第35話 ラノスの目的


 魔物の群れを一掃しながら辿り着いた森の奥地。巨大な獣道を進んだ先には、自然に飲み込まれた都市の跡地が存在した。舗装された道は風化し、石造りの建物がわずかに残るばかり。だが、それにしては人工物を覆うほどの緑ではなく、見晴らしが良い。まるで誰かが手入れを入れているようだった。


「森の奥にこんなところがあったなんて知らなかった」


 ティンは辺り一帯を見渡しながらそう言った。


「おそらく、都合の悪い場所にかけて人除けの魔法を使っていたんだろうな」


 ヒグレは魔力補給水を飲みながら言う。


「ここに来る途中、人型の魔物からいくつか魔導具を回収したが、どれも隠蔽などに使われるような物だ。よくこんな物を集めたものだ」


 ラルドは薬品に漬けた戦利品を眺めていた。


「前にティンが襲われたとき、ドレッドが反応できなかった原因だな」

「ドレッドが反応できない隠蔽……妙だな。そんなに強力とは」


 ラルドは不思議そうに魔導具をべつの角度からも見る。

 獣道での戦闘以降、魔物との遭遇はなくなった。魔物の巣窟と想定していた廃墟の都市は不自然なまでに綺麗で異臭すらなかった。

 医者と名乗っていたこともあり、さすがに寝座ねぐらを魔物の異臭で汚染させたくないだろう。そうしないといけない理由もあるのかもしれない、とヒグレは考える。

 大通りらしき道を進んだ先、不自然に開けた場所に出た。緑がない更地。最近まで大規模な取り壊しでもあったかのようだった。明らかに不自然だった。

 それはヒグレたちは一早く気づいたし、ティンもその異変に気づいていた。


「ねぇ、このへん一帯が変。なにもないのに風の通りが悪い」

「そうだな」


 ヒグレはその辺から石を拾って更地に向けて投げる。

 石が更地にぶつかり、数回ほど乱雑に転がって停止した。空中に浮きながら。


「ヒグレ、これって……」

「透明化の魔法を使ってるんだろうな。ここが目的地のようだ」


 ヒグレはそう言って懐から五円玉サイズの黒い玉を取り出した。


「それは?」

「正式名所は忘れたが爆弾の魔導具だ。魔力を送ると赤く発光するのと同時に投げてぶつけると爆発する。小さいが威力は手榴弾なみ。魔狩人の間では人気の商品だ」


 ティンに説明しながら実践した。赤熱するかのように赤くなった爆弾を巻き込まれないようなるべく遠くに投げた。そして、透明な壁らしき場所に当たって爆発した。

 透明な領域が波紋が流れ、当たり所が良かったらしく透明化が解けた。

 現れたのは大聖堂だった。建物の残骸ではなく、綺麗な状態を維持していた。


「乗り込むぞ」


 ヒグレたちは大聖堂の入り口に続く階段を上がり、巨大な扉を開けた。


「俺の知ってる大聖堂とは形が違うな。さしずめここは玄関といったところか」


 ラルドはそう言いながら玄関の先にある会談ではなく、左に足を向けた。


「少し地下を覗いてくる。すぐに戻る」


 そう言いながら地下に続く階段を下りていった。おそらく、人の気配を感じ取ったのだろう。繁殖のために捕らえられたであろう者たちの気配を。


「あっちはラルドに任せよう」


 ヒグレたちは先頭に正面の階段を上がった。

 大聖堂の中には魔物の気配はほぼなく、襲撃してくる様子はない。むしろ静寂に包まれた空間に三人分の足音が響いていた。

 上り終える頃にはラルドが戻っていた。


「どうだった?」

「エルフの女が約五十名といったところだ。結界を張った安全な場所に移動させた」

「そうか。火種は必要か?」

「魔導具の誓約には引っかかってない。大丈夫だ」

「そうか」

「お前こそ大丈夫か?」

「……、大丈夫だ」


 ラルドと軽く情報共有をして、ヒグレたちは目の前の赤黒い扉を開いて侵入する。

 広い空間に出た。美しい絵硝子から光が差し込み、その奥にはさらに緩やかな階段があり、その上には台座が存在していた。

 台座の近くにラノスがいた。階段の手前、その天井に巨大な肉塊がぶら下がっていた。


「いやいや、あれだけの魔物の軍勢を解き放ったというのに、こんなに早く辿り着くとは。つくづくあなたたちという存在が嫌になります」

「あの類は数が多いだけだ。俺たちの敵じゃない。お前もな」


 ヒグレは平坦な口調でそう言ってのける。だが、ラノスは柔和な笑みを崩さなかった。


「私には大いなる目的がある。ここでやられるわけにはいきません」

「その大いなる目的が、大勢のエルフを殺すことであってもか」

「そうです。わかってほしいとは言いません。すべては娘のためです」

「娘? あんたの娘は死んだはずじゃ……」

「死んではいませんよ。我が娘は眠っているだけであって今も生きています」

「——ッ! ……。そうか。お前、自分の娘を」


 ヒグレは天井に張りつく肉塊に目を向けた。


「そうです、ヒグレ殿。あの中に私の娘、エリシアがいます」


 嬉しそうに微笑むラノスは、言葉を続ける。


「もう助からない。絶望する私に手を伸ばしてくれたのは人族でした。彼が話してくれたのは、娘を上位の存在へと生まれ変われれば病に苦しまなくて済むというものでした。私は藁をもすがる思いでその提案を受け入れました」

「……、そうか。あの魔物はその試作品といったところか」


 ふつふつと煮立つ怒りを感じているヒグレは、不思議と平静を保っていた。いつ感情が爆発してもおかしくない状況だが、おかげで冴えた頭で辿り着いた答えを述べた。


「そうです。魂の受け皿を作るためにあのキメラを作りました。今の娘の状態は蛹の中身のように液状化しています。でも安心してください。すべては上位存在となるための大事な段階です。時がくれば再構築され、エルフの体に戻ります」


 倫理とかそういうのはともかく、そんな都合の良い話があるわけがない。それはヒグレとラルド、ましてやドレッドですら理解していることだ。ラノスが縋ったものはけして娘を助けるようなものではなく、実の娘をただの魔物に変化させただけにすぎない。


「なら、どうしてエルフを襲ったの! それだけならなにも襲わなくても……ラノスが迫害された話は知ってる。けど、全員がそうじゃないって、言ってたのは噓だったの?」


 ティンはわずかに強張らせた表情でラノスに問いかけた。


「まさか、むしろ感謝してるくらいです。今の娘はいわば発芽前の種です。成長にはどうしてもエルフの血肉が必要でした。ですから、娘の養分と材料になってもらいました」

「自分でなにを言ってるのかわかってるの!」


 声を張ることのないティンが初めて声を荒げた。


「わかってますとも。ですが、エリシアのためだと思えばなんとも思いません」


 その言葉に、飛び出しそうになるティンをヒグレは止めた。


「……ん? なんだあれ? あの肉塊、なんであんなにツギハギだらけなんだ?」


 なにかに気づいたドレッドは肉塊を指差した。それに続いて見上げるラルドが、「なっ!」とその正体に気づいて拳を握りしめた。


「テメェいったい、何千、……いや何万人の女を使ったッ!」


 ラルドの言葉にヒグレは再び肉塊を見上げた。ツギハギに沿って残存する形状から、知識の中にある臓器が浮かび上がる。そして、ラノスが言っていた〝材料〟の意味を知った。


「何人でしょうか……すみません。百から数えていません」


 ラノスは少し考えた素振りを見せて、悪気のない笑みを浮かべてそう言った。


「再構築。いえ、もはや転生とも言っていいでしょう。今年でむかえる年齢まであの中で成長させ、再び生まれれば健康な体のまま元の生活に戻れる」


 肉の箱の下まで歩いてきたラノスは慈しむように手を伸ばしていた。いつか再び生まれてくるであろう娘の手を取ることを夢見て。


「あんたは患者を救うために医療知識を求めていたのは、娘さんのためだったのか?」


 ヒグレは宴で話したこと思い出し、ラノスに問いかけた。


「そうです。信用を得る意味もありますが、材料にするなら健康なほうがいいでしょ?」

「あんたにとってはただの品質管理だったわけか。その腕の傷も、そのために」

「ええ、そうです。裁縫が得意ではないですから、何度も挫けそうになりました。待てども再誕の兆しがない中で、ひたすら積み上げていく作業。とても苦でした」


 辛い日々を思い出すかのようにラノスは傷だらけの手を摩った。


「私の頑張りなど、誰も称賛してくれる者はいませんからね。ですが、ヒグレ殿だけがこの手を肯定してくれたおかげで報われました。本当に感謝しているんですよ」


 ラノスの感謝の言葉にヒグレは湧き上がる怒りから拳を握った。


「ふざけんじゃねぇ! ヒグレはそんなことのために言ったんじゃねぇぞッ!」


 だが、ヒグレ以上にドレッドが怒りをあらわにした。普段なら笑い飛ばして受け流す彼が怒ってくれたおかげで、ヒグレは冷静になれた。

 ヒグレは大きく息をつきながら、自分は大丈夫だと、ドレッドの肩を掴んだ。それが伝わったのか、ドレッドは奥歯を噛み締めながらも怒りを収めてくれた。


「ヒグレ殿。どうか手を引いてはくれませんか?」

「なんだと?」

「私はべつに争いをするためにキメラを作ったわけじゃない。ぜんぶ娘のためです。すべてが終わったあかつきには、世界に解き放った魔物をすべて駆除すると約束しましょう」


「それで、はいそうですか、って簡単に言えるわけないだろ」

「はたして、本当にそうでしょうか?」

「……なにが言いたい?」

「私は元気な娘を取り戻したいという大義名分があります。ですが、あなたがたはどうですか? 魔物を狩りに来ただけの部外者じゃないですか。なぜ命を賭してまで戦っているのですか? とくにヒグレ殿。あなたからはなにも感じないのですよ。それとも、秘めたる思いには私に立ち塞がるほどの理由がございますか?」


 ヒグレたちに歩み寄るラノスは問いかけてくる。その足取りは軽く、なにかするわけでもなく、距離からして十メートルは切ったところで足を止めた。


「……理由、か」


 ヒグレは天井を見上げて、少し考えた後、


「これといったものはない。俺には強い意志も目的もない。仕事でここにいるだけだ」


 ためらうことなくはっきりと答えた。潔いと言えばそうだろうが、その答えはラノスが失望するには十分な答えだろう。そして、ヒグレは言葉を続ける。


「——なんて、馬鹿正直に教えると思うか? お前のような奴に」


 ヒグレは平坦な口調でそう答えた。これといったものはない。だが、目の前にいるラノスに対して抱くのは明確な殺意だ。

 ララエの悲痛な叫びと骨が砕ける音が、今も耳に残っている。

 本音を語ったヒグレの脳裏には、焼きついた音が呼び起こされる。白い花飾りを頭に乗せるララエの笑顔と悲劇の音が、意識をべつに向けないかぎり反響している。


 見知らぬ親子、村の住民、女戦士、そして、ララエの死。それらすべてラノスの手によって引き起こされているという事実に、ヒグレは怒りを覚えている。

 澄んだ緩やかな川が、底の見えない泥水に変わっていくような心情。ただ殺すだけでは気が済まない。生まれてきたことを後悔するまで、自分の気が済むまで、ラノスを破壊と再生を繰り返しながら、苦しませてから殺してやる、とヒグレは思っている。


 だが、あくまでそれは自己満足であると、ヒグレは自覚している。


 大事なのは、彼女たちの弔いであることを祈って、目の前の敵と戦うことである。


 言うつもりはない、ヒグレが内に秘めた戦う目的だ。


 ラノスは大きく息を吐いて、口を開く。



「もう話し合いだけでは済みそうにありませんね。ならば力で――ごふッ!?」


 ラノスが魔法を行使しようと手をかざした瞬間、ヒグレは彼が反応できない速度で間合いを詰めて蹴り飛ばしていた。

 手加減なしのヒグレの蹴り。身体的に強いわけでもないラノスは受け身を取ることもできず、十メートル先まで飛んで、硬い床に体を打ちつけていた。すでに満身創痍だった。


「あっけなかったな。せめて苦しまないように殺してやる」


 ヒグレはそう言いながら、狩猟籠手から仕込みナイフを展開してラノスに近づいた。


 瞬間、ドクン――と強烈な圧迫感がヒグレを襲った。まるで今まで止まっていた心臓が動き出したかような波。それは後方に控えていた三人にも伝わっていた。


「い、今のは」


 ティンが戸惑いを見せる中、ほかは冷静に肉塊を見ていた。


「チッ、一歩遅かったか」


 ラルドは舌打ちをした。


「はははっ!、どうやら、わずかでも魔女の血が役になったようですな!」


 ラノスは恍惚とした表情を浮かべて起き上がった。

 ドクン――とその間も圧迫感が空気を伝う。


「ああ、待ちに待った。ようやく、ようやくこの時が来たのだな!」


 ドクン。ドクン。ドクン、ドクン、ドクンドクンドクン。


 本能が危険だと判断するほどの気配。禍々しい魔力の波動。圧し潰すような圧迫感は、やがて心臓の鼓動のように波打つ。この圧迫感は、天井に吊るされた肉塊から放出されているものだ。ラノスが手塩に育てた愛しの娘——いや、魔物が覚醒したのだ。


「——生まれる」


 ラノスは両手を広げ、我が娘と再会できることを喜んでいた。


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