第15話

 タースベレデでの瀝青舗装工事が本格的に始まると、〝あくまで名目上〟と言われて籍を置いていたはずのぼくはすっかり巻き込まれ、気づくとぼくはほとんどの時間を現場で過ごすようになっていた。そうして身辺に大量の図面や書類が集まるようになると、もはや身軽に馬で移動することすらできなくなった。

 仕方ないので、ぼくは大型の四輪馬車のキャビンに寝具や書類だなや執務机を取り付けた移動執務室を考案し、ほとんどその中で寝泊まりし、移動しながら仕事もすることになった。ただ、舗装済みの場所はともかく、工事前の荒れた街道を何日もガタガタ馬車に揺られ続けるとさすがに腰に響く。ひと月ほどでついに耐えられなくなったぼくは、ペンダスよりさらに南方の島嶼国に使者を出してもらい、ゴムの木がないか調査してもらうことにした。


「アスペン、本国からお待ちかねの荷が届いたぞ!」


 現場監督をつとめる年配の職員に連れられて、砂漠用の旅装に身を包んだ小柄な人物が馬車に入ってきた。彼は興味深そうに車内を見渡すと、顔の大半を覆っていた頭巾をさらりと解く。


「あ!」


 頭巾の下から人なつっこそうな笑顔を見せたのは、タースベレデには行かないと言っていたはずのスリアンだった。


「何やってるんだスリアン! こんな所を出歩いていいのか?」


 途端にじとっとした目つきで睨まれた。


「ずいぶんだな兄さん。兄さんがすっかりペンダスに戻ってこなくなっちゃったからボクがわざわざ出向いてあげたのに」

「それは悪かったよ」

「でもまあ、道理でね。こんな快適な巣があるんじゃ帰りたくもなくなるよね」


 彼女は皮肉っぽくそう言うと、うんうんとひとり勝手に納得して馬車の室内を示すように大きく手を広げる。


「これ、便利そうだねぇ。この中で寝泊まりもできるし出先で執務もできる。後はかまどと浴室があれば言うことなしだけど」

「ぜいたく言うなよ。それに言うほどは快適じゃない。とにかく揺れる。書類読んでると気分が悪くなるし、そのうち腰が壊れそうだ」

「アハハ、馬車ってそもそもそういうものでしょ? それこそぜいたくな悩みだよ」


 笑われてぼくはむっとする。


「スリアン、君は一体何をしに来たんだよ? まさか遠路はるばるぼくをからかいに来たわけじゃないだろう?」

「ああ、そうそう、忘れてたよ」


 彼女はそれでようやく本来の用事を思い出した様子でポンと手を打ち、懐から折りたたんだ皮紙を差し出した。


「南方の島嶼地方から返事が来た。兄さんご所望の樹液を出す植物が見つかったって」

「ホントかっ!!」

「うん、詳しくはそこに書いてあるけど、試しに送ってもらったのも持ってきたよ」

「ええ! 何樽ある!?」

「とりあえず二樽だけだけど……一体何につかうのさこれ?」

「色々、ホントに色々使えるんだよ!」


 スリアンについて馬車を降りると、そこには大樽ふたつを載せた荷馬車があった。ぼくはいそいそと樽の蓋を打ち開き、中にどろりとした乳白色の樹液が詰まっているのを見て思わず笑みを浮かべた。


「ふーん、こんなドロドロ、どうするの?」

「固めるんだ。これに酢を混ぜると粘りのある糊のような固体になって、それを薄くのばして水気を抜きながら窯で燻すといい感じに弾力も出る。そこに、さらに硫黄を混ぜて型にはめ、高温の蒸気で蒸すと、ある程度の弾力は保ったまま、やっかいな粘りを取り除くことができる。同時に硬さと強度もぐんと上がるんだ」

「ふーん? それで?」


 スリアンはまだうまくイメージできないようできょとんとしている。


「これは……」


 ぼくは乳白色の樹液を指しながら言葉を続ける。


「……これ、護謨ゴムっていうんだけど、この素材を馬車の車輪に巻いて固めると、地面からの衝撃をやわらげることができるんだ」


「あー」


 スリアンはようやく納得したように頷いた。同時に呆れたような表情を浮かべる。


「前々から不思議に思ってたんだけど、兄さんはそういう得体の知れない謎知識、一体どこで仕入れてくるのさ?」

「さあ、どこなんだろうな」


 まさか前世の知識ですとも言えず、あいまいにごまかす。


「リグナム氏に拾われる前に、どこかで詰め込まれたのかもね」

「詰め込まれた?」

「うん、どうやらぼくは一度見聞きしたことは忘れない体質らしいんだ」

「え? だったらどうして——」

「ああ、どうして自分の名前や出自みたいな、普通忘れないことは思い出せないんだって話にはなるんだけど……」


 スリアンの指摘はもっともだ。ぼくは苦笑いしながら言葉を続ける。


「ぼくの特技に目を付けたどこかの誰かが、ぼくを百科事典代わりに使おうとたくらんだんだよ」


 人ごとのようにうそぶいてみる。そもそも、そうたくらんだのは他ならぬぼく自身だ。学生として過ごしたあの異世界で、ぼくは連日図書館に入り浸り、ありとあらゆる本を読みふけった。もしかしたら、いつかこんな日が来ることを漠然と予見していたのかも知れない。


「にしたって、少なくともこの大陸にはない知識だと思うけど?」

「そうだね。もしかしたら本当に別の大陸から流れ着いたのかもしれないぞ」


 ぼくの戯れ言を受け、スリアンはむっとしたように唇をとがらせる。


「この大陸以外に? 海の彼方に別の陸地があるって話? そんなのおとぎ話だよ! 子どもじゃあるまいし、今どき誰が信じるってのさ」


 

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