力願えませんでしょうか」


「とにかく緊急なんだろ? 一人でやれるだろうが、今の奴に使えそうな道具を持ってこさせてくれ。ワイヤーとバール、あとは金属を切る工具があればいいが」


「恐れ入ります。ワイヤーカッターと、電動ののこぎりのようなものはあったかと」


 皆様お揃いで願います、との言葉で、僕達も現場に向かうことになった。

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