第1話 王子と外戚と傭兵(1)

「……間違いねえ。あの船だ」


 夏の湿気をたっぷりと乗せた生ぬるい潮風が鼻孔をくすぐる。遠い異国の潮の匂いはやはり故郷のものとは違うな、と頭の片隅でどうでもいいことを考えながら、仲間の声に気づいた藤真は我に返った。


「おい、聞いてんのか藤真。あの船に間違いねえって言ってんだよ」


「あ、ああ……すまぬ景佑。やはりあの中に捕らわれているのか」


 色白の細く端整な美貌を呆れ顔で歪ませながら、阿辻あつじ荘左衛門しょうざえもん景佑かげすけは港の埠頭の片隅に積み上げられた大きな木箱の山に片手を突き、体重を預けてわざとらしく嘆息する。


「ったく、人手が足りねえから応援に呼んだってのに、しっかりしてくれよ藤真。さては毎日あの王子様の世話を焼くのでお疲れか?」


 浴びせられた皮肉をいまひとつ理解できていないまま、藤真は右の頬に走った古傷を指で掻きながら、南国の陽射しを浴びて日焼けした剽悍な顔を真面目な表情に変えて景佑に答えた。


「いや、あの御方と一緒にいると拙者も何やら元気をいただけるものでな。確かに大変なことも多いが、疲れなどどこかに吹き飛んでしまうくらいお仕えしていて楽しいんだ」


「ああ、そうかい。そいつは結構なこった」


 今はそんな話をしている時ではない。無意識に頬が緩んでしまっている藤真を見て溜息を漏らすと、景佑は隠れていた貨物の陰からそっと顔を出し、港に停泊している大型の異国船を顎で指し示して言った。


「それよりな。あのサモラーノとかいう宣教師、やっぱり奴隷貿易に手を染めてやがった。可愛らしい町娘が一人、あの船の中に閉じ込められちまってるのを確認済みだ。このままじゃ遠い南の国に連れ去られて、原住民と一緒に鞭でぶっ叩かれながら鉱山か農園で死ぬまで重労働だぜ」


「そうか……。やはり拙者が睨んでいた通りだな。まさか神父様がそのようなことをするはずがないと、すっかり信じていた母親の哀れなことよ」


 ここはナピシム王国南部、王都ルプナール近郊の港町・アムラ。その漁港の傍に広がる貧民街に住んでいる少女が一人、何者かに連れ去られたという通報が藤真たちの元へ寄せられた。捜査の結果、彼女を誘拐したのは赤い髪の異国人で、遠く西のジョレンティア王国から布教に来ていたハメス・サモラーノという宣教師とその配下の信徒たちが彼女を奴隷に売り飛ばすためにさらったことが判明。義憤に駆られた藤真らは意を決してジョレンティアの船に乗り込み、少女の身柄を取り返すことにしたのである。


「確かに、愛や慈しみがジョレンティア人たちが信じる神の教えだと聞いていたが、どうやら違ったらしいな。高潔な紳士のふりをして、やることが残酷過ぎる」


 藤真の仲間の一人・梅原うめはら銀九郎ぎんくろう康繁やすしげが愛用の弓を持ち上げ、弓弦の具合を手で確かめながら唾棄するように言う。彼に同調したのは薙刀を武器とする大柄な僧侶の男で、この中では最年長の盤渓ばんけいであった。


「修業が足りぬゆえ罪に流されるのか、それとも初めからただの偽善者か。いずれにしても許してはおけぬな」


 藤真の胸にも、この国の平和を踏みにじる西洋人たちへの怒りがふつふつと湧いてくる。港湾地帯の各所に散っていた十数名の仲間が全員集合すると、女忍者の苅部かりべ紅葉もみじは自分が潜入して調べてきた船内の見取り図を紙に描いて段取りを説明した。


「この階段を登れば、船の貨物室はすぐ目の前。積み荷はまだほとんど搬入されておらず、縄で縛られた女の子だけが壁際に横たえられて監禁されている状態よ。見張りはここと、それからこの辺りに二人ずつ」


「よし、なら見張りの奴らを蹴散らしたら皆で一気に貨物室へ突っ込むぞ。分かったかお前ら」


 皆の隊長を務める景佑が突入作戦の流れを改めて確認すると、続けて藤真が鋭い声で仲間たちに檄を飛ばして気合を入れた。


「参るぞ。討ち入りにござる。ジョレンティア人の悪党どもを成敗し、誘拐されたナピシム人の少女を助け出す。この国の役人や憲兵たちが頼りにならぬ以上、我らサムライがやるしかござらん。瑞那人の武士道、悪党どもに目にもの見せてやる!」


「おうっ!」


 殺気をみなぎらせた歴戦の戦士たちが重々しくうなずき、腰に佩いた太刀に手をかける。藤真も母国にいた頃から使い慣れている愛刀・清正の柄を握り、何かを念じるようにそっと瞑目した。やがて港に響く船の汽笛を合図とするかのように、彼らは統制の取れた動きで一斉に作戦行動を開始する。


「どけどけい! サムライの御用改めだ!」


 まげという奇抜で独特な髪型と東洋風の具足、そして黒い不死鳥の紋章があしらわれた鮮やかな緋色の陣羽織。この国の民族とは明らかに異質な剣士の集団が抜き身の太刀を振りかざし、積み荷を載せて出港の準備をしていた巨大な帆船に向かって猛然と突撃する。サムライと呼ばれて名を馳せる彼らが唸りを上げて埠頭を駆け抜けると、港にいた船乗りや商人たちは慌てふためいて道を開けた。

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