第16話 綾香、朝帰りの純を叱りつける

 彼女は自分のマンションへ帰らなかった。

午前一時、花見小路の地下酒場に純の姿が在った。強烈なロック音楽に合わせてディスコ族が躍っていた。中には、踊らないで抱き合ったり、キスしたりしている連中も居た。身も心も揺さぶるリズムの中で、全てを忘れようとでもするかのように純は踊り狂った。

 その夜、純からの電話は無かった。綾香と純は互いの安否を確認の為に、毎晩、就寝前に電話をし合うことになっていた。これまで、仮令、出張や旅公演などで遠く離れていても、電話を欠かすことはお互いに無かった。午後十二時を回った時点で綾香は純の携帯に電話を入れた。「ただ今、電話に出ることが出来ません・・・」の着信音が返って来た。彼女は改めてマンションの固定電話にも架電したが、「ただ今、留守にしております・・・」の留守電になっていた。

どうしたのだろう?何かあったのかしら?・・・

綾香は取り敢えず午前一時を廻るまで起きて待って居た、が、電話のかかって来る気配はなかった。

 翌日、綾香は仕事の合間を縫って幾度と無く純に電話を入れたが、その度に着信音と留守電の知らせが返って来るだけだった。

 仕事を終えた後、彼女は川端二条の純のマンションへ行ってみた。互いに合鍵を持ち合って居たので部屋に入ることは直ぐに出来たが、純が部屋へ帰っている様子は見られなかった。

 十二時・・・、一時・・・、三時・・・、五時・・・綾香がうとうとと転寝をした午前六時を回った辺りでドアの開く音がした。綾香がハッとして眼を開けると、足元の覚束無い純が帰って来た。綾香はほっと安堵の思いを胸に抱いたが、純の思いがけない姿を見て心が混乱した。

「何処へ行っていたの?純。もう朝じゃ無いの」

「嫌になったの、わたし・・・」

純はそう言って野菜籠に入って居たトマトを掴んだ。

「何かあったのね?」

綾香はぐっと気持ちを抑えて訊ねた。

「在ったらどうだって言うのよ!」

純ががぶりとトマトに齧り付いた。

綾香は情けない妹の姿に思わずカッとなって怒鳴った。

「純!坐りなさい!」

純がだらしなく崩れ、ゴロっと横になった。

「純、そのザマは何?」

「フン」

鼻の先で嗤った。

「女の娘がそんなだらしの無いことでどうするの?」

「どうなろうと私の勝手でしょう」

「一体どうしたの?取り返しの着かないことになったらどうするのよ!」

純が高らかに笑った。

「ハッハッハッハ!」

「もう女優なんか止しなさい!」

「詰まらないお節介は沢山よ!」

純はトマトを綾香に投げつけて立ち上がった。

「純!」

綾香は力任せに純を浴室に連れ込んで、冷たいシャワーを彼女の頭に浴びせた。

「何するのよ!」

純はずぶ濡れの顔を上げて叫んだ。

「姉ちゃんこそ何よ!貞女みたいな顔をして、こそこそやってないで、堂々と早く結婚でも何でもしたらどうなのよ!」

胸にドキンと来た綾香が震える声で訊ねた。

「それ、どういう意味?」

「自分の胸に聞けば良いわ・・・厭らしい、目障りよ!」

純はふらつく足で立ちあがった。

「さあ、もう帰ってよ、わたしはこれから寝るんだから」

後も見ずに純はベッドルームへ入って行った。

その背中をじっと見送りながら綾香はハッとして、背中に冷たい刃を突き付けられたように感じた。彼女は逃れるようにして純のマンションを後にした。

 

 その日の夜、謙二はマンションで綾香にコーヒーを煎れて差出した。

「純ちゃん、知ったんだよ、僕達のことを・・・」

綾香はじっと考え込んで返事をしなかった。

「他に考えようが無いよ」

「・・・・・」

綾香は大きく吐息を吐くとハンドバッグを掴んで帰ろうとした。

「帰るわ、私・・・」

謙二は彼女の傍へ寄って、言った。

「いつまでも隠して置けるものでもないだろう?」

「あなたは私なんかよりも、もっと若くて綺麗な人と・・・」

「あなたは不正直だよ、素直でないよ。僕が純ちゃんに逢って、話を着ける!」

洋服ダンスの方へ行きかけた謙二の前へ廻って、綾香は必死で拒んだ。

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