第2話 社長夫人の綾乃、中野優香を詰問する

 京呉服「たつむら」の社長夫人龍村綾乃は、京都の木屋町三条を一筋下がった小態な料亭の一室で中野優香が来るのを待って居た。

程無くして襖が開き、優香が姿を見せて敷居際に手を突いて座った。顔色が少し蒼いようだった。

「此方へ入って頂戴」

綾乃が促すと、優香は前へ進み出て、食卓を隔てて綾乃と向き合った。

「歯に衣着せずに言わして貰います。“七時にいつもの処でお待ちしています”、あのメモは一体どういうのですか?」

「・・・・・」

優香は俯いたまま何も言わなかった。

「こんなことは今度が初めてと言う訳や無し、あの人の持病みたいなもんやさかい、あたしは慣れっこで、格別びっくりしている訳でも無いんですよ」

優香の唇の端が微かに震えた。

「今までの例でも、直ぐにカッとなって、直にケロリとして、拍子抜けするような終わり方をするんです。でも、あなたは素人のお嬢さんやし、あたしも責任を感じますからね」

「わたくし・・・」

優香が低い声で言った。

「メモなんかお渡ししなければ良かったんです」

「メモなんかの問題じゃないでしょう!」

綾乃が声を高くした。

「肝心なのはあなた達の関係でしょう!」

「でも・・・わたくしが軽率だったんです」

「・・・・・」

「直ぐに破棄して下さいって言ったんですけど・・・」

「破ったって、捨てたって同じですよ。証拠が無くなれば良ぇという問題じゃないでしょう!」

「でも、奥様の眼に触れなければ、そんなにお気持を傷つけなくても済んだんです」

「真実のことを言うと、もうあたしはあの人に愛想を尽かしているのよ。何処が良いんですか、あんな人・・・」

「仕事をしていらっしゃる社長さんしかわたくしは知りません。仕事に打ち込んで居らっしゃるあの方は素晴らしい方です」

「えっ?」

何を言っているの、この人は?という貌で綾乃は優香を見やった。

「あんな魅力的な頼もしいお方のお傍で働いて居たら、誰だって尊敬するし愛情を抱くようになると思います」

「それじゃ・・・それじゃ、あなた、高之と結婚すれば良いわ、いつでも熨斗付けて差し上げますから」

「そんなこと、考えたこともありません。社長さんがわたくしのことを心にかけて下さっているとしても、奥様やお子様を愛されるお気持とは全く別のところで考えていらっしゃるんだと思います」

「まあ・・・」

綾乃は呆れかえったような眼で優香を見詰め、蹴るように座を立って部屋を出て行った。

 社長夫人と入れ替わるように二人の仲居がお盆に料理を乗せて入って来た。

「これは?」

「はい、龍村様からのご注文でございます」

並べられた一人分の料理を眺めて優香が言った。

「おビールを一本、頂けます?」

「畏まりました」

優香の胸に、腹を据えたような、居直ったような感情が湧き上がっていた。

 暫くして、優香は会社を辞めて東京へ移住した。が、それは全て社長の高之が取り計らったことであった。東京の日本橋には「たつむら」の支店が在った。

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