第2話 浦吉町ツアー
「暑い〜……」
マリウスたちのアテンドを引き受けたのはいいけど、このうだるような暑さ。観光案内所から出たばかりだけど、引き返したい。
今日もどこからもとなくやって来たファンたちは、ミックスされた町を散策したり、町並みを背景に写真を撮っている。私たちはそんな観光客とすれ違いながら、
「この黒と白の壁は特徴的だな。オレたちの世界では見たことがない」
「『なまこ壁』って言うんだよ。白く盛り上がってるやつが、なまこっぽいでしょ」
「なまこ?」
「わかんないか。えっと……こういうやつ」
なまこのビジュアルがわからないノーラたちのために、私は瞬時にスマホで検索して画像を見せた。
「これが、なまこというやつか」
「ウエッ。ちょっと気持ち悪いニャ。こんなのが由来なのかニャ?」
「なんかそうらしいよ」
「と言うか。宿場町だったと聞いていたが、古い建物はそんなにないんだな」
マリウスが痛いところを突いた。
そう。浦吉町は旧宿場町だけど、昔の建物はもうあんまり残っていない。観光案内所兼休憩所として使っている旅籠の他にも、大名が宿泊した本陣跡や、醤油醸造を営んでいた商家や、和菓子を作っていた商家の建物など残っているものはあるけれど、もうほとんどが現代の建物に建て替えられてしまっている。だから、歴史的建造物や史跡の存在感が薄くなっていて、胸を張って観光資源だと言えるものは、歌川広重の『東海道五十三次』に描かれたことくらいかもしれない。
私たちは旧東海道の道を逸れて、白い石で作られた鳥居が立つ横道に進んだ。突き当りまで行くとまた石の鳥居が現れ、開けたそこには、白い狛犬に守られたとても古い社が建っている。
「ここはどういう場所ニャ?」
「ここは
「お花見かぁ。懐かしいな」
マリウスは、周囲に立つソメイヨシノの木々を見回しながら懐かしんだ。季節柄すっかり緑に覆われているけれど、その表情を見ると、脳内では満開の桜を想像しているみたいだ。
「マリウスも、ハナミというものをやったことがあるのか」
「もちろんだ。お花見は日本人とは切り離せない文化だからな。今が夏なのが残念だ」
「サクラという花は、そんなに美しいのですか?」
「それはもう。お前たちにも見てほしかったな」
「じゃあ来年見ればいいニャ!」
「旅行に来たんじゃないぞ、ノーラ」
ヴィルヘルムスは、ノーラの発言に呆れた顔で言い返す。ノーラは基本的に気移りが激しい。一分後には違うことを言っていたりすることもしばしばあることを理解している私たちは、気まぐれな彼女の発言はあんまり気にしない。
「マリウスが転生する前に住んでいた町も、こんなところだったのか?」
「いや。オレは都会生まれ都会育ちだったから。けど、ばあちゃん家が田舎だったから古い家屋は懐かしい」
目を閉じるマリウスは、夏休みに家族で行っていた田舎の祖父母の家の風景を思い出す。広い空。深い緑の山。風が吹いて、田んぼの稲が波のように揺れる
マリウスは密かに目頭を押さえた。
「それにしても。ここは本当に穏やかな町ですわね。盗賊が現れたりしないのですか?」
「現代日本に盗賊はいないよ。似たところで泥棒とかはいるけどね」
「平和なんだな。オレたちの世界とはだいぶ違う」
「めったに事件なんて起こらないから、きっと長くいたら平和ボケして使命なんて忘れちゃうんじゃない?」
「それはいけないな。できれば早く向こうに戻りたい」
「そうだニャ。来年のサクラなんて待っていられないニャ」
「ノーラ見る気満々だったじゃん」
ほら。もうさっきの自分の発言を忘れてノーラはマジメモードになってる。でもマリウスたちも、自分たちの世界のことを気に掛けた。
「向こうは今頃どうなっているのだろう。魔族の動向が気になる」
「オレたちがいなくなったことを、気付かれていなければいいがな」
「そっか。まだ魔族討伐の旅の途中なんだもんね」
「ああ。だから一刻も早く戻らなければならない。俺たちがいなければ魔族は滅びず、世界に平穏は訪れないんだ」
昔を懐かしんだマリウスだったけれど、決して自分の使命を忘れないその心は向こうの世界と繋がっていた。本当はのんびり観光なんてしている場合ではないと焦りを覚えるけれど、今はどうしようもない。
東西に長い町を半分くらい回ったあたりでお腹が空いた私たちは、中華料理屋の「
異世界人のヴィルヘルムスたちには色々あるメニューの中から定番を勧めて、ラーメンとチャーハンと餃子を注文した。ちなみにティホはゴツくて身体が大きいけど、一食の量は意外と一般人並だ。
「舞夏ちゃん。この人たちが噂の勇者一行かい?」
笹木家はたまに出前を頼むから、店主のおじさんとも私が幼い頃からの顔見知りだ。
「あんたたちも大変だな。餃子一皿サービスしとくよ」
「ありがとう、おじさん」
「それから。コラボメニューの『赤い魔法石チャーハン』もサービスだ!」
これが支那忠で出している『なし勇』コラボメニューらしい。仕上げに全体を紅生姜で覆い尽くしただけだけど、アイデンティティーのグリンピースだけは頂上に鎮座している。
ありがたくサービスの二品をいただきながら、私たちはちょっと真面目な話をした。
「魔王は、聖剣を持ってる勇者しか倒せないんだよね」
「そうだ。兵士の剣や弓矢なんて、魔王からしてみれば小枝に過ぎない。かと言って大砲を持出しても、魔王の防御力はそれさえも防ぐと言われている」
「あの。一つ素朴な疑問があるのですが」
「なんだ。ヘルディナ」
「違う世界ということは、私たちの世界と時間の流れも違うのでしょうか?」
ヘルディナが、誰も気にしていなかったことを言及した。魔族討伐中の勇者一行にとっては、かなり重要なことだ。
「言われてみれば。マンガやアニメを観ると、オレたちの世界の時間は凝縮されている。それを考えると、こっちの世界の時間の方が経過が遅いということにならないか」
ヴィルヘルムスがそう言うと、マリウスは彼の意見を否定する。
「あれは物語として描いているから凝縮しているように見えるだけで、俺たちの体感時間はどちらの世界にいても感覚は変わらないと思う。と言うか、マンガやアニメは物語を一部ずつ切り取って繋げているだけだから、正しくは凝縮されている訳じゃない」
「じゃあ、時間の進み方に違いはないニャ?」
マリウスたちの議論に、洸太朗とも同じ話をしていた私は口を挟んだ。
「それ、私の幼馴染みも言ってたんだけどね。現実世界と異世界の時間の経過速度は、だいたいの場合は違うとされてることが多いんじゃないかな。異世界だと一年経ってたのに現実世界では一時間も経ってない、とか。逆・浦島太郎現象みたいな。でも私たちが知ってる転生モノ……と言っても洸太朗は今のところアニメしか見てないんだけど、転生した異世界から現実世界に戻って来るっていう展開は聞いたことないし、一方向こうの世界は? とか、同じ頃の現実世界が描写されることがないから、時間の経過速度に違いがあるのかそうでないのかは微妙かな。って言ってた」
それから、私に見解を述べた時の洸太朗はアニオタ特有の饒舌さを披露していて、若干ウザかった。そして、異世界人のヴィルヘルムスたち四人はぽかんとしている。
「何を言ってるか全然理解できないニャ」
「つまり、わからないということか」
マリウスだけは理解することができていたから、洸太朗が言いたいことをばっさりと要約した。
「まぁ私も、転生モノは現実世界の主人公の命が終わるところから始まるから、死んだ人が現実世界に生き返れるはずがないってことで、時間は並行して進んでる気もするけど」
「ヴィルヘルムス。あなたは彼の話を聞いて、どうお考えですか」
「オレにも推考できない。違う世界の存在すら想像していなかったからな。時間経過の相違に関しては研究をしなければ解明できない」
ヘルディナが質問したけれど、頭の良いエルフ族のヴィルヘルムスもさすがにお手上げ状態のようだ。気掛かりが解消できず、場の空気が僅かに暗くなる。
「残念……」
「そうだなティホ。もどかしいが、仕方がない。帰る方法も今のところわからないんだし、時間に関しては進んでいないと信じて、これまでの旅の労いだと思って今は平和なひと時をゆっくり過ごそう」
仲間を思い遣ってそう言ったマリウスが、本当は一番気掛かりで焦っているんだろう。きっとリーダーだから、こういう非常時の時こそ自分が落ち着いていなければと考えているんじゃないのだろうか。運はないけれど、勇者の責任感はとてもあるから。
その夜。食後のデザートみんなでアイスを食べていた時、マリウスがあることを提案してきた。
「マリウスたち自身で、観光客をもてなす?」
「ああ。やはり一宿一飯の恩返しはしたいと思って。だが、ただの手伝いでは世話になっている舞夏や町の人たちへの恩返しにならない。だから五人で話して、町おこしのために何かしたいと考えたんだ」
「あら。素敵な考えじゃない」
「観光客はマリウスくんたちの作品のファンなんだよね。だったら、それは嬉しいんじゃないかな」
バニラアイスをアテに日本酒を飲むちーちゃんとたけちゃんは、ほろ酔いで賛成した。だけど心配事がある私は、首を縦に振れなかった。
「勇者一行でおもてなしかぁ……」
「せっかく俺たちの世界とミックスされてるんだから、物語の主役の勇者一行がもてなさないのもおかしいだろ」
「でも。やるとしても、ファンの人たちがどんな反応するかが想像できないよ。今日だって、すれ違ったファンの女の子たちに声かけられちゃったし。誤魔化したけど」
実はお昼ごはんのあと、再び歩いていた時に女の子のファンに声をかけられた。「もしかして『なし勇』のヴィリーですか?」と。ヴィルヘルムスだけがロックオンされた。勇者一行のリーダーのマリウスを差し置いて。もう一度言うけど、主人公のマリウスを無視して。そこはちょっと笑っちゃったけど、さすがファンは目敏かった。私はすかさず「ただの一般人です!」と防御したけれど、もしも騒がれたら他のファンにも注目されただろう。
私は、『なし勇』ファンにリアル勇者一行だと知られてパニックに陥ることを心配している。そんな私の心配をよそに、彼らは興奮を抑えられないアニオタ観光客に揉みくちゃにされる覚悟をしてまで、おもてなしをしたいのかと思った。だけど、そういう訳じゃなかった。
「あの時は俺もびっくりした。声をかけられたのがヴィリーだったから驚き損だったが……」
マリウスは一瞬ヘコんだ。気付かれなかったのがダメージとして残っているみたい。
「舞夏が騒ぎになることを懸念しているのは承知している。だが、あの女子たちは思いのほか冷静だった。それに、普通に考えてみろ。二次元のキャラが現実にいるなんて、誰が考えると思う。俺たちが本当の『なし勇』の勇者一行だと知っているこの町の人々以外は、現実世界にいる想定すらできないと思わないか?」
確かに。よく考えてみれば、マリウスの言う通りだ。私たちアニオタは、二次元のキャラに現実で会えるなんて毛頭考えていない。それは単なる夢想だから。だからグッズを買って自分の周りに置いたり持ち歩いて、会えない代わりに推し活をしたり、推しと一緒にいる雰囲気を味わっているんだ。
もしも「リアル勇者一行です」とファンに紹介しても、「いやいや、コスプレイヤーでしょ?」と返されるだろう。そこで食い付かれるのを、僅かな可能性として私は懸念していた。だけど、この町に住んでいて町のビフォーアフターを知らなければ、真に受けることはないんだ。
「そっか……。そうだよね。二次元のキャラが実際にいるなんて考えないよね。もしも現れたとしても、めちゃくちゃクオリティーの高いガチコスプレだと思うくらいだよね。私だったら、コミケに遠征に行かなくても見れた超ラッキーv(*´>ω<`*)v って思うかな」
「だろ? だから、この世界では“ほぼリアル”でしかない俺たちなら、舞夏が懸念する騒ぎにはならないんじゃないか?」
私は何を大袈裟に考えていたんだろう。普通に考えればわかることだったのに。だけどマリウスのおかげで、凝り固まっていた脳ミソが柔らかくなった。
「じゃあ。一度、普段の格好で試してみる?」
「やったー! ありがとニャ舞夏!」
「これで自由になれるな」
「監禁してたみたいに言わないでよ。実際、軟禁状態だったけど」
と言うことで。ファンへのおもてなしのために、マリウスたちは一度、試験的にフル装備で外を歩いてみることになった。
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ちなみに「なまこ壁」の名前の由来は、本当に海鼠(なまこ)に見えるからだそうです。
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