バッドモーニング&グッドナイト

@myong

第1話

   この物語はフィクションです


   1 プロローグ


 ひどい雨の日の夜だった。

 土砂降りの中、傘を忘れた私は近道をしようと裏路地をかけていた。

 そこで酔っ払いに絡まれてしまったのは、忘れ物をした罰にしては重すぎだったと思う。

 むせかえるような不快な息のにおい。雨に濡れて冷たくなっていた体に触れる、生ぬるい手の感触に背筋が凍り付いた。

 悲鳴を上げる事も出来ず、カチカチと自分の歯が雨の冷たさと恐怖で鳴っていた。

 覚悟をする暇もなく、なんとなくああこれで私のつまらないなりに平穏だった人生は終わりなんだと思った。

 そこで雷が鳴った。

 私は情けない声できゃあと、ようやく悲鳴を上げた。

 次の瞬間、酔っ払いの体がくの字に折れて横に吹っ飛んだ。

「消えろ、クズ」

 低い女の声が私の耳に届いた。私は気づけば腰を抜かしていて、水たまりの中に座り込んでいた。

 すり減ったローファーの底面が私の目線の高さにあった。上げられた脚は真っ白なふとももの根元近くまで露になっていて、雨によって艶やかに濡れている。私は思わず呼吸を忘れて息を呑んだ。

 酔っぱらいは、どうやらこのひとに蹴り飛ばされたらしい。

 そして私は、助かったらしい。

「早く立って」

 手が差し伸べられた。しなやかな脚はすっかり隠れてしまって、膝上あたりにスカートの裾が落ちている。

 それは見慣れたプリーツスカートだ。つまり、私と同じ学校の生徒ということになる。肩にはよくあるボストン型のスクールバッグが下げられている。

「早く」

 鋭い視線に射抜かれる。たじろいてしまうようなつり目がちな眼。驚くほど長いまつ毛のうえに、雨粒が玉になって乗っている。私はそれを美しいと感じた。

 美しすぎると、感じていた。

「つかまって」

 濃いめの赤いリップに彩られた唇が動いて、言った。

 長い黒髪が雨に濡れて、力強く筆を払ったように揺れている。

 そんな姿に見とれているうちに、彼女はバッグを背中に回して、私を抱き抱えた。

「これにこりたらこんなとこ、ひとりで歩かない。いい?」

 私はなさけない声で、ひぃ。とどちらともつかない声で返事をした。


   2 ナナ


「はぁ。どこにいるんだろ」

 私は肩を落とし、視線を下げて、おおきなため息を吐いた。

 七月中旬。

 朝の通学路。

 あれから二週間。

 天気は私の気持ちとは裏腹に快晴だ。

 神奈川県を縦に走る京浜急行電鉄、横須賀中央駅から徒歩十分ほどにある女子高に私は通っている。

 梅雨の雨雲はどこへやら、すっかり日差しは年頃の乙女に牙を向くようになり、余計に気分は重くなる。

「アサカちゃんおはよう」

 右の耳から涼し気な声が聞こえた。ほんのりと気持ちが軽くなる。

 アサカとは私の名前で、朝香と書く。

「うん。ナナ、おはよう」

 私は声の主に向け、がんばって作った笑顔を返す。

 ナナは愛称のように聞こえるけど、そのまま奈々で可愛い名前だ。

 ふんわりとした肩口までのショートヘアは、きっと朝から気合を入れてセットしているのだろう。地毛が淡い茶色なのも素敵だ。

「……なんだか疲れてそう。また探してたの?」

 ナナが頬を膨らませて言った。怒っているつもりのようだけど、ただ可愛いだけなので反省するほどではない。

「いやー。見つかんないね」

 ナナには相談しているし、とくに隠すつもりもない。私はあれからあのひとを探している。登下校では行き交う生徒たちを眺め、休み時間には他のクラスを覗いたりと、あらゆる手を尽くしているつもり、なのだけど、

「うーん。夢でも見てたのかな」

「二週間も探して駄目となると、なんとも言えないね」

 鮮烈なまでに脳裏に焼き付いている彼女の美しさ。ひと目見れば間違いなくわかるはずなのに、どういう訳かいまだにその姿を見つけることができないでいた。

「先生に聞いてみるとか?」

「聞いたよ。超カッコいい黒髪ロングの子、紹介してくれませんかって」

「聞き方が良くなさそうだけど」

「まあ半分は冗談だけど、心当たりないって言うんだよ」

「となると、実は卒業生だとか?」

「あり得る! コスプレ趣味とかむしろあり!」

 私が興奮気味に答えると、奈々はわりと普通に引いていた。

「う、うーん。というかアサカちゃん、会ってどうするつもりなの?」

「え。告白するけど」

「展開が早いよ⁉︎ まずはほら、お礼を言ってお友だちになって、それから相手の様子をみたりとか」

「ヤダめんどくさい。惚れた相手がたまたま同性だったってだけだし」

「うーん。うちの学校だとそういうのも少なくはないみたいだけど……」

「お姉ちゃんの代からそうみたいだしべつに不思議じゃないでしょ」

 なんか世の中もそういうことに寛容になってるとか、まだまだそうでもないとか。

 それに、奈々には言われたくないという理由もあった。

「よし。わかった。そういうことなら、私もちゃんと協力するよ」

 うん。と奈々は大きくうなずいて、小さなにぎりこぶしをふたつ、肩の高さまで持ち上げた。

「マジ? なんか方法があるの?」

「せ、生徒会長に聞いてみようかなって」

 ぽっと白い頬を桃色に染めながら奈々は言った。

「……ちっ」

「舌打ち⁉︎」

「私をダシに憧れの生徒会長様とお近づきにってことでしょ? はん、色気づいてんじゃねーわよ」

「口が悪すぎるよ……⁉︎ それにアサカちゃんだって似たようなものだよね⁉︎」

「私のはラブだから一緒にされたくないんだけど、利用できるものは利用しておくことにする」

「提案してあげたのにひどい言われようだよ……。とにかく、会長は生徒全員の名前と顔を覚えてるから、力になってくれるはずだよ」

「へえ。それは使えそうね」

 生徒会長がすごくて権力があるなんて漫画の中だけの話だ。現実では地味で面倒な雑務と引き替えに、手軽に内申点を稼ぐことができるというだけ。

 なんて言ったら奈々は口を聞いてくれなくなるので、このあたりにしておく。

 ともあれ、我らが生徒会長様に完全記憶能力めいた力があるというのならそれを使わない手はない。


   3 生徒会長


「なるほど。お話はわかりました」

 と、件の生徒会長は小さく頷いた。

 昼休み。

 豪華な机と椅子の置かれた生徒会室……なんてものはやっぱりなくて、なんならここは工作室だった。

 こげ茶色のエプロンを制服のワイシャツのうえに着けた会長様は、手にした糸ノコをそのままに、ぽんぽんと木くずを払いながら微笑んだ。

「ええと、会長。それはつまり、心当たりがあるってこと……ですか?」

 奈々が普段よりも高いトーンの声で言った。がんばれ。ちょこちょこした動きがかわいいぞ。

「はい。私は彼女のことを良く知っています。それに、アサカさんが彼女を探していたことも」

「……」

 驚いたけど、私はむっつりと黙り込むことでそれを隠そうとした。とくに深い理由はないけど、なんか慌てるのは悔しい気がしたからだ。

「アサカさんは、どうして彼女を探しているのでしょうか?」

「愛です」

「アサカちゃん⁉︎」

「あの冷たい眼と、鼓膜を揺さぶる低い声、引き締まった脚に真っ赤な唇、濡れた黒髪。そして強さに一目ぼれしたからです」

 私がぴしゃりと言い放つと、会長は大きく目を見開いてから、くすくすと笑い出した。

「わかりました。彼女は、うちの学校の生徒で間違いありません。ただし、この時間には学校にいません。ヒントはこのくらいでどうでしょう?」

 いたずらっぽく微笑んだ。なるほど、場合によってはこの笑顔にころりと騙されてしまう気持ちもわからなくはない。奈々はそれだろう。ちょろいから。

「? 会長、ど、どういうことですか?」

 奈々があわあわとうろたえながら、私と会長の顔を見比べている。

 私は、すっと手のひらを奈々の前に出して言葉を止めた。

「ナナ、大丈夫。いまのでわかった」

「アサカさん。彼女のこと、よろしくお願いします」

「承知しました。ありがとうございます」

 私は深く頭を下げて、くるりときびすを返した。

 それから、ああ。と一度足を止めて、

「ナナ、私の代わりに体でお礼しといて」

「アサカちゃん⁉︎ もうっ! ありがとう!」

 奈々は激怒しつつ歓喜しているようだった。

 会長の趣味はよくわからないけど、昼休みのDIYをひとりでするくらいなのだからちょうどいいだろう。


   4 アサカ


「そろそろかな」

 放課後。まだ日が落ちきるには少し早い。

 私は適当に駅前のマックで時間を潰した。もちろんひとの流れを見逃さないよう、駅方面に向いたひとりがけの席だった。

 そうして再び、通学路へと足を踏み入れた。

「探し方を間違ってたってことか」

 答え合わせをしておくと、会長の言うように彼女はうちの生徒で間違いない。そしてなんと、コスプレ趣味という予想は半分正解だ。彼女は制服を着なくても良い立場にあった。

「定時制の生徒だったとはね」

 一般課程の生徒が下校した後、夜になると定時制の授業がはじまる。うちの担任が知らなかったのは、自分が受け持っていない生徒だからだろう。

 私は校内に残っている生徒を探し回っていたけど、部活がなければみんなさっさと帰ってしまいがちで、そちらは早々にあきらめてしまった。もちろん部活をやっている生徒は全員凝視してチェック済みだ。

 まあ、幸いなことに朝は苦手ではないし、ゴールは学校と決まっているから逃げられる心配もないと踏んでいたこともある。それを奈々に話したらすごい顔をしていた。

 まだ少し早い時間だろうけど、何度も往復していればきっと、

「……見つけた」

 なんとあっさり、その後ろ姿を認めた。

 横須賀中央駅の近くに多くある、カレー屋さんのひとつを通り過ぎたあたり。たしか戦艦をイメージしたメニューがたくさんあるお店だ。そういうゲームが流行ったときに有名になったとか。店員さんのメイドっぽい衣装がかわいいとも聞いた。横須賀には戦艦三笠もあるし、海軍カレーも有名だからだろう。

 通学路に沿っているそのお店の近くを、彼女は広い歩幅で歩いていた。脚が長い。

 夕日を浴びて艶を放つ長い黒髪。白い手足はすらりと伸びて、膝裏が見えるくらいの丈のスカートがゆるく波打っている。半そでシャツから覗く二の腕は細いだけではなく、しなやかな筋肉がついていることがわかる。背中にはボストン型のスクールバッグ。

(かっこいい……)

 私はうっとりとその後ろ姿を目に焼き付ける。

 とはいえ驚きはしなかった。会長の言葉を信じていたということよりも、ヒントをもらうまで考えつかなかったことが悔しかった。できれば自分の力で探し当てたかった。

 それでもいまはただ、再会を喜びたい。

 歩道を直進で結ぶ短い横断歩道。青信号が点滅し、彼女は足を止めた。私も距離を置いて歩みを止める。

 正直なところ、私は怖じ気づいていた。奈々には大層なことを言っておきながら、本人を目の前にしたら胸の高鳴りが激しくなる。緊張しているのだ。

 普通に考えたら見知らぬ女からいきなり告白されてどう思うだろうか。いやまあ間違いなく迷惑だろう。

 今日のところはその存在を確かめさせていただいたということで、このまま帰ろうか。

 と、彼女が足を動かした。まだ信号は赤色のままだ。右に曲がり、路地に入っていく。

「……っ」

 見失ってしまう。私は彼女が消えた先へと、いそいでかけだした。

 曲がった先に姿がない。動悸が激しくなる。全力で路地を走って、横道があるたびに目を向ける。

 ドン!

「ひゃっ⁉︎」

 三つ目の横道にさしかかったところで、ぐるんと景色が目まぐるしく変化して背中に衝撃があった。


「……うちの制服?」


 夢にまで見た(聞いた?)あの低音が耳もとで響く。

 が、私は背中を強く打ちつけたせいで呼吸もままならない状態だった。

「誰の差し金? 彼氏とかに復讐しろって頼まれた?」

 よくわからないまま、私は必死に首を横に振り続けた。両肩が壁にめり込みそうな強さで押しつけられている。

「あっ……」

 ようやく出せたのは情けない声。彼女が私の身体を撫で回すようにまさぐっているのだから仕方がない。

「凶器もなしで私に勝てると思った? いや……」

 ほとんど抱き合っているような距離。柔らかな髪が鼻に触れ甘い香りでいっぱいになる。いっぱいいっぱいでもあるかも。

「……思い出した。あのときのバカ女」

 ぱっ、と。

 途端に解放されて、私は膝から崩れ落ちそうになる。

「何してるの。あんたに恨まれる覚えはないけど」

 ふらつく私の胸の下あたりに手を出して、体を支えながら彼女は言った。

「す……」

 私は強くせき込みながら、どうにか彼女の顔を見上げる。

 鋭い目つきに濃い赤のリップ、長いまつげはあのときのまま。細い眉だけが得体の知れないものを見ているように歪んでいる。

「好きです!」

「……。……そう。サヨナラ」

 彼女は私の身体から手を離した。

 べしゃりと前のめりに倒れかけるのを、一歩強く踏み出して耐える。ここまでやってしまったからには簡単に折れてなるものか。

 すでに彼女は来た道を戻ろうとしていた。

「ま、待って! 好きっていうのは嘘じゃないけど、あのときのお礼を言いたくて!」

 私は叫びながら追いかける。

「それが嘘であって欲しかった。お礼は聞いておく。ついてこないで」

 すたすたと歩く彼女の背中が告げた。すさまじく迷惑そうだった。

「嘘じゃない! ありがとう! 追いかけない!」

 言われたことのすべてに私は答えた。

「あ。あとバカだけどバカ女は止めて! アサカっていうの!」

 そこまで言うと、なんと彼女は足を止めてくるりと振り向いた。

 夕日も暗い影となる路地に、ついたばかりのわずかな街灯の光。そこにたたずむ彼女はやっぱり美しかった。

「……サヨ。私に関わらないで」

 サヨ、とはサヨナラという意味ではないらしい。

 名前だ。

 なるほど、さては私のことが好きになったのかもしれない。

「サヨ、さん」

 私はシャッターを切るように、まばたきを何度も繰り返した。

「サヨナラ」

 今度は間違いなく別れを告げるそれらしい。長い黒髪の毛先と、スカートの裾がふわりと舞い踊る。

「……」

 私はぐっと追いかけたくなる衝動を抑えた。

 姿が見えなくなるまで待ってから、私はゆっくりと歩き出す。前途多難ではあるけど、名前を知れたのは前進だ。十歩は進んだ。

 元の信号のあった道まで、とぼとぼ歩いて戻る。

「?」

 彼女が横断歩道のところに立っていた。信号は、赤。

 横目で私のほうを見るのがわかった。なんとなく気まずそうな顔をしてる気がする。美人だ。

「ええっと……」

「信号待ち」

「はい?」

「信号待ちしてるだけ」

 律儀なひとだった。

 それなりに格好良い感じで別れたのに、こうなるとお互いにバツが悪いと言わざるを得ない。

「は、はあ。サヨさんは、そのう、真面目なんだね」

 サヨさんは不快そうな顔を私に向けた。多少歪めていても顔がいい。美人だ。

「信号を守るなんて当たり前。ルールを守れないようなクズは死ねばいい」

 口の悪い美人は素敵だと思いませんか。私は思う。

「だからウリをするようなヤツも嫌い」

 軽蔑するような視線が突き刺さる。決して悪い気分ではなかったりするけど、聞き慣れない言葉の意味がわからず、私は首をかしげてしばらく考えをめぐらせた。

「? ……? ……うん?」

 ウリ。

 売り。

(……売春?)

 あの夜、私は酔っぱらいに絡まれていた。ただし、それを客観的に見たらどうなるか。

「ちっ、ちがうからっ⁉︎ してない! そんなことしてないっ!」

「気が多いみたいだからあまり信用できない」

 そうくるか。奈々の言っていた通り、展開を急ぎすぎた。

 とはいえ、ここを勘違いされたまま発狂せずにおふとんで一晩過ごせる自信がない。

「してないし気も多くないっ! あのときのサヨさんがステキだったから——」


「サヨ! 見つけたぜ! 今夜こそ、そのイカしたツラかしてもらおうじゃあねえか!」


 突然、地鳴りのような男の声が響いた。

「……サイアク」

 サヨさんが深いため息をつく。同時に信号が青に変わる。

「走って」

「へ?」

 ぎゅう、と。サヨさんが私の手首を掴む。そのあたたかさにうろたえるヒマもなく、肩から先が抜けてしまうような勢いで引っ張られた。

「あ! 待てこのカワイコちゃんめ!」

「キモい。死ね」

 サヨさんはあいた手の中指をおっ立てながら男に言った。キモいという発言には完全に同意する。

 視界の端に見えた男は、サヨさんの三倍は肩幅がありそうな学ランの大男だった。その後ろには、何人もの学ランの生徒を引き連れている。

「あ、あいつはっ⁉︎」

「あんたと同じ。私のことが好きだって」

「はあ? サヨさんは私のなんですけどっ⁉︎ このコスプレゴリラ! 私のサヨさんに手ぇ出してんじゃないわよ!」

 私は後ろに向かって叫んで、中指を立てておく。

「……置いて行こうか」

「いやんサヨさんってばジョーダンうまーい!」

「あんたと一緒にいるのを見られた。とりあえず巻かないと」

「はーい! 一生ついてきまーす!」

 サヨさんは頭を横に振って、深いため息をついた。私が一人で走れると判断したのか、その手から力が抜ける。私はその隙を逃さずに、手を手を絡め合うように握り直した。

 その手のひらの感触は筆舌に尽くしがたく、なによりもサヨさんのものというだけでとても興奮した。

「あんたね」

「ごめんなさい! でもこうなったからには、また守ってくれるよね!」

「……やっぱりバカ女だった」


   5 サヨ


「あー。しんどい」

 私は夜の黒い海を見ながらつぶやいた。

 横須賀の街を走り続けて、三笠公園という広場までたどり着いた。戦艦三笠が保存されている観光スポットだ。

「奴らは近くの工業高校の不良グループ。さっきのがリーダーのカイ。あいつをボコしたら、つきまとわれるようになった」

 サヨさんは近くにあった売店で買ったらしいペットボトルのキャップをパキリと開きながら言った。

 話していたのは、二駅隣にある工業高校のことだろう。共学ではあるけど女子は数えるほどしかいない、実質男子校みたいなところだ。

「ボコした、って、なんで?」

 私は息も絶え絶えに、ベンチに腰掛けている。近くには噴水があるけど、夜の間水は止められているらしい。

「タバコのポイ捨てしたから」

 わずかに上を向き、飲み口には触れず注ぐように水を飲む。白い喉が脈打つように動くのを見て、私もごくりと喉を鳴らした。

「はい。飲みな」

 ぽいと投げ渡されたボトルを受け取る。

「いいの⁉︎」

「冷たいうちに飲みきれないのはもったいないし、荷物になるから」

 とにかく私は口をつけて飲んだ。飲み干す自信があったし、サヨさんからの初めてのプレゼントを逃す手はない。口がつけてあれば少しはためらったかもしれない。

 ほう、と私は喉を潤してから息をついて、

「あんな大男、どうやって倒したの?」

「不意打ちなんてしてない。ポイ捨てすんな臭い死ねって言ったのに反省しないから、顔面につま先を入れた」

「あー。サヨさん足長いから」

 納得したように手を打ってみたものの、普通に暴行だった。言うまでもなく犯罪である。

 だけど、その容赦のなさに助けられ、その強さに惚れてしまったバカ女がここにいる。

「たまたまカイ? って男がバカで良かったけど、いつか捕まっちゃうよ?」

 あいつはバカそうで、私と同じくサヨさんに惚れたクチらしい。乱暴を働くつもりなら私が通報してやる。

「心配してくれてるならありがとう。でも私はこのやり方を変えるつもりはない」

 サヨさんは表情を変えずに、小さく上げた手のひらをぐっと握りしめる。

「ひとに迷惑をかけるバカどもがいる。法が奴らを見逃しても、私が赦さない。誰かがやらなきゃいけないなら、私がやる」

 その美しい横顔は決意に満ちていた。

 つまり、悪人を断罪するために自ら悪人になることをいとわない、ということ。

 普段は信号を絶対に守るようなひとが、必要悪になることを選んだ。

「……ごめん、サヨさん。やっぱり好き」

「その気持ちはドブにでも捨てて。いまだけは守ってあげるけど、二度と私に関わらないで」

「うん。わかってる」

 いまの私じゃサヨさんとは釣り合わない。容姿はもちろん、その覚悟と強さは果てしなく遠いところにある。

「泣くほどのこと?」

「え」

 気づけば私の頬は涙で濡れていた。

 悔しい。約二週間、私はただただ彼女を探していた。会って気持ちを伝えればどうにかなるなんて、おこがましいにも程がある。

 彼女は私が思っていたよりもずっと純粋で、極端な正義感から悪であることを選んでしまうようなひとだった。

 そして私は、足手纏いにしかならないお荷物だ。

「サヨさん。もし——」


「ここにいたかサヨ! さあ! オレと勝負してもらうぜ!」


 カイとかいう男の声が私の声を遮った。

 サヨさんがため息をついて、立ちあがろうとする私の肩を押さえた。

「わかった」

 短く返事をして、サヨさんがカイと対峙する。

「そうこなくっちゃな! 約束だ。オレが勝ったら、オレのモノになってもらう!」

「それでいい。かかってきなよ」

 サヨさんの冷めた返事を聞いたカイが、にやりと笑った。

 体格差はあきらかだ。どう見たってサヨさんのほうが不利に決まってる。

 カイが二つの拳を固く握って構える。ボクシングのようなスタイル。一方のサヨさんは、ぶらりと両手を垂らしたまま直立してる。

「あんときは油断してた。お前に言われてヤニ吸うのもやめた。負ける理由はねえ」

「ゴミのポイ捨ては?」

「当然、もうしねえ」

 カイは笑っていなかった。まるで試合に臨むスポーツ選手のような真剣な顔をしてる。

 対して、サヨさんは薄く微笑んだように見えた。

「いくぜ!」

 カイが腰を下げ、あげた両手をそのままに走り出した。大きなイノシシが突進してるよう。

 サヨさんを間近に捉えたところで、右の拳を頭の後ろまで引いて、思い切り突き出した。

 それが彼女の小さな頭めがけて飛んでいく。

「悪くない」

 初めて聞く、サヨさんのどこか嬉しそうな声。

 ぐにゃり、と。

 サヨさんが後ろに倒れるように上体を曲げた。新体操の選手がするように、そのまま倒れながら手をついて足を大きく振り上げる。その回転の中心は背中のバッグにあるようにも見える。

 そしてローファーの爪先が、迫っていたカイのアゴに直撃した。

「……!」

 悲鳴をあげるヒマもなく、ぐるんと白目をむいて大男は前のめりに倒れた。

「約束は約束。あんたのチームはこれからゴミ拾いのボランティアをすること」

 とん、と靴を鳴らしてサヨさんは長い黒髪を払った。

「えぇ……。勝っちゃった……」

 周りに集まってきていた不良グループがざわめき出す。

 リーダーやられちゃったよ。ゴミ拾いとかマジ勘弁。実はリーダー弱かったんじゃね。

 はぁ。サヨさんのため息が夜の三笠公園の空気をキレイにする。

「あんた、逃げる準備して」

「え? だって、勝負はサヨさんの勝ちじゃ……」

「リーダーのあいつは多少マシになってたけど、こいつらはバカの集まり。どうせ次の展開は決まってる」

 言って、サヨさんはまた私の手を掴んで走り出した。

 逃げたぞ! 捕まえてヤっちまえ! あの女もだ!

「ほらね」

「勉強になった!」

 公園は見通しが良い。チームの奴らは十人くらいいた。サヨさんひとりならともかく、やっぱり私は足でまといでしかない。

 悔しさで奥歯を噛んでいたら、サヨさんの走る方向が思っていたのと違うことに気づいた。

 戦艦三笠にまっすぐ走っている。

「まだ営業時間中でよかった」

「マジで⁉︎」

「大丈夫。さっき入場券は二人分買っておいた。高校生は三百円」

「後で払うね!」

 初めてのデートが戦艦見学とは洒落てるかも。

 大きな艦体が近づく。わきにある階段をカンカンと鳴らしてのぼる。

 受付の窓口が階段の上にあった。サヨさんは人差し指と親指で挟んだ二枚の入場券をかざし、早足で抜けていく。

「後ろからくる奴ら、お金払わなかったら通報してください」

 なんとなくよそ行きっぽい声でサヨさんが言った。

 ルールを守る女。さすがだ。

 戦艦三笠には小さい頃に連れて来られたような覚えがあるけど、それほど興味もないからほとんど覚えていない。戦艦としての機能はもちろん失われていて、中も観光用に改装されている。

 甲板に乗り込んだ。何メートルもある主砲と、順路と書かれた看板が目についた。

「あんた、これに履き替えて」

 サヨさんが、すらりと伸びた脚からローファーを外して言った。紺色のソックスで隠れているけど、足先の形まではっきりとわかる。なんかえっちだ。

「! そういう趣味⁉︎ も、もちろん受け入れるけど……」

「バカ。それ、安全靴」

 よくわからないまま、私も靴を脱いで交換する。サイズは同じだった。背は高いのに小さいのか。

 見た目に反して、サヨさんの靴は重たい気がした。

「つま先に鉄板が入ってる。履けばそれほど気にならない」

「なるほど!」

 というか、さっきもあの夜も、これで蹴飛ばしていたのか。長い足を大きく振るように当てていたので、かなりやばい威力になるような。

「いたぞ!」

 早速、追っ手が来たらしい。

「船内に入る。ひとりずつなら問題ない」

 平日の夜ということもあって、一般客の姿はない。

 金属の扉のところで私を先に進ませてから、サヨさんは扉のわきに姿を隠した。

「ひとりだ! 捕まえるぞ!」

 頭の悪そうなふたりが、縦に並んで走ってくる。

 私は後ろを気にしながら速度を落とす。

「単細胞は消えて」

 タイミングを見計らっていたサヨさんが飛び出し、胸に膝蹴りを当ててひとりを倒した。呼吸がうまくできずにビクンビクンと痙攣してる。

 その様子を見て怖気付いたふたり目に、扉の上にあった突起を掴んで懸垂の要領で体を高く上げて、両足をそろえてまた胸を蹴り付けた。似たような反応で甲板に転がる。

 強い。身体能力がずば抜けてる。

「行くよ」

「うん!」

 差し伸べられた手を、私は喜んで握り返した。

「……悪いけど、私はあんたの思ってるような女じゃない」

「ううん! ちょいワルでも私は全然大丈夫!」

 船内を走る。いろいろな展示パネルがあったり、壁に開いた窓には大きな銃のようなものが据え付けられていたりする。

「ちがう。めちゃくちゃしてるけど、好きでやってるわけじゃない。普段は真面目なフリをしてるし、友だちもいない」

「? だから?」

「あんたが悪い奴に惚れやすいのか知らないけど、それはお門違い。何度も言うけど、あんたをずっと守ってやれるわけでもない。だから二度と私に——」

「いたぞ!」

 順路を逆走してきたらしいヤツらが前からやってきた。三人。

 サヨさんは小さく舌打ちして、近くの部屋にすべり込んだ。

「この部屋は監視カメラがない。ここで倒す」

 展示の大砲が壁に突き刺さってる部屋。私の手を離して、かけ込んできたひとりを鞭のようにしならせた脚技で瞬殺した。

 私はケンカの邪魔をしないように、前のほうへと進む。

「バカ! そっちはダメ!」

「えっ」

 気づいたときには遅かった。前にも扉があって、そこからひとりが躍り出てきた。

「こっちはザコだ! 捕まえ——」

「な、なめんな!」

 私は安全靴のつま先で、失礼なことをいう輩の股間を蹴り上げた。

 声にならない声をあげた不良は、泡を吹いて膝から崩れ落ちていく。

 その後ろからやってきたもうひとりが顔を青くさせているうちに、サヨさんがさらにその後ろから迫り、長い腕を首に巻き付けて締め落とした。やっぱり容赦がない。

「悪くなかった」

「っ、あはっ」

 笑顔。柔らかく微笑むその笑顔に、私の心臓はたぶん何秒か止まっていた。

 ダメだ。いまので完全に私はこのひとの虜になってしまった。

 そしていまになって、襲われそうになったことに震えてくる。それがどうしようもない事実として、私の気持ちを折ろうとしてくる。

 いまはどうにかなった。でも次は? いつか私のせいでサヨさんが怪我をしたり、取り返しのつかないことになったとき、なんて謝ればいいのだろう。

 ただ好きというだけでこのひとの隣に立つのは、きっと許されない。

「ぼうっとしてない。行くよ」

「……うん」

 きっとこの手を握るのは最後になる。そんな予感を抱きながら、私は彼女の手を取って走り出す。

 このひとは監視カメラの位置をすべて把握していて、相手をなるべく傷つけずに張り倒している。仕返しされることもわかったうえで手加減をしているのだ。きっとそれを優しさと捉えたのがあのカイとかいうバカで、弱い女だからと守ってもらえて勘違いをしたバカが私だった。

 サヨさんは孤独を望んでいて、私なんかは必要ない。

 そこから先は、順路に沿ってサヨさんが不良を叩きのめしていった。

 船内から再び甲板に出る。出口は近い。この角を曲がれば、

「! 待って!」

 サヨさんがひときわ大きな声で言った。

 ヒュン、とあと一歩進んだ先に鋭い光を放つものが振り下ろされる。

「へ、へへ。ここでお前をやれば、おれがリーダーだ」

 血走った目の不良が、平たい金属の板のようなものを手にしている。

「うそ……」

 私は恐怖ですくんでいた。それは大きな刃物だった。刃はふぞろいだけど、そのせいで余計に恐ろしく見えた。

 ふん、とサヨさんが鼻を鳴らした。

「刃渡り六センチをこえるものは銃刀法で禁止されてる。バカだから知らないだろうけど」

「うるせえ! 血を見せてやる!」

 不良は興奮しきっているようだった。頬をひくつかせて笑っていて、刃物を持つ手も震えてる。

「実習で使うグラインダーで、ステンレスの板を削っただけのナマクラ。工業科のバカが考えそうなゴミ」

「サヨさんってば!」

 挑発を続けるサヨさんに、私は泣きそうな声で叫んだ。

「こ、このアマ!」

 不良が頭の上まで刃物を振り上げて襲ってくる。得意の脚技で防ぐにも、安全靴は私が借りてる。

「一般常識もないクズ」

 怒りのこもった声とともに、サヨさんは前に踏み出した。

 刃物が振り下ろされる。このままだと頭に直撃する。

「いやっ……!」

 ガツン。にぶい音が響く。

 けど、サヨさんの頭は無事だった。なぜか刃物のほうが跳ね返されて、不良の頭の後ろへ飛んでいく。

 よく見たら、サヨさんの左手になにかがあった。黒い棒のようなものが逆手に握られてる。

「折り畳み傘……⁉︎」

 サヨさんは深くしゃがみ込んでから、飛び上がるように不良の喉元に折り畳み傘を突き立てた。

 なにかが潰れたような声を発し、不良は卒倒した。

「カーボンファイバーの特別製。そんな太刀筋じゃ通らない」

 折り畳み傘をバッグにしまって、不良を見下ろしながら呟いた。ちょっと自慢げに見える。可愛い。

 ついに出口にたどり着いた。

 そこで待っていたのは、

「待て、サヨ!」

 カイの声が夜の空を裂いて届いた。悔しいことに声を覚えてしまった。

「すまねえ! チームの連中が迷惑かけたのはあやまる。だが、オレはお前をあきらめられねえ。もう一度、もう一度やらせてくれ」

 さっきのダメージがあるのかないのか。見た目通りかなりタフなようだった。

 もう何度目か、サヨさんのため息が聞こえた。

「何度やっても無駄。……ただ、あんたが良い方向に変わってるのは認める」

 ふっと笑った。驚いたことに、その笑顔が自分以外に向けられて嫉妬してる私がいた。すぐにでも割って入ってつま先で蹴飛ばしてやりたくなる。

「けどあきらめて。私、この子のことが好きなの」

 ふわり、と。

「「⁉︎」」

 私とカイはきっと同じ反応をしたと思う。

 サヨさんに腕を引かれ、顔と顔が触れる距離まで近づいた。長いまつ毛が私のまつ毛と絡み合いそう。瞳の奥に吸い込まれてしまいそう。

(勘違いしないで。あと動いたら殺す)

 囁く声と吐息で頭がおかしくなりそう。

 私はぱちぱちと瞬きを繰り返して返事をする。きっとカイの目には、私とサヨさんが唇を重ねているように見えるだろう。

「それじゃ、サヨナラ」

 私の顔をひっぺがして、サヨさんがカイに言った。見れば膝をついてうなだれている。さすがにかわいそうになってくるけど、ここまでされればあきらめてくれるかもしれない。私だったら発狂する。ご愁傷さま。

 出口を抜ける。もう誰も追ってくる気配はなかった。

 早足で三笠公園を後にする。サヨさんは横須賀中央駅まで送り届けてくれた。でもきっと、定時制の授業は遅刻だろう。

「あの! 名前……」

「? サヨだけど」

 駅前にあるデッキ。汗ひとつかいていないサヨさんが、微風に髪をなびかせる。

「どういう字、書くのかなって」

「……小さいに、夜。難しくなくて、悪くない」

 小夜。

 小夜か。

「あんたは。アサカってどう書くの」

「あ。え。覚えててくれてたんだ」

 ずっと名前は呼ばれていなかった。

「そういうのいいから」

「朝に香りで、朝香。どうかな?」

 サヨさんはくすりと微笑んで、

「悪くない。それじゃサヨナラ、朝香」

「うん。……サヨナラ、小夜さん」

 胸が強く締め付けられる。去っていく背中を追いかけたくなる。でもこれから授業に向かう彼女に、これ以上迷惑をかけてはいけない。だって彼女は、人一倍ルールに厳しい真面目な生徒なのだから。



   6 エピローグ


「フロア入ります」

 平日。昼過ぎ。

 夜の登校時間までは時間がある。私はいつものようにバイト先に出勤して、来店してきたばかりのお客のところへ注文を取りに向かう。

 観光客がちらほらとやって来る以外は、それほど忙しくはない。厨房は店長がやっているし、私は淡々と仕事をこなすだけでいい。

 手早くお冷やを用意して足ばやにテーブルへと向かい、貼り付けたような笑顔で告げる。

「いらっしゃいま、せ……」

 が、私の笑顔はそこで凍りついた。

「あー! ほんとにいたー! 小夜さーん! 注文お願いしまーす!」

「……朝香。なにしてるの」

「? ここでバイトしてるって会長が教えてくれて。あ! 大丈夫だよ。今日はテストで、午前で終わりだったから!」

「あいつ……」

 あの会長は、昔の友人だ。

 子どもの頃からいくつか同じ習い事で出くわしていたし、いまでも私のことを変に気にかけてくる厄介者でもある。

 そして、いつか守ることができなかった誰かの友人だ。

 私がこうして生きるのを決めたことに反対もせず、定時制に通ううえでも協力してくれている。

 あの安全靴や折り畳み傘も、会長が趣味で自作して提供してくれたもの。

「はい。安全靴、返すね」

 考えを見抜かれたようなタイミングで、朝香が可愛らしい袋に入れたそれを取り出してくる。

 私は黙ってそれを受け取った。忘れていたわけではなかった。他人のローファーを預かりっぱなしにしているのは、私の中でおさまりが悪くて仕方がなかった。それでもこちらから出向くよりはマシだと思っていた。

「また来るから。私のを返すのはそのときで」

 またしても考えを見抜かれたようで気分が悪い。というか来るな。

「……それで、注文はナンニナサイマスカ?」

「あっはは。棒読みだー。それじゃこの島風カレーをお願いします」

 朝香が指さしたのは、看板メニューでもあるものだった。駆逐艦島風型1番艦をモデルに、五連装水上発射管を三つ並べたイメージで、十五本ものソーセージがご飯の上に並ぶことになる。

「こちらは量が多いのですが……。食べ切れるの?」

「うん。小夜さんが持ってきてくれたものなら絶対残さないからヘーキだよ」

 と、お冷やを置く私の手に、その手を伸ばしてくる。

「お客様。当店はそういったサービスはしておりません。……触ったら殺す」

「わお! ごめんなさーい」

 まったく悪びれた様子もなく笑っている。

 鋭く睨みつけてから一旦厨房に戻って、オーダーを通す。

 他に客はいないのと、朝香の声が大きかったせいで店長に友だちだと勘違いされてしまった。

 サラダと牛乳を先にテーブルへ持っていく。海軍カレーには欠かせない付け合わせだ。

「美味しそう! あと、その衣装最高! 写真とか……はダメだよねぇ」

 じろじろと視線が浴びせられるのがわかった。

 この店の衣装もわりと有名だった。

 黒のメイドワンピースの制服。

 白いシャツに、腰には短い白のエプロン。ヒールの低い、足の甲のあたりが開いている靴。白のカチューシャに合わせてなんとなくポニーテールしている。

 にやにやする朝香の目を潰してやりたくなるのと同時に、隙を見せてしまった恥ずかしさで死にたくなる。

「メガネも似合ってますね」

 うふふと笑う朝香。私が拳を固めたことに気がついたのか、ひえと短い悲鳴をあげて震えている。

 太い黒縁の伊達メガネまでかけている。なのに気づかれた。

 外でかなりの悪さを繰り返している私は、十分に変装をしたうえでここに入り、わざと少し目立つメイクをして学校に通っているというのに。

「二度と関わらないでって言ったでしょ」

「なので、まずはお客さんとして関係性を築いていくことにするね!」

 私は頭を抱えて、深い深いため息をついた。

「もういい。島風カレー、残したら殺すから」

「うん! 死んでも食べ切るね!」

 朝香はまぶしいくらいの笑顔で、そう答えた。


   おしまい

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