待ちに待った帰還

「は、はぁ……っ、は……ぁ!」


 第一王子宮の廊下を、ステラシアはひた走っていた。

 階段の手前で躓きそうになり、背後から伸びてきたたくましい腕に支えられる。


「ステラ様! 廊下は走っちゃだめです!」


 続いて、ステラシアを追いかけてきたマリンから届くお小言も耳に届かず、また走り出す。意外と、速い。

 階下から届く"ごめんなさい"と"ありがとう"を聞いて、同じように走ってきたマリンとイアンは苦笑して顔を見合わせた。


「まあ、今日ばかりは良いのではないですか?」


「それもそうですねぇ……」


 第一王子宮は広い。ステラシアの部屋から階段までもそれなりに距離がある。ステラシアは若干息を乱していたが、騎士であるふたりはさすがにそんなことはない。

 鍛錬を怠り気味だったマリンも先日からまた騎士としての訓練を受け始め、体力が戻りつつある。寒さには相変わらず弱いけれど。あと、魔法騎士なので、腕力は本当にいらないのだけれど。


「さて、わたしたちもステラ様を追いかけましょうか、イアン様」


「そうですね、マリンさん」


 元主人の大切な存在を護る護衛と側仕えは、お互いにクスリと笑うと、ふたり階段を急ぎ足で駆け下りた。現主人を追いかけるために。


 ステラシアは急いでいた。

 朝食を食べている最中に舞い込んできた鳥が、アルトラシオンの帰還を告げたからだ。

 こちらの様子は、常にイアンが伝言鳥を使ってアルトラシオン側に報告していたらしい。

 けれど、あちら側からはなかなか報告が来ていなかった。一週間に一回『無事だから、無理をするな』という内容の鳥が飛んできていただけだ。

 だから、食事中にもかかわらずステラシアは部屋に駆け戻ったのだ。

 後から付いてきたマリンがずっとお小言を言っていたけれど、高揚していたステラシアには馬耳東風。

 寝起きのままだった髪を梳いてもらい、着替えるとまた部屋を飛び出した。


「アルト様……!」


 第一王子宮の入口で、真っ黒な騎士服からマントを外しているアルトラシオンが見えた。

 一階に降りる階段の手前で立ち止まり、ステラシアは息を整える。

 マリンが着せてくれたのは、白地に薄紫色のデイドレス。その胸元が、勢いよく上下している。

 金色の髪を無造作にかき上げたアルトラシオンが、傍らにいたクリフォードに一言二言なにかを告げる。その口元が、徐々にゆっくりと持ち上がり、楽しそうな表情になった。

 手を上げてクリフォードが去っていく。


「ステラ。そんなに走ると転ぶぞ」


 手すりの陰に隠れて見えないはずのステラシアに向かい、アルトラシオンが声をかける。

 急いで駆けつけたことがすべて筒抜けのようで、ステラシアは恥ずかしさに呻く。

 そんな彼女を紫眼が眺め、緩く弧を描く。


「ほら、こちらに来い」


 伸ばされた腕に誘われるようにして、ステラシアは階段を軽やかに降りていく。

 最後の段まであと少し、と思った瞬間、華奢な体がふわりと浮いた。


「ふあ……っ!? あ、アルト、様……!」


 大きく広がったスカートを押さえるようにして、アルトラシオンがステラシアを腕の中へと閉じ込めた。

 そのまま、こめかみや頬に口付けられ焦る。こんなところを誰かに見られたら、言い訳が何もできなくなるのに。


「――スープの匂いがするな」


「それは……っ、その……!」


 ステラシアを抱き上げたまま、鼻先を生え際に押し当てたアルトラシオンがポソリと言った。

 食事の途中で抜け出したことを見抜かれたようで、恥ずかしくなる。


「そんなに、俺に会いたかったのか?」


 耳元で囁かれて、ステラシアの頬が熱を持った。

 しっかりばっちり見抜かれていたようだ。

 黒い手袋に包まれた指先が、からかうようにステラシアの髪を梳く。ふと頬を掠めるその動きがとても優しくて、なぜだか泣きたくなる。


「……会いたかった、です。お帰りなさい、アルト様。――ご無事で安心しました」


「――、ああ。ただいま、ステラ」


 一瞬、息を呑んだアルトラシオンが、泣きそうな顔で笑う。見たことのない、その表情に見入っていると、惚けたままのステラシアの唇を、柔らかな熱が掠めていく。


「ぁ、アルト様……!」


「…………ふ、無防備だな」


「だ、誰かに見られたら……」


「別に、構わない」


 途端に真剣な瞳でそんなことを言うものだから、ステラシアはどうしていいかわからなくなる。


(わたし、まだアルト様に気持ちを伝えていないのに……!)


 困ったように眉を下げるステラシアを楽しそうに眺め、アルトラシオンは彼女が駆け下りてきた階段を悠々と上がって行った。

 

 下ろしてくださいと懇願したステラシアをまるっと無視してアルトラシオンが向かった先は、先ほど彼女が飛び出してきた食堂だった。

 扉の前に立つと同時に、内側から図ったようにして開かれる。

 いい笑顔のイアンとクリフォードが扉を押さえ、アルトラシオンがステラシアを抱えながら中へと入る。

 こちらもいい笑顔のマリンと、料理長のアルバス・コルヴィエが両手に皿を持ってテーブルに並べているところだった。


「皆、不在の間、第一王子宮とステラを守ってくれて感謝する」


 アルトラシオンが声をかけてすぐ、食堂内にいたすべての人間が一斉に頭を下げた。

 その様子を驚いて見ているステラシアに少しだけ笑い、アルトラシオンが椅子に彼女を座らせる。

 目の前にはステラシアのための朝食がある。食べかけだったスープは新しいものになっている。その隣には、まったく同じ食器が一式。

 温かそうな湯気が立っているのは、作ったものをすぐ隣の部屋で温め直したから。

 厨房から食堂までは遠く、毒味もしていると食事は冷める。けれど、保温の魔法道具が開発されてからは高貴な身分でも温かな食事が摂れるようになったらしい。いつだったか、本で読んだ。

 冬の季節が長い北の大陸では、とても重宝されている。安価なので庶民でも手の出せる便利道具だ。


「さて、ステラが食事を放り出したようだから、俺も一緒に食べるとしよう」


「ひ、ひどいです……!」


 抗議するステラシアに楽しげな笑みを浮かべ、アルトラシオンは彼女の髪を撫でる。

 そんな彼の表情を、誰も見たことがなかった。イアンやクリフォードでさえも、外では見たことがない。

 マリンやアルバスが目を瞠りながら動きを止める。けれど、その隣で拗ねるステラシアを目に留めて、すぐに動き出した。

 どこか元気のなかった彼女が、とても嬉しそうでだったから。萎れた花が蘇るように、第一王子宮に活気が戻ってきたような、そんな気がしたのだ。


 ◆ ◆ ◆


「さて、では今回の遠征についてだな。クリフォード」


 アルトラシオンに呼ばれたクリフォードが、壁際のマリンのそばから離れて第一王子の傍らに立つ。

 これから、留守番組だった騎士二人――イアンとマリンに、今回の遠征の共有がされるのだという。

 ステラシアは、アルトラシオンの隣に座らされていた。

 場違いだからと部屋に戻ろうとしたステラシアを、アルトラシオンが許さなかった。

 立ち上がりかけた腰は力強い腕に絡め取られ、逃げないように片手を掴まれている。

 侯爵家やら伯爵家の騎士が立っているのに、平民のステラシアが座っているこの状況。首を傾げても、誰も何も言わないことがさらにおかしくて、もっと首が傾いてしまう。

 そのステラシアの傾げられた頭を、アルトラシオンの手のひらが撫で、ぐっと肩口へと押すようにする。


(……!?……!? あ、アルト様ぁ!?)


 いくつもの目がある中で、第一王子にしなだれかかるような体勢になってしまい、ステラシアは大いに慌てた。


「あー、まあ、そのー……なんだ。今回の遠征は、いつもと変わらなかった」


「おい、お前は報告の意味をわかって言っているのか?」


 いつの間にか現れたウィルフレッドが、クリフォードを肘で小突く。

 存外、深くめり込んだらしいそれに、クリフォードが呻いた。

 いまこの状況を助けてくれるのは彼しかいない。そう思ってクリフォードを見つめていたステラシアの視線が、横から伸びてきた手のひらに覆われて遮られる。

 その間にも、他五人の会話はどんどん進んでいく。


「いつもと変わらない、ということは、昼間に魔獣が出ることはなかったと言うことで間違いないですか?」


 低いけれど柔らかな声音はイアンのものだ。


「ああ、今回は夜だけだった」


 答えたのはアルトラシオン。低い声が、振動となってステラシアの耳を震わせる。


「怪我人はどうだったのでしょうか」


 マリンが声を上げる。それは、ステラシアも気にしていたことだ。


「あー……おっかねぇのがいたからな。怪我してくるなとか無茶振りしてくる……」


 クリフォードのその台詞だけで、なぜか納得したような空気が流れた。

 わからないのはステラシアだけだ。


(おっかないのってなんだろう……)


「そうだな。怪我人は領民だけだ。それも、治癒を施し、生活を立て直せるくらいまでは支援を約束した」


 ゆる……とアルトラシオンの手のひらが、ステラシアの塞いだ目元を撫でる。まるで、「安心しろ」と言われているようだ。


「ただ……」


 ウィルフレッドの言葉に、見えないながらも注目が集まったことがわかる。


「魔獣の湧き出る頻度が多かった」


「――そう、ですか。それは……なにがあったのでしょうねぇ」


「場の浄化は、殿下が?」


 イアンが思案するように呟き、マリンが確認をする。

 胸元の動きで、アルトラシオンが頷いたことを知らされる。


「アルトと、あのお嬢様が、な……」


 クリフォードの言葉に、ステラシアはビクリと肩を揺らしてしまった。安心しきっていた胸のうちを、冷たい風が通り抜けていくような、そんな気配がした。


「クリフォード」


 低く名前を呼ばれたクリフォードが「ぁ、やべ……」と呟いた声がする。

 そのまま扉の開く音がしたと思えば、外へゾロゾロと出ていく気配。

 パタンと閉まる音がしてから、ステラシアの視線を遮っていた手のひらが引いていく。

 照明の明るさに一瞬だけを目を瞑り、ステラシアはぼんやりとしながらアルトラシオンを見上げる。

 彼女のその一部始終を見つめていたアルトラシオンが、困ったように眉を下げた。


「ステラ。鳥を通して、イアンから聞いている。彼女のことを聞いたと」


 一度だけ、硬い指先が頬を撫でて離れていく。

 その指先を、ステラシアは思わず掴んで握りしめた。


「彼女、というのはドゥーベルク公爵のお嬢様のことでしょうか?」


 夜会で挨拶を交わしたドゥーベルク公爵は、とても笑い上戸な優しい人だった。

 そのひとり娘が明け星の乙女となったことを、ステラシアは知っていた。だから、挨拶のときに祝福の言葉を述べたのだ。


「殿下の……婚約者だと、聞きました」


 マリンからは、違うと聞かされていたけれど。それでも、ステラシアの胸のモヤモヤはぜんぶ消えてはいかなかった。

 あれから、ステラシアは図書室に籠もって、王族の伴侶について調べていた。

 代々の国王の伴侶には、特別な理由がない限り"二つ名を与えられた星の乙女"が選ばれている。

 今代のアルフォレスタ国王の伴侶であるクリスティア王妃も、"宵星の乙女"という名を与えられている。第一王子の魔力を封印する前は、とても強い浄化の力の持ち主だったらしい。


「婚約者ではない。婚約者候補筆頭だと、周りが勝手に騒いているだけだ」


 マリンが教えてくれたことと同じ説明が、アルトラシオンからも返ってくる。


(それなら、どうして教えてくれなかったんですか……?)


 その言葉を、言えたらいいのに。

 まだ、ステラシアとアルトラシオンの関係には明確な名前がない。


(そんな、嫉妬みたいなこと……言えない)


 唇を噛むステラシアを紫の瞳で見下ろして、アルトラシオンはゆっくりとそこに指を這わす。やめろ、と言われているようで、ステラシアの顎から力が抜けていく。

 どうした? と低く問われ、ステラシアは小さく首を振る。


(わたしは、アルト様の、なにになりたいんだろう……)


 あんなに必死になって王家のことなど調べたりして。

 好きだと自覚した。隠そうとしたのに、ローゼリアに暴かれて、表に引きずり出された。バレてしまったし、認めざるを得なくなった。

 でも彼はこの国の第一王子で、自分はなにも持っていないただの平民。

 彼の隣に立つには、なにもかも足りない。

 足りない、から。


(そっか……わたし、アルト様の隣に立っていたいんだ。――でも、)


 それを、望むのは――。


「ステラ……俺は、」


 ステラシアの唇を撫でていた指が止まる。そのまま顎を指で掬われた。彫刻のように綺麗な顔がどんどん近づいてる。

 それを、避けることなどステラシアにはできない。

 もう少しで唇が触れる。掠めるだけじゃない、きっと、深く重なるような。

 けれど、唇に熱い吐息を感じた瞬間、アルトラシオンの眉がぎゅっと寄る。なにかに耐えるようにステラシアを捉えていた瞳が閉ざされ、コツンと額同士がくっついた。


(……わたし、アルト様になにも言われてないんだ)


 ステラシアが躊躇う理由はそれだけだ。

 アルトラシオンの心を、ひとつも聞けていないこと。

 それがずっと気になって、どうしたらいいかわからない。そこから先に進めない。

 聞いてしまえばいいのに、それができない。


(アルト様……わたしのこと、どう思ってますか?)


 平民の、なにも持っていないステラシアわたしを、第一王子あなたはどう、考えていますか?


 先を話そうとして口籠るアルトラシオンを、ステラシアはじっと見つめた。

 星を散りばめたような黒藍色の瞳と、銀混じりの紫の瞳がまつ毛の触れそうな距離で交じり合う。

 先に動いたのは、アルトラシオンだった。

 ほんの少し離れ、ステラシアの額に熱い口づけを落とす。


「……父上から、次の夜会に出るように言われている」


「夜会、ですか?」


「ああ。シェラリース領の魔獣討伐に対する報奨――まあ、要するに戦勝会だな」


「戦勝会……」


 鸚鵡返しに繰り返すステラシアに、アルトラシオンがクスリと笑う。

 硬い指先が、ほつれた髪を掬って耳へとかける。その仕草だけで、ステラシアの胸が高鳴ってしまう。


「魔獣が完全に根絶やしになったわけではないから、気が早いとは思うけどな」


 それでも、国王はきっとアルトラシオンが無事に戻ってきたことが嬉しかったのだろう。

 なんとなくそう思い、ステラシアは口元に笑みを浮かべた。


(アルト様は、愛されてるなぁ……)


 それがとても羨ましい。


「だから、ステラ」


「はい?」


「パートナーとして、連れて行くからな」


「……はい!?」


 目も口もあんぐりと開けたステラシアを見て、アルトラシオンが喉の奥でクツクツ笑う。

 契約の内容は、いまだ継続中のようだった。

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