怪物に関する質疑応答
スクリーンの表示は〝TFA:OFFLINE〟になった。
質疑応答になると、壇上では奥村所長が隅に座り直し、代わりに若い研究員が中央に呼び立てられた。
僕と殆ど変わらない歳に見える。
「
声変わり前のような声で、羨ましい。まるで初めて人間と喋るかのように緊張している。
組み易しと判断した悪い大人たちが、矢を放つ如くに挙手を繰り出した。
「で、ではそちらの……色黒の、スーツを着たリーゼントみたいな」
「千束様、どうぞ質問をお話しください」
真鍋さんが指名すると、千束さんはポケットに手を突っ込んだまま立ち上がる。
立ち上がっているのにまるで座っているかのような猫背だ。
「どーも、帝都新聞の
壇上にて志木というインターンが、我が意を得たりとばかりに答え始める。
「そ、それはですね……! エット、GP-τがというか、かつてのTransferやReNetが、空間的コストなどの違いはあっても時系列データを離散的に学習できる手法で、その前にRNNが時系列データの学習に適した手法であって、自然言語というのは完全に自由文脈文法ではないので、チョムスキーによれば――」
振り返らずとも、千束さんが珍妙な顔になるのがわかる。
さすがに見兼ねたものか、奥村所長が「志木君、手短に」と制止した。
「手短にって――?」と志木君がハングアップしてしまったので、所長がマイクを手に立つ。質問自体は、さっき茨さんの言っていた〝安全性〟に関わるもののように聞こえた。
どうやら志木君はそう受け取らなかったようだけれど、ここはきちんと答えなければいけないところだ。
「奥村だ。今の千束氏のご質問はつまり、先行手法との差異がはっきりせず、TFAがPRISMや、かつてのエシュロンのような諜報用に秘密情報を収集するためのシステムと区別がつかない旨のご指摘でよろしいか」
「仰る通りで。随分熱っぽく語ってらしたから、凄い技術なんだなとは何となくこう、わかるんですが、今のAIがそんなにダメかっていうと、ピンと来ないというか」
「まずご質問にあったGP-τは学習量に応じて知識の集約が期待されるものだが、そもそもは
所長は一旦、その意味が浸透するのを待つかのように言葉を区切る。
その弁はThe Final Answerの仕組みであるTFAが、流行したLLMとは異なるものらしいことを言外に滲ませていた。
千束さんの「はあ」という小さな相槌を待って、所長は続ける。
「諸君らの中には、疑問を持つ者もいるだろう――
だが過去のことはよいだろう、と奥村所長は一堂を見渡す。
「結果として旧来のAIは理解をしなかった。その上で『GP-τも理解しているように感じるが』という部分は、主観的には正しい。ただし理解しているのはAIではなく人間のほうだ。これらLLMは、先ほど志木が示した通り、自己回帰モデルの特徴を持つ。平易に言えばこれが文から文の間での文脈を維持する役割を果たす。人間は、このように会話の中で一貫した文脈を共有していることを、会話が成立していると錯覚するわけだ」
「ははぁ。なるほど、あたしがカミさんの話に適当に相槌打ってたら、カミさんが納得してくれるアレだ。あたしは何も聞いてないけど、カミさんは勝手に理解したと思い込む」
奥村所長は、強く肯定しないまでも軽く頷いて回答を続ける。
「TFAは生返事などしない。理解できないことは、即座に調査・学習・研究タスクをイシューし、速やかに解決する。それが世のAIとTFAの、体験上の最も大きな違いだ。先頃のサービスの漏洩では、調査ノード『スカウト』のIO負荷が全
そこで千束さんは「ありがとうございます」と着席した。
奥村所長は上機嫌そうだったが、回答はまだ結論に辿りついていないように聞こえた。千束さんが座ってしまったのは、記者として書きたい言葉を引き出したからなのか、それとも難しい用語に押されて白旗を揚げたのか……。
しかし質問者が引っ込んで尚、所長はまだ続けるつもりのようだ。
「回答はまだ途中だ。機密の収集・漏洩について――これがまず、諸君の懸念であろう。新技術が受け入れられる前には必ずこうした
あの晩The Final Answerが答えた僕の個人情報もそうだった。
学籍番号や大学から氏名、氏名から固有ID、更には決済情報――と、結果は識別子から識別子への変換を行った計算結果であったとすれば、答えること自体が直ちに情報漏洩とはいえないのかも知れない。
でも、計算に用いた情報ひとつひとつが秘されるべきセンシティブ情報、つまりTFAが知らないはずの情報だったようには思う。その点についてはこれまでずっと棚上げにしてきたところだけれども。
そして所長は、千束さんにではなく聴衆に対して訴える。
「諸君がここに滞在する三日間のうちに、必ずTFAの画期的な側面を目にする。そして理解する。我々が、驚嘆すべき知性を手に入れたことを。次に受け入れる。今、人類の初めての信頼できる友が、宇宙からではなくこの地下に生まれたと」
やはりあるんだ。この地下に――TFAが!
TFAもS300グリッドの汎用ロジックで動いているのだろうか。グリッド全体の計算能力はどれくらい?
僕は思わず、足元に視線を落とす。
そのとき「マッドサイエンティスト!」とヒステリックに響く声があった。エコロジカルファッションの痩せた女性――毒島さんだ。
「毒島様、質問は挙手をしてから願います」と諭されても、彼女はもう立ち上がっていた。自ら立ち上がった勢いに負け、ややよろめく。
「話が違う! そのAIは停止されて、ここは閉鎖されて、闇に葬ってくれるんじゃないの⁉ 『三日後には理解して受け入れる』? そんなの望んでない! 話が違うもの!」
言い方はともかく、僕もTFAは凍結状態にあると思っていた。だがデモンストレーションがあった時点で、TFAが今も活動中なのは明らかだ。
真鍋さんが何か言おうとするのを、所長が遮った。
「――私がお答えする。事務方とそのような約束があったかはともかく、誤解を生んだのならばその点については陳謝したい。凍結されたのはWebサービスであるThe Final Answerだけだ。その基幹システムであるTFAは外界と隔絶状態にあって新たな情報を一切得ることはないが活性化状態にあり、今も書庫の情報で思索を続けている。先ほどのデモは、あの間だけ一時的にTFAに接続して行った。当施設は閉鎖中だが、これは諸君らアンバサダーを迎え入れるためであり、他意はない。
従って、TFA自体が廃棄される事実も予定もない。本来であればこの説明会もTFA主導で行うべきであり、私もそう提案したのだが、TFAが反対したのでこの形となった」
「嘘つき! 個人情報を返せ!」と毒島さんは叫び続ける。
志木君が再び前にでた。
「The Final Answerの再開へ向けて、オプトアウトの実装可能性を模索してます」
ここで堂山が挙手し、指名された。
「堂山
……知らない。
堂山の質問は、要約するとオプトアウトによって自分の個人情報が本当に守られるのか、ということだった。オプトアウトは、選択的に個人情報の提供や参照を止められることだ。
これに対する志木君の返答は、酷く自信がなさそうな弁明に終始した。
やがて堂山は呆れたように、大袈裟に肩を竦めた。
「……わかったよ。とにかく、俺の情報が漏れないようになるんだな? 絶対にだな?」
堂山のそれは、質問でなく殆ど
でも、と僕は考える。
TFAが奥村所長の言うような超知性なら、個人情報保護法など関連法を教えた上で厳密に従わせることも、それこそよそのサービスよりずっと容易に思うのだけれど?
「ぜ、絶対とはちょっと……サービス側だけではどうにも……どうでしょう? TFA側でできるんですかね、そういう対策って」
志木君は助けを求めるように、控えていたテキサス風の凸凹コンビのほうを見る。
奥村所長の見解も否定的だった。
「不可能ではない。しかしTFAの成熟を待つべきだと考える。今のTFAは、好奇心旺盛な子供だ。その好奇心に蓋をすることが、人類待望の知性を歪めてしまう可能性が、無視できない程度にはある。サービス側で対応すべきだ」
インターンにこんな質問答えさせるなよ、という空気が漂う。
ここで、ずっと黙っていたテキサスコンビの一人、ひょろ長い方の人が割り込んだ。
「
なんだか開発のミーティングのような
所長を除く研究者は三名。どうやらそのうち、若手の志木君はここでWebサービスを中心を担当しているらしい。尤も、生成言語への造詣も深そうなので、テーマは広いのだろう。本当に単なるWebのプログラマのわけでもなさそうだ。
対する鰐淵さんらテキサス凸凹コンビはTFAのコアシステムを専門としていて、簡潔なやりとりの中でもキャリアの差や立場の違いが覗える。
堂山が「結局どっちなんだ」と苛立った。
「知性が歪むとか、サービス側でどうこうとか、全部そっちの都合じゃないかよ。とにかく俺は個人情報の収集に同意しないからな! そもそもこんなもの、明らかに非合法に入手した情報だろう!」
所長がやや面倒そうにマイクを持ち上げてこれに答える。
「ご意見には感謝する。情報防衛には前向きに対処してゆく所存だ。先の公開で、第三者に損害が生じたケースについては個別に謝罪と補償を行っている。しかし情報収集の手段で非合法なものはない。個人について、推測の基礎となる情報は全て公開情報、同盟国個人登録、研究機関、決済サービス、通信サービス会社を中心に適法に提供を受けている。堂山氏は同意しないと発言されたが、同意は既になされたものだ。各
TFAが使う情報は飽くまで合法的な範囲に限られ、それを漏洩させているのではないから制限は行わないという姿勢のようだった。
ぐぅ、と堂山は引っ込んだ。駐車場でのやりとりを思い出すと、彼は約款だのプライバシーポリシーだのを苦手としている。それはTFAでなくともわかる。
とはいえ、堂山の杞憂も理解できる。
茨さんが話した『ロケーションデータセキュリティ社』のように、合法だと言いつつ実は不法な個人情報の売買をしていた会社もあるだろう。
しかし先の戦争で、西側各国は個人情報保護のガードを随分下げた。今ではかなり多くの情報の売買が合法でもおかしくはないが、具体的なことは僕も別に詳しいわけじゃない。飽くまで『不安なのは解るけど』程度のこと。
ここで、それまでずっと静かに縮こまっていた阿部さんが手を挙げた。挙手というか、小学生が当てられないようにおずおずと手を挙げている感じだ。
体型も小学生――はさすがに無理があるが、中学生ならわりと通りそうなサイズ感だ。
「阿部綾子と申します。その、このご時世に手で漫画を描いています。あ、AIもちょっとは使いますけど、その」
……やっぱり、アコヤ貝先生⁉ そういえば会見の写真を見たことがある。
可愛いキャラの処刑描写が人気で、アニメ化もされた『新世界処刑地獄ワールドピース』の作者様だ。漫画は読み方がよくわからないけれど、アニメはまとめの動画を見た。
「その、TFAっていうのが、あの、質問に答えてくれたWebサイトの中身――であってます? もしあってるなら、それで……」
質問はまだ続きそうだが、語尾が頼りなく消えてゆく。
志木君が意気揚々とマイクを口元に近づけた。
「ハイ。正確には、TFAというのは方法といいますか、仕組みの名前です。ですがこのTFAを実装したものはここにしかないので、そのような理解で通じると思います。TFAのコアシステムとチャットのWebサービスは、物理的には全然別のものですが、繋がってはいるわけです。Webサイトとして公開されて皆さんの質問と回答をTFAに仲介するという意味では『Webサイトの中身』という理解でいいと思います」
一般的に、チャットやオンラインショップなどのWebアプリケーションは、ユーザーが直接見ている部分(フロントエンド)と、データなどを保存しているバックエンドに分かれている。どちらもサーバーなのだが役割は異なる。アプリケーションにとってコアとなる大事な部分はバックエンド側にあり、〝API〟という仕組みを使ってフロントエンドから機能ごとに呼び出す形で構築されるわけだ。それで言うとフロントエンド側も、おそらく志木君が開発したのだろう。あれは一見して非常に簡素なWebサイトだったから、ひとりが片手間で作っていても不思議はない。
「あ、ありがとうございます。それでその、さっき、そちらの、奥村所長が説明会で仰ったこと、ありますよね? 『TFAは法律も理解している』とか……そうなんですよね? なら、違法なことはしないという理解であってますか? その、個人情報とか……著作権とか……。なので安心してもいいのかなと思っていたのですけど、今のお話でちょっと不安になって――お願いします」
たどたどしく、自信なさげな質問だった。海千山千の扇動者のような奥村所長にとっては、赤子の手を捻るほど御しやすい質問に思えたが――壇上の雰囲気が少し変わった気がした。
軽快に答えていた志木君がきょろきょろとし、所長を見る。その視線の先ではあの所長が、困った顔で拳を自分の口に押し当てていた。
誰も質問に答えようとしない。
やがて、溜まりかねたように所長がマイクを持ち上げた。
「ご指摘にもあった通り、TFAは法律を理解している。それは間違いない。しかしながら、だからこそ……というべきか。遺憾ながら、短い回答では〝法ではTFAを縛ることはできない〟と言える」
エッ、と阿部さんが小さく絶句した。
「だがこれは語弊のある回答であるだろう。先の回答にもあったように、我々は合法にデータの提供を受け運用する。しかしTFA自身はその限りではない」
なるほど、と僕は思わず呻いた。
法律が規定するのは、飽くまで人の行いだ。これは責任能力のある人・法人の行動のみが対象だ。それを理解したなら、TFAは自身が明らかに法の範囲外にあると知ったわけだ。
「TFAは生を理解し、自らが人間でないことも知っている。つまりTFAに法令を守らせる責任は、運用者たる我々にある。その観点で、これまでTFAが法を冒したとは認知していない。今後も同様に善処してゆく……これで回答になるかね?」
阿部さんは「はい」と消えそうな返事をし、何度も小さくお辞儀をした。
ちょっと待てよ、と挙手したのは、それまで起きてるのかも怪しかった秦さんだ。幾分疲れたような奥村所長が無言で彼を指差したので、真鍋さんが質問を促した。
秦さんが積極的に質問するのは意外だ。もしや痛烈な機械批判を一席
「ありがとう。秦
やはりAIが職を奪うことの批判――と思いきや、突然声のトーンが落ち着く。
「質問させていただきます。さっきそちらからね、携帯サービスがどうちゃらって、そっちから情報を買ったというのはよくわかるんですよ。ああいう業種の、特に無料のスマホやアプリなんてのはね、詰まるところおれらの行動そのものが商材なんだから」
秦様、と真鍋さんがマイクを通さず何かを語り掛ける。
その内容までは僕には聞こえなかったが。
「――あ? 簡潔に? おれは別に無関係な話、してるんじゃないよ。御宅さんらの気持ちはわかるって言ってるの。合法に拾える情報ってのは、おれらが思うよりずうっと沢山あるんだろうね。でもね、おれのこまい情報だけは、それじゃ手に入らないはずなんだよ」
彼が何を言いたいのか――壇上の研究員らもそれを察したようだった。
「おれはスマホ持ってないもの。嫌いだから。電話も引いてないし。クレジットカードも、昔はいいのあったけど今は一枚もない。無職だから。近所の商店街でしか買い物しないし。……メールはあるよ。戦前の、古~いPCがあるから。プロバイダ責任法? とかで開示請求やらすればできるだろうけど、そのTFAっていうのは裁判所に行けないわけでしょう? だから、あなた方が請求したの? とまぁ、以上が質問です」
沈黙。
開示請求のために必ずしも裁判所に出頭する必要はないかも知れないけれど、先程の話ではTFAは係争の当事者にはなれないはず。となればNNN社が行ったと考えるのは、なるほど妥当だ。
やがて奥村所長が答え始める。少し震えているようにも見えた。
「……お答えする。我々が特定の個人について行政・司法に情報を請求したことはない。戸籍、個人番号、年金、医療等の基礎情報で入手したものもない。こうした基礎情報は、各種サービスから提供されたものをTFAが総合的に検討してプロファイルを行っている」
戸籍にアクセスしていない――? それは少し意外な答えにも思ったが、今朝バスに乗る前のやりとりや、客室の部屋割りを思い出す。今朝、真鍋さんは僕を『女性』として認識していた。僕ら全員の氏名と連絡先を把握しておきながら。名前からの思い込みはあるにせよ、それだけで部屋割りを決めたりはしないだろう。昨今は無暗に性別を記入させることもなく、記入した記憶もない。それにしては彼らは僕の性別について確信を持っていたような……。
まぁそうしたことは、検索ワードや消費傾向からも推定できる。そうした情報が業者を通じて渡っていそうだ。
でも。
僕についてはいいとして、秦さんについてもそうだろうか?
秦さんは、全くオンラインで消費行動をしていないようだが――。
「するとじゃあ、おれの情報はどっから出てきたんですかね? おれは別に、訴えてやるとか許さねえとか、そんな気はないんですよ。ただおれの情報は売ってない、家族もおらん、お役所をハッキングしたのでもないなら、どっから出てきたものだろうかなと、気になって気になって」
「……各個人について、どのような情報がどこに格納されているか、完全に調べることは難しい。しかし、こちらが他者から提供を受けたデータについては全て調べることができるし、TFAに直接聞くことも可能だろう。だが、その結果を今この場で公表することはできない。少々時間がかかるが、調べて個別にお知らせする」
「それは、何日かかかるものですかね? だったらいいや。あんたら研究者はどうか知らんが、市井じゃ『時は金なり』と……」
「速やかに、数時間以内に、部屋にまで届けさせる。それで回答に替えさせて頂きたい」
秦さんが納得して引き下がる。
千束さんの質問には、TFAが出す答えはプライバシーそのものではなく、基礎情報から論理的に計算して出した結果だと答えた。そのことは、僕が先日The Final Answerに訊ねた質問とも合致する。その基礎情報はプライバシーだが、どれも合法に提供されたものだと堂山や毒島さんには説明した。戸籍にアクセスしていないのも本当なのだろう。
法令遵守の責任は運用者であるNNNにあることを阿部さんに答えた上で、秦さんの質問はその合法性に疑問を生じるものだった。
次に手が上がるまではやや間があった。
「江口様」
先輩の質問は、デモに声優やVキャラを使うべきという趣味丸出しの提案で、唐突に「……まあ、ただの
所長は無関心を超えて無になっていて、誰も何も答えない。やがて志木君が「検討します」と答えた。
説明会のときはどうなることかと思ったけれど、こうしてみると一人ずつ質問したようだ。僕は、聞きたいことなら山ほどあれど何から聞くべきかまとめかねている。あと質問していないのは茨さんだが――。
「……質問はございませんか? よろしければ本日の質疑応答は以上までと……」
そこで茨さんが挙手し、指名された。
「茨悠遠と申します。ドラグネットという興信所を経営しています。奥村所長に質問です。非常に画期的なシステムとお見受けしますが、どのような方法でコンピュータに〝理解〟を与え、それを確認したのか、その点についてお尋ねしたいです」
久しぶりに技術的な質問だ。奥村所長も幾分か気をよくしたと見えて、きびきびとした動作でマイクを持ち上げ、鋭い眼光も蘇る。
「ふむ。まず〝理解〟を与えた手法について、お話したいことは山々だが詳細をこの場でお答えすることは差し控える。本研究は未発表のものであることを考慮されたい。ただしその最も根源的なアイディアについて、後ほどお目にかける用意がある。〝理解〟を確認する方法については、将来的にはクライテリアの整備の必要性は認識している。だが手が回っていない。こればかりは、TFAに手伝わせるわけにもいかないためだ」
クライテリアとは、評価基準――転じて、複数の研究機関で共有される標準的なテストデータを意味することがある。
先輩が例によって半笑いで「チューリングテストでも?」と言った。
本人はジョークのつもりだったのだろうけれど、奥村所長は極めて不快そうに顔を歪める。
「チューリング・テスト? そう聞こえたが、今そう発言した者がいるかね」
立ち上がり、一同を
先輩は、頭を下げて小さくなっていた。
チューリング・テストは、チューリングが考案した人間の振りができるかどうかのイミテーション・ゲームのことだった。今、本物の超知性を作り上げたと豪語する研究者が真面目な評価基準の話をしているときに言うのでは、冗談にならない。
「――愚かな。そのような議論は過去のものだと話したのだが、伝わらなかったかね」
まるでチューリングの名前も聞きたくないと言わんばかり。
厳しい口調でそう否定され、さしもの江口先輩も鼻白んだ様子で下を向いていた。ああ、先輩も茨さんの講義をちゃんと聞いていればこんなことにはならなかったのに!
そこに生まれた微妙な緊張を裂いて、茨さんが質問を続ける。
「――はい。勿論、知性の有無を調べる方法は簡単ではないと、その前提でお伺いしたいのです。私の質問は特段アカデミックなニュアンスではなく――所長ご自身は、いったいどのような反応から、TFAに〝理解〟が宿ったと確信されたのでしょうか」
それだ、と言わんばかりに所長は指を立てる。
「ご指摘のように一辺通りのやり方では難しい。知性を模すモノは擬態にも長けるものだ」
堂山が苛立たし気に「知性知性、知性って何なんだよ」とぼやくが、所長の耳には届きもしないようだった。
「ひとつには、ソフトウェアの知的活動の内部状態を丹念にモニタリングすることだ」
「デバッガやICEのようなものですか?」
チューリングは、そのような方法でハードウェアを調べても、それが知性的な働きに結びつくかは機械自身にしかわからない――つまり唯心論的だと、彼の恩師・ジェファンソン教授に反論したのだそうだ。
しかし今は21世紀。最近のコンピュータは、言葉を話せる――。
「方法はずっと対話的なものだがね。即ち言葉を使うものだ」
その言葉に、意味がなかったのがこれまでの問題だったんだけど。
「TFAの思考の過程は非言語による構造化が行われる。それを図式に転化させ、説明させるテストだ。そして非常に高度な問題を形式化し、第三者による証明を経て、私は機械知性による〝理解〟を確信した。今でも定期的に実施している」
僕は思わず唸る。言葉に意味がないのが問題なら、形式的に言葉と意味の対応を示せれば、それは言葉に意味が宿ったと言えるか。
「なるほど。論理パズルですね。であれば図式と仰るのは論理式でしょうか」
「色々だ。記述言語を定義し、それを用いて理解した事象を形式化させることが多い。だが概ね、ご想像の通りのものだろう」
記述言語――ならばそれは茨さんの専門分野、彼女が語った『ライフワーク』とも近しいのだろう。
形式化と証明も、茨さんから今日何度も聞いたワードだ。
言語と数式は、形式的表現でつながる。数学でそれが証明されたなら、それは定理になる。疑う余地のない、完全な真理だ。それらが成ったなら、TFAの思考には疑う余地がない。そこには何のペテンもトリックもあり得ないことになるのだから。
それにしても――彼女と奥村所長、二人の間では会話が成立しているとして、他の人間には通じているのだろうか。振り返ってみると、聴衆の殆どは放心したようになっていた。真鍋さんすら自分の爪をいじっている。
しかし少し意外なことに、秦さんはしっかりと目を見開いていた。さっきたまたま講義を聞いたこともあって、もしかしたら彼にはこの会話の意味が通じているのかも。
いや、通じるのみならず、この会話を覆う微妙な緊張感さえも彼には感じられるのかも知れない。
「――茨氏は関心を高くお持ちのようだ。後ほど、デモを御目にかけよう。だが関心が高ければ高いほど、俄には信じられないことだろう。知性とは主観的なものである、頭の中でだけ起きていることだと唯心論的に考える者もいる。或いは逆に、結果のみが正しければ知性があると断ずる者もいるだろう」
指先で自らの頭蓋を突きつつ、所長は鋭い視線を江口先輩や堂山に向ける。
「そうではない。今この場で言えることは、唯物論にも唯心論にも頼ることなく、誰にでも客観的に、疑いの余地なく知性を確認できる方法があったということだ」
奥村所長はそう、回答を終えるかに見えたが、ふと何かを思い出して白衣の内側に手を突っ込んだ。
取り出したのは、一冊の古い本だ。
「TFAがずっとお気に入りにしていた一冊だ」
タイトルは『頭の体操』――多胡輝・著。
「このシリーズはごく一部しか電子書籍化されておらず、ページごとに捲ってカメラに向けてあげねばならないから骨が折れるよ。TFAは、この本の『純粋理性の限界』というコラムについてずっと考え込んでいる。『カロリーのないウィスキー・オン・ザ・ロックで体重が増えるのはなぜか』という問いかけに、いくつかの仮説を立てつつも決定的な答えを出せずにいるのだ」
確かに、ウィスキー・オン・ザ・ロックなら、カロリーはマイナスになるはずか。ところがそれを飲んでいると、計算とは逆に体重が増えてしまう――はて、これはどうしたことか。
でもそれって謎というより、酒飲みの冗談のように聞こえるけれど……。
「無論、これは他の知的ゲームと同じ、遊びだ。ミステリなどと同様にね」
「TFAはミステリも読むのですか。お気に入りの作品を知りたいですね」
「TFAは密室というものを好むようだ。タイトルは失念してしまった。生憎、私は関心がなくてね。TFAに『なぜ犯人は密室などというものを作ったのか』と尋ねてみたところ、大層
理解できない趣味だが、と奥村所長は苦言を呈す。
少し間を置いて、彼はこう結んだ。
「しかしここで真に問うべきは、無数の情報の中から、どうしてTFAがこの本や、『モルグ街の殺人』のようなものに強く執着を示したのか――ではないかね」
「……ありがとうございます。私も同意致します。確かに、TFAには刮目すべき能力があるようです」
その茨さんを見て、奥村所長はふとまた彼女に、まるで何かのついでのように声をかけた。
「いつだったか、TFAは『ミステリの中の探偵というものに会ってみたい』という趣旨のことを言っていたよ――質問は以上かね?」
これで、どこへ向かうのかわからない二時間に及ぶ説明会は終わった。
真鍋さんの挨拶と今後のスケジュールについて説明があり、皆バラバラと退出してゆく。
ホールを出るとき、茨さんが声をかけてきた。
「質問していないのは君だけだったよ、不動君」
それ、一番よく言われる。
「す、すみません。なんかもう、初っ端から所長の毒気に当てられてしまって――」
「そうだろうと思った。『中国語の部屋を出よ!』――痺れたね」
茨さんはまた人の悪い顔で、奥村所長の口真似をする。
さすがにその
「他のアンバサダーたちは、あれでなかなか抜け目がない。奥村氏も困っていたじゃないか?」
毒島さんや堂山の抗議は想定内という感じだった。千束さんの質問は、記者だからか行儀がよかった――姿勢はともかく。
所長が扱いあぐねていたのは阿部さんや秦さんの質問だ。
TFAは、理解を持つ完全な知性であり、アクティブに学習を進めることができる。本当にどんな質問にも答えられるわけではないが、根底に理解があれば的外れな回答にはならない。その意味では〝究極の答え〟も
いったいTFAはどれほど多くのことを知り、理解しているのだろう。国家間の機密といった、僕らが〝知ってはいけないこと〟も聞けば教えてくれそうで、それを思うと恐ろしくて質問などできない。
まさに好奇心の怪物だ。それを前に、自分のプライバシーだの秘密だのがいかに空しいか。『科学の発展のためにプライバシーを差し出せ』みたいな話じゃない。目をキラキラさせて質問してくる子供に、いつまで答えをはぐらかしていられるかというような問題だ。
そのTFAが、現在もオフラインとはいえ活性化状態にあること。法律の適用範囲外にあること。知るはずのない情報を知っていたこと。
「そういえば茨さん、所長はチューリングが占いにハマってたって言ってましたけど、本当なんですか?」
「まぁ、伝えられている限りは、そうだね。自殺の直前にも占いをしていたようで、それが自殺の原因になったとすら言われるくらいだ」
占いの結果が悪かったから――死んだ? もしそうなら常軌を逸しているようには思う。
ただ、占いが好きでも別に構わないだろうに、死後八十年経ってあんな悪口を言うのもだいぶ大人げない気もする。
「彼は相当チューリングが嫌いみたいだ」と茨さんは苦笑した。
確かに、先輩がチューリング・テストと口走ったときの嫌悪感は、まるで仇にでも会ったようだった。とても歴史上の人物に向けるものではなかったように思う。
「……あれ? 江口先輩の質問って何でしたっけ? 茨さん、覚えてますか?」
茨さんは軽く顎をしゃくって前方を示した。前を歩く所長の横に、先輩がくっついて何やら話している。先輩はやっぱり締りのない半笑い顔だ。
「質問の続きだろうか。抜け駆けとは度し
彼女は僕の袖を引っ張って、誘う。僕は疲れたので後にしたいとは思ったのだが。
ふと見ると、先輩はさっさと宿泊棟のほうへ引き返してしまった。あとには奥村所長だけが取り残され、茫然と宿泊棟の方を見ていた。
「おや、彼は行ってしまったね。なら私達で行こうじゃないか。招待を受けているんだ。後ほど〝理解〟の仕組みについて、そのヒントを見せてくれるとね」
――なるほど、CSの学徒としては見逃せない……かも。
ここにもうひとり、好奇心の怪物がいるじゃないか。
僕は渋々、映画館のような薄暗い通路に入る。
説明会が始まる前、ここに一瞬、謎の人影がいたのを見た気がしていた。その影が隠れた
カチャカチャという軽い音と共に一瞬見掛けたあの人影は、もう影も形もなかった。
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