暗黒の森

「うわあああ……!」


 ハイリグス帝国の首都“プラルグ”を出てから一か月。

 僕は目的地である暗黒の森に到着した。


「変な皇子だな。これからここで死ぬっていうのに、呑気に物珍しそうに眺めているんだから」


 この森まで連れてきてくれた兵士の一人が苦笑する。

 ヘルトリング宰相の言いつけもあり、兵士達は僕をぞんざいに扱ったりすることはなかった。


 おかげで誰かに叩かれたり、嫌がらせをされたりしない日々を送ったのは初めてだ。


「見ろ。あれが暗黒の森の入り口になる」


 兵士の一人が指差した先を見ると、そこは名前のとおり一切の光が失われている。

 明かりがないと、足元もおぼつかないかもしれない。


「一応、向こう一週間分の食料と水は用意しておいた。あとは……まあ、自力で頑張るんだな」

「はい……」


 この一週間分の食料というのは、それまでの間に僕が死ぬことを見越したものだろう。

 ひょっとしたら、食料を持っていることで魔物に狙われやすくする目的も含まれているような気がする。


「あ、あの、ここまで連れてきてくださって、ありがとうございました」

「ん? ……本当に、変な皇子だな」


 深々とお辞儀をしてお礼を言うと、兵士達は顔を背けてしまった。

 きっと僕なんかにこんなことをされても、嬉しくも何ともないんだろうな。


「それで……これ、お礼です」

「おいおい、それは皇子が宰相閣下から手渡された金だろ」

「はい。ですけど、僕には必要のないものですから」


 この暗黒の森で、お金を使う機会なんてない。……というか、お金を使う前に僕は死んでいるだろうから。


「……分かった。貰っておく」


 どこかばつが悪そうに、兵士の一人がお金の入った革袋を受け取った。

 これでいい。気休めかもしれないけど、こうすれば少なくとも暗黒の森に足を踏み入れた直後に、後ろから兵士達に殺されることもない。


 ……本当に、僕は何を考えているんだろうね。

 暗黒の森に捨てられたんだから、死ぬしかないのに。


 それなのにどうして、僕は死なない努力をしているんだろうか。


「あははっ」


 なんだかおかしくなって、つい笑ってしまう。


「それでは、お世話になりました」


 僕は暗黒の森の入り口の手前で振り返り、ぺこり、と改めてお辞儀をした。

 これで本当にお別れ、なんだけど。


「ギルベルト=フェルスト=ハイリグス殿下に敬礼!」

「わあ……!」


 二人の兵士が剣を掲げ、僕を送り出してくれたんだ。

 きっとお金をあげたからなんだろうけど、それでも、こんなふうに誰かに見送ってもらうことなんて、生まれて初めてだった。


 兵士達はすごく立派で、格好良くて、そんな彼等に見送られる僕は、まるで物語に登場する主人公になった気分で。


 だから。


「行ってきます!」


 僕は手を振って、笑顔で暗黒の森に入ったんだ。


 ◇


「真っ暗、だね……」


 暗黒の森に足を踏み入れてから、かれこれ一時間は歩いただろうか。

 後ろを振り返っても、もう入り口は見えない。きっと、戻ることもできないと思う。


「せめて目印になるようなものがあればいいんだけど」


 そう呟いてみるものの、見上げても高く伸びた木々によって空が全て覆い隠されていて、陽の光すら入る隙間もない。

 辺りは暗く、ほんの少し先すらもよく見えない。


 まさにここは、文字どおり暗黒の森・・・・だった。


「……って、別に目的の場所なんてないんだから一緒じゃないか」


 皇帝陛下から領地として与えられたこの森は、あくまでも僕が死ぬための場所。

 渡されたこの印状だって、所詮は形だけのもの。もし僕みたいに邪魔な子供が生まれたら、同じようにこの印状を手渡されてこの森に捨てられてしまうんだろう。


 ひょっとしたら過去にもこの森に捨てられ、命を落とした人もいるのかもしれない。


「……せっかくだから、探検でもしてみようかな」


 魔物に見つかってしまえば、力も武器もない僕はすぐに殺され食べられてしまう。

 ならそれまで、少しくらい楽しんだっていいじゃないか。


 生まれてからの十年間、いいことなんか一度だってなかったんだから。……って。


「ううん。そんなことないよね」


 僕ははにかみ、かぶりを振る。


 暗黒の森に入る時、あの二人の兵士は敬礼をして見送ってくれた。

 それだけでも、僕はすごく嬉しかったんだから。


「さあ、行こう!」


 右手を掲げ、森の中を意気揚々と歩く。

 不思議なことに、ここまで一度も魔物に出くわしていない。


「ヘルトリング宰相や兵士達の話では、暗黒の森には数多くの魔物がいるということだったんだけど……」


 一時間以上も森の中を歩いているのに、そんなことがあり得るんだろうか。

 僕みたいな子供、魔物からすれば格好の餌だと思うんだけどなあ。


 首を傾げながら、僕はさらに森の中を進む。


 すると。


「あ……小川だ!」


 せせらぎとともに流れる綺麗な水。

 僕は駆け寄り、手ですくい口に含んでみる。


「美味しい……」


 暗黒の森を流れる川の水は、皇宮で飲んだものとは全然違った。

 変なにおいもしなくて、ほんの少し甘くて、とっても冷たくて。


 思わず夢中になって飲んでしまったせいで、少しお腹が苦しい。

 でも、少なくともこれで水に困ることはなさそう。


「となると、暮らしていくのならこの辺りがいいのかな」


 幸いなことに、ここまで一度も魔物に遭遇していない。

 安全という意味からも、ここを生活の拠点にするのが一番良いような気がする。


「となれば、雨露をしのぐところを見つけないと」


 小屋くらい作れたらいいけど、残念ながら道具もないし非力な僕には無理っぽい。

 せめて洞窟みたいなところがあればいいんだけどな……。


 川から離れ過ぎないようにして、周囲を歩き回る。


 その時。


 ――グルル。


「っ!?」


 暗黒の森に、せせらぎの音に紛れてうなり声が響いた。

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